第23話 神に見捨てられた国
王都・王城。
謁見の間では、緊急会議が開かれていた。
王、王太子、重臣たち、そして枢機卿。
「状況は、依然として深刻だ」
王が重い声で言う。
「各地から、悲痛な報告が届いている」
*
「北の辺境では、魔物の出現が増加しています」
騎士団長が報告する。
「聖女様の結界が消えたため、防御が手薄になっています」
「魔物……」
「ええ。このままでは、村々が襲われます」
「くそ……」
王太子が拳で机を叩いた。
*
「南では、干ばつが続いています」
農務大臣が続ける。
「豊穣の祝福がないため、作物が育ちません」
「このままでは、来年は大飢饉になります」
「対策は?」
「灌漑設備の建設を進めていますが……時間が」
「間に合わないということか」
「はい……」
*
「東の港町では、疫病が発生しました」
医務大臣が報告する。
「治癒の奇跡がないため、感染が拡大しています」
「死者は?」
「既に、百人を超えています」
「百人……」
王は項垂れた。
「神は……我々を見捨てたのか……」
*
「陛下」
枢機卿が口を開いた。
「神は、我々を見捨ててはいません」
「では、なぜこのような事態に!」
「それは……我々が、神に頼りすぎたからです」
枢機卿は続ける。
「奇跡を当然だと思い、自分で考えることを忘れた」
「しかし……」
「今こそ、自分たちの力で立ち上がる時です」
*
「綺麗事だ」
王太子が冷たく言った。
「奇跡なしで、どうやって魔物と戦う? どうやって疫病を治す?」
「それは……」
「答えられないだろう」
王太子は立ち上がった。
「結局、聖女が必要なのだ」
*
「殿下」
枢機卿が呼び止める。
「聖女様は、もう戻りません」
「ならば、力ずくでも」
「それは……」
「国のためだ」
王太子は冷たく言い放った。
「一人の自由より、国全体の方が重要だ」
*
会議室が静まり返った。
やがて、王が言った。
「王太子の言う通りかもしれん……」
「陛下……」
「枢機卿、すまないが……聖女を連れ戻してくれ」
「しかし……」
「命令だ」
王の声は、絶対だった。
*
枢機卿は、深く頭を下げた。
「……承知いたしました」
心の中で、リゼルに謝る。
「すまない……リゼル……」
*
会議の後、枢機卿は一人で祈祷室にいた。
「神よ……」
跪き、祈る。
「私は……どうすればよいのでしょうか」
答えはない。
「リゼル様を守りたい。でも、国も守らなければならない」
涙が零れた。
「どちらを選べばよいのですか……」
*
その時、微かな光が漏れた。
『エルヴィン』
神の声。
「神……!」
『君は、苦しんでいるね』
「はい……」
『なら、答えを教えよう』
神の声が続く。
『どちらも守りなさい』
「え……?」
『リゼルも、国も。両方を守る道がある』
*
「両方を……守る……?」
『そう。リゼルを連れ戻すのではなく、国が自立することで』
神は言った。
『リゼルの自由と、国の未来。両方が叶う』
「でも……どうやって……」
『信じなさい。人の力を』
光が消えた。
*
枢機卿は、呆然としていた。
「人の力……」
やがて、決意が固まる。
「そうだ……私は、諦めていた……」
立ち上がる。
「もう一度……やってみよう……」
*
翌日、枢機卿は全神官を集めた。
「諸君」
「はい」
「これより、『人の力』作戦を開始する」
神官たちがざわめく。
「各地に神官を派遣し、人々を直接支援する」
「直接……」
「そうだ。魔物対策、農業支援、医療援助。全てを、人の手で行う」
*
「しかし、それは……」
「時間がかかることは分かっている」
枢機卿は頷いた。
「だが、やらなければならない」
「なぜ……ですか」
「聖女様を守るためだ」
枢機卿の目が輝く。
「我々が自立すれば、聖女様を連れ戻す必要がなくなる」
*
神官たちが、次々と頷き始めた。
「なるほど……」
「それなら、やる価値がある」
「俺も、協力する」
士気が上がる。
「よし」
枢機卿は微笑んだ。
「では、準備を始めよう」
*
その日から、聖堂は動き出した。
北へは、戦闘訓練を受けた神官を派遣。
「魔物対策を教えます」
南へは、農業知識のある神官を。
「灌漑設備の作り方を」
東へは、医療知識のある神官を。
「看護の方法を」
*
各地で、神官たちが活動を開始した。
北の辺境では――。
「魔物は、火を恐れます」
神官が村人に教える。
「松明を持って、集団で行動してください」
「なるほど……」
「それと、この薬草を焚くと、魔物が近づきません」
「本当か!」
村人たちが希望を持ち始める。
