第34話 神の涙
ある雨の日。
リゼルは一人で教会にいた。
「今日は、休校にしたけど……」
窓の外を見る。
激しく降る雨。
「何だか、心配……」
*
祭壇の前に座り込む。
「神様……」
呟く。
「この雨……普通の雨じゃない気がします」
何か、胸騒ぎがする。
「何か……起きてるんですか?」
*
その時、祭壇が光り始めた。
「え……?」
淡い光。
『リゼル……』
神の声。
「神様!」
『ごめんね……君を、呼んでしまって……』
声が弱々しい。
*
「どうしたんですか? 何かあったんですか?」
『実は……』
神の声が震える。
『世界が……崩れ始めてるんだ』
「世界が……?」
『奇跡が消えて、バランスが崩れた』
*
リゼルの顔が青ざめた。
「それって……私のせい……?」
『違う。君のせいじゃない』
神は慌てて否定した。
『これは……必然だったんだ』
「必然……」
『そう。奇跡に頼りすぎた世界は、いずれ崩れる運命だった』
*
「でも……」
『君が辞めたことで、それが早まっただけ』
神は続ける。
『むしろ、今崩れてよかったんだ』
「よかった……?」
『ああ。今なら、まだ修復できる』
*
リゼルは尋ねた。
「どうすれば……修復できるんですか?」
『人々が、自分の力で生きることを学ぶこと』
神の声が真剣だった。
『奇跡に頼らず、自分たちで世界を支える』
「それは……もう始まってますよね?」
『ああ。君の村では、ちゃんとできてる』
*
「なら……」
『でも、他の場所ではまだだ』
神は悲しそうに言った。
『多くの人が、まだ奇跡を求めてる』
「そう……ですか……」
『だから……この雨を降らせた』
*
「この雨……神様が?」
『ああ。試練として』
神は続ける。
『この雨が止むかどうかは、人々次第だ』
「人々次第……」
『そう。彼らが自分の力で立ち上がれば、雨は止む』
*
リゼルは理解した。
「つまり……神様は、人々を試してるんですね」
『試してる……というより、信じてるんだ』
神の声が温かくなった。
『人には、力がある。それを思い出してほしい』
「神様……」
『だから、君にも手伝ってほしい』
*
「私に……できることが?」
『ああ。君の村でやったように』
神は言った。
『他の場所でも、人々を導いてほしい』
「でも……私、もう聖女じゃ……」
『聖女である必要はない。ただの人間として』
*
リゼルは、少し考えた。
「分かりました。やってみます」
『ありがとう、リゼル』
神の声が嬉しそうだった。
『君は、本当に優しいね』
「いえ……これは、私がやりたいからです」
リゼルは微笑んだ。
*
『そうか。なら、よかった』
神の声が遠くなり始める。
「待って、神様」
『何だい?』
「さっき……声が弱かったですけど……大丈夫ですか?」
『……』
沈黙。
*
「神様?」
『実は……少し疲れてるんだ』
神は正直に答えた。
「疲れて……神様が?」
『ああ。世界を支えるのは、大変でね』
「そんな……」
『でも、大丈夫。少し休めば』
*
リゼルは涙を流した。
「神様……無理しないでください」
『ありがとう。でも、私は神だから』
「神だって、休む必要があります」
リゼルは強く言った。
「私が、聖女時代に学んだことです」
*
『……そうだね』
神は笑った。
『君の言う通りだ』
「だから、無理しないでください」
『分かった。君も、無理するなよ』
「はい」
二人は微笑み合った。
*
その時、祭壇から一滴の光が落ちた。
「これは……」
リゼルが手のひらで受け止める。
温かい光。
『私の涙だよ』
神が言った。
*
「神様の……涙……」
『嬉しくて、泣いてしまった』
神の声が震える。
『君が、私を心配してくれて』
「神様……」
『今まで、誰も神を心配してくれなかった』
*
『でも、君は違った』
神は続ける。
『君は、私を一人の存在として見てくれた』
「当たり前です。神様だって……」
リゼルも涙を流した。
「一人なんですから」
*
『ありがとう、リゼル』
神の声が温かい。
『君に会えて、本当によかった』
「私もです」
リゼルは微笑んだ。
「神様に会えて、幸せです」
*
光の涙が、リゼルの手の中で輝いた。
そして――花になった。
「綺麗……」
小さな白い花。
『それは、私からの贈り物だ』
神が言った。
『大切にしてね』
「はい……!」
*
光が消えた。
リゼルは一人、教会に残された。
「神様……」
手の中の花を見つめる。
「ありがとう……」
涙が零れる。
「私……頑張ります」
*
外では、まだ雨が降っている。
でも、リゼルの心は晴れていた。
「さあ、行こう」
立ち上がる。
「人々を、助けに」
神の願いを叶えるために。
*
家に戻ると、婆さんが待っていた。
「リゼル、どこ行ってたんだい」
「教会に」
「そうかい。で、何かあったのかい?」
「はい。神様から、頼まれごとをされました」
*
「頼まれごと?」
「他の村を回って、人々を導いてほしいって」
リゼルは説明した。
「奇跡なしで生きる方法を、教えてほしいんです」
「なるほどね」
婆さんは頷いた。
「で、どうするんだい?」
*
「行きます」
リゼルははっきりと答えた。
「これは、私がやりたいことですから」
「そうかい。なら、応援するよ」
婆さんは微笑んだ。
「気をつけてな」
「はい。ありがとうございます」
*
翌日、リゼルは村人たちに告げた。
「少しの間、旅に出ます」
「え、どこへ?」
「他の村に」
リゼルは続ける。
「奇跡なしで生きる方法を、教えに行きます」
*
トムが言った。
「危なくないか?」
「大丈夫です。神様が守ってくれます」
「そうか……なら、行ってこい」
トムは笑った。
「お前なら、きっとできる」
「ありがとうございます」
*
子供たちが泣いていた。
「先生、行っちゃうの?」
「少しだけよ。すぐ戻るから」
リゼルは子供たちを抱きしめた。
「待っててね」
「うん……」
子供たちは泣きながら頷いた。
*
出発の朝。
村人たち全員が見送りに来ていた。
「リゼル、気をつけてな」
「無理すんなよ」
「早く帰ってこいよ」
口々に声をかけてくれる。
*
リゼルは涙を堪えた。
「ありがとう、みんな」
深く頭を下げる。
「必ず、戻ってきます」
「待ってるぞ」
トムが笑った。
「ここが、お前の家だからな」
「はい……!」
*
リゼルは歩き出した。
振り返ると、村人たちが手を振っている。
「行ってきます……!」
大きく手を振り返す。
そして、前を向いた。
「さあ、行こう」
神様の涙を胸に。
「人々を、救いに」
(第34話・終)




