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16.
影狼の拠点襲撃作戦の当日。
それまでと変わらない一日が始まったかのように、ヘリオンは決行の日を迎えた。朝の鐘に間に合わせるため、少しだけ早く起きて朝食を軽くすませる。そして自分の部屋で出発の準備を始めた。
準備といっても大したことはできない。村を出たときも、ロックス家に来てからも。ヘリオンには自分自身と剣の腕しか頼れるものがないのだから。
輝剣を握り、発動する。
澄んだ鐘のような高音と共に、光刃が立ち上がる。
文字の練習や教会通いをしながらも、いままで通りの訓練を欠かさなかった。木の棒を用意し、この輝剣と同じ長さに削り、輝剣を棒と同じ長さで発動させる。
ダスクとの訓練はヘリオンの生活の一部となっている。
輝石の内側から溢れ出る光は、揺らぎなく刃の形を保っている。輝剣同士の戦闘では、この刃の硬さが命綱だ。
「よし」
満足のいく輝剣の発動を確認して、ヘリオンの出発準備は整った。光刃を振り払い、輝剣を腰に下げる。
部屋の入口、扉を開けて誰かがこちらを見ていることに気が付いた。
セレナか、そう思ったが違う。
深い色をした髪を長く伸ばした姿は似ているが、その雰囲気はどこか寂しそうだった。
ウェンディは扉に寄りかかり、声もかけずヘリオンの姿を見ている。
彼女とは会話らしい会話もしたことがなかった。ロックス家の養子となったヘリオンにとって、ウェンディは義理の母親だ。しかし初対面以来、ウェンディはヘリオンを徹底して避け続けている。
どう声をかければいいか、わからない。
セレナやコルトとは打ち解けてきたと実感しているヘリオンだが、輝石院への入学前に彼女と話せるようにはならないだろうと考えていた。あるいは、そんな日は来ないのだと。
娘のセレナの立場を脅かす存在。ウェンディがヘリオンを許すためには、ロックス家からヘリオンが去るしかない。そして二人の縁はそこまでだ。
沈黙を破ったのはウェンディからだった。
「その輝剣の輝き、まるであの人みたいね」
誰のことを言っているのかはヘリオンにも分かる。ウェンディの夫であり、騎士だった男。
決意を固めるように、一度目を閉じたウェンディはヘリオンに歩み寄った。彼の手を取り、持っていた物を手渡す。
「これは?」
首に掛けられるよう紐がつけられた石片。首飾りか。指の爪ほどの長方形に切りそろえた、文字や装飾もないシンプルなものだ。
「………」
薄紅色をしたその石から、不思議と目が離せなかった。心臓の奥に触れられるような、遠い記憶の名残を感じさせる。魔法だろうか。触れる手のひらから、暖かい気持ちになる。
「これを、母親の代わりだと思って。あなたを守ってくれるから」
その言葉の意味を嚙み砕かぬうちに、ヘリオンは抱きしめられていた。
母親としてではない。ウェンディにできる精一杯の配慮が、この首飾り。そして彼女が気まずさを打ち破って歩み寄ったこの瞬間なのだ。
「無事に戻ってきてね」
「……はい」
抱擁を解いたあとのウェンディは、慈しみの笑みを浮かべていた。そのあとはなにも語らず部屋を出ていく。
残されたヘリオンは首飾りを身に着け、改めて石を握りしめる。
輝剣だけではない。これからはこの首飾りと、あの人の優しさを持っていける。戦いに出るには十分な持ち物だ。失くさないよう服の内側に仕舞っておく。
ホールに降りると、扉の前ではコルトとセレナが待っていた。
セレナはこんな事態になったのはコルトが迂闊なことをするからだと皮肉を飛ばし、それを宥めるコルトから激昂の言葉を貰った。
「ヘリオン、お前の力を見せてきなさい」
「行ってきます」
「明日の集会には遅れないでね。待ってるわ」
「わかってるって」
ロックス家は頑丈な馬を用意してくれた。
使用人が連れてきてくれたその馬を受け取り、白い空の下、カンデラの光に包まれた大通りを正門へと走る。
正門に着けば一目でそれと分かる集団が目に入った。白い装束に身を包み、武装した軍馬に跨る従者たち。
黒い鱗に光を反射させた一際目立つ軍用の騎竜。その上にいながら、竜よりも強い圧力を放つ白華の騎士ロズエン。
「来たか。準備はできているな。しばらく走るぞ」
騎士ロズエンとその従者たちは、短く示し合わせて隊列を組んだ。従者の人数は四名。ヘリオンとロズエンを合わせて六人の部隊だ。
二列縦隊で街の正門を通り、採石場跡へ続く街道にでる。
「剣の腕がどれだけ良くても、お前は素人だ。私たちの指示に従ってもらう」
「わかってますよ……」
ヘリオンの隣には従者セルゲイがついていた。
ロズエンか、名も知らない他の従者の隣がよかった。
彼には悪いことをしたと思っている。今回の働きで少しでも印象が良くなればいいが。
影狼の拠点があるのは、数年前に閉鎖された採石場跡。
建築に使える質の良い石が表層から取れなくなったため、露天掘りされた巨大な窪地や、いくつもの坑道が放置されている。
白華の騎士は捕らえた影狼の団員から、坑道の一つが拠点として利用されているという情報を得た。
何度かの偵察を経て、その坑道に人の出入りが確認されたため、今回の作戦が決行された。
