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第46話 再会と残酷な現実

王城への道は、かつてリゼルがパレードで通った華やかな大通りとは、まるで別の場所のようだった。


 石畳はひび割れ、美しい白亜の壁はすすで汚れ、あちこちに仮設の救護テントが張られている。  そこから聞こえてくるのは、うめき声と、誰かの名を呼ぶ悲痛な声だけだ。


『……ひどい』


 馬車の窓からその光景を見て、リゼルは胸を締め付けられた。  隣に座るミナが、リゼルの手を強く握る。


『これでも、少しはマシになったんです。一昨日はもっと……地獄のようでしたから』


 ミナの手は震えていた。  リゼルは強く握り返し、彼女の体温を確かめるように言った。


『もう大丈夫よ。私が来たから』 『はい……! リゼル様がいれば、きっと……』


 ミナの瞳に、縋るような光が宿る。  それはかつて、人々が「聖女」に向けていた眼差しと同じだった。  リゼルは一瞬、言葉に詰まった。  私は敵を倒すことはできる。でも、失われたものを元に戻す力は――。


 *


 王城の正門をくぐると、そこは厳重な要塞と化していた。  武装した兵士たちが慌ただしく走り回り、中庭にはバリケードが築かれている。


『リゼル・アルティナ殿、到着!』


 伝令兵の声が響くと、大広間の扉が重々しく開かれた。  かつては豪華な舞踏会が開かれていたその場所は、今は作戦司令室になっていた。  巨大な地図が広げられ、軍人や文官たちが怒号を飛ばし合っている。


 その中心に、一人の青年が立っていた。  王太子、アレクシスだ。  以前のような、きらびやかな衣装ではない。実戦用の軍服をまとい、目の下には濃いくまを作っている。  しかし、その瞳にはかつてないほどの強い意志の光があった。


『リゼル……か?』


 アレクシスが顔を上げ、リゼルを見た。  彼は一瞬、呆然と目を見開き、そして深く息を吐き出した。


『……よく、戻ってきてくれた』 『お久しぶりです、アレクシス殿下』


 リゼルは一歩進み出て、騎士の礼をとった。  聖女としての淑やかな礼ではない。背筋を伸ばし、対等な人間としての敬意を示す礼だ。


『私は聖女として戻ったのではありません。友人を助けるために参りました』 『友人……か』


 アレクシスは自嘲気味に笑った。


『私のような愚か者を、まだそう呼んでくれるのか』 『ええ。過去は消えませんが、今は未来の話をする時ですから』


 その言葉に、アレクシスの横に控えていた初老の男が崩れ落ちた。  枢機卿エルヴィンだ。  以前はふっくらとしていた頬がこけ、祭服も薄汚れている。


『おお……聖女様……! なんという慈悲深き……!』 『枢機卿、顔を上げてください』


 リゼルは静かに言った。


『私はもう聖女ではありません。ただの教師です』 『教師……?』 『ええ。田舎の学校で、子供たちに読み書きを教えています。……そして、この人は私の護衛であり、大事な相棒のトムさんです』


 リゼルが紹介すると、トムさんは「へっ」と不敵に笑って、斧を肩に担ぎ直した。


『よう。あんたらの尻拭いをしに来てやったぜ』


 不敬極まりない態度だが、アレクシスは怒らなかった。  むしろ、深々と頭を下げたのだ。


『感謝する。……我々の力不足で、民を危険に晒してしまった。力を貸してほしい』 『……!』


 あの傲慢だった王太子が、平民に頭を下げた。  トムさんも少し驚いたようで、バツが悪そうに鼻をかいた。


『ま、まあ、来たからには働くさ。……で、どうなってるんだ?』


 *


 作戦会議が始まった。  リゼルは、自分が森で体験したこと、そして「青い石」の力で影を倒せることを説明した。


『なるほど……。聖なる祈りではなく、この大地のエネルギーを利用する、と』


 軍師が唸る。


『確かに、先ほどの市街地での戦闘報告とも合致します。リゼル殿の青い光は、あの影を一撃で葬ったそうで』 『はい。今の私には、攻撃の手段があります』


 リゼルはペンダントを握りしめた。  しかし、アレクシスの表情は晴れなかった。


『だが、問題はそれだけではないのだ』 『と言いますと?』 『ついて来てくれ。……現実を見てもらわねばならない』


 *


 アレクシスに案内されたのは、城の大広間に設置された臨時野戦病院だった。  扉を開けた瞬間、ムッとするような熱気と、消毒用アルコールの臭い、そして腐臭が入り混じった空気が押し寄せてきた。


