第22話 "聖女の呪い"という言葉
王都では、新たな噂が広がっていた。
「聖女の呪いだ」
「奇跡が止まったのは、聖女が国を呪ったからだ」
街角で、人々がひそひそと話している。
「裏切り者の聖女が、神に祈って国を滅ぼそうとしている」
「だから、雨が降り続くんだ」
「病気も治らない」
*
その噂は、瞬く間に広がった。
市場でも。
「聖女の呪いのせいで、作物が育たない」
「あの女は、国を恨んでいるんだ」
「早く捕まえて、処刑すべきだ」
憎悪が渦巻いている。
*
聖堂では、枢機卿がその報告を受けていた。
「聖女の呪い……だと?」
「はい。民衆の間で、そういう噂が」
神官が報告する。
「このままでは、リゼル様が……」
「魔女扱いされる……」
枢機卿は頭を抱えた。
「どうすれば……」
*
「枢機卿様」
ミナが入ってくる。
「何だ、ミナ」
「この噂、止めなければなりません」
「分かっている。だが、どうやって?」
「真実を伝えるんです」
ミナは真剣な顔で言った。
「リゼル様は、呪いなどかけていない。ただ、疲れて逃げただけだと」
「しかし……」
「民衆は、真実を知る権利があります」
*
枢機卿は、しばらく考えた後――。
「分かった。やってみよう」
「本当ですか!」
「ああ。明日、広場で演説をする」
枢機卿は立ち上がった。
「真実を、伝える」
*
翌日、王都の中央広場。
大勢の民衆が集まっていた。
「枢機卿様が、何か発表するらしい」
「聖女のことか?」
「多分な」
ざわめきが広がる。
*
枢機卿が、演台に立った。
「皆様、お集まりいただき感謝します」
重々しい声。
「本日は、聖女リゼル・アルティナについて、真実をお伝えします」
会場が静まり返る。
「巷では、聖女の呪いという噂が広がっていますが……」
枢機卿は深く息を吸った。
「それは、事実ではありません」
*
どよめきが起こる。
「何だと!」
「じゃあ、奇跡が止まったのは!」
「聞いてください!」
枢機卿は声を張り上げた。
「聖女様は、呪いなどかけていません!」
「では、なぜ!」
「それは……」
枢機卿は言葉に詰まった。
「聖女様が、疲れ果てたからです」
�*
「疲れた……?」
「聖女様が?」
人々は信じられない顔をしている。
「そうです」
枢機卿は続ける。
「聖女様は、五年間休むことなく働き続けました」
「それは……」
「朝から晩まで、奇跡を起こし続けた」
枢機卿の声が震える。
「その結果、心も体も限界に達したのです」
*
「しかし……」
一人の男が叫んだ。
「聖女は神に選ばれた特別な存在だろ! 疲れるなんてことが!」
「いいえ」
枢機卿は首を振った。
「聖女様も、人間です」
「人間……」
「そうです。感情も、疲労も、全てを持つ、一人の人間です」
*
会場が静まり返った。
やがて、一人の老人が言った。
「そう言われてみれば……聖女様、最近痩せておられたな」
「ああ……」
「顔色も悪かった」
「倒れたって話も……」
人々が思い出し始める。
「もしかして……本当に限界だったのか?」
*
「そうです」
枢機卿は頷いた。
「だから、聖女様は逃げられたのです」
「逃げた……」
「ええ。自分を守るために」
枢機卿は深く頭を下げた。
「それを止められなかった私に、責任があります」
*
「枢機卿様……」
人々は、呆然としていた。
「では……聖女様を責めてはいけないのか……」
「いけません」
枢機卿は顔を上げた。
「むしろ、私たちが反省すべきです」
「反省……」
「そうです。奇跡を当然だと思い、聖女様に頼りすぎた」
*
「しかし……」
別の男が言った。
「このままでは、国が滅びる」
「分かっています」
「では、どうするんだ!」
「私たちの力で、国を支えます」
枢機卿は力強く言った。
「奇跡に頼らず、人の力で」
*
会場がざわめく。
「そんなことが……」
「できるのか……」
「できます」
枢機卿は続ける。
「昔の人は、奇跡なしで生きていました」
「それは……」
「私たちも、できるはずです」
*
しかし、多くの人は納得していなかった。
「綺麗事だ」
「奇跡なしで、どうやって……」
「無理だ」
絶望が広がる。
その時――。
「できます!」
若い神官が前に出た。
*
「私たちは、既に動き始めています」
神官は説明する。
「水を沸かして飲む方法、堆肥を使った農業、病人の看護」
「それが……」
「奇跡ではありませんが、効果はあります」
神官は力強く言った。
「事実、病人は減り始めています」
*
「本当か……」
「ああ。俺も、水を沸かして飲んでる」
一人の男が言った。
「確かに、腹を壊さなくなった」
「俺も、堆肥を試してる」
別の男も頷く。
「作物が、少しずつ育ってきた」
「なら……」
希望が、少しずつ生まれ始める。
*
「皆さん」
枢機卿が呼びかける。
「奇跡は便利でした。でも、それに頼りすぎていた」
「……」
「これからは、私たちの力で生きていきましょう」
枢機卿の目が輝く。
「それが、本当の強さです」
*
会場から、拍手が起こった。
まだ小さいが、確かな拍手。
「頑張ってみるか……」
「ああ……」
人々の心が、少しずつ変わり始めている。
枢機卿は、安堵の息を吐いた。
「何とか……」
*
しかし、全員が納得したわけではなかった。
群衆の中、一人の男が呟いた。
「綺麗事だ……」
ガブリエルだった。
「奇跡なしで、生きていけるものか……」
彼は人混みに紛れて、その場を去った。
「私が……聖女様を連れ戻す……」
決意を新たに。
*
一方、フェルナ村では。
リゼルは平和な日々を送っていた。
まだ、王都での出来事を知らない。
「今日も、いい天気」
洗濯物を干しながら、微笑む。
「幸せだな……」
でも、その平和は――。
長くは続かなかった。
(第22話・終)




