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20.
東方都市へ帰還する旅は何事もなく続いた。
影狼たちを乗せた荷馬車を引いているため行きほどの速度は出せないが、さすが騎士団の所有する軍馬だ。
負傷した二人の従者が乗っていた二頭の馬が牽引し、それなりの速度で走ることができた。
荷台にいるセルゲイは、気付いているだろうか。
ロズエンはあの瞬間を見ていないからわからないだろう。
街まであと半分という場所で一度休憩を入れることになった。空も色を落としている。
カンデラの光によって、眠らない限り進むことができるといっても、睡眠はとらなければいけない。それは人も馬も同じだ。
結局、その日のうちに帰ることは出来なかった。この速度で進めば、東方都市に帰るのは明日も半ばを過ぎた頃になる。
「街に帰ったら、俺はどうすれば?影狼を留置場まで送りますか」
「影狼は騎士団の支部の地下牢に連れていく。場所を明かすことは出来ないから、お前は街についたら帰っていいぞ」
交代で眠りつつ、十分な休憩をとったあとは移動を再開した。
道すがらロズエンや従者たちに中央輝石院での生活について話を聞いた。
中央輝石院は全過程を六年間で終える。その前半の三年は全ての学生が共通の授業を受け、そこでの成績を見て後半の三年、そして卒業後の進路が決定される。
白華の騎士になるためには後半で騎士課程に進み、その中でも特に優秀な成績を示す必要がある。そして優秀なだけでは足りない。
輝石院入学のための審査よりもさらに厳しい選抜が行われ、カンデラの守護者として全幅の信頼を寄せられる者を、白華の騎士として叙任するのだ。
セルゲイたちのような従者は、騎士課程には進んだが成績が及ばなかったか、選抜を通ることができなかった者たちだ。
卒業後は四方都市の防衛などの仕事につくのが一般的だという。
その中で騎士の信頼を得て指名された生徒は、従者として騎士団の仕事に携わるようになるのだ。
「剣術だけを見れば、お前は騎士課程の範囲をすでに終えているだろう」
「そりゃあセルゲイさんが卒業できたくらいだし」
「貴様……筆記試験で泣きを見るがいい」
荷台で退屈そうにしているセルゲイと軽口を叩いていると、東方都市が見えてきた。
風は涼しく、気温が下がっている。ほどなく夕の鐘が鳴るだろう。教会の集会は終わり、住民たちは帰るころだ。
「あの、先に街に帰ってもいいですか?」
今ならまだ間に合うかもしれない。先頭を進むロズエンの隣に並んだ。
「どうした。用事でもあったか」
「教会の集会に顔を出したくて、ロックス家の……家の子を待たせているので」
「それは、騎士団の任務より優先されることか?」
ロズエンの険しい表情を見て、ヘリオンは思い直した。
まだ任務は終わっていない。自分の都合で抜け出すような人間は信頼できないだろう。騎士になりたければ甘い考えは捨てる必要がある。
「ふっ。冗談だ。お前は正式な従者ではない。先に戻っていいぞ」
彼が笑ったのを初めてみた。初めて会ったあの日から、ロズエンは白華の騎士としてヘリオンを疑い続けてきた。
今回の任務によって、都市議会だけではなく、彼の信頼を得ることができたのなら苦労した甲斐があるというものだ。
「カーネリアン卿がお前を騎士にしようとする意図は分からん。ディークの孫という出自以外の裏があるはずだ。だが私は、ヘリオンという人間は評価しているよ」
「あ、ありがとうございます」
「座学の試験で落ちてもらっては期待外れもいいところだ。剣以外も身に着けておけ」
「はい!では、また!」
「ああ。次はセント・ミラで。光の導きあれ!」
共に戦った白華の騎士とその従者たちに手を振り、ヘリオンは東方都市へと走った。
初めてこの街を見たとき、不気味な世界に迷い込んだと感じた。
青白い光を反射して輝く石の街は、今でもどこか歪に見える。街も、そこに住む人々も。ここにいられなかった人々も。
