第27話 野菜を育てる手
冬が近づき、村では冬野菜の植え付けが始まった。
「リゼル、手伝ってくれるか?」
トムが声をかける。
「はい、もちろんです」
リゼルは畑へ向かった。
*
「今日は、大根とキャベツを植える」
トムが説明する。
「種を、ここに蒔いて」
「はい」
リゼルは教わった通りに、種を蒔く。
「これで、いいですか?」
「ああ、完璧だ」
*
土を被せ、水をやる。
「これが……育つんですね」
リゼルは不思議そうに見つめた。
「ああ。三ヶ月もすれば、立派な野菜になる」
「三ヶ月……」
長い時間。
「でも、楽しみです」
*
作業を終えた後、リゼルは自分の手を見た。
「土だらけ……」
爪の間にも、土が入っている。
「でも……」
不思議と、嫌じゃなかった。
「この手で、野菜を育てるんだ」
*
聖女時代の手は、いつも綺麗だった。
白く、柔らかく。
でも、それは"祈るだけの手"だった。
「今の手は……」
土で汚れている。
でも――。
「生きてる手だ」
*
その日から、リゼルは毎日畑に通った。
「おはようございます」
「おお、リゼル。今日も来たか」
「はい。野菜の様子を見に」
畑を見回る。
「まだ、芽は出てないですね」
「当たり前だ。まだ二日しか経ってない」
トムが笑った。
*
それでも、リゼルは毎日通い続けた。
水をやり、雑草を抜き、土を耕す。
「早く芽が出ないかな」
呟きながら、世話をする。
「頑張って育ってね」
種に語りかける。
*
一週間後。
「あ……!」
リゼルは小さな芽を見つけた。
「芽が出てる……!」
嬉しくて、トムに報告に走る。
「トムさん! 芽が出ました!」
「おお、本当か」
トムも畑に来て確認する。
「ああ、出てるな。順調だ」
*
「嬉しい……」
リゼルは涙を流した。
「私が蒔いた種が……芽を出した……」
「当たり前だろう」
トムは笑った。
「お前が、ちゃんと世話したからだ」
「トムさん……」
「これから、もっと大きくなるぞ」
*
それから、リゼルは野菜の成長を見守り続けた。
毎日、少しずつ大きくなる芽。
「すごい……」
生命の神秘。
「こんなに小さかったのに」
日に日に、葉が増えていく。
「頑張ってるね」
*
ある日、婆さんが言った。
「リゼル、野菜作りが好きになったみたいだね」
「はい、とっても」
「なぜだい?」
「それは……」
リゼルは考えた。
*
「奇跡と違って、時間がかかるからです」
「時間が……?」
「はい。奇跡は一瞬です。でも、野菜は違う」
リゼルは続ける。
「毎日、少しずつ育つ。その過程が、嬉しいんです」
「なるほどね」
婆さんは微笑んだ。
*
「それに」
リゼルは手を見た。
「この手で、命を育ててるって実感できます」
「いい手になったね」
「え……?」
「働く人の手だ。誇っていい」
婆さんの言葉に、リゼルは涙を流した。
「ありがとうございます……」
*
二ヶ月後。
野菜は、随分大きくなっていた。
「立派に育ったな」
トムが満足そうに見ている。
「はい……!」
リゼルも嬉しそうだ。
「もうすぐ、収穫できますね」
「ああ。あと一ヶ月だ」
*
その一ヶ月が、待ち遠しかった。
「早く食べたいな」
リゼルは毎日、野菜に話しかける。
「もう少し頑張ってね」
愛情を込めて。
「美味しく育ってね」
*
そして、収穫の日。
「リゼル、掘ってみろ」
トムが促す。
「はい……!」
リゼルは土を掘り始めた。
すると――。
「わあ……!」
立派な大根が現れた。
*
「すごい……!」
リゼルは大根を抱きしめた。
「私が育てた……!」
涙が零れる。
「本当に……育った……!」
「よくやったな」
