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18.
「剣を捨て、その場に伏せろ」
セルゲイが少年に命じた。
かつてヘリオンが白華の騎士と対峙したとき、剣を投げ捨て、地に頭を着けて許しを望んだ。あれはヘリオンが自らの意思で行った選択だ。誰かに命令されてからでは、何もかもが遅い。
少年は命令に従わない。彼にはわかっている。影狼である自分と、白華の騎士団であるヘリオンたちが分かり合えない存在であることを。
ヘリオンには分かっていなかった。影狼のことも、白華の騎士団も。いまでもそうだ。
だからこそ、あの瞬間に剣を捨て、自分を投げ出すことができた。立ち向かうべき敵だと思わなかったのだから。
戦うよりも、戦わないことで過去を守ろうとしたのが、あの日の選択だ。
「拘束するぞ」
従者たちが少年を取り囲む位置取りをする。
少年が見ているのは、正面のヘリオンだけだ。
従者だけではこの少年を突破することはできない。少年にとっても、最悪ヘリオンをこの場に足止めできればいいと考えているようだ。
従者たちが一斉に白燐錠を投げた。同時にヘリオンも前に出る。
少年は後方に距離を取りながら飛び交う紐を躱していく。
動作の途中、少年が姿勢を低くしたとき、体で隠れていた奥の物陰から光弾が飛び出してきた。連携がよく取れている。
光弾を切り落としながらヘリオンはさらに前へ。
光刃の届く距離だ。横薙ぎの一振り。少年が発動した光刃によって弾き上げられる。
輝剣の発動が速い。速度を維持しても十分な強度を保てる技量があった。輝剣同士の強度が拮抗すれば、物質を伴った武器で戦うのと変わらない。あとは純粋な剣術の技量と、輝剣を維持する精神力の勝負。
だがヘリオンのほうが有利だ。
至近距離で輝剣を振り合い、躱し、弾き、攻防を入れ替えながらもヘリオンは確信している。少年に実力で優位を感じているわけではない。人数の差だ。
どこかの隙を見つけて鍔迫り合いに持ち込み、少年が持つ輝剣の動きを止めることができれば、周りの従者たちが白燐錠で拘束してくれる。
従者たちは白燐錠と輝剣を構えながら、ヘリオンと少年の剣戟から拘束の隙を見逃さないように注意を払い、断続的に飛んでくる光弾をはじき返している。
奥から攻撃してくるもう一人は、三人の従者の動きを制限しなければいけない。
光弾による攻撃の間隔が開いてきた。速度も、その威力も弱まっているようだ。
弾切れが近い。そうなれば従者たちも自由な位置取りができるようになる。ヘリオンに注力している少年への負荷も増える。
実際に剣を交えた相手の中で、この少年はダスクに次いで手強い相手だ。だが勝てる状況。このまま押し切れる。
そう思ったヘリオンの意識が、目の前の少年ではなくその奥、光弾の使い手へと吸い寄せられる。
発動の予兆。いままでよりいっそう強力な予感を感じられた。
奥にいる影狼は不意をつく手段を考えている。残り少ない余力。いずれ訪れる仲間の無力化。
ヘリオンたちにそう見せているのだとしたら?
「避けろ!」
まずいと直感したが遅かった。今までの光弾よりも強力な一撃が放たれる。
狙われたのはセルゲイだ。このチームのリーダーだと思われたのだろう。いままで弾けていた威力の光弾。そして使い手の限界が近づき威力が落ちていったところに、最大威力で撃たれた。
セルゲイも十分な反応を見せ輝剣で弾こうとしたが、彼の刃は打ち消され、そのまま光弾が体に命中する。
「セルゲイ!」
続けて強力な光弾が放たれる。倒れたセルゲイに追い打ちをかけたが、近くにいた従者がそれを弾いた。続く追撃も輝剣によって弾かれる。
あの一撃は、光弾の使い手にとっても切り札だったのか。それ以上の攻撃はなかった。
「もういいから逃げろ!十分だ!」
沈黙を守り続けていた少年が叫ぶ。
ヘリオンとの戦いを続けながら、彼が初めて言葉にしたのは、仲間へ向けた必死の撤退の指示だった。
奥にいる気配が遠ざかっていく。弾切れか。なんにせよ、この少年を倒さない限り追うことは出来ない。
倒れたセルゲイを一人の従者が手当てしている。
ヘリオンともう一人の従者が少年と対峙した。少年は先ほどまでよりも積極的な踏み込みで責め立ててくる。二対一だ。相打ちでも構わないとでもいうのか。
「クソッ!」
誰の悪態かもわからない。その場にいた全員が状況の悪化を感じた。
セルゲイは光弾に倒れた。
手当をしている従者の手は血に染まっている。
少年は仲間の支援を失い圧倒的に不利な状況だ。
加勢する従者は輝剣の強度で劣る相手の攻撃を避けるのに必死。
ヘリオンはそんな彼を庇うような形で戦っている。
従者がついに避けきれず、輝剣を受け止めた。受け止めさせられたのだ。かつてヘリオンがセルゲイにしたように、攻撃と防御の要である光刃が掻き消される。
従者の男が輝剣を再発動させるまで、少年が次の一撃を待つ理由はない。
少年が従者の肩を切りつけた。光刃に触れた傷口は、肉ごと散って消える。だが浅かった。腕が切り落とされるまで刃は入っていない。
ヘリオンにとっては攻撃の機会。実力差のある従者を先に倒そうと、ヘリオンへの警戒が薄くなっている。
それは少年も承知の上だろう。博打を撃たなければ勝てない戦いなのだから。
「………ッ!」
ヘリオンは少年が従者に向けた追撃を、横から強く弾く。
少年の腕が上に上がった。それでも彼はヘリオンの攻撃に備えた。姿勢を崩しながらも、剣を受ける体制を取る。
あと一押しだ。その一押しを詰めるためには、さらに意識の外、拮抗する剣術よりも上の手段が必要だ。
対峙する相手の意識を刈り取るのに丁度いい技を、ヘリオンは一つ知っている。
爆ぜて、散れ!
