第18話 雨の止まない村
フェルナ村に帰って三日目。
リゼルは朝、雨の音で目を覚ました。
「また……雨……」
窓の外を見る。
灰色の空から、容赦なく雨が降っている。
「もう、五日も降り続いてる……」
*
エルナ婆さんの家で世話になっているリゼル。
居間に降りると、婆さんが朝食を用意していた。
「おはよう、リゼル」
「おはようございます」
「雨、止まないねぇ」
婆さんは窓の外を見た。
「こんなに降り続くの、珍しいよ」
「そうなんですか……」
「ああ。畑が心配だ」
*
朝食を食べながら、リゼルは尋ねた。
「村は……大丈夫ですか?」
「んー、まあ何とかね」
婆さんは曖昧に答えた。
「でも、川が増水してる。このままじゃ、氾濫するかもしれない」
「それは……」
「昔なら、聖女様に治水の祝福をお願いしてたんだけどね」
婆さんは苦笑した。
「今はそれもできないし」
*
リゼルの胸が痛んだ。
「ごめんなさい……私が……」
「何言ってんだい」
婆さんは首を振った。
「お前のせいじゃないよ」
「でも……」
「いいかい、リゼル」
婆さんは真剣な顔で言った。
「奇跡がなくなったのは、確かに不便だ。でも、それで誰かを責めちゃいけない」
「婆さん……」
「人は、自分の力で生きていくもんだ」
*
その日の午後、村の集会所で会議が開かれた。
村長を中心に、村人たちが集まっている。
リゼルも、隅で聞いていた。
「川の水位が、あと二メートル上がったら危険だ」
村長が言う。
「土嚢を積んで、堤防を補強しよう」
「でも、人手が足りないぞ」
「なら、総出でやるしかない」
*
「待って」
一人の男が立ち上がった。
トムだった。
「土嚢だけじゃ足りない。水路を掘って、水を別の場所に流すべきだ」
「水路……?」
「ああ。昔、爺さんがやってた方法だ」
トムは説明し始める。
「川から少し離れた場所に溝を掘って、水を分散させる」
「なるほど……」
「時間はかかるが、効果はあるはずだ」
*
「よし、じゃあそれでいこう」
村長が決断した。
「男は水路掘り、女は土嚢作り、子供は物資運び」
「総力戦だな」
「ああ。村を守るんだ」
人々に活気が戻る。
奇跡がなくても、やれることはある。
*
リゼルは、その様子を見て感動していた。
「みんな……」
涙が浮かぶ。
「奇跡なしで……頑張ってる……」
婆さんが隣に来た。
「すごいだろう?」
「はい……」
「人ってのはね、追い詰められると強くなるもんさ」
婆さんは笑った。
「奇跡があった時は、それに頼りきりだった。でも、なくなったら自分で考え始めた」
「……」
「これが、本来の人間の姿なのかもしれないね」
*
翌日、村人たちは作業を開始した。
男たちは、川沿いで水路を掘り始める。
「よいしょ!」
「頑張れ!」
泥だらけになりながら、必死に掘る。
女たちは、土嚢を作る。
「もっと砂を詰めて」
「しっかり結んで!」
子供たちは、物資を運ぶ。
「重い……でも、頑張る!」
村全体が、一つになっていた。
*
リゼルは、土嚢作りを手伝っていた。
「リゼル、無理すんなよ」
トムが声をかける。
「大丈夫です。私も、役に立ちたい」
「ありがとな」
トムは笑った。
「でも、お前は聖女だったんだから、もっと楽な仕事を」
「いえ」
リゼルは首を振った。
「私も、村の一員です。みんなと同じように働きます」
*
その言葉に、周りの人々が微笑んだ。
「リゼル、変わったな」
「ええ……」
リゼルも笑った。
「私、やっと普通の人間になれた気がします」
「普通の人間……ね」
トムは空を見上げた。
「それが一番、幸せなのかもな」
*