トムが褒めてくれた。
「これが、農業の喜びだ」
*
その夜、婆さんが大根を料理してくれた。
「さあ、食べな」
「いただきます……!」
リゼルは大根を口にした。
「美味しい……!」
涙が止まらない。
「こんなに美味しいなんて……!」
*
「自分で育てたからね」
婆さんが笑った。
「愛情がこもってるんだ」
「はい……」
リゼルは何度も頷いた。
「こんなに……幸せなことないです……」
「そうかい。なら、よかった」
*
食事の後、リゼルは自分の手を見つめた。
「この手……」
土で汚れ、少し荒れている。
「でも、好きだ」
聖女の手より、ずっと好き。
「命を育てる手」
*
窓の外、月が輝いている。
「神様、ありがとう」
呟く。
「私に、この手をくれて」
風が吹く。
「祈る手じゃなく、育てる手」
リゼルは微笑んだ。
「これが、私の手」
*
翌日、リゼルは村人たちに大根を配った。
「私が育てました。良かったら」
「おお、ありがとう」
「立派な大根だな」
村人たちが喜んでくれる。
「後で食べるよ」
「楽しみだ」
*
皆の笑顔を見て、リゼルは思った。
「奇跡じゃなくても……」
人を幸せにできる。
「自分の手で育てたものが、誰かを笑顔にする」
それが、嬉しかった。
「これが……私のやりたかったこと」
*
夕方、畑で、リゼルは次の種を蒔いていた。
「今度は、人参を育てよう」
丁寧に、種を土に埋める。
「また、頑張ってね」
優しく、土を被せる。
「きっと、美味しく育つよ」
*
トムが、その様子を見ていた。
「リゼル、本当に変わったな」
「え?」
「最初に会った時は、不安そうだった」
トムは続ける。
「でも今は、生き生きしてる」
「そうですか……?」
「ああ。野菜を育てる顔、すごくいいぞ」
*
リゼルは照れくさそうに笑った。
「ありがとうございます」
「これが、お前の天職かもな」
「天職……」
リゼルはその言葉を反芻する。
「聖女じゃなく……農民?」
「いや、どっちでもいい」
トムは言った。
「大事なのは、お前が幸せかどうかだ」
*
「幸せ……です」
リゼルは頷いた。
「今、すごく幸せです」
「なら、それでいい」
トムは満足そうに笑った。
「お前が笑ってれば、それでいいんだ」
「トムさん……」
リゼルは涙を堪えた。
「ありがとうございます」
*
その夜、リゼルは日記を書いた。
『今日、初めて収穫しました』
『私が育てた野菜』
『こんなに嬉しいことはありません』
ペンを走らせる。
『祈りで奇跡を起こすより、自分の手で育てる方が幸せです』
*
『時間はかかります』
『毎日、世話が必要です』
『でも、その過程が楽しいんです』
リゼルは微笑んだ。
『少しずつ成長していく姿を見るのが』
『命を育てているって実感できるから』
*
『聖女時代は、結果だけを求められました』
『すぐに奇跡を起こせ、と』
『過程なんて、誰も見てくれませんでした』
ペンを止める。
『でも今は違います』
*
『毎日の小さな変化を、みんなが見てくれます』
『「芽が出たね」「大きくなったね」って』
『一緒に喜んでくれます』
リゼルの目に涙が浮かぶ。
『これが、本当の豊かさなんですね』
*
窓の外、冬の星空が広がっている。
「神様、見てますか」
呟く。
「私、農民になりました」
風が冷たく吹く。
「でも、幸せです」
星が瞬く。
「奇跡より、野菜の方が私には合ってるみたいです」
*
リゼルは笑った。
「変ですか?」
答えはない。
「でも、いいんです」
ベッドに入る。
「これが、私の人生だから」
そう呟いて、リゼルは眠りについた。
(第27話・終)