だがヘリオンが帰る場所はこの街にあった。あの村の中であっても得られなかった居場所。そう期待できるだけの人たちがいる。
街の正門を潜り、カンデラの光が満ちる大通りに入る。一日を終えて家に帰る人々の往来が増え、道は混んでいた。
馬の速度を緩め、その流れに乗る。
帽子を深くかぶり光を遮る人もいれば、顔を上げて歩む人もいる。受け入れられるかは別として、誰にもカンデラの光は必要だった。
道の端に、目を眇める人がいた。疲れた表情をしてカンデラの光の中に佇み、途方に暮れている。
「………」
馬を停めて、彼女のもとに向かった。
どうしてここに。そう思うのと同時に、やはり出会ってしまったとヘリオンは思う。
街に帰るあいだ、ずっとその予感があった。
「ステア」
「……ああ、ヘリオン」
ヘリオンを村から連れ出した行商人。旅にでるきっかけをくれた人。
感動の再会とはならなかった。まるでついさっきまで一緒にいたかのように挨拶を交わす。
別れたあの日と変わらない笑顔。短い間だったが、仲間として旅をした日々を思い出す。
初めてセルゲイと対峙する前に、彼女が握ってくれた手の優しさ。ステアは何者にもなれなかったヘリオンの手を握り、連れ出そうとした。その心強さはヘリオンにとって救いだった。
ステアの手のひらを取り、確かめる。
焼けたように硬くなった皮膚。光弾を素手で放ち続けると火傷のような症状がでると、ロズエンから聞いていた。
爪の間には土が詰まって汚れている。彼女の細腕であの穴を掘るのは、大変だっただろう。
「荷馬車は騎士たちが使ってるから、もうあの坑道にはないよ」
「あー、そっかぁ。まあ取りに戻る予定もなかったし、気にしないで」
ステアは否定しない。
つい昨日、坑道内の戦闘でヘリオンにむけて光弾を放ったのはステアだ。
彼女は、相手がヘリオンだと承知で、手加減も交渉もなく攻撃してきた。
気が付いたのはあの荷馬車を見たときだ。
荷馬車に残されていた、力任せに握られた跡。ヘリオンには見覚えがあった。平原の街道でカーネリアンと出会ったとき、彼が荷台のあの場所を握り、進む馬ごと引き留めたのだ。
拠点の中で食べられていた干し肉とチーズ。もしかしたら、あれは村で仕入れた食料かもしれない。
「ねえヘリオン。私と一緒に来ない?ちょうど護衛がいなくなっちゃってね」
村を出たときと同じ旅の誘い。
あのときのヘリオンは何も知らなかった。カンデラを遠く見渡せる山の上で、その場で旅に出る決断を下したのだ。
遠い昔の出来事のように感じる。草原の花が一つ生え替わる内に、いろいろなことを知った。ヘリオンの歳も一つ増えている。
祖父の過去。村の外。東方都市。新しい家族。白華の騎士。影狼。
ステアの正体が、影狼だったこと。
ヘリオンは白華の騎士になると決めたこと。
全てを捨てて新しい旅に出ることは出来ない。
「ごめん、ステア。俺はやるべきことを選んだよ」
「そっか……残念だな」
どこまでがステアの本心だったのだろう。
ヘリオンを村から連れ出して、仲間に引き入れたかったのかもしれない。輝石院に送り込んで影狼に便宜を図らせるため、適性のある子供に恩を売りつけていたのか。
それともディークに用があったのか。かつて影狼を率いていた人物を尋ねたら、孫はなにも知らされずに村の外への憧れを募らせていた。
適当な嘘で連れ出すのは簡単なことだろう。
いや、嘘ではない。すべて本当のことだ。
ステアはステアのために生きている。影狼であることは隠しながらも、影狼が悪とされる集団だということは否定しなかった。
セント・ミラを三年で去ったことを悔やみ、期待した将来を失って行商人をしていたのも、全て真実だ。ヘリオンのことを思って手を取ったあのときも、嘘ではなかった。
「でも、また会えるね」
「そうかな。俺はもう、会いたくないな」
「ううん。ヘリオンが選んだ道を進み続けるなら、会わなきゃいけないの」
傷ついた手で握り返し、そっと離した。一歩距離を置き、別れのときを告げる。
「それじゃあ、またいつか。次はもしかしたら、セント・ミラで」
街の中へ消えていこうとする彼女に、どう答えればいいか。
「……ありがとうステア。会えてよかった!」
振り返らずに彼女は去っていた。路地の裏、光を避けて。
どうか上手く逃げてくれ。そしてそのまま、どこかに消え去ってくれ。
白華の騎士を志す者として、これは持ってはいけない感情だった。本来なら追いかけて拘束し、ロズエンたちに引き渡さなければいけない。
ヘリオンはあの拠点で影狼の子供達と戦い、その自由を奪ったのだ。同じことをするべきだ。
わかっていながら、その場から動けない。
苦しかった。闇の中で輝剣を持った少年が囁く。裏切者と。
「なにをやっているんだ俺は……」
街の塔から鐘の音が響く。夕の鐘。もう教会は閉まるだろう。
首から下げた首飾りを取り出して握りしめた。誰も裏切ることはできないはずだ。この手に握った輝剣で、与えられた名前を守らなくてはいけない。
「ああ、教会に行かなくちゃ」
待っていると彼女は言っていた。馬に乗り、教会へと向かう。
集会が終われば教会の扉は閉じられる。その後は関係者以外は立ち入りできない。もう帰ったと思いつつ、ヘリオンは向かった。
そして閉じた教会の扉の前に座るセレナを見つけた。
目を閉じ、手を握って何かに祈るセレナを見たとき、心の底から安堵した。間に合ったのだ。少し待たせてしまったが、待っていてくれた。
「ごめん、集会は終わったよな」
「あ、あなた!無事だったの?!帰ってこないから、なにかあったかもって!」
駆け寄ってくるセレナがヘリオンの全身を確かめてくる。目立つ怪我がないことを確認すると、大きく息をついた。
あれだけの戦闘をしたというのに、ヘリオンは傷一つ負っていないのだから不思議なものだ。
「えっ、その灰守り、お母様の……」
ヘリオンの首に掛けられた首飾りを見つけ、セレナが驚く。灰守りという名前だったのか。
セレナに見覚えがあるなら、ウェンディが日頃から身に着けていたものらしい。
「どうしてそんなもの……」
「そんなものって、ありがたいだろ?」
ヘリオンにとっては、新しい家族の象徴に思える。
ウェンディとコルトにも早く無事を伝えたかった。義理の母は安心するだろうか。素直に喜んでくれるかは分からない。
コルトは満足するだろう。輝石院に入れるだけの戦果を挙げたのだから。
「セレナ、やっと少し知ることができたんだ。白華の騎士になることがどういうことか」
輝剣を手に取り、本来の持ち主を思う。
『我は罪を裁く千刃の一振り、光の解放者。神の地に永久の安らぎを刻む』
彼が刻んだ誓いの言葉を、ヘリオンは引き継ぎたいと思った。
「その宣誓って……」
「この輝剣で戦うなら、この騎士の思いも守りたい。そうすればセレナたちも守れるかな?簡単にできることじゃないって、わかってるけど」
ヘリオンの言葉を聞きながら、セレナの目には涙が溜まっていく。溢れ出た涙が頬を伝い、胸元に吸い込まれていく。そこにはヘリオンの物と同じ首飾りがあった。
セレナが祈りを捧げていたのは、灰守りに対してだった。光の神カンデラではない。
「ああ……そういうことだったのね」
涙は、喜びの涙ではない。
戸惑うヘリオンを、セレナは強く抱きしめた。
幼くして戦う運命を背負わされた弟。なにもかもを失い、持って生まれた力によってカンデラの光へと吸い込まれていく。神への祈りを知る前に、戦いの誓いをその手に掴んだ。
涙がヘリオンの首筋を濡らす。
セレナはなすすべもなく選ばされていくヘリオンを、この場所に繋ぎとめるように、できる限りの力を込めた。
「ヘリオン、あなたが本当の自由を手に入れられるように、私がお姉ちゃんでいるからね」
突然の言葉になにも言い返せない。
後にして思えば、このときセレナは気づいていた。ヘリオンが口にした宣誓が誰のものか。そして母親がヘリオンに与えた灰守りの意味を。
輝剣の本来の持ち主が、父親であることを。