視界を塗りつぶす白。輝剣によって形を与えられた魔光を、一瞬で発散させ、相手にぶつける技。村を出る直前にダスクが見せたこの技を、東方都市でも練習を続けていた。
大量の魔光を浴びた少年は目を閉じる。それは視界が奪われるだけではない。
この少年もヘリオンと同じように、相手から漏れる魔光を予兆として認識し、行動の先読みを行っているはずだ。魔光を使った戦いに精通すればするほど、その感覚は研ぎ澄まされていく。
この技はただの目くらましではない。一度に大量の魔光を浴びせ、魔光の密度差に晒して感覚を麻痺させる技だ。少年は視界だけでなく周囲の空気、空間の感触すらも喪失している。完全な隙だ。
ヘリオンにとってもこの技はリスクが大きい。視界を失うのはこちらも同じだ。魔光を直に当てられた少年ほどではないが、感覚は鈍る。
なによりも自分の輝剣を一度解除するという代償がある。
もし少年が闇雲に輝剣を振ってもヘリオンには防ぐ手段がない。相手が崩れ、攻撃態勢を取れない状況だからこそ許される最終手段だ。
突入前に与えられていた白燐錠を投げつけた。
視界が戻った時には足首を縛られた少年が地面に手を付いている。その手を踏み抜き、輝剣を相手の手から落とす。
別の方向からも白燐錠が投げ入れられ、少年を完全に拘束した。
腕を切られた従者も、傷に怯まず少年の隙を逃さなかった。彼の腕からは赤い血が噴き出し、苦しそうに手で押さえながらも、勝利を確信した高揚感に笑っている。すぐに傷口を縛れば、彼は大丈夫だろう。
少年を無力化できたことを確認して、セルゲイのほうに駆け寄った。
「大丈夫か!?」
「ああ……なんとかな」
着弾した部分の皮は剥がれ、肉が見えている。内臓まで届いていないようだが出血がひどい。
手当をしている従者がセルゲイの装束を引き裂き、傷口を縛り上げていった。
彼がなにか魔力の操作をしたのだろう。装束の布はセルゲイの傷口に張り付き、淡い光を放つ。布は血を吸って赤く染まるが、それ以上流れ出ることはなかった。
騎士団の装束には、けが人を手当てするための魔法も織り込まれているのか。それだけ、影狼との戦闘には危険が付きまとうのだろう。
「奥に……一人逃げたな……追ってくれ」
「……はい」
動く余裕があるのはヘリオンだけだ。
光弾の使い手が逃げた先にはロズエンがいる。消耗した状態でロズエンを突破できるとは思えないが、そこまで追い立てるのがヘリオンたちの役割だ。
肩を切られた従者も装束で傷口を縛り、治療に専念してもらう。
坑道の奥へとヘリオンは歩き出した。予想される全長から、もう北側に近づいているはずだ。
「なあ、おまえ」
部屋から出る前、声をかけられる。少年の声だった。拘束され、地面に横たわる彼が、こちらを見上げている。
「おまえがヘリオンなのか」
「………」
少年と戦っているあいだ、だれか自分の名前を呼んだだろうか。
「この、裏切者め」
戦いのさなかに向けられた殺気よりも、肌を掠める輝剣の圧力よりも、その言葉から感じる恐怖は、ヘリオンの胸に深く刺さった。
ヘリオンと彼にどれほどの違いがあるのだろう。
あの日、ステアとの旅の途中、岩陰から現れたのが騎士の二人ではなく影狼だったなら。
同じような経緯をたどってヘリオンは影狼の仲間になっていたのかもしれない。今この場所で倒れ伏しているのがヘリオンだった未来も、きっと存在したのだろう。
ダスクはヘリオンになにも教えなかった。そこにどんな意図があったのか。
騎士を善とし、影狼を悪だと教わって育ったとき、ヘリオンは騎士を目指しただろうか。
きっと違うだろう。
ヘリオンは自分自身の善悪に執着する人間ではない。あの村での善悪と、この国での善悪には大きなズレがある。
あの村の環境で育ち、いつか国の内側へ旅立つであろうヘリオンが中庸の立場になるには、なにも知ってはいけなかった。
今ヘリオンが白華の騎士団の側に立っているのは、低い確率の上に成り立った奇跡でしかない。その奇跡でさえ、善悪のどちらかを判断できるだろうか。
「今はいい……気にするな」
セルゲイのその言葉に背中を押された。ヘリオンはもう白華の騎士団に味方しているのだ。
これにどんな意味が付いて回ろうと、これからヘリオンは影狼たちの自由を奪う側だ。
この戦いを経て、ようやくそれが分かった。




