第47話 前線の光と、命のスープ
ザシュッ! 鋭い風切り音と共に、青い光の刃が空間を裂いた。
『ギ……ギギ……』
襲いかかってきた鳥型の黒い影が、断末魔を上げて真っ二つに両断される。 霧散していくその体を見届け、リゼルは大きく息を吐いた。
『はぁ……はぁ……これで、七体目……』 『リゼル、後ろだ!』
アレクシスの鋭い声が飛ぶ。 振り返ると、地面から湧き出した泥のような影が、リゼルの足首を掴もうとしていた。
『――させんッ!』
銀閃。 アレクシスの剣が、影の腕を切り落とす。 物理攻撃は効きにくい影だが、王家の剣に施された退魔のエンチャントと、彼自身の気迫が、わずかながらダメージを与えていた。 その隙に、リゼルが追撃の光を放つ。
『土よ、静まれ!』
地面から青い衝撃波が走り、影を消し飛ばした。
場所は、王都の中央広場。 かつて大聖堂へ続く参道として賑わっていたこの場所は、今や「黒い亀裂」の直下であり、影たちが湧き出す最前線となっていた。
『大丈夫か、リゼル』 『はい……助かりました、殿下』
リゼルは額の汗を拭った。 アレクシスは剣を構えたまま、周囲を警戒している。 その顔は煤と埃にまみれていたが、かつてのひ弱な印象は微塵もない。 最前線で兵士たちを鼓舞し、自ら剣を振るうその姿は、紛れもなく指揮官のものだった。
『キリがないな』
アレクシスが空を見上げて舌打ちする。 頭上の巨大な亀裂からは、絶えず瘴気が降り注ぎ、新たな影を生み出し続けている。
『私の光で倒すことはできます。でも……』 『元を断たない限り、イタチごっこか』
リゼルはペンダントを握りしめた。 この青い石は、敵を倒すたびに熱を帯び、リゼルに力を供給してくれる。 まるで、影が奪った「命」を取り返しているかのような感覚。
その時だった。 先ほど倒した影が消えた場所に、キラリと光るものが落ちているのに気づいた。
『……あれは?』
リゼルが近づき、それを拾い上げる。 それは、小指の先ほどの大きさの、黒い結晶だった。
『魔石か?』 『いいえ……魔力を感じません。でも、すごく重いです』
見た目以上にずっしりとした重量感。 リゼルが触れると、ペンダントの青い石が共鳴し、黒い結晶の中にある「何か」を吸い取った。 すると、黒い色は抜け、ただの透明な砂となって崩れ落ちた。
『今、何をした?』 『分かりません。ただ……この黒い石の中に、凝縮された「生命力」のようなものが閉じ込められていた気がします。それを、青い石が解放したような……』
リゼルはハッとした。
『殿下。もしかしたら、この影たちはただ人間を襲っているだけじゃないのかもしれません』 『どういうことだ?』 『命を奪って、運んでいるんです。……あの「亀裂の向こう側」へ』
アレクシスは息を呑み、空の傷跡を見上げた。 あそこで何かが、大量の命を求めているとしたら。 これは災害ではなく、明確な意図を持った「捕食」だ。
『……分析が必要だな。その砂と、まだ消えていない結晶があれば回収しよう』 『はい!』
その時、広場の入り口から伝令が走ってきた。
『殿下! リゼル様! 後方より補給部隊が到着しました!』 『補給だと? そんな余裕がどこに……』 『いえ、それが……「フェルナ村の特攻隊だ」と名乗っておりまして……』
リゼルとアレクシスは顔を見合わせた。
*
王城の裏手にある巨大な厨房。 そこは今、戦場とは別の意味での「修羅場」と化していた。
『おい若いの! そのジャガイモの皮むき、遅いよ! 日が暮れちまう!』 『は、はいぃぃッ!』 『そっちの鍋! 火力が弱い! 薪をくべな!』 『了解です!』
王宮の料理人たちを怒鳴りつけているのは、割烹着姿の小柄な老婆――マサばあちゃんだ。 その後ろには、腕まくりをしたフェルナ村のおばちゃん連中がズラリと並び、凄まじい手際で野菜を刻んでいる。
『マサさん、これ、王室用の最高級の鍋ですよ!? こんな大量の煮込みに使っていいんですか!?』 『はんっ! 鍋なんざ、飾っておいても腹は膨れねぇよ! 使ってこそ道具だ!』
マサばあちゃんは、巨大な寸胴鍋に、乱切りにしたカボチャと人参をドサドサと投入した。 その横では、トムさんが巨大な麻袋を担いで入ってきた。
『おう、追加のキャベツだ! 今年の出来は最高だぞ!』 『よし、そこに置きな! ……あー、忙しい! 王都の料理人は手が綺麗すぎて見てらんないね!』
厨房の入り口で、リゼルは目を丸くしていた。
