第43話 輝く村と、身体の異変
カン、カン、カン! トン、テン、カン!
翌朝、フェルナ村には賑やかな音が響き渡っていた。 それは、聖堂の鐘の音でも、祈りの言葉でもない。 人間が生きるために、知恵と技術を振るう「労働」の音だ。
『おい、そっちの柱、もう少し右だ!』 『鏡の角度はどうだ? ちゃんと森の方を向いてるか?』 『ああ、バッチリだ! 太陽の光を反射して、森の入り口がピカピカ光ってるぞ!』
大工仕事が得意な村人たちが、村の四方に高い見張り台を建てている。 その先端には、各家庭から持ち寄った姿見や、ピカピカに磨き上げた鍋の底、金属板などが取り付けられていた。
原始的な「光の反射板」だ。 日中は太陽光を、夜は松明の光を増幅して、村の外へ向けて照射する。 あの黒い靄が光を嫌う習性を利用した、リゼル発案の防衛システムだった。
『先生、お茶持ってきましたー!』 『ありがとう、みんな』
リゼルは、子供たちと一緒に麦茶の入った大きなやかんに触れた。 冷たくて気持ちがいい。 コップに注いで渡して回ると、汗だくの男衆がゴクゴクと喉を鳴らす。
『ぷはーっ! 生き返るなぁ!』 『リゼルちゃん、見てくれよこれ。俺たちの最高傑作だ』
トムさんが自慢げに指差したのは、村の入り口に設置された巨大な「集光装置」だった。 酒樽を半分に切り、内側に磨いたブリキ板を貼り付けたものだ。中心に松明を置けば、車のヘッドライトのように強力な光を前方に投射できる仕組みらしい。
『すごい……これなら、夜でも森の奥まで照らせますね』 『だろ? 魔法がなくたって、光くらい作れるんだよ』
トムさんはニカっと笑い、また作業に戻っていった。 その逞しい背中を見送りながら、リゼルはふと、自分の左手を見つめた。
(……おかしいわ)
昨日、あの青い石を握りしめて力を放った左手。 見た目に変化はない。火傷もしていないし、痛みもない。 けれど、感覚が「変」なのだ。
風が吹くと、肌で感じるよりも先に、風の「流れ」が線のように見える気がする。 地面に立つと、土の奥深くを流れる水の音が、耳ではなく足の裏から響いてくるような……。
まるで、自分の身体の輪郭が曖昧になって、世界と溶け合ってしまったような奇妙な感覚。
(あの時、私は石の力を借りた。ううん、もしかしたら……)
石はただの「鍵」で、私はその扉を開けて、この土地そのもののエネルギーを体に取り込んでしまったのではないか。 聖女の力とは違う、もっと荒々しい、原初の力。
『先生? 顔色が悪いよ?』
心配そうなレオの声に、リゼルはハッと我に返った。
『あ、ごめんね。ちょっと考え事をしてただけ』 『無理しちゃだめだよ。先生は、僕たちが守るんだから!』
レオが小さな胸を張る。 その純粋な優しさに、リゼルの不安は少しだけ和らいだ。
(そうね。今は考えるより、動かなくちゃ)
リゼルは笑顔を作って頷いた。 身体の異変は気になるが、今は村の防衛が最優先だ。
*
そして、夜が来た。 村の境界線に沿って、篝火が一斉に点火される。
『点火ァ!』 『おおおッ!』
見張り台の鏡が炎を反射し、幾重もの光の筋が闇を切り裂く。 トムさん自慢の集光装置からは、強烈な光の柱が森の入り口を照らし出した。 昼間のような明るさとはいかないが、これならどんな影が近づいても一目瞭然だ。
『すげぇ……』 『村が、輝いてる……』
村人たちが歓声を上げる。 かつて、聖女の結界に守られていた頃は、ただ淡い光の膜があるだけで、安心しきっていた。 けれど今の光は、自分たちの手で作り出した、熱を持った光だ。 その頼もしさは、魔法の比ではなかった。
『異常なーし!』 『こっちも異常なしだ!』
見張りの声が響く。 リゼルは広場の真ん中で、その様子を見守っていた。
その時だった。
『――ッ!』
リゼルの背筋に、冷たい電流が走った。 左手が、ドクンと脈打つ。 視界の端、光が届きにくい村の南側の草むらに、「黒い揺らぎ」を感じ取ったのだ。
『南よ! 南の柵の近くに、何かがいる!』
リゼルは叫んだ。 その声に、南側の見張り台にいた男が反応する。
『え? 何も見えねぇぞ……あ!?』
男がカンテラを向けると、そこには這いずるような小さな影があった。 昨日の化け物よりずっと小さい、犬くらいの大きさの黒い靄。 それが、光の隙間を縫って侵入しようとしていたのだ。