*
南の畑では――。
「この方法で、水を効率よく使えます」
神官が灌漑路の作り方を教える。
「少ない水でも、広い畑に行き渡ります」
「すごい……」
「一緒に作りましょう」
神官と農民が、共に働く。
*
東の港町では――。
「まず、隔離が重要です」
神官が疫病対策を教える。
「感染者と、健康な人を分けてください」
「分ける……」
「そして、手を洗うこと。これが一番大切です」
「手を……」
「はい。清潔が、病を防ぎます」
*
少しずつ、効果が現れ始めた。
北では、魔物の被害が減少。
「火を使ったら、魔物が逃げた!」
「薬草も効いてる!」
南では、畑に水が行き渡り始めた。
「作物が、育ってきた!」
「これなら、何とかなるかも!」
東では、感染が抑えられ始めた。
「新しい患者が減ってる!」
「手洗いの効果だ!」
*
王城では、その報告を聞いた王が驚いていた。
「本当か……奇跡なしで……」
「はい、陛下」
枢機卿が報告する。
「各地で、人々が自分たちの力で問題を解決し始めています」
「信じられん……」
王は呆然としていた。
「奇跡なしで、ここまで……」
「人の力は、思っていた以上に強いのです」
枢機卿は微笑んだ。
*
「では……」
王太子が口を開いた。
「聖女は、もう必要ないということか」
「いえ、殿下」
枢機卿は首を振った。
「聖女様は、今も必要です。ただし――」
「ただし?」
「道具としてではなく、心の支えとして」
枢機卿は続ける。
「人々が困難に立ち向かう時、聖女様の存在が希望になる」
*
「それは……」
王太子は複雑な顔をした。
「では、連れ戻す必要はないと?」
「はい」
枢機卿は毅然と答えた。
「聖女様には、自由に生きていただくべきです」
「しかし……」
「殿下、考えてください」
枢機卿は真剣な顔で言った。
「無理やり連れ戻した聖女様が、心から奇跡を起こせるでしょうか」
*
王太子は、言葉に詰まった。
「それは……」
「心がなければ、奇跡は起きません」
枢機卿は続ける。
「だから、聖女様を解放すべきなのです」
「……」
長い沈黙の後、王太子は項垂れた。
「分かった……君の言う通りかもしれん」
*
「では、陛下」
枢機卿は王に向き直った。
「聖女捜索の命令を、撤回していただけますか」
「うむ……」
王は深く頷いた。
「撤回しよう。聖女には、自由に生きてもらおう」
「ありがとうございます!」
枢機卿は深く頭を下げた。
*
会議の後、枢機卿は急いでミナの元へ向かった。
「ミナ!」
「枢機卿様?」
「良い知らせだ」
枢機卿は嬉しそうに言った。
「王が、聖女捜索の命令を撤回された」
「本当ですか!?」
「ああ。もう、リゼル様を追うことはない」
*
ミナは涙を流した。
「良かった……本当に……」
「ああ。彼女は、自由だ」
枢機卿も微笑んだ。
「これで、安心して暮らせる」
「はい……!」
ミナは手を合わせた。
「ありがとうございます、枢機卿様……」
「礼を言うのは、私の方だ」
枢機卿は言った。
「君が、私に真実を教えてくれた」
*
しかし、その報せは全ての者に届いたわけではなかった。
既に王都を出ていたガブリエルは、知る由もない。
「もうすぐだ……フェルナ村……」
彼は馬を走らせていた。
「聖女様を……必ず連れ戻す……」
狂気に駆られて。
*
一方、フェルナ村では。
リゼルは畑で働いていた。
「よいしょ……」
鍬を振るう。
汗が流れる。
「気持ちいい……」
労働の喜び。
「これが……普通の生活……」
*
その時、トムが駆け寄ってきた。
「リゼル! 大変だ!」
「どうしたんですか?」
「旅人が来た。お前を探してるらしい」
「え……」
リゼルの顔が青ざめる。
「また……追手……?」
「分からん。だが、怪しい男だ」
「どうしよう……」
*
「とりあえず、家に隠れてろ」
トムが言った。
「俺たちが、追い返す」
「でも……」
「いいから!」
トムに押されて、リゼルは家に戻った。
「また……逃げなきゃいけないの……?」
不安が襲ってくる。
*
村の入り口では、ガブリエルが立っていた。
「聖女様は、こちらにおられるはずだ」
黒いローブを着た、不気味な姿。
「知らん」
トムが冷たく答える。
「帰れ」
「嘘をつくな」
ガブリエルは一歩、踏み出した。
「私は知っている。リゼル様がここにいることを」
*
「だから何だ」
トムの背後に、村人たちが集まる。
「ここには、聖女なんていない」
「いるのは、俺たちの仲間だけだ」
「そうだ!」
村人たちが口々に叫ぶ。
「帰れ!」
「二度と来るな!」
