第7話 神の沈黙
翌朝、リゼルは宿を出た。
空はまだ曇っている。
でも、雨は降っていない。
「今日も……歩こう」
街道を南へ。
故郷まで、あと四日。
「もう少し……」
リゼルは一歩ずつ、確実に進んでいく。
*
昼過ぎ、街道沿いで休憩を取っていると――。
「すみません」
背後から声がかけられた。
振り返ると、修道女姿の若い女性が立っていた。
「はい?」
「あの……道に迷ってしまって。この先に教会はありますか?」
「教会……」
リゼルの胸が締め付けられた。
「ごめんなさい、私も旅の途中で……」
「そうですか……」
修道女は残念そうに頷いた。
「実は、王都の聖堂から派遣されてきたのですが」
「王都の……!」
リゼルの顔が強張る。
「はい。聖女様がいなくなって、各地の教会が混乱していまして」
修道女は疲れた顔で言った。
「私たちが代わりに、人々を導くようにと」
「そう……なんですか」
「ええ。でも、奇跡は起こせませんから……正直、何をすればいいのか」
修道女は困ったように笑った。
「聖女様がいてくださった時は、全てうまくいっていたのに」
*
リゼルは何も言えなかった。
ただ、俯くだけ。
「あの……大丈夫ですか?」
「え、ええ……」
「もしかして、体調が悪いとか?」
「いえ、ちょっと疲れてるだけで」
「そうですか。なら、無理しないでくださいね」
修道女は優しく微笑んだ。
「神様は、頑張りすぎる人を心配されますから」
「神様……は……」
リゼルの声が震えた。
「本当に……そう思ってるんでしょうか」
「え?」
「神様は……私たちが壊れても、まだ働けって言うんじゃないでしょうか」
修道女は驚いた顔をした。
「そんなことは……」
「だって」
リゼルの目に涙が浮かぶ。
「私……いえ、聖女様は、きっと壊れるまで働かされてたんです」
「それは……」
「神様は、助けてくれなかった。ただ、沈黙してた」
リゼルは立ち上がった。
「ごめんなさい。変なこと言って」
「いえ……」
修道女は複雑な表情をしていた。
「あなた……もしかして……」
「失礼します」
リゼルは逃げるように、その場を離れた。
*
「まずい……」
リゼルは急いで街道を歩く。
「気づかれたかも……」
心臓が早鐘を打つ。
「早く……早く村に着かないと……」
焦りが募る。
でも、足は重い。
「もう……限界……」
体が悲鳴を上げている。
「でも……止まれない……」
必死に歩き続ける。
*
夕方、リゼルは森の中で力尽きた。
「もう……無理……」
木の根元に座り込む。
「休まないと……」
でも、ここで休んだら追いつかれるかもしれない。
「どうしよう……」
不安が胸を締め付ける。
その時――。
空から、白い羽根が舞い降りてきた。
「これは……」
リゼルはその羽根を拾う。
淡く光っている。
「あの小鳥の……」
羽根を握りしめる。
不思議と、心が落ち着いた。
「ありがとう……」
リゼルは羽根を胸にしまった。
*
その夜、森の中で野宿することにした。
焚き火を起こし、持っていたパンを齧る。
「不味い……」
でも、食べないと倒れる。
「頑張って……」
無理やり飲み込む。
そして、焚き火を見つめる。
「神様……」
呟く。
「どうして、答えてくれないんですか」
炎が揺れる。
「私が悪いんですか?」
沈黙。
「私が……弱いから?」
また沈黙。
「それとも……」
涙が零れた。
「神様なんて……最初からいなかったんですか?」
*
その瞬間だった。
風が吹いた。
強く、優しく。
そして――声が聞こえた。
『リゼル』
「っ!」
リゼルは跳ね起きた。
「神様……!?」
『ごめんね』
確かに、神の声。
「どうして……今更……」
『君を、苦しめてしまって』
声が震えている。
「神様……」
『僕は……君が壊れるのを見たくなかった』
「なら……どうして止めてくれなかったんですか!」
リゼルは叫んだ。
「どうして、あんなに働かせたんですか!」
『それは……』
声が途切れる。
「答えてください!」
『僕は……君に選ばれる資格がなかったんだ』
「え……?」
『君は、神の道具じゃない。一人の人間だった』
神の声が続く。
『でも、僕はそれを忘れていた』
*
リゼルは呆然とした。
「神様……」
『だから、君が逃げたことを……僕は嬉しく思ってる』
「嬉しい……?」
『ああ。君は、自分を守った。それが正しかった』
風が優しく吹く。
『これからは、君の人生を生きなさい』
「でも……奇跡が消えて……みんな困ってて……」
『それは、人々が学ぶべきことなんだ』
神は静かに言った。
『奇跡に頼らず、自分たちの力で生きることを』
「本当に……それでいいんですか?」
『ああ』
そして――。
『リゼル、もう一度言うよ』
「はい……」
『君は、間違っていない』
その言葉が、リゼルの心を満たした。
「ありがとう……ございます……」
涙が溢れた。
「ありがとう……」
風が止んだ。
神の声は、もう聞こえない。
でも――。
「心が……軽い……」
リゼルは微笑んだ。
「これで……前に進める」
*
翌朝、リゼルは森を出た。
空は晴れていた。
雲の切れ間から、光が差し込んでいる。
「綺麗……」
リゼルは立ち止まって、空を見上げた。
「神様、見てますか」
呟く。
「私、頑張ります」
風が吹く。
まるで、励ますように。
「ありがとう」
リゼルは歩き出した。
故郷まで、あと三日。
「もう少し……」
確かな足取りで。
(第7話・終)