『うわっ! 出たぞ!』 『落ち着いて! 光を当てて!』
トムさんが叫びながら、近くの鏡の角度を調整する。 鋭い光の束が、黒い影を直撃した。
『ギッ……!』
影は嫌がるように身をよじり、煙を上げて消滅した。 剣も魔法も使っていない。ただの光で、撃退したのだ。
『や、やった……』 『倒したぞ! 光で倒せたぞ!』
ワァァァッ! と歓声が上がる。 それは、「人は無力ではない」という証明の瞬間だった。 恐怖が希望へと変わる瞬間だった。
リゼルもホッと息をついた。 だが、同時に疑問も深まった。
(どうして分かったの? あんな暗闇の中にいたのに……)
リゼルには見えていた。 目ではなく、感覚で。 あの黒い影が放つ「虚無」の気配が、手に取るように分かったのだ。 まるで、自分がレーダーになったかのように。
『リゼル! すげぇな! よく分かったな!』
トムさんが興奮して駆け寄ってくる。
『……ええ、なんとなく、嫌な予感がして』
リゼルは曖昧に笑って誤魔化した。 この感覚のことは、まだ誰にも言えない。 言えば、また「奇跡の人」として崇められるか、あるいは「化け物」として怖がられるかもしれないから。
その時。 ダダダダダッ――! 村の入り口から、激しい馬の蹄の音が聞こえてきた。 光の防壁の向こうから、一騎の馬が飛び込んでくる。
『誰だ!?』 『止まれ! 怪しい奴なら光を浴びせるぞ!』
村人たちが警戒する中、馬上の人物は必死の形相で叫んだ。
『待ってくれ! 私は王都の正規軍、伝令兵だ!』
馬から転げ落ちるように降りてきたのは、泥だらけの若き騎士だった。 その顔は疲労困憊し、目は血走っている。
『リゼル様! 元聖女、リゼル・アルティナ様はいらっしゃいますか!』
名指しされたリゼルは、群衆をかき分けて前に出た。
『私です。……何事ですか? 王都で何かあったのですか?』
伝令兵はリゼルの姿を見ると、縋り付くように膝をついた。
『リゼル様……どうか、お助けください!』 『え……?』 『王都が……王都の空が、割れたのです!』
その言葉に、その場にいた全員が息を呑んだ。 リゼルの心臓が早鐘を打つ。
『空が、割れた?』 『はい! 昨日の昼頃、大聖堂の上空に巨大な黒い亀裂が現れ……そこから、無数の黒い影が降り注いでいるのです!』
伝令兵の声は震えていた。
『聖騎士団は壊滅状態、枢機卿様や王太子殿下が指揮を執り、必死に応戦していますが、物理攻撃が効かず、打つ手がありません。このままでは王都は……一夜にして死の都になります!』
(昨日の昼頃……)
リゼルは戦慄した。 それは、この森にあの化け物が現れたのと、ほぼ同時刻だ。 やはり、ここは「一部」に過ぎなかったのだ。 世界中で同時に、何箇所もの「穴」が開いているとしたら――。
『リゼル様! 虫のいい話だとは分かっています。貴女を追放し、あまつさえ捕らえようとした国です。ですが……』
伝令兵は地面に額を擦り付けた。
『民には罪はありません! どうか、貴女の「聖女の力」で、王都を救ってください!』
静寂が落ちた。 村人たちが、リゼルを見る。 トムさんが、険しい顔で伝令兵を睨む。
『ふざけるな! リゼルはもう聖女じゃねぇ! それに、聖女の力はもう使えねぇんだ!』 『そ、そんな……では、世界は終わるのですか……?』
伝令兵が絶望に顔を歪める。
リゼルは、自分の左手を握りしめた。 聖女の力はない。 けれど、昨日の「あの力」なら? この身に宿った、正体不明の青い光なら、あの亀裂を塞げるかもしれない。
だが、それは「村を捨てる」ことにならないか? せっかく手に入れた、自由で平穏な生活。 戻れば、また政治の道具にされるかもしれない。命を削ることになるかもしれない。
『先生……』
レオが、リゼルの服の裾を掴んだ。 行かないで、という瞳だ。
リゼルは閉じた瞼の裏で、大聖堂のミナの顔を、アレクシス殿下の顔を、そして無数の人々の顔を思い浮かべた。 そして、ゆっくりと目を開けた。
『……詳しい状況を、聞かせてください』
(第43話・終)
村の防衛成功と同時に、王都からの悲痛なSOS。 「自由」を選んだリゼルに、再び「世界」という重荷がのしかかります。 しかし今回は、「義務」ではなく「意志」で選ぶことができるはずです。




