01.雪の悲鳴
義孝が出勤した数時間後、事件は起きた。
「きゃあああああああっ!!」」
2階の自室にいた雪の悲鳴が響く。
同時に破壊をするような音が響き渡った。
美子の嫌な予感は的中した。
「お義母様!」
美子は階段を走る。
そして、廊下の角にある雪の部屋に向かった。
……義孝様ではなかったです。
大切な人は義孝だけではない。
……お義母様に渡すべきでした!
義母である雪も美子にとって大切な人だ。
美子を受け入れてくれる優しい人だ。それをうっかりと忘れてしまっていた。
美子の嫌な予感は八割程度当たる。残りの二割は外れる。しかし、今回は当たってしまったようだ。
「お義母様!」
美子は雪の部屋の扉を開けた。
割れた窓の破片が飛び散り、机がひっくり返っている。椅子は倒れており、雪の趣味である手芸の道具は散乱していた。
床や壁には血が飛び散り、部屋の中央で雪が倒れていた。
慌てて雪に駆け寄ろうとしたが、足がすくんでしまい、動けない。
……あれは、あやかし……?
異形の姿をした肌の黒い人がいた。
その額からは2本の角が生えており、威嚇をするように開けられた口には鋭い牙が見える。明らかに人の形をしてはいるものの、人ではなかった。
……鬼。
その正体に気づく。
鬼が桐生邸を襲撃したのだ。
鬼の目には雪しか映っておらず、その暴力的な力で雪を再び蹴り上げようとした。
「やめてください!」
美子は反射的に叫んだ。
すると、鬼は動きを止めて、美子に視線を向ける。
美子は恐怖で震えていた。
しかし、倒れたまま動かない雪の元に少しずつ近づいていく。雪の呼吸はまだある。美子が異能力を使えば、雪は助かるだろう。
しかし、その前に鬼が立ち塞がっている。
鬼は無言で美子を見つめていた。まるで、その行動を監視しているようだった。
……動きが止まりました。
今のうちに雪の元に近づく。
そして、呼吸を確かめる。
傷は深いものの、呼吸はしていた。意識もあるようだ。
……追い返せるでしょうか。
美子は視線を鬼に向けた。
鬼は動こうとしない。ただ、美子を見ているだけだ。
……監視されているようです。
はたして、それは、鬼の意思によるものだろうか。
まるで誰かに操られているようだった。
鬼を通じて誰かに見られている。そんな気がしてしかたがなかった。
「……『治癒』」
美子は手段を選んでいられなかった。
淡い光が雪を包み込む。
温かな光だ。それが雪の傷を癒していき、痛みと恐怖で荒れていた呼吸を正常に戻す。
「お義母様」
美子は雪に声をかける。
すると、雪は体を起こした。視線は鬼に向けられたままだ。
「……逃げなさい、美子さん。時間は稼いでみせますから」
「いいえ」
「どうしてですか。鬼が動かない隙に逃げるのですよ」
雪はゆっくりと立ち上がる。
それから美子の手を取り、立ち上がらせた。
「鬼は動きません」
美子は断言した。
美子が「やめてください」と叫んだ時から鬼の動きは制止した。視線はあいかわらず、美子に向けられていたものの、そこに敵意は感じられない。
先ほどまで雪を襲撃していた鬼とは思えないほどだった。
……赤い目はあやかしを元の場所に帰せるのですよね。
試したことはない。
誰もが噂で聞いたことがあるだけだ。
それを証明した者はいない。しかし、美子の言葉通りに動きを止めた鬼を見る限りではなんらかの効果がありそうだった。
「幽世に帰りなさい」
美子は鬼に言葉をかけた。
それに対し、鬼はすぐには動かなかった。
しかし、言葉の意味を理解しているのだろう。美子から視線を外し、雪を見る。恐怖で震えながらも美子を庇おうとしている雪の姿を見て、なにか、考えている様子だった。
「幽世に帰りなさい」
美子は再び同じ言葉を発する。
それに対し、鬼は一瞬で姿をくらました。
……帰ったのでしょうか。
最初からいなかったかのように静かに消えた。
まるで美子を試しているかのようだった。
……お義母様が襲われるとは思いませんでした。
想定外だった。
倒れている雪を見つけた時、恐怖で頭が真っ白になった。大切な人の命が脅かされている時にすぐに気づけなかった自分自身を恥じた。
義孝だったのならば、鬼を討伐できただろうか。
「……お義母様」
美子は足の力が抜けたように座り込む。
割れた窓ガラスの破片や荒れた部屋が鬼がいたことを物語っている。
「傷は痛くはありませんか」
美子は涙を流す。
恐ろしかった。
「ええ。大丈夫ですよ。美子さんのおかげですね。まさか、使わないでほしいと言った私が美子さんのお世話になるとは思いもしませんでしたが、助かりました。ありがとうございます」
雪の言葉に美子は安心したように笑った。
……よかったです。
雪のけがは完治した。
美子の治癒の異能力のおかげだ。
それは家族以外には誰にも知られてはいけないことだった。
「いいえ。助かってなによりです」
美子は雪に笑いかける。
まだしばらくは立てそうにもなかった。




