第38話 聖女追跡命令
王都では、緊急会議が開かれていた。
「奇跡が戻らない……」
王が重い声で言う。
「各地で復興が進んでいるとはいえ、まだ不十分だ」
「はい、陛下」
重臣たちが頷く。
「やはり……聖女を連れ戻すべきでは?」
*
枢機卿エルヴィンが立ち上がった。
「お待ちください、陛下」
「枢機卿、何か?」
「聖女様を無理に連れ戻すべきではありません」
枢機卿は続ける。
「彼女は今、各地で人々を導いています」
「それは聞いている」
*
「なら、なぜ連れ戻す必要があるのですか」
枢機卿は真剣な顔で言った。
「彼女は、奇跡を起こさずとも人を救っています」
「だが、奇跡があればもっと早く……」
「速さが全てではありません」
*
しかし、王太子アレクシスが声を荒げた。
「綺麗事はもういい!」
「殿下……」
「国が危機に瀕しているのだぞ!」
王太子は拳で机を叩いた。
「聖女を連れ戻し、奇跡を起こさせるべきだ!」
*
会議室がざわめく。
賛成派と反対派に分かれる。
「殿下の仰る通り」
「いや、枢機卿様が正しい」
議論は平行線。
やがて、王が決断した。
*
「聖女を……探せ」
「陛下……!」
枢機卿が叫ぶ。
「ただし」
王は続けた。
「無理に連れ戻すのではない。説得するのだ」
「説得……」
「ああ。彼女の意志を尊重する。だが、国の窮状も伝える」
*
枢機卿は、少し安心した。
「分かりました」
「では、誰が行く?」
王が尋ねる。
「私が行きます」
ミナが前に出た。
「ミナ……」
「リゼル様とは、私が一番親しいです。私なら、話ができます」
*
「よかろう。では、頼む」
「はい」
ミナは深く頭を下げた。
そして――翌日、王都を出発した。
「リゼル様……」
馬に乗りながら、呟く。
「お願い……話だけでも聞いて……」
*
一方、フェルナ村では。
リゼルは平和な日々を送っていた。
「今日も、いい天気」
洗濯物を干しながら、微笑む。
「子供たちに何を教えようかな」
幸せな時間。
*
その時、トムが駆け寄ってきた。
「リゼル! 大変だ!」
「どうしたんですか?」
「王都から使者が!」
リゼルの顔が強張る。
「また……追手……?」
「分からん。だが、今度は一人だ。女性だ」
*
リゼルは村の入り口へ向かった。
そこには――。
「ミナ……!」
「リゼル様……!」
ミナが立っていた。
二人は抱き合った。
「会いたかった……!」
「私も……!」
*
しばらく抱き合った後、ミナが言った。
「話が……あります」
「うん……聞くわ」
二人は村の丘に登った。
人目のない場所で。
「リゼル様……」
「何?」
*
「王都が……あなたを探しています」
「知ってる。でも、連れ戻されたりしないわよね?」
「はい。今回は、説得です」
ミナは続ける。
「無理に連れ戻すつもりはありません」
「なら……何を?」
*
「お願いです……」
ミナは涙を流した。
「一度だけでも……王都に来てください」
「ミナ……」
「今、王都では……まだ混乱が続いています」
「人々は不安で……希望を失いかけています」
*
「あなたの姿を見れば……」
ミナは続ける。
「きっと、希望が戻ります」
「でも……私、もう聖女じゃ……」
「分かっています。奇跡を起こしてほしいわけじゃありません」
ミナは真剣な顔で言った。
「ただ、あなたの言葉を聞きたいんです」
*
「私の……言葉……」
「はい。奇跡なしで生きる方法を」
「あなたが各地で教えていることを」
ミナは頼み込んだ。
「王都の人々にも、教えてください」
*
リゼルは、長い沈黙の後――。
「分かった」
「本当ですか!?」
「ええ。行くわ」
リゼルは微笑んだ。
「でも、聖女としてじゃない。一人の人間として」
「はい……! ありがとうございます……!」
*
その夜、リゼルは村人たちに告げた。
「また、少し出かけます」
「どこへ?」
「王都に」
村人たちが驚く。
「大丈夫か?」
「はい。今度は、説得に応じただけです」
*
「なら……気をつけてな」
トムが言った。
「ああ。無理すんなよ」
「はい。ありがとうございます」
リゼルは微笑んだ。
「すぐ戻りますから」
*
翌朝、リゼルとミナは王都へ向かった。
馬車の中で、ミナが言った。
「リゼル様……本当にありがとうございます」
「いいのよ。これも、私の役割だと思うから」
「役割……」
「ええ。人々を導くこと」
リゼルは続ける。
「それが、今の私の使命だから」
*
三日後、王都に到着した。
街は……以前より明るくなっていた。
「あれ……?」