三日間、作業は続いた。
雨の中、泥まみれになりながら。
でも、誰も文句を言わない。
「もう少しだ!」
「頑張れ!」
励まし合いながら、働く。
リゼルも、必死に土嚢を作り続けた。
「手が……痛い……」
でも、止まらない。
「みんなのために……」
*
四日目の朝。
水路が完成した。
「やった! 水が流れてる!」
「川の水位が下がってきたぞ!」
歓声が上がる。
村人たちは抱き合って、喜んだ。
「やった……やったぞ!」
「俺たちの力で!」
リゼルも、涙を流していた。
「すごい……奇跡なしで……」
*
その夜、村では祝宴が開かれた。
「村を守ったぞ!」
「乾杯!」
人々が笑い合う。
リゼルは、その輪の中にいた。
「リゼル、よく頑張ったな」
「いえ、私は……」
「謙遜すんな」
トムが笑った。
「お前も、村の一員だ」
「トムさん……」
「これからも、よろしくな」
「はい!」
*
祝宴の後、リゼルは一人で丘に登った。
雨はまだ降っているが、弱まっている。
「奇跡がなくても……」
呟く。
「人は、やれるんだ」
村を見下ろす。
小さな灯りが、温かく輝いている。
「みんな……ありがとう」
*
その時、雨が止んだ。
雲の切れ間から、月が顔を出す。
「雨……止んだ……」
リゼルは空を見上げた。
「神様……見てましたか?」
風が吹く。
「人は……強いんです」
リゼルは微笑んだ。
「だから、もう大丈夫」
*
翌朝、村は晴れていた。
久しぶりの青空。
「気持ちいい!」
子供たちが外で遊んでいる。
大人たちは、畑の手入れを始める。
「作物、無事だったぞ!」
「よかった!」
喜びの声が響く。
*
リゼルは、婆さんと一緒に洗濯物を干していた。
「いい天気だね」
「ええ、本当に」
「リゼル」
「はい?」
「お前、幸せそうだね」
婆さんが微笑んだ。
「はい……幸せです」
リゼルは頷いた。
「ここに帰ってきて、本当によかった」
*
しかし、その平和は長くは続かなかった。
午後、村に一人の旅人が訪れた。
「すみません、聖女様はこちらに?」
村人たちの顔が強張る。
「聖女……?」
「はい。リゼル・アルティナ様を探しています」
旅人は王都の紋章をつけていた。
「王都の使者だ……」
ざわめきが広がる。
*
リゼルは、家の中からその様子を見ていた。
「見つかった……」
顔が青ざめる。
「どうしよう……」
婆さんが手を握った。
「大丈夫。村のみんなが守ってくれる」
「でも……」
「信じなさい」
*
外では、村長が使者と話していた。
「聖女様はおられません」
「しかし、情報では……」
「知りません」
村長は毅然と答えた。
「お引き取りください」
「ですが……」
「帰れ」
トムも前に出た。
「ここには、聖女なんていない。いるのは、俺たちの仲間だけだ」
*
使者は、諦めたように頷いた。
「分かりました……では、失礼します」
使者が去っていく。
村人たちは、安堵の息を吐いた。
「よし……」
「何とか……」
リゼルは涙を流していた。
「みんな……ありがとう……」
*
その夜、リゼルは婆さんに言った。
「私……迷惑かけてますね」
「何を言ってんだい」
「だって、王都の人が来て……」
「気にすんな」
婆さんは笑った。
「お前は、村の家族だ。家族を守るのは当然だろう」
「婆さん……」
「さあ、寝な。明日も、いい天気だよ」
*
リゼルはベッドに横になった。
「みんな……優しい……」
涙が零れる。
「私……守られてる……」
でも、不安もあった。
「このままで……いいのかな……」
窓の外、月が輝いている。
「神様……」
呟く。
「私……どうすればいいですