第30話 『もう、働かなくていいんですか?』
学校開校の準備が始まった。
村人たちが総出で、古い倉庫を改装している。
「ここを教室にしよう」
「窓を大きくして、明るくしないと」
「机と椅子も作らないとな」
皆が協力して、作業を進める。
リゼルも、掃除を手伝っていた。
「ここは、私が拭きます」
雑巾で、床を磨く。
「綺麗になってきた」
少しずつ、教室らしくなっていく。
「楽しみだな……」
その時、一人の少年が声をかけてきた。
「リゼルお姉ちゃん」
「どうしたの?」
「聞きたいことがあるんだ」
少年は真剣な顔をしていた。
「何かな?」
「お姉ちゃん、もう働かなくていいんですか?」
その質問に、リゼルは驚いた。
「え……?」
「だって、聖女様辞めたんでしょ?」
少年は続ける。
「なら、もう働かなくていいのに、なんで先生になるの?」
リゼルは、少し考えた。
「いい質問ね」
雑巾を置いて、少年の隣に座る。
「確かに、私は聖女を辞めたわ」
「うん」
「でも、それは働きたくなかったからじゃないの」
「え……違うの?」
「ええ」
リゼルは続ける。
「私が辞めたのは、『無理やり働かされる』のが嫌だったから」
「無理やり……」
「そう。休みもなく、毎日働かされて」
リゼルは俯いた。
「それが、辛かったの」
「でも」
リゼルは顔を上げた。
「自分で選んで働くのは、違うわ」
「違う……?」
「ええ。今度は、私が『やりたい』から働くの」
リゼルは微笑んだ。
「誰かに命令されるんじゃなく、自分の意志で」
少年は、少し考えてから言った。
「つまり……やりたくて働くのは、いいってこと?」
「そうよ」
「でも、やりたくないのに働かされるのは、ダメ?」
「そう。それは、辛いだけ」
リゼルは頷いた。
「なるほど……」
少年は納得したようだった。
「僕、分かった」
「本当?」
「うん。お姉ちゃんは、先生になりたいんだね」
「ええ、とっても」
リゼルは笑った。
「みんなに教えるのが、楽しみなの」
「じゃあ、頑張ってね」
「ありがとう」
少年が走り去った後、リゼルは思った。
「そうだ……私、働きたくて働いてる」
この違いが、大きい。
「これが、自由ってことなんだ」
*
一週間後、学校が完成した。
「できた!」
村人たちが拍手する。
「立派な教室だな」
「子供たち、喜ぶぞ」
リゼルも、嬉しそうだった。
「ありがとうございます、みなさん」
教室には、十個の机と椅子。
黒板と、本棚。
「素敵……」
リゼルは感動していた。
「ここで、子供たちに教えるんだ」
胸が高鳴る。
「頑張らないと」
*
開校の日。
十人の子供たちが集まった。
「おはようございます」
リゼルが挨拶する。
「おはようございます!」
子供たちが元気よく答える。
「今日から、ここで勉強しましょう」
最初の授業は、文字の読み書き。
「これは『あ』という字です」
黒板に大きく書く。
「みんなも、書いてみましょう」
「はーい」
子供たちが、ノートに書き始める。
リゼルは、一人一人を見て回る。
「上手ね」
「ありがとう」
「ここは、もう少し丸くね」
「こう?」
「そう、完璧よ」
褒めると、子供たちが嬉しそうにする。
午後は、算数の授業。
「りんごが三個あります」
「二個食べました」
「残りはいくつでしょう?」
子供たちが手を挙げる。
「はい、あなた」
「一個!」
「正解!」
授業が終わった後、子供たちが集まってきた。
「先生、楽しかった!」
「明日も来ていい?」
「もちろんよ」
リゼルは笑った。
「毎日、ここで勉強しましょう」
「やった!」
子供たちが歓声を上げる。
「先生、ありがとう!」
「どういたしまして」
*
子供たちが帰った後、リゼルは教室を片付けていた。
「楽しかった……」
心から、そう思えた。
「これが、私のやりたかったこと」
机を拭きながら、微笑む。
「人を育てること」
*
トムが、様子を見に来た。
「どうだった? 初日は」
「とても楽しかったです」
リゼルは嬉しそうに答えた。
「子供たち、みんな真剣に勉強してくれました」
「そうか。なら、よかった」
トムは笑った。
「お前、いい先生になるよ」
*
「でも……」
リゼルは少し不安そうに言った。
「私、教えるの初めてで……ちゃんとできてるか……」
「大丈夫だ」
トムは断言した。
「子供たちの顔を見れば分かる。楽しそうだっただろ?」
「はい……」
「なら、それが答えだ」
