第35話 失われた奇跡の定義
隣村に着いたリゼルは、その荒廃ぶりに驚いた。
「ひどい……」
畑は枯れ、家は朽ち、人々は暗い顔をしている。
「奇跡がないと……こうなるの……」
罪悪感が襲ってくる。
「私が……」
*
村の中心に行くと、人々が集まっていた。
「もうダメだ……」
「神に見捨てられた……」
「奇跡が戻らない限り、生きていけない……」
絶望の声。
リゼルは、その輪に入った。
*
「すみません」
「ん? 誰だ?」
「私……フェルナ村から来ました」
リゼルは続ける。
「お話を、聞かせてもらえますか?」
「話? 何の?」
「この村の状況を」
*
村長らしき男が答えた。
「見ての通りだ。奇跡が消えて、全てが崩壊した」
「畑は枯れ、水は汚れ、病人は増える一方」
男は続ける。
「このままじゃ、村は滅ぶ」
「そう……ですか……」
*
「あんた、何しに来たんだ?」
別の男が尋ねる。
「奇跡を起こしに来たのか?」
「いえ……」
リゼルは首を振った。
「奇跡なしで、生きる方法を教えに来ました」
*
人々がざわめく。
「奇跡なしで……?」
「そんなことできるわけない」
「バカ言うな」
否定的な声。
でも、リゼルは諦めなかった。
*
「できます」
はっきりと言った。
「私の村では、もう奇跡なしで生きています」
「本当か?」
「はい。畑を耕し、水を浄化し、病人を看護しています」
「それって……昔ながらの方法じゃないか」
「その通りです」
*
リゼルは続ける。
「昔の人は、奇跡なしで生きていました」
「私たちも、それができます」
「でも……」
「大変です。時間もかかります」
リゼルは正直に言った。
「でも、不可能じゃありません」
*
村長が尋ねた。
「具体的に、どうすればいい?」
「まず、畑からです」
リゼルは説明し始めた。
「堆肥を作って、土を豊かにします」
「堆肥……?」
「はい。作り方を教えます」
*
リゼルは、一つ一つ丁寧に教えた。
堆肥の作り方。
灌漑設備の作り方。
水の浄化方法。
病人の看護の仕方。
人々は、真剣に聞いていた。
*
「なるほど……」
「これなら、できるかもしれない」
「やってみるか」
少しずつ、希望が生まれ始める。
リゼルは嬉しかった。
「みんな……」
*
しかし、一人の老人が言った。
「待て」
「どうしたんですか?」
「それは……奇跡じゃない」
老人は続ける。
「ただの労働だ」
*
「はい、その通りです」
リゼルは頷いた。
「奇跡ではありません。人の手による、労働です」
「なら……それは奇跡じゃないじゃないか」
「いいえ」
リゼルは微笑んだ。
「これも、奇跡です」
*
「え……?」
「奇跡の定義が、間違っていたんです」
リゼルは続ける。
「奇跡は、神が一瞬で起こすものだと思われていました」
「違うのか?」
「はい。本当の奇跡は――」
*
リゼルは力強く言った。
「人が努力して、何かを成し遂げること」
「それが、本当の奇跡なんです」
人々が、呆然としている。
「奇跡は……努力……」
「そうです」
*
「神が起こす奇跡は、確かに便利です」
リゼルは続ける。
「でも、それは一時的なもの」
「本当に価値があるのは、自分の手で成し遂げた奇跡」
「それは、永遠に残ります」
*
老人が、涙を流した。
「そうか……そうだったのか……」
「はい」
「俺たちは……奇跡の意味を、間違えていたんだな……」
「でも、今から変われます」
リゼルは微笑んだ。
「一緒に、新しい奇跡を起こしましょう」
*
村長が立ち上がった。
「よし、やろう!」
「おう!」
人々が立ち上がる。
「奇跡を、自分の手で起こすんだ!」
「ああ!」
活気が戻ってきた。
その日から、村は動き出した。
リゼルの指導のもと、人々は働き始める。
