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1.




 国の端、あるいは神様から遠い場所。


 ヘリオンという少年が、自分の暮らす村について語るとき、なによりも先に口にする言葉がそれだ。


 不思議に思ったことはない。この村はこの国の端にあり、神様が『ある』のは国の中心地だ。

 神様から遠いという実感はヘリオンだけでなく、村人たちが共有していた。


 彼が国の全容を描いた地図を見たのは、十一年という人生の中で最近のこと。

 新しく村に寄るようになった行商人。

 彼女に見せてもらった地図には、国の大雑把な様子が描かれていた。


 外周をぐるりと囲む山岳地帯、内側にある平原、中心部にある大きな湖。

 湖の上には、光り輝く神様が浮かんでいる。


 なるほど。

 想像していたとおりだった。


 地図上でこの村は、北北東の方角にある山の中腹に、行商人が自ら書き入れた小さな丸印。


 もともとは地図にすら載っていないような辺境の地。

 だからこそ若い新人の行商人は、期待できない利益を期待して販路開拓に足を運んだと語った。

 大都市はもちろん周辺の小規模の町でさえ、なんのツテもない若者が商売をするのは大変らしい。


 村から見下ろす風景のその先、想像とそこまでずれていなかった地図の記載に、内心すこし拍子抜けした気分だった。


 山の下に広がる平野の果てに、常に輝く一点。

 地平線上の空はそこだけ違う色をしていた。

 空を青白く染める不変の光。


 この村のどこにいても、いやきっとこの国のどこにいてもその輝きは見えることだろう。


 なんだあれは、と疑うこともない。

 物心つくより前から、あの輝きがあるところに神様が『ある』のだと教わり、日々の祈りをささげる先は、空の向こうを染める光だった。


 地図の中心に書かれたその光。

 光の神カンデラ。


 そして光が照らす国の中心から遠く、この辺境の村で、ヘリオンはなんの疑問も持たずに暮らしていた。





 草木もまばらな岩山に石を積んで家を建て、山羊を飼い日々の糧を得る。

 平穏そのものという暮らしている村人の中に、老人と少年の二人家族がいる。


 少年の名前はヘリオン。


 祖父のダスクと一緒に、村はずれの家で暮らしていた。

 村のほとんどの家が山羊を飼うか畑を持つかの生活をしているなかで、その二人には村人らしからぬ習慣がある。


 彼らは村の衛兵だった。

 一日が始まり気温が上がってくると、木の棒を手に二人は向かい合う。


 剣を模した棒は使い込まれ、積み重ねてきた修行の重さが見える。


 ヘリオンの棒は幼いころから振り続け、持ち手が血で滲み黒ずんでいた。

 ダスクの棒には刀身側に汚れが目立ち、数えきれないほど孫を叩きのめした歴史を物語る。


 決まった合図もなく打ち合いが始まった。

 ダスクは年齢を感じさせない鋭さで踏み込み、完璧な距離感、速さで振り下ろす。


 刃は付いていなくとも空気を切る音が強く鳴る。

 ヘリオンには見えていた。ダスクから繰り出される攻めに対して、考えるまでもなく体が動く。


 足さばきと体さばきで躱していく。

 振り下ろされたる起動を予想して、攻撃の前に位置取りを終える。

 見てから動いては遅すぎる。見えるより前に見て動けというのが、祖父ダスクの教えだった。


 真正面から受け止めることはしない。

 これが本当の戦い、本当の武器なら、受け止めた剣ごと、体まで断ち切られない保証はない。


 攻撃は躱し、受けるなら流れるように受け流す。それが彼らの戦い方だ。


 空を切る音が響く。

 ダスクが繰り出す何度目かの振り抜きを、ヘリオンは棒で受け流した。


 その手触り。長い研鑽によって得た勘が告げる、ここだ、と。


 受け流しながら、棒同士が離れるまでのわずかな瞬間で、その軌道を弾き上げる。

 少しでいい。隙間なく続いた攻撃の中に、少しだけのズレを生み出す。


 最速で繰り出されるはずの次の一撃が遅れる。ダスクにも当然、見えていた。

 ヘリオンは反撃に転じる。弾き上げた勢いを殺さずに振り抜く。


 ダスクを捉えたように見える攻撃は、肌に掠めるような位置取りで躱された。

 老いた目は揺れ動くことなく、ヘリオンの次の一手を観察している。


 攻守が入れ替わり、ヘリオンが攻撃を仕掛け続ける。

 やがて同じようにダスクが攻撃を受け流し、一瞬生み出した隙でまた攻守を入れ替える。


 打ち合いを何度か繰り返したところで、ダスクが距離を空けた。

 熱を帯びた呼吸を抑え、額に汗を滲ませる姿からはまだまだ余力が感じられる。


 今日はここまでか。完全に構えを解き、息を吐く老人の表情からは満足感がにじみ出ている。


「おつかれさん。強くなったなぁ、ヘリオン」

「………」


 しぶしぶと構えを解いたヘリオンも全身から汗をかいていたが、こちらはまだやり足りない。

 消化不足だった。


「おかしくない?」


 孫が祖父に、弟子が師匠に向ける視線としてはあまりにも黒い感情がこもり、声には積年の恨みが乗せられている。


