第32話 神の声はもう聞こえない
ある夜、リゼルは眠れずにいた。
「最近……」
ベッドの上で、天井を見つめる。
「神様の声が、聞こえない」
以前は時々、神の声が聞こえていた。
でも、ここ数週間は――。
「沈黙……」
*
リゼルは起き上がり、窓を開けた。
「神様……」
星空に向かって呟く。
「聞こえますか?」
答えはない。
「私……何か間違ったことしましたか?」
沈黙。
�*
不安が募る。
「もしかして……」
リゼルは震える声で言った。
「神様に……見捨てられたの?」
涙が浮かぶ。
「だって、聖女を辞めたから……」
でも、心の奥では分かっていた。
*
「違う……」
リゼルは首を振った。
「神様は、私を応援してくれてた」
「自由に生きろって、言ってくれた」
なら、なぜ――。
「声が聞こえないの……?」
*
翌日、リゼルは婆さんに相談した。
「婆さん、聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「神様の声が……聞こえなくなったんです」
リゼルは不安そうに言った。
「それって……見捨てられたってことでしょうか」
*
婆さんは、少し考えてから答えた。
「それは違うと思うよ」
「え……?」
「神様はね、必要な時だけ声をかけるんだ」
婆さんは続ける。
「いつも話しかけてたら、依存しちゃうだろう?」
「依存……」
「そう。自分で考えなくなる」
*
「だから」
婆さんは微笑んだ。
「声が聞こえないのは、お前が自立したってことさ」
「自立……」
「ああ。もう、神様の助けがなくても生きていけるってこと」
婆さんは続ける。
「それは、喜ぶべきことだよ」
*
リゼルは、その言葉に救われた。
「そう……なんですか」
「ああ。神様は、お前を信じてるんだ」
「信じて……」
「一人で生きていける力があるって」
婆さんは優しく言った。
「だから、安心しな」
*
その夜、リゼルは再び星空を見上げた。
「神様……」
呟く。
「私、分かりました」
「声が聞こえないのは、見捨てられたからじゃない」
リゼルは微笑んだ。
「自立したからなんですね」
*
「ありがとうございます」
涙が零れる。
「私を、信じてくれて」
「これから、自分の力で生きていきます」
風が優しく吹く。
「見守っていてください」
*
しかし、完全に不安が消えたわけではなかった。
数日後、リゼルは村の教会を訪れた。
「久しぶり……」
小さな教会。
リゼルが子供の頃、よく来ていた場所。
「ここで、神様の声を初めて聞いたんだ」
*
祭壇の前に跪く。
「神様……」
祈りを捧げる。
「お願いです。もう一度、声を聞かせてください」
沈黙。
「私……本当に大丈夫なのか、確かめたいんです」
また沈黙。
*
リゼルは諦めかけた。
「やっぱり……もう聞こえないんだ……」
その時――。
微かな光が漏れた。
「え……?」
祭壇が、淡く輝いている。
*
『リゼル』
声が聞こえた。
「神様……!」
『久しぶりだね』
優しい声。
「はい……! お久しぶりです……!」
リゼルは涙を流した。
「聞こえなくて……不安でした……」
*
『ごめんね』
神は謝った。
『でも、必要だったんだ』
「必要……?」
『そう。君が自分の力で生きることを学ぶために』
神は続ける。
『私の声に頼らず、自分で判断する力を』
*
「そうだったんですか……」
『ああ。そして、君はちゃんとできてる』
神の声が温かい。
『私の声がなくても、正しい選択をしてる』
「本当に……?」
『本当だよ』
*
『子供たちを教え、村の人たちと助け合い』
『花を育て、笑顔を作っている』
神は続ける。
『それは全て、君自身の力でやったことだ』
「私の……力……」
『そう。もう、私の助けは必要ない』
*
リゼルは、複雑な気持ちだった。
「でも……寂しいです」
『分かるよ』
神は優しく言った。
『でも、これが成長ってことなんだ』
「成長……」
『親鳥が、雛を巣から押し出すようにね』
*
「私……巣立ったんですね」
『そう。君はもう、一人で飛べる』
神の声が遠くなり始める。
「待って……!」
『大丈夫。私は、いつも見守ってる』
「神様……!」
『さよならじゃない。また会えるから』
*
光が消えた。
リゼルは、祭壇の前で泣いていた。
「神様……」
でも、悲しい涙ではなかった。
「ありがとう……」
感謝の涙。
「私……頑張ります」
*
教会を出ると、夕日が沈んでいた。
「綺麗……」
オレンジ色の空。
「神様がいなくても」
この美しさは変わらない。
「大丈夫だ」
*
家に帰る途中、子供たちに会った。
「先生!」
「あら、どうしたの?」
「明日の授業、楽しみ!」
子供たちが笑顔だった。
「何を教えてくれるの?」
「そうね……」
リゼルは微笑んだ。
「自分で考える力、かな」
*
「自分で考える?」
「ええ。誰かに頼るんじゃなく、自分の頭で考えること」
リゼルは続ける。
「それが、一番大切なの」
「なるほど……」
子供たちが真剣な顔をする。
「じゃあ、明日楽しみにしてる!」
「ええ、待ってるわ」
*
家に戻ったリゼルは、日記を書いた。
『今日、神様の声を聞きました』
『久しぶりでした』
『でも、これが最後かもしれません』
ペンを走らせる。
『神様は言いました。もう私の助けは必要ないと』
*
『最初は寂しかったです』
『でも、今は分かります』
『これが、成長ってことなんですね』
リゼルは微笑んだ。
『神様に頼らず、自分の力で生きる』
*
『怖いです。不安もあります』
『でも、やってみます』
『神様が信じてくれたんですから』
涙が浮かぶ。
『私も、自分を信じます』
*
窓の外、月が輝いている。
「おやすみなさい、神様」
呟く。
「これからは、一人で頑張ります」
風が吹く。
「でも、時々は見守っていてください」
月が、優しく輝いた。
*
翌日、リゼルは授業で子供たちに言った。
「今日は、大切なことを教えます」
「何?」
「自分で考える力です」
リゼルは黒板に書いた。
『自立』
*
「自立って、何ですか?」
「誰かに頼らず、自分の力で生きることよ」
リゼルは続ける。
「もちろん、助け合いは大切」
「でも、まず自分で考えて、判断する」
「それが、自立です」
*
子供たちが真剣に聞いている。
「難しそう……」
「最初は難しいわ。でも、できるようになる」
リゼルは微笑んだ。
「私も、今それを学んでいるところよ」
「先生も?」
「ええ。一緒に、学びましょう」
*
授業後、一人の少女が言った。
「先生、私も自立したい」
「素晴らしいわ」
「でも、どうすればいいの?」
「まず、自分で考えること」
リゼルは続ける。
「すぐに誰かに聞くんじゃなく、自分の頭で考えてみる」
*
「分かった! やってみる!」
「応援してるわ」
少女が走り去った後、リゼルは思った。
「私も、頑張らないと」
神の声がなくても。
「自分の力で、生きていく」
それが、新しい人生。
*
その夜、リゼルは丘に登った。
満天の星空。
「神様、見てますか」
呟く。
「声は聞こえなくても」
「あなたがそこにいることは、分かります」
星が瞬く。
「これから、一人で頑張ります」
*
「でも、本当に困った時は」
リゼルは微笑んだ。
「また、声を聞かせてくださいね」
風が優しく吹いた。
まるで、答えるように。
「ありがとう、神様」
リゼルは村へ戻っていった。
一人で歩く道。
でも、心は満たされていた。
(第32話・終)




