07.美子の勘違い
「お義母様は優しいですね」
美子は涙を拭う。
その姿は美しいものだった。雪は思わず息を飲んでしまう。美子の存在が世間に知られてしまえば、大騒ぎになるほどに美しかった。
涙を拭う際、前髪が揺れた。
涙に濡れた赤い目はこの世のものとは思えないほどに美しかった。
「前髪は切れません。ごめんなさい」
美子の言葉に雪は頷いた。
頷くしかなかった。あまりにも美しいものを目にしてしまい、動揺していた。
そのことに気づかず、美子は笑いかける。
「青子様のように生まれてくればよかったのです」
「青子さんのように? あの子は癇癪が酷いという噂ではないですか。初めて会った日は青子さんの方がまともだと思いましたが、今はそのようなことを思っていませんよ」
「いいえ。青子様は陰陽師として正しいですから」
美子は青子のようになりたかった。
自信満々に廊下を歩く姿を数えきれないほどに見てきた。その都度、罵声を浴びせられたものの、あの場に留まってしまっていた美子がいけないのだ。美子は青子の堂々とした姿に見惚れていた。
美子は青子の実力を知らない。
しかし、陰陽師を育成する専門の高校に通うことが許されているのだから、青龍寺家が陰陽師として認める基準には達しているのだろう。
「陰陽師は正しいのかしらね。私にはわからなくなってきましたわ。だって、あやかしを元の場所に戻せる人たちを迫害して、いたずらに葬っているだけではありませんか。復讐も年々酷くなっていると聞きますし、義孝さんもけがをすることがあります」
雪の言葉に対し、美子はなにも言えなかった。
……赤い目はあやかしを元の場所に帰せると聞いています。
それが本当なのか、わからない。
美子はあやかしと遭遇したことがなかった。
「けがを治療できる陰陽師がいればいいのですが。治癒の異能力者は十万人に一人、いるか、いないかと言われていますからね。貴重な存在ですからしかたがありません」
雪の言葉を聞き、美子は目を見開いた。
美子の異能力は治癒だ。それを義孝は知っている。
……それで異能特務課に誘ってくださったのですか。
納得してしまった。
義孝が異能特務課に来ることを薦める理由は、美子の異能力によるものだろう。
「私は治癒の異能力者です」
「……まさか。本当のことを言っているのですか? 嘘をついてもしかたがありませんよ。美子さんは私と同じ無能でしょう?」
「いいえ。本当のことです」
美子は打ち明けた。
それを聞き、雪はソファーに座り込んでしまう。
それから真剣な顔をして悩んでいた。
「美子さん、そのことを義孝さんは知っていますか? 治癒の異能力者ということを打ち明けてしまいましたが?」
「はい」
「そうですか。……あの仕事バカが暴走をしたことでしょう。異能特務課は大けががつきものです。そのせいで義孝さんの顔にも傷ができてしまいました」
雪は義孝が大けがを負った日のことを忘れられない。命は助かったものの、顔に大きな傷を残すことになってしまった。
「美子さん。異能力のことは黙っていなさい」
「なぜですか」
「異能特務課に所属をするのは義孝さんだけで十分です。赤い目のこともあり、治癒の異能力者でもあると知られてしまえば、政府に利用されるでしょう。政府はあやかしを疎んでいますからね」
雪は政府の異能特務課を疎んでいた。
数多くの陰陽師を抱えている政府の特殊機関だ。そこに所属することができるのは名誉なことである。そういう教育を施されている。
しかし、命の危険に晒されることも少なくはない。
いかに優れた陰陽師だとしても、あやかしはその数倍以上の力を持っている。
退治されるあやかしは迷い込んだ子どものあやかしばかりだ。子どもを退治された復讐をするために成人のあやかしが現世に現れ、騒動を引き起こす。そのたびに雪は義孝の命が無事であることを祈るしかなかった。
「私は心配をしたくないのです。義孝さんが強いのは知っていますが、異能特務課に所属させたことだけは悔いています。無所属の陰陽師として生きていけばよかったのです」
「私はけがを治せます」
「治す対象に美子さんは入っていますか? ……その顔を見る限り、入っていないのでしょう。私にとって美子さんは大切な嫁です。けがをしてほしくないのは義孝さんだけではありませんよ」
雪の言葉に美子は唖然としていた。
美子は他人のけがを治療することができる。しかし、自分自身は治せない。
そのことを気にかけられたのは初めてだった。
……大切な嫁。
心の中で言葉を繰り返す。
……いつの間に認めてくださったのでしょうか。
まだまだ認められていないと思っていた。
優しくされているのは様子を見るためだと思っていた。
……同情をしているのでしょうか。
世間一般からすれば同情される立場にいるということは美子も知っている。中学校までは義務教育を受けて来たのだ。不登校傾向にあったとはいえ、美子にも陰陽師ではない友人がいた。
友人たちからは同情されていた。
虐待だと言われたこともある。
しかし、役所は陰陽師の家には入れない。陰陽師が政府に協力をすると決めた日、陰陽師のやり方に関与することはできないと同時に決められたのだ。
「義孝様のけがを治せます」
「そのためには現場に出るということです。あなたは自衛の策を持っていますか? いないでしょう? 一般人と変わりはないのです。黙って家の中にいるのが安全でしょう」
「役に立てませんか?」
美子は不安そうに問いかけた。
それに対し、雪は首を横に振った。
「私はずるい人間です。大勢の人たちを治せる機会よりも、義孝さんだけを治癒してもらおうと考えています。それも、命に係わるような大けがを負った時だけです」
雪は美子を守ることにした。
「その時までは隠しておきなさい。なにか言われたら、義母である私が責任をとります。嫁を傷つけるような人間を近づけませんから、安心しなさい」
雪の言葉は心強かった。
……私は勘違いしていました。
美子は自分自身を恥じた。雪も青龍寺家の人間のように手のひらを返して、都合のいい時だけ美子を利用しようとするのではないかと思っていたからだ。
青龍寺家の陰陽師はけがをしない。
なぜならば、けがをしても美子に治療させれば元通りになるからだ。
そのためだけに美子は生かされていた。
「お義母様は優しい人ですね」
「そう思うならば泣くのはやめなさい、美子さん。すぐに泣いてしまうのは、幼い頃から泣けなかった反動ですかね。そうだとするのならば、私の前だけで泣きなさい」
雪は矛盾する言葉を口にする。それすらも優しく心に突き刺さるのだ。