*
リゼルは安心した。
「ありがとうございます」
「それに」
トムは続ける。
「お前、働くのが楽しそうだ」
「楽しいです」
リゼルは頷いた。
「こんなに楽しく働けるなんて、思いませんでした」
*
「それが、本来の仕事ってもんだ」
トムは言った。
「無理やりやらされるんじゃなく、やりたくてやる」
「はい……」
「それが一番、幸せなんだ」
トムは優しく笑った。
「お前、いい顔してるぞ」
*
その夜、リゼルは日記を書いた。
『今日、初めて先生として授業をしました』
『緊張しましたが、とても楽しかったです』
『子供たちが、真剣に学んでくれました』
ペンを走らせる。
『これが、私の新しい仕事です』
*
『聖女時代とは、全く違います』
『あの時は、義務で働いていました』
『でも今は、自分の意志で働いています』
リゼルは微笑んだ。
『この違いが、こんなに大きいなんて』
*
『やりたくて働くのは、楽しいです』
『疲れても、満足感があります』
『誰かに感謝されると、嬉しいです』
涙が浮かぶ。
『これが、本当の仕事なんですね』
*
窓の外、星が輝いている。
「神様、ありがとう」
呟く。
「私に、この仕事をくれて」
風が吹く。
「やりたいことを、やらせてくれて」
月が微笑むように輝いた。
*
翌朝、リゼルは元気に学校へ向かった。
「おはようございます!」
「先生、おはよう!」
子供たちが待っていた。
「今日は何を勉強するの?」
「楽しみ!」
期待に満ちた顔。
*
「今日は、お話を読みましょう」
リゼルが本を開く。
「昔々、ある所に……」
子供たちが、目を輝かせて聞いている。
「……そして、みんな幸せに暮らしました」
「わあ!」
拍手が起こる。
*
「先生、もっと読んで!」
「じゃあ、もう一つ」
リゼルは別の本を開いた。
「これは、花の物語よ」
「花?」
「ええ。小さな種が、大きな花になるお話」
子供たちが身を乗り出す。
*
授業が終わった後、一人の少女が言った。
「先生、私も先生みたいになりたい」
「え……?」
「だって、先生、楽しそうに働いてるもん」
少女は笑顔だった。
「私も、そんな風に働きたい」
*
リゼルは涙を堪えた。
「ありがとう……」
少女の頭を撫でる。
「あなたなら、きっとなれるわ」
「本当?」
「ええ。やりたいことを見つけて、それを仕事にすればいいの」
リゼルは微笑んだ。
「そうすれば、毎日が楽しくなるわ」
*
少女は目を輝かせた。
「分かった! 頑張る!」
「応援してるわ」
リゼルは優しく言った。
「いつでも、相談してね」
「うん!」
少女は嬉しそうに走り去った。
*
その姿を見送りながら、リゼルは思った。
「私が伝えられることがある」
働くことの喜び。
やりたいことをやる幸せ。
「それを、子供たちに教えたい」
新しい使命が、見えてきた。
*
夕方、トムと婆さんが学校を訪れた。
「リゼル、調子はどうだ?」
「とてもいいです」
リゼルは笑顔だった。
「子供たち、毎日楽しそうに学んでくれます」
「それは良かった」
婆さんも嬉しそうだった。
*
「お前、本当に変わったな」
トムが言った。
「最初に会った時は、疲れ切ってた」
「はい……あの時は……」
「でも今は、生き生きしてる」
トムは続ける。
「やりたいことをやってるからだな」
「はい……」
リゼルは頷いた。
*
「これが、本当の私です」
リゼルは微笑んだ。
「聖女じゃなく、一人の先生」
「ああ」
トムも微笑んだ。
「それが一番、お前らしい」
「ありがとうございます」
*
その夜、リゼルは丘に登った。
満天の星空。
「神様、見てますか」
呟く。
「私、今、すごく幸せです」
風が優しく吹く。
「やりたいことを、やれてるから」
*
「もう、働かなくていいんですか? って聞かれました」
リゼルは笑った。
「でも、私は働きたいんです」
「やりたくて、働いてるんです」
星が瞬く。
「これが、自由なんですね」
*
「ありがとう、神様」
リゼルは両手を広げた。
「私に、この自由をくれて」
風が強く吹く。
「これからも、頑張ります」
決意を新たに。
「子供たちのために」
*
村を見下ろす。
小さな灯りが、温かく輝いている。
「私の居場所」
リゼルは微笑んだ。
「ここで、一生働きたい」
そう思えることが、幸せだった。
「おやすみなさい、みんな」
リゼルは村へ戻っていった。
(第30話・終)