*
ガブリエルは、冷たく笑った。
「愚か者どもめ……」
彼は懐から、何かを取り出した。
「では、力ずくで」
それは――魔法の杖。
「な、何だそれは……」
「これは、神官が使う浄化の杖」
ガブリエルは杖を構えた。
「だが、使い方次第では……武器にもなる」
*
杖から、光が放たれた。
地面が爆発する。
「うわあ!」
村人たちが吹き飛ばされる。
「トムさん!」
リゼルが家から飛び出した。
「リゼル! 来るな!」
トムが叫ぶ。
でも、遅かった。
*
「見つけた……」
ガブリエルの目が、リゼルを捉えた。
「聖女様……」
「やめて……!」
リゼルは叫んだ。
「村の人たちには、手を出さないで!」
「なら、素直に来てください」
「……」
リゼルは、村人たちを見た。
皆、傷ついている。
*
「分かった……」
リゼルは決意した。
「行きます……だから、もう村の人には……」
「リゼル! ダメだ!」
トムが止めようとする。
でも、リゼルは首を振った。
「いいんです……もう、誰も傷つけたくない……」
「リゼル……」
「ありがとう、トムさん。みんな」
リゼルは微笑んだ。
「短い間だったけど……楽しかった」
*
ガブリエルが、リゼルの腕を掴む。
「さあ、行きましょう」
「待て!」
トムが立ち上がろうとする。
でも、体が動かない。
「くそ……!」
悔しさに歯を食いしばる。
「リゼル……すまん……守れなくて……」
「いいんです」
リゼルは涙を流した。
「みんな、ありがとう……」
*
ガブリエルは、リゼルを連れて村を出た。
村人たちは、その背中を見送ることしかできなかった。
「リゼル……」
「くそ……くそ……!」
無力感が、村を覆った。
*
馬車の中で、リゼルは窓の外を見ていた。
「また……戻されるんだ……」
涙が零れる。
「せっかく……自由になれたのに……」
ガブリエルは、無言で手綱を握っている。
「神様……」
リゼルは祈った。
「どうか……助けて……」
*
しかし、その時――。
前方から、別の馬車が現れた。
「止まれ!」
騎士たちが、道を塞ぐ。
「何者だ!」
ガブリエルが叫ぶ。
「王の命により、この者を保護する」
騎士の一人が言った。
「聖女リゼル・アルティナを、解放せよ」
*
「何だと!?」
ガブリエルは信じられない顔をした。
「王の命令だと?」
「そうだ」
騎士が命令書を見せる。
「聖女捜索の命令は撤回された。彼女は、自由だ」
「そんな……」
ガブリエルは呆然とした。
「私は……何のために……」
*
リゼルは、馬車から降ろされた。
「あなたは、自由です」
騎士が優しく言った。
「王都に戻る必要はありません」
「本当に……?」
「はい。枢機卿様からの伝言です」
騎士は手紙を渡した。
*
リゼルは震える手で、手紙を開いた。
『リゼル様。あなたは、自由です。もう、誰もあなたを追いません。どうか、幸せに生きてください。枢機卿エルヴィン・グラント』
涙が溢れた。
「枢機卿様……」
「さあ、村に戻ってください」
騎士が微笑んだ。
「仲間が、待っています」
「はい……!」
*
リゼルは村へ駆け出した。
全力で。
「みんな……!」
村が見えてくる。
「待ってて……!」
涙を流しながら、走る。
「私……帰るから……!」
*
村では、トムたちが治療を受けていた。
「くそ……リゼルを助けられなかった……」
「トムさん!」
声が聞こえた。
「この声は……」
振り返ると――。
「リゼル!?」
リゼルが、そこに立っていた。
*
「ただいま!」
リゼルは叫んだ。
「リゼル……!」
トムが駆け寄る。
「どうして……連れて行かれたんじゃ……」
「王の命令で、解放されました!」
リゼルは涙を流した。
「もう、追われません! 私、自由です!」
「本当か……!」
*
村人たちが、リゼルを囲んだ。
「良かった……!」
「おかえり、リゼル!」
「心配したぞ!」
皆が口々に声をかける。
リゼルは、その温かさに包まれた。
「ありがとう……みんな……」
涙が止まらない。
「私……帰ってきました……」
*
その夜、村では祝宴が開かれた。
「リゼルの帰還を祝って!」
「乾杯!」
人々が笑い合う。
リゼルも、その輪の中で笑っていた。
「幸せ……」
心から思えた。
「本当に……幸せ……」
*
祝宴の後、リゼルは丘に登った。
星空が綺麗だ。
「神様、ありがとう」
呟く。
「私……自由になれました」
風が優しく吹く。
「これから……どう生きようかな」
リゼルは微笑んだ。
「ゆっくり……考えよう」
未来が、輝いて見えた。
(第23話・終)




