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2.




「痛ってぇ・・・あのクソジジイ毎日毎日ボコスカ殴りやがって」


 草地を見下ろせる丘の上。

 高く突き出た岩に腰かけて怪我の状態を確認する。


 骨にヒビが入っている心配はなさそうだ。仕事には問題ないだろう。

 力加減の上手なダスクの顔を思い浮かべ、ヘリオンは思わず舌打ちした。


 村の周囲にはいくつかの放牧地があり、山羊飼いが各家の山羊を取りまとめて草を与えにやってきていた。


 ヘリオンも山羊飼いたちと放牧地を訪れ、群れから逸れた山羊がいないか、周囲に怪しい人影がないか監視していた。


 半分は山羊飼いとして。もう半分は放牧に付き添う護衛として。

 ヘリオンの仕事は、半人前の山羊飼いであり、衛兵の見習いだ。


 放牧中の山羊を狙って山賊が現れたとき、十一歳の少年に対応させようとする村人はいない。

 だが大人に混じって戦うことくらいはできるだろう。

 そう思われるくらいは、ヘリオンの実力は村からも評価されている。


 今年になってようやく衛兵見習いとして扱われているが、それまでは村の子供たちと一緒に山羊飼いの見習いをしていた。


 同じように放牧についてきた山羊飼いの子供は、遠くに離れすぎた山羊を群れの方へと誘導したり、大人の山羊飼いから山羊についてのあれやこれを享受されている。


 その様子を見て、ヘリオンも去年はあの山羊飼いの村人から、草の種類とそれがどこに生えるかについて教えて貰ったことを思い出す。


 たしかに自分は護衛としても仕事を期待されるようになった。

 けれど、村の山羊飼いとしては期待できなくなったのだろう。


 そもそもこの辺境の村に衛兵が必要なのか。


 確かに山羊を盗みに来る山賊はいる。狼や、野生化した竜が現れることもある。


 けれどそうした脅威に対して本格的な対応をするときには衛兵が一人や二人いたところで効果は薄い。


 村人だってある程度の自衛をするし、狼や竜に対して必要なのは剣ではなく、頑丈な柵だ。


 放牧中に肉食の獣に襲われたとして、剣で追いかけて追い払うなんて無理があるだろう。


 この村に衛兵が、ダスクとヘリオンがいるのは、彼らが外から流れ着いたからでしかない。


 理由は分からない。ダスクは赤ん坊のヘリオンを連れて村にやってきた。


 ヘリオンの両親はいなかった。

 ダスクからは、病で死んだと聞かされている。


 街で衛兵を務めていたという怪しい初老の男をよく迎え入れる気になったものだ。

 過去にどんな厄介事を抱えているか分かったものじゃない。


 村人達は現実的だった。

 当時どんな交渉がされたか誰も話してくれないが、ダスクは持っていた装備品のほとんどを売り払った。


 その資金で村には新しい馬と鉄製の農具が数本かもたらされ、獣除けの柵も補強された。


 衛兵の老人と赤ん坊は村に住むことを許され、彼らの手元に残ったのは腐るばかりの剣の腕と、一本の輝剣のみ。


 さらに村人たちはヘリオンを山羊飼いにしようと声をかけた。

 それが村のためになるし、ヘリオンのためになるだろうと。


 反発するようにダスクは熱を入れてヘリオンに剣と魔法の修行をさせたが、止める者はいなかった。

 理不尽とも言える修行に子供が耐えられるわけがない。いつかは音を上げるだろうと村人は考えていたのだ。


 そうやって十一年が過ぎ、やがてヘリオンは衛兵でも山羊飼いでも、ただの村人でもない半端物になり、一人、岩の上に座っている。


 どうして修行を辞めなかったんだろう。

 村において自分の立ち位置を理解し始めたとき、そんな思いが自然と浮かび上がる。


 後悔はなかった。ヘリオンにだって、剣を置いて山羊を追いかけるだけの生活を選ぶ気はない。