『うっ……』


 リゼルは思わず口元を押さえた。  広い床を埋め尽くすように、数百人の患者が横たわっている。  その全員が、皮膚が灰色に変色し、痩せ細り、苦しげに息をしている。


『影に襲われた者たちだ』


 アレクシスが沈痛な面持ちで説明する。


『影に触れられると、生命力を直接吸い取られる。傷はないが、急速に衰弱し……やがて、枯れ木のように死ぬ』


 リゼルは、一人の少年のベッドに歩み寄った。  まだ10歳くらいだろうか。頬がこけ、目は虚ろに開かれている。


『……お母さん……』


 かすれた声。  リゼルは反射的に手をかざした。


(治さなきゃ)


 かつてのように。  白い光で包み込み、失われた活力を注ぎ込めば、すぐに元気になるはずだ。  リゼルは意識を集中した。  ペンダントの石が反応する。


『お願い……癒して!』


 青い光が溢れ出した。  しかし――。


『ギャアアアッ!!』


 少年が悲鳴を上げた。


『!?』


 リゼルは慌てて手を引っ込めた。  青い光が触れた少年の肌が、まるで火傷したかのように赤く腫れ上がり、バチバチと音を立てていたのだ。


『やめてくれ! 痛い! 熱い!』 『そ、そんな……』


 リゼルは青ざめた。  癒そうとしたのに。助けようとしたのに。  私の光は、彼を傷つけた。


『リゼル、下がれ!』


 トムさんがリゼルの肩を引く。  医師たちが駆け寄り、少年に軟膏を塗る。


『……やはりか』


 アレクシスが、悔しそうに拳を壁に叩きつけた。


『君の今の力は、あまりにも純度が高く、攻撃的すぎるのだ。「邪悪を払う剣」にはなれても、「傷を塞ぐ包帯」にはなれない』


 リゼルは呆然と自分の手を見つめた。


『私は……治せないの?』


 影を倒すことはできる。  でも、既に傷ついた人々を救うことはできない。  聖女の力が消えた今、この国には「即座に治癒する手段」が完全に失われていたのだ。


『ポーションの在庫も底をつきました。薬草も、瘴気の影響で枯れ始めています』


 医師団長が絶望的な報告をする。


『このままでは、影を倒せても、ここにいる患者の半数は……数日ともちません』


 静寂が支配する。  死の宣告にも似た沈黙。


 その中で、リゼルは震える手を強く握りしめた。


(諦めない)


 神の奇跡がないなら、どうすればいい?  魔法がない世界で、人はどうやって病と戦ってきたの?


 リゼルの脳裏に、村での生活が蘇る。  風邪を引いたレオに、マサばあちゃんが作ってくれた生姜と蜂蜜のスープ。  怪我をしたトムさんが塗っていた、森の薬草をすり潰した軟膏。  そして、「栄養をつけて、しっかり寝る」という当たり前のこと。


『……食べ物は?』


 リゼルが呟いた。


『え?』 『この患者さんたちに、栄養のある食事は行き渡っていますか?』


 医師が首を横に振る。


『い、いえ……食料庫も不足しており、今は薄い粥くらいしか……』 『それじゃあ、治るものも治りません!』


 リゼルは顔を上げた。  その瞳に、迷いはなかった。


『奇跡がないなら、「医療」と「看護」で戦うしかありません。失われた生命力を戻せないなら、自分の力で回復できるように支えるんです!』


 彼女はアレクシスに向き直った。


『殿下。私は影と戦います。ですが、それだけでは足りません。……「補給」が必要です』 『補給?』 『フェルナ村には、新鮮な野菜と、薬草の知識があります。そして何より、生きようとする強い力があります』


 リゼルはトムさんを見た。


『トムさん、お願いがあります。一度村に戻って、食料と……マサばあちゃんたち「生活のプロ」を連れてきてくれませんか?』 『へっ、人使いが荒いな』


 トムさんはニヤリと笑った。


『だが、面白ぇ。特大の野菜スープで、このシケたツラの貴族どもに精をつけてやるか!』


 リゼルは再び、苦しむ少年を見た。  ごめんね。魔法ですぐに治してあげることはできない。  でも、絶対に死なせはしない。  泥臭くても、時間がかかっても。  人間が持っている「回復する力」を、私は信じる。


『総力戦です、殿下。国中の知恵と資源を総動員して、この「死の病」に抗いましょう』


 アレクシスは、リゼルの瞳を真っ直ぐに見つめ返し、深く頷いた。


『ああ。……頼む。我々を導いてくれ、リゼル先生』


 第2章のテーマは「癒しと再生」。  それは魔法による修復ではなく、人と人が支え合い、命を繋ぎ止めるための、長く険しい戦いの始まりだった。


(第46話・終)

「治せない」という絶望と、そこから「医食同源・看護」という人間的なアプローチへ切り替える回でした。 次回からは、バトルと並行して「野戦病院の改革(村の知恵vs王都の危機)」が始まります。

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