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聖女は退職したい  作者:
第1章 崩壊と逃避
4/11

第4話 祈りとノルマ表

 ――三ヶ月前の聖堂。

 リゼルは執務室で、一枚の書類を見つめていた。

『奇跡実行管理表』

 そこには、こう記されている。


 日付|奇跡の種類|件数|達成率

 ────────────────

 1日 |病気治癒 |15/20|75%

 2日 |豊穣祝福 | 8/10|80%

 3日 |浄化儀式 | 5/5 |100%

 ────────────────


「これ……何……?」

 リゼルの手が震えた。

「奇跡を……数値化してる……?」

 扉が開き、枢機卿が入ってくる。

「聖女様、先月の奇跡達成率が下がっています」

「達成率……?」

「ええ。目標件数に対して、実行件数が足りません」

 枢機卿は冷たく言った。

「今月は、もっと効率的に動いていただく必要があります」

「効率的って……」

「一日あたり、最低二十件の奇跡を実行してください」

「に、二十件……!?」

 リゼルの顔が青ざめる。

「無理です! 今でも一日十五件で限界なのに!」

「限界など、ありません」

 枢機卿は書類を机に置いた。

「あなたは神に選ばれた聖女です。不可能はないはずです」

「でも……」

「それとも」

 枢機卿の目が細くなる。

「あなたは、職務怠慢だとおっしゃるのですか」

 リゼルは言葉に詰まった。


 *

 その日から、リゼルの"奇跡の残業"が始まった。

 朝六時起床。

 朝食を取る間もなく、祈祷室へ。

 午前中に病気治癒を十件。

 昼食は執務室で、申請書を処理しながら。

 午後は豊穣祝福と浄化儀式。

 夜は申請書の山と格闘。

「終わらない……」

 深夜二時、リゼルは机に突っ伏した。

「まだ……あと五件……」

 目が霞む。

 頭が割れそうに痛い。

「でも……やらなきゃ……」

 無理やり体を起こす。


 *

 翌朝、ミナが執務室を訪れると、リゼルは机で眠っていた。

「リゼル様……」

 ミナは心配そうに肩を揺さぶる。

「はっ!」

 リゼルが跳ね起きた。

「ミナ……? 今、何時……」

「朝の七時です」

「七時!? 寝過ごした!」

 リゼルは慌てて立ち上がる。

「今日の予定は――」

「待ってください、リゼル様」

 ミナが手を掴んだ。

「あなた、昨夜も徹夜したんですか?」

「え、ええ……まあ……」

「もう三日連続ですよ!」

 ミナの声が震える。

「このままじゃ、体が持ちません!」

「大丈夫よ……私、聖女だから……」

「聖女だって人間です!」

 ミナが叫んだ。

「お願いです……少し休んでください……」

「でも……ノルマが……」

「ノルマなんて!」

 ミナは涙を流した。

「そんなものより、リゼル様の命の方が大事です!」


 *

 その時、扉が開いた。

「何を騒いでいるのですか」

 枢機卿が入ってくる。

「枢機卿様……」

「ミナ、君は下がりなさい」

「ですが――」

「下がれ、と言っているのです」

 枢機卿の声が冷たくなった。

 ミナは悔しそうに唇を噛み、部屋を出ていった。

「聖女様」

 枢機卿はリゼルに向き直った。

「昨日の達成率、六十五パーセントでしたね」

「はい……申し訳ございません……」

「何が原因ですか」

「時間が……足りなくて……」

「時間が足りない?」

 枢機卿は冷笑した。

「それは、あなたの努力が足りないということですね」

「で、ですが……」

「言い訳は結構です」

 枢機卿は新しい書類を置いた。

「今日から、一日二十五件に増やします」

「に、二十五件!?」

「ええ。国の要求が増えているのです。対応していただかなければ」

「無理です! そんなの、絶対に無理です!」

 リゼルが初めて、大きな声を出した。

「私、人間なんです! 機械じゃないんです!」

「ならば」

 枢機卿は冷たく言い放った。

「機械になりなさい」

 リゼルの言葉が止まった。

「あなたは聖女です。感情など、必要ありません」

「そんな……」

「ただ、奇跡を起こせばいい。それが、あなたの存在意義です」

 枢機卿は背を向けた。

「明日の報告を楽しみにしています」

 扉が閉まる。

 一人残されたリゼルは、その場に崩れ落ちた。

「機械に……なれって……」

 涙が溢れた。

「私は……機械なの……?」


 *

 その日、リゼルは二十五件の奇跡を実行した。

 いや、実行"させられた"。

 朝から晩まで、休む間もなく祈り続けた。

 病気を治し。

 畑を祝福し。

 水を浄化し。

 全てが機械的だった。

「次……次……」

 リゼルの目は虚ろだった。

 もう、誰を救っているのかも分からない。

 ただ、数をこなすだけ。

「あと……三件……」

 夜の十一時。

 リゼルは祈祷室で、最後の奇跡を実行していた。

「神よ……この地に……」

 声が途切れる。

 体から力が抜けていく。

「あと……少し……」

 無理やり祈りを続ける。

 そして――。

「終わった……」

 二十五件、全て完了。

 リゼルは床に倒れ込んだ。

「やった……ノルマ……達成……」

 意識が遠のいていく。

「私……頑張った……よね……」

 そのまま、気を失った。


 *

 翌朝、リゼルを発見したのはまたミナだった。

「リゼル様! しっかりしてください!」

 医療室に運ばれるリゼル。

 医者が診察し、首を振る。

「完全な過労です。このままでは、命に関わります」

「そんな……」

 ミナは泣き崩れた。

「枢機卿様に、もう一度お願いしてみます……!」


 *

 しかし、枢機卿の答えは変わらなかった。

「聖女様には、明日から復帰していただきます」

「ですが、医者が命に関わると……!」

「それは、聖女様の問題です」

 枢機卿は冷たく言った。

「国には、奇跡が必要なのです」

「でも……!」

「ミナ、君は黙っていなさい」

 ミナは唇を噛んだ。


 *

 その夜、リゼルは一人で医療室のベッドに座っていた。

「もう……無理……」

 呟く。

「このままじゃ……本当に死んじゃう……」

 窓の外を見る。

 月が綺麗だ。

「逃げたい……」

 初めて、はっきりとそう思った。

「ここから……逃げ出したい……」

 その時、窓辺に白い小鳥が止まった。

 淡く光る羽。

「あなた……」

 小鳥はリゼルを見つめ、そして飛び去った。

「待って……」

 リゼルは窓を開ける。

 小鳥は夜空を舞い、自由に飛んでいく。

「私も……あんな風に……」

 その瞬間、決意が生まれた。

「逃げよう」

 リゼルは立ち上がった。

「もう、限界だ」

 医療室を抜け出し、執務室へ向かう。

 そして、引き出しから一枚の羊皮紙を取り出した。

『退職届』

「書こう」

 ペンを取る。

 そして――。


(第4話・終)

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