「俺が疲れたときは容赦なく打たれてたのにさ、ジジイはいい運動で終わらせるってのか」

「文句あんのか」

「当たり前だろ」


 少し前まで師弟の実力はずっと開いていた。


 合いを維持することが出来なければ、振るう棒は幼いヘリオンを打ち据え、ダスクの体力が尽きるまで終わらなかった。

 もちろん反撃する気力がヘリオンに残されているわけもない。


 幼少より剣の才能を見せ、年齢と比例して急激な成長を続けるヘリオンが、ようやくここ何日かは一度も隙を咎められることなく日々の修行を終えるようになった。


 自身の成長を実感し、まだ見上げるばかりの偉大な祖父を満足させることができたと、ヘリオンも最初は喜んだ。


 やがて成長をし続ける弟子に対して善き師匠として、その上下関係に変化を見せる気配を微塵も感じさせないダスクに対して不満は募っていく。


「その枯れた足腰が立たなくなるまで続けようぜ」

「なんだぁ、てめぇ」


 ダスクの顔から表情が消え、手から棒が滑り落ちる。


 カランッ、という音を立てて棒が地面に転がるより先に、ヘリオンは駆け、ダスクも動いていた。

 棒を手放したのは、愛弟子から心無い挑発を受けたからではない。


 調子に乗った愚かな孫の安い挑発を真剣に受けて立つためだ。


 煽った時から次の行動は考えていた。

 ダスクが棒を手放した瞬間にはもう踏み込みを入れ、速度を乗せて振り下ろす姿勢に入っている。


 先手を打つしかヘリオンに選択肢はない。しかし選択肢を失った相手ほど、熟練の剣士にとって読みやすい相手はいなかった。


「………ッ!」


 空気ではなく、光が鳴った。

 遠くの地より村を包み込む淡い光などではない。鮮烈な閃光。触れる物すべてを切り裂く意思の具現化。


 棒を振り下ろすヘリオンの腕、その軌道の先。

 光によって形作られた光刃が置かれる。


 ヘリオンは動けない。

 このまま振り下ろし、腕が光刃に触れればなんの抵抗もなく切断されるだろう。光の刃は触れた物を容赦なく切り離す。


 ギリギリのところでそれを先読みできたヘリオンは、全身に乗った速度を力任せに殺した。

 なんとか、腕を失う前に動きを止めることができた。


 まだ俺は遅いのかと、食いしばった口の中に悔しさが広がる。

 光刃をダスクが作り出す前に、棒でダスクの手から武器を落す必要があった。

 それ以外に勝ち筋はない。


 ダスクの手には剣の柄が握られている。

 深い青色に染まった輝石の内側から光が放たれ、柄の延長上に光刃が作られていた。


 ダスクは腰に下げられていたそれを驚くべき速度でつかみ、魔法を発動させたのだ。


 輝剣。

 触れた物を消失させる光刃を形作る魔法。発動のために必要な道具を纏めて輝剣と呼ぶ。


 この国には魔法を武器として戦う技術が存在する。

 しかし一般に広く普及しているものではない。この国でも剣士は鉄の剣を使って戦う


 輝剣は魔法の一種だ。それで戦うなら、剣士ではなく魔法使いの領分だろう。実戦的な魔法で戦える魔法使いは珍しい。


 魔法の源は、国の中心にある神が放つ光だ

 魔光と呼ばれるその光に適正を持っていれば、高度な魔法を使うことができる。


 ダスクのように輝剣をこの一瞬、この速度で繰り出せる人間は、国の中でも珍しいと言われている。


 すべてダスク本人の言っている知識だ。

 祖父がそこまで高度な技術をもっているのか疑わしい。


 確かなことは、ヘリオンよりもずっと、ダスクの技が上回っているということだけだ。


 魔光に適性のある人間は、国の中心、カンデラがある場所へ集まっていく。

 国の端っこ、神様から遠い場所である辺境の村に、戦いに特化した魔法の技は無用の長物だった。


 それでも孫と祖父は戦いの技を磨き続ける。

 剣術の修行は剣士になるためではない。輝剣を扱うための訓練だ。


「ジジイだけ輝剣使うなんてズルいだろ!」

「一本しかねぇんだ。嫌なら俺がこいつを手に取る前に、奪うこったな」


 輝剣は簡単に手に入らない。素材に稀少な輝石を使用しているためか、国によって流通が規制されている。


 どのみち、辺境の地では魔法を扱える人間が少ない。

 この村で輝剣を手に入れることは難しかった。


 つまりダスクが一方的に輝剣を持った状態でヘリオンに勝ち目はない。

 師匠を挑発し、喧嘩を売った弟子は、これから始まるのは訓練ではなく単なる暴力だと知っている。


「覚悟、できてんだろうなぁおい」

「クソジジイがよぉぉお」


 その後死ぬほど棒でしごかれ体中に青あざを作ったヘリオンは、道端に転がっているところを別の村人に発見されるが、またやってるよという目で見られるばかりで、助け起こされることもない。


 疲れ果てたダスクは家に戻り、山羊の乳から作った酒で喉を潤した。

 村を守る老年の剣士曰く、孫を完膚なきまでに痛めつけてから煽る酒がこの世で一番旨いらしい。

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