03.桐生義孝の噂
美子は青子のお古の洋服を着る。
それを見つめていた青子は不服そうな顔をしていた。古着とはいえ、美子に渡すくらいならば捨てた方が良かった。
……サイズが合いませんね。
青子の洋服では大きい。
着物ならば裾を合わせればよかったものの、洋服はそうはいかない。明らかに他人の洋服を着ているとわかるほどに大きかった。
……私の方が年上なのですが。
青子が太いわけではない。
一日一食の時も珍しくない美子は栄養失調気味で痩せているのだ。
「それが一番古い服よ」
「はい」
「なによ、声が出せるじゃないの」
青子は意外そうな声をあげた。
反射的に返事をしてしまったことに気づいた美子は、殴られるのではないかと警戒する。殴られた顔のまま、嫁入りはしたくはなかった。
……どうしましょう。
青子はなにを考えているのだろうか。
にたりと笑い、美子と距離を近づける。
「いいことを教えてあげるわ」
青子は笑う。
青子が笑っている時はろくでもない時だ。
……嫌な予感がします。
美子は警戒をした。
それが伝わっているのか、青子は笑顔のままだった。
対照的な二人を横目で見ていた使用人たちにも緊張が走る。
「桐生義孝の噂を教えてあげるわ」
青子は世間の噂をよく知っている。高校で聞いてくるのだろう。
青龍寺の敷地の外に出られることを羨ましいと思っていた。美子は敷地内で過ごすしかなく、外に出られると決まったら、結婚をさせられてしまった。
顔を知らない相手に嫁ぐのは時代錯誤だ。
しかし、陰陽師ではよくある話だった。
「鬼のような恐ろしい人だそうよ。わたくし、怖くて嫁ぐのを断ったくらいですもの」
青子は嘘をつく。
断った理由は桐生家が名門ではなかったからだ。
……見た目が鬼に似ているのでしょうか。
美子は鬼を見たことはない。
その特徴は角が生え、牙を持っていることと、怪力であることだ。見た目は人とよく似ており、角がなければわからないくらいだという話は聞いたことがあった。
……それとも、性格でしょうか。
鬼は獰猛な性格をしている者が多い。
特に幽世から離れ、現世に悪戯をしにくる鬼は獰猛な傾向がある。危険な存在だ。
「呪われた子と鬼のような人ならお似合いね」
青子は笑いながら言った。
それから、ハンカチを机から取り出して美子に投げつける。
「餞別よ」
青子は笑顔だった。
今回は嘘ではなさそうだ。
「一度だけ結界が張れるわ。それで身を守りなさい」
青子は水の異能力者だ。同時に陰陽師としては結界術に優れていた。
美子はハンカチに視線を落とす。
結界術の刺繍が施されている。青子の言葉に嘘はないようだ。
「……なぜでしょうか」
美子は問いかけた。
初めて青子に対して疑問を口にした。
……青子様は私を嫌っているはずですが。
青子は美子を嫌っている。
それは誰もが知っていることだ。
「わたくしの代わりに嫁ぐのでしょう?」
青子は当然のように言い放った。
桐生家の噂を知っており、桐生家が名門ではないという理由で結婚を断った青子の代わりとして、美子は桐生義孝に嫁ぐ。
その事実を知る者は少ない。
最初から美子が嫁ぐ予定だったかのように振る舞えばいいだけの話だ。
それを青子はしなかった。
「嫁いだ先ですぐに死なれては困りますもの。わたくし、桐生家に嫁ぎたくはありませんからね」
青子は自分本位な性格をしている。
今回の気まぐれも、美子に死なれては困るから行っただけだ。
……死を覚悟する環境なのでしょうか。
赤目に対する嫌悪感を抱く家なのかもしれない。
赤目というだけで迫害をされてきた。それでも、死なない程度に食事を与えられ、仕事という役目も与えられてきた。
青龍寺がまともだったと思うほどの待遇が待ち構えているかもしれない。鬼のような人だというのならば、それもおかしくはない話だ。
「さっさとお行きなさい。二度と戻ってこないように」
青子は美子を追い払うように廊下に立たせた。
そして、障子を閉めてしまう。
見送るつもりはないようだ。
……青子様。
珍しく罵声を浴びせられなかった。
そのことに安堵をしてしまう。
……さようなら。
心の中で別れを告げる。
そして、廊下を歩き始めた。
慣れない洋服には違和感がある。しかし、青子は着物を持っていなかったのだから、しかたがない。
玄関に向かう美子を止める者はいなかった。
* * *
美子は車の中で緊張していた。
嫁入り道具はほとんどない。桐生家が準備をしてくれるとのことだった。最低限の荷物だけを手にした美子は外の景色を眺める。
車の早さに視界が追い付いていかない。
多くの建物が次から次に視界に入る。
それは新鮮な光景だった。
……二度と乗る機会もないでしょう。
陰陽師として活躍するわけではない。
美子にも異能力はあるものの、それは攻撃に特化したものではなく、青龍寺では無能扱いだった。
……青龍寺家から出られたのです。義孝様には感謝をしなければなりません。
たとえ、求められている人物が美子ではなくても、感謝の心を忘れてはならない。
美子は自分に言い聞かせる。
青子が語っていた鬼のような人という恐怖心が抜けきっていなかった。