「まず、堆肥を作ろう」
「おう!」
「落ち葉と家畜の糞を集めてくれ」
「分かった!」
皆が協力して、作業を進める。
*
畑では、男たちが土を耕していた。
「久しぶりに、ちゃんと働くな」
「ああ。奇跡に頼ってた時は、何もしてなかった」
「でも、これはこれで……悪くない」
汗を流しながら、笑い合う。
「体を動かすのは、気持ちいいもんだ」
*
女たちは、水の浄化を学んでいた。
「沸かせば、飲めるようになるのね」
「そうです。火にかけて、よく沸騰させてください」
リゼルが教える。
「簡単ね」
「はい。昔の人は、みんなこうしてたんです」
*
子供たちも、手伝っていた。
「僕たちも!」
「私も!」
「ありがとう。じゃあ、水を運んでくれる?」
「はーい!」
元気な声。
村全体が、一つになっていた。
*
三日後。
畑に、小さな芽が出た。
「おお……!」
「芽が出た!」
「本当だ! 奇跡なしで!」
人々が歓声を上げる。
村長が、リゼルに礼を言った。
「ありがとう。あんたのおかげだ」
*
「いえ、みんなが頑張ったからです」
リゼルは微笑んだ。
「私は、ちょっと教えただけ」
「でも、あんたがいなければ、俺たちは動けなかった」
村長は深く頭を下げた。
「本当に、ありがとう」
*
その夜、村では祝宴が開かれた。
「奇跡なしの、最初の収穫を祝って!」
「乾杯!」
人々が笑い合う。
リゼルも、その輪の中にいた。
「嬉しい……」
心から思えた。
*
「あんた、すごいな」
老人が言った。
「俺たちに、奇跡の本当の意味を教えてくれた」
「いえ……」
「いや、本当だ」
老人は続ける。
「奇跡は、神が起こすもんだと思ってた」
*
「でも、違った」
老人は涙を流した。
「奇跡は、俺たちが起こすもんだったんだ」
「はい……」
「自分の手で、汗を流して」
老人は微笑んだ。
「それが、本当の奇跡なんだな」
*
リゼルは頷いた。
「その通りです」
「神の奇跡は、確かに便利です」
「でも、人の奇跡の方が……」
リゼルは続ける。
「ずっと、価値があります」
*
村長が立ち上がった。
「みんな、聞いてくれ!」
会場が静まる。
「今日から、俺たちは変わる!」
「奇跡に頼らず、自分の力で生きる!」
力強い声。
「それが、俺たちの新しい道だ!」
*
人々が拍手する。
「ああ!」
「自分の力で!」
「奇跡を、自分で起こすんだ!」
歓声が響く。
リゼルは、その様子を見て涙を流した。
「みんな……」
*
翌朝、リゼルは村を出ることにした。
「もう、大丈夫ですね」
「ああ。あんたのおかげで、道が見えた」
村長が礼を言う。
「次の村にも、教えに行ってくれ」
「はい。そのつもりです」
*
村人たちが見送りに来ていた。
「ありがとう!」
「また来てくれ!」
「元気でな!」
リゼルは手を振った。
「みんなも、元気で!」
そして、次の村へ向かった。
*
道中、リゼルは考えていた。
「奇跡の定義……」
それは、ずっと間違っていた。
「神が起こすものじゃない」
「人が、努力して成し遂げるもの」
「それが、本当の奇跡」
*
リゼルは微笑んだ。
「私、やっと分かった」
「聖女時代に起こしてた奇跡は……」
「本当の奇跡じゃなかったんだ」
空を見上げる。
「今、私がやってること」
「これが、本当の奇跡」
*
神の声が聞こえた気がした。
『その通りだよ、リゼル』
「神様……」
『君は、やっと本当の奇跡を見つけたね』
「はい……」
涙が零れる。
「ありがとうございます」
*
次の村が見えてきた。
「さあ、行こう」
リゼルは歩を進めた。
「また、奇跡を起こしに」
人の手による、本当の奇跡を。
「みんなに、教えよう」
決意を胸に。
(第35話・終)