『と、トムさん……?』 『おう、リゼル! 戻ったか!』
トムさんは額の汗を拭い、白い歯を見せた。
『どうだ、驚いたか? 村の連中に声をかけたらよ、「先生が困ってるなら行くしかねぇ」って、馬車五台分も集まっちまってな』 『すごい……』
リゼルは鍋を覗き込んだ。 ぐつぐつと煮えるスープからは、野菜の甘い香りと、香ばしい鶏ガラの匂いが立ち上っている。 それは、「生活」の匂いだった。 死の気配が漂うこの王城で、唯一の「生」の証。
『……ありがとう。本当に』 『礼はいいさ。さあ、出来上がったぞ! まずは患者たちに配るんだ!』
*
大広間の野戦病院。 相変わらず重苦しい空気が漂っていたが、そこにワゴンが運び込まれた瞬間、空気が変わった。
『……いい匂い……』
虚ろな目をしていた患者たちが、鼻を動かす。 配膳されたのは、鮮やかなオレンジ色をしたカボチャと人参のポタージュスープだ。 とろりと濃厚で、湯気が立っている。
『さあ、食べてみて』
リゼルは、昨日の少年の枕元で、スプーンを差し出した。 少年は弱々しく口を開ける。
一口。 温かいスープが、乾いた唇を濡らし、喉を通っていく。
『……あ……』
少年の瞳孔が、わずかに開いた。
『……おいしい……』 『よかった……!』
リゼルの目から涙がこぼれた。 魔法による「完治」ではない。 皮膚はまだ灰色のままだし、体も痩せ細ったままだ。 けれど、「おいしい」と感じる心。 胃が動き出し、血が巡り始める感覚。 それは、確実に「死」への行進を食い止める一歩だった。
『おかわり……ある?』 『ええ、あるわよ! たくさん食べて、元気になりましょうね』
周りのベッドでも、次々とスプーンを動かす音が聞こえ始めた。 灰色だった患者たちの頬に、微かに赤みが差してくる。 それを見た医師たちが、慌てて記録を取り始めた。
『馬鹿な……脈拍が安定し始めたぞ!?』 『体温も上昇しています! ただの食事で、ここまで劇的に回復するなんて……』 『「ただの食事」じゃないからです』
リゼルは涙を拭い、医師たちに言った。
『これは、太陽と土と、人の愛情が育てた命の塊です。奪われた生命力を補うには、新しい命を取り込むしかないんです』
医師団長は、ハッとした表情でリゼルを見つめ、そして深々と頭を下げた。
『……我々の負けです、リゼル先生。医療とは、薬を与えるだけのことだと思っていました』 『これからです。食べて、寝て、生きる力を養う。それが、影に対抗する唯一の手段です』
厨房の方から、マサばあちゃんの怒鳴り声が聞こえてくる。 『ほら、二杯目を作るよ! 休んでる暇はないよ!』
その騒がしさが、今のリゼルには何よりも愛おしかった。
*
その夜。 リゼルはアレクシスと共に、城のバルコニーに出ていた。 眼下には、王都の街並みが広がっている。 相変わらず暗い街だが、王城の窓から漏れる灯りと、厨房の煙突から昇る煙が、確かな希望を示していた。
『……スープ一杯で、城の空気が変わるとはな』
アレクシスが、カップに入ったスープを飲みながら苦笑する。
『美味いな、これ。王室の晩餐会でも出たことがない味だ』 『フェルナ村の自慢の味ですから』
リゼルもスープを啜った。 体の中から温まる。 その時、リゼルのポケットの中で、あの「黒い結晶の砂」を入れた小瓶が、カチリと音を立てたような気がした。
『?』
取り出してみる。 月明かりにかざすと、透明な砂の中に、微かな光の粒子が混じっているのが見えた。
『殿下、これ……』 『うん?』 『この砂、光っています。……もしかして、影から取り返した生命力は、消えてしまったんじゃなくて、ここに残っている?』
もしそうだとしたら。 影を倒して結晶を集め、それを「精製」することができれば。 奪われた生命力を、持ち主へ還すことができるかもしれない。
『逆転の……手掛かりになるか?』 『やってみる価値はあります』
リゼルは小瓶を強く握りしめた。 守る戦いから、取り返す戦いへ。 フェルナ村のスープで時間を稼いでいる間に、リゼルたちは次の一手を打たなければならない。
『明日は、もっと奥へ行きます。亀裂の真下へ』 『ああ。私も行こう』
二人の視線は、不気味に広がる空の傷跡に向けられていた。 そこには、全ての元凶が待っている。
(第47話・終)
「命のスープ」による回復と、敵からドロップしたアイテム(黒い結晶)による反撃の糸口が見つかりました。 次回からは、物語が核心に迫っていきます。