リゼルは驚いた。
「思ったより、復興してる……」
「はい。枢機卿様たちの努力の成果です」
*
「神官たちが街に出て、人々を助けています」
ミナが説明する。
「医療、農業、様々な分野で」
「そう……よかった……」
リゼルは安心した。
「なら、私が来る必要もなかったんじゃ……」
「いえ、あります」
*
「人々は……まだ不安なんです」
ミナは続ける。
「本当にこれでいいのかって」
「だから、あなたの言葉が必要なんです」
「分かった」
リゼルは頷いた。
「精一杯、話すわ」
*
王城では、王と枢機卿が待っていた。
「リゼル様……!」
枢機卿が駆け寄る。
「よく来てくださいました」
「お久しぶりです、枢機卿様」
リゼルは微笑んだ。
「お元気そうで」
*
「あなたもです」
枢機卿は嬉しそうだった。
「生き生きとしておられる」
「はい。幸せです」
「それが何よりです」
枢機卿は続ける。
「では、明日、広場で演説をお願いできますか?」
「はい。分かりました」
*
翌日。
王都の中央広場に、大勢の民衆が集まった。
「聖女様が来るらしいぞ」
「本当か?」
「ああ。何か話すらしい」
期待と不安が入り混じる。
*
やがて、リゼルが演台に立った。
「皆さん、こんにちは」
優しい声。
「私は、元聖女のリゼル・アルティナです」
どよめきが起こる。
「今日は、皆さんにお話があって来ました」
*
「奇跡なしで生きることについて」
リゼルの声が響く。
「私は、聖女を辞めました。それで、奇跡が消えました」
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」
深く頭を下げる。
*
「でも」
リゼルは顔を上げた。
「奇跡がなくても、人は生きていけます」
「私の村では、もう奇跡なしで暮らしています」
「畑を耕し、水を浄化し、助け合って」
「そして、幸せに暮らしています」
*
「奇跡は便利です。でも、それに頼りすぎると……」
リゼルは続ける。
「人は弱くなります。自分で考えなくなります」
「だから、今こそチャンスなんです」
「自分の力で生きることを、学ぶチャンス」
*
人々が、真剣に聞いている。
「確かに、大変です。時間もかかります」
「でも、できないことじゃありません」
リゼルは微笑んだ。
「なぜなら、昔の人はそうやって生きていたから」
「私たちも、できます」
*
「そして」
リゼルは力強く言った。
「自分の手で成し遂げたことは、何よりも価値があります」
「それこそが、本当の奇跡なんです」
「神が起こす奇跡じゃない、人が起こす奇跡」
「それを、一緒に起こしましょう」
*
会場が静まり返った。
やがて――一人が拍手し始めた。
それが広がる。
大きな拍手。
「ありがとう、リゼル様!」
「頑張ります!」
「私たちの力で生きていきます!」
*
リゼルは涙を流した。
「ありがとう……みなさん……」
演台を降りると、枢機卿が待っていた。
「素晴らしい演説でした」
「いえ……ただ、本当のことを話しただけです」
「それが一番、人の心に響くのです」
*
その夜、リゼルは王城の一室にいた。
「明日には、村に帰ろう」
窓の外を見る。
「みんな、待ってるだろうな」
その時、ノックの音。
「どうぞ」
*
入ってきたのは、王太子だった。
「リゼル様」
「王太子殿下……」
「話がある」
王太子は真剣な顔をしていた。
「最後に、一つだけ頼みたい」
*
「何でしょう?」
「この国を……守ってほしい」
王太子は頭を下げた。
「聖女としてではない。一人の人として」
「王太子殿下……」
「頼む」
*
リゼルは、少し考えた。
「私にできることは限られています」
「それでも……」
「でも」
リゼルは微笑んだ。
「できることは、やります」
「本当か!」
「はい。これが私の、新しい使命ですから」
*
王太子は、安堵の表情を浮かべた。
「ありがとう……」
「いえ。私も、この国の一員ですから」
リゼルは続ける。
「みんなで、この国を守りましょう」
「ああ……!」
*
翌日、リゼルは王都を離れた。
村へ帰るために。
「ただいまって、早く言いたいな」
馬車の中で呟く。
ミナも一緒だった。
「リゼル様、また会えますか?」
「もちろん」
リゼルは微笑んだ。
「いつでも、来てね」
*
「はい……!」
ミナは嬉しそうだった。
「次は、友達として」
「ええ、友達として」
二人は笑い合った。
馬車は、フェルナ村へ向かって走る。
リゼルの帰る場所へ。
(第38話・終)