ロズエンは東方地域全域で活動する騎士の一人であり、こうして従者を率いては影狼を追いまわしているという。
逃げる獲物を追いかけるという意味では、彼の方がよほど狼じみている。
今回の作戦にカーネリアンは参加しない。
彼はロズエンよりも位の高い騎士であり、その活動範囲は中央のセント・ミラ、そしてこの国の全域に及ぶ。
あの日、東方地域北東の街道にいたのは、視察を兼ねてロズエンの任務に同行していたからだった。
カーネリアンがあの場にいなければ、若い商人と連れの子供という組み合わせに、ロズエンが特別な関心を持つことはなかっただろう。
平原を走っていると、どうしてもあの短い旅のことを思い出してしまう。
「セルゲイさん」
「どうした。無駄話をする気はないぞ」
「あの日、ステアはどうなったのかなって」
「……チッ。あの女は私の輝剣を置いて逃げたぞ」
「ああ、盗まなかったんだ」
「それなら今ごろ捕まえている」
よかった。ステアは無事だった。
東方都市に来てからずっと心につっかえていた不安が外れた。今でもあの町の周辺で商売をしているかはわからない。いつか、自由な時間ができたらステアを探したかった。
騎士になるまで、そして騎士になれたあとも、ステアの商売を手伝うような自由な生活を送れないのだろう。
けれど、一度彼女に会って感謝と謝罪を伝えたい。
村から連れ出してくれた恩を仇で返すような結果になってしまったのだから。
「止まれ」
前を走るロズエンの指示を受けて隊列が止まる。
街道を抜けて、採石場跡に近づいていた。周囲は削られた岩肌が目立ち、大きな窪みは、カンデラの光によって濃い影の領域を作り出す。それはまるで薄暗い影でできた池のようだ。
あの中のどこかに影狼は潜んでいる。
「二人、偵察に出てくれ」
ロズエンが従者の二人に命じた。彼らは短く了解と応えると、徒歩で岩陰に隠れながら影の中に降りていく。残った四人も馬を岩陰に隠して待機する。
ヘリオンは他の従者から借りた地図をみて、この辺りの地形を把握しようとしていた。
採石するために掘った坑道は、騎士団が編纂した地図には載っていないが、大まかな窪みの位置関係はつかめた。
地図を眺めているヘリオンに、ロズエンが近づいてくる。周りに他の従者がいないことを確認しながら低い声で尋ねてきた。
「ヘリオン。その輝剣を見せてくれ」
ロズエンはかつてカーネリアンがしたように、ヘリオンの輝剣を検めようとしてきた。
どういう意図があるかわからないが、ヘリオンにも気になっていたことがある。
腰に下げている輝剣を渡されたロズエンは、その表面の汚れを布で拭きとり、空の光に透かして眺めた。
「なにか分かるんですか?カーネリアン卿は、それを触っただけでダスク……ディークのことに気づいてましたけど」
「触ったくらいでは分からないさ」
輝剣は輝石という素材でできている。
魔法の道具全般に使われるこの素材は、簡単にいえば魔光を溜め込む石だ。様々な色があり、内部にためた魔光の状態によって透明度が変化する。
ロズエンは光で透けた部分を指さした。
「ほらここ、見えるか?」
「見えますけど、読めません」
「お前……入学までにどうにかしておけよ」
輝剣は一つの石を削りだしたものではない。二枚の板状に加工した輝石を張り合わせて作られている。その接合面に魔法の作用を作り出す碑文が刻まれ、それによって光刃の成型が可能となる。
ロズエンが指さしているのは輝剣の核たる碑文ではなく、関係なさそうな端の方だった。細かい文字でなにか書かれている。
流暢に崩された書体は、普段見慣れた形に直してもヘリオンは読めないだろう。
『我は罪を裁く千刃の一振り、光の解放者。神の地に永久の安らぎを刻む』
「それは?」
「宣誓だ。白華の騎士として叙任したときに、一人一人がカンデラに誓う言葉。それがここに刻まれている。同じ文は使えないから、これを見れば輝剣の持ち主が分かる」
ダスクは騎士に叙任されたとき、どんな気持ちで誓いを立てたのだろう。影狼のスパイとして活動を始めたのは、騎士になった後だろうか。
「中央輝石院には、歴代の騎士宣誓が記録された本がある。調べてみろ」
「それで、ダスクがどんな騎士だったかわかりますか」
「………いや」
ヘリオンの手に返された輝剣。騎士の剣には、ただの石以上の重さが込められている。
「輝剣の本当の持ち主が、誰だったか」
無意識のうちにしていた勘違い。ダスクが影狼であった事実から目を背け、かつては騎士であって欲しかったと、ヘリオンは願っていた。
「ディークが誰と戦い、奪ったのかだ」
屹然と告げられる言葉が、胸に深く刺さる。
偵察に出ていた従者の二人が戻ってきた。影狼たちは今まさに坑道の中にいる。
少なくとも四名が確認された。坑道の入口は二か所。二手に分かれて、両方から挟み撃ちにする。
ヘリオンの配置が告げられ、ついに作戦が始まった。
本格的な実戦だ。まだ子供とはいえ、ヘリオンを庇おうとする心優しい従者はいない。もちろん、相手にとっても同じことだ。
そしてヘリオンも、容赦するつもりはなかった。殺害が目的ではなくあくまで捕獲が優先だが、戦闘になったそのとき、どうなるかわからない。
「行くぞ」
作戦に参加する全員の意思が揃ったのを見て、白華の騎士ロズエンが号令をかける。
「狼狩りだ!」