 けれどそれは、今更感というか、ただ勿体ないからだと思った。

 自分はここまで頑張ってきたのだから後に引くことはできない。


 もっと昔、修行を始めて間もないころの自分は、なぜ棒を持って振り続けたのか。

 手の皮が擦り剝けて血が滲むまで、同年代の子供達から白い目で見られるまで。


「あーあ、やめやめ。昔のこと考えたって仕方ない。大事なのはこれからだよ」


 ふっと息をつき、頭を振って沈んでいた気持ちを切り替える。


 地平の先には遠くの空を染め上げる神の光。


 昨日も今日も、そして明日以降も変わらずに光り続ける一点の輝きが見える。

 この村以外にも世界が広がっている証拠だった。


 行商人から見せてもらった地図。

 草原の向こうには街があり、湖があり、光の神が浮かんでいる。


 いつか実際に見てみたい。

 村では役に立たない剣の腕だって、旅するために必要だ。

 自分はここまで頑張ってきたのだから、これまでの人生が、これからの人生で役に立ってほしい。


 ダスクが自分に戦い方を教えたのは、きっとそのためだ。


「おっ、来たきた!」


 ヘリオンには期待があった。それは村の中ではなく、外からやってくる。


 山の麓から坂道を登って来る荷馬車が見えた。

 基本的に自給自足の生活で、買い出しをするときは徒歩で何日かを要する村にとっては貴重な来訪者だ。


「行商人がきたぞ!」


 遠くで放牧をしている村人に呼びかける。

 彼は商人を迎えるために村へ戻らなければいけなかった。必要な指示を見習いの子供達に出して山道を上っていく。


 村からは山羊の毛皮や乳製品を、商人からは近くの町で仕入れた古着や靴と、山では作られない小麦などを物々交換する。


 一日かけて商談を取りまとめ、次に訪れるときに仕入れてほしい商品の希望を聞いて回って、また山を降りていく。


 本音を言えばヘリオンは自分の剣がほしかった。

 鉄製ではなく、ダスクが持っている物と同じ輝剣だ。


 家に残された輝剣は一本しかない。本来必要な輝剣同士を使った訓練が出来なかった。


 輝剣の魔法を発動させる練習はしてきた。使い方にも自信がある。


 けれど唯一の輝剣をダスクが肌身離さず管理しているから、ケンカをしようと思ったら、ダスクが手に持つより先に仕掛けなければ勝ち目がない。

 それが出来なかった結果が全身の打撲跡だ。


 輝剣を買うためにどれくらいの交換材料が必要か聞いてみたことがあるが、荷馬車が走れなくなるまで山羊を詰め込んでも足りないくらいと言われた。


 村の全財産と言っているようなものだ。残念だが諦めるしかない。


 それでもヘリオンは商人の到着を心待ちにしていた。

 外の世界。この国の出来事についていろんな話をしてくれる。


 これは余談だが商人は美人だ。

 村娘たちと比べるのも失礼じゃないかというくらいには美人だ。


 辺境の村と交換できる品物なんてたかが知れているし、商談なんて本当は一日も時間をかける必要がない。

 村人たちはどうにかあの商人を口説き落として村に嫁がせようと滞在期間を伸ばす努力をしている。


 別にヘリオンにその気があるわけじゃないし、万が一、奇跡が起こって村に嫁いだとしてもヘリオンの家じゃないだろう。

 年だって少し離れている。けれど、彼女が村に住むようになったらと思う。


「俺も村に帰りたいなぁ。早く草食ってくれよ山羊ども」


 残念ながら仕事がある。期待されていない山羊飼いと護衛。

 しかしそのどちらも放り出して許されるほど、ヘリオンと村の関係は暖かくはないのだ。


 ため息をついて商人の荷馬車が到着するのを眺める。

 道をそのまま進めば、この放牧地の横を通り過ぎるだろう。

 ここから声は届くだろうか。手を振って返してくれれば嬉しい。


「………走らせてる?」


 違和感。荷馬車の進む速度が早い気がした。

 馬も荷台も大きく揺れている。

 商品を運ぶ行商人が、そんなことをするのだろうか。

 まるで、何かから逃げているような……。


 近づくにつれて様子が見えてきた。やはり馬を走らせている。

 勾配は緩やかだが、坂を荷馬車で走ればすぐにばててしまうだろう。

 それに商品の数が少ない。走っている内に落ちたのか、軽くするために落としたのか。


 何より、商人は一人で馬車に乗っていた。

 いくら金の無い若い商人だって、一人で辺境の地を旅する訳がない。

 価値のある品物を盗んでくださいと喧伝しながら原っぱで踊るようなものだ。


 彼女も村を訪れるときは護衛を一人雇っている。その護衛の姿も見えなかった。


 訓練に使っている棒を腰巻に差して、ヘリオンは丘を駆け下りた。他の村人たちに商人の様子を見てくると告げ、山道に出て走る。


 ほどなくして荷馬車を走らせる商人の顔が見える位置まで近づいた。


「ステア!」

「乗って、ヘリオン!」


 行商人のステアが声を上げる。速度を落とすつもりはないようだ。

 いよいよ何かあったのだと確信したヘリオンは横を通り過ぎる瞬間、荷馬車に飛び乗った。


「なにがあった?」

「すぐそこで山賊に襲われたの!護衛の人は馬車から落とされて、もう……」

「山賊は馬を持ってた?騎竜は?」

「騎兵は出てこなかったわ。待ち伏せだったみたい」

「だったら安心して。村までの道には誰もいないはずだから、このまま走れば追いつかれる心配はないよ。ステアが無事でよかった」

「………うん。ありがと、ヘリオン」


 ステアは汗で額に張り付いた髪をかき上げて深呼吸した。


「積み荷は?落としちゃった?」

「うん……。酒樽が重かったし、あれで山賊が満足してくれればいいと思って、途中で」

「もっと軽くしてもよかったのに。村の連中は怒らないよ」

「なに言ってるのよ。これだけでも交換しないと大損しちゃうわ」

「村長に吹っ掛けて山羊一頭と古着一枚で交換させよう」

「あははっ、なにそれ!とんだ悪徳商売!」


 ヘリオンの冗談にステアが笑う。少しは気がまぎれただろうか。


 ステアは最近になって村を訪れるようになった行商人だ。歳は二十より前だろうか。


 村人たちは彼女の素性に噂を立てる。

 没落した名家の娘とか、中央のお偉いさんがこさえた妾の子とか、騎士が身分を偽っているとか、どこまで本気で言っているのか耳を疑うようなことばかりだ。


 わざわざ危険を伴う行商人という仕事をしているからには、仕方のない理由があるのだろう。

 そう言いたくなるような雰囲気をステアは持っている。


 しかし彼女がどんな理由で行商人をしているかなんて関係ない。

 自分の力で世界を歩くのは、半端者のヘリオンが憧れる旅人の姿だ。


「村まで馬の脚が保つならこのまま走らせて。俺はここで降りるから」

「えっ、一緒に来てくれないの?」

「護衛料金をくれるなら、ああいや嘘だって、外に出てる連中に山賊が出たって知らせないと」

「へぇ若いのにしっかりしてるわ」

「まだまだ半人前だよ」


 柔らかそうな草地を見つけて荷馬車から飛び降りる。


「気を付けろよ!」

「ヘリオンも!また村で!」


 別れ際に声を掛け合って、ステアを乗せた荷馬車は村へ続く道を駆けて行った。


 ヘリオンは先ほどまでいた放牧地へと急ぎ戻ると、山羊飼いたちに事情を説明する。

 山賊が近くで出たとあってはのんきに放牧している場合ではない。

 ヘリオンも含め山羊飼い全員で山羊たちをまとめて村へと急いだ。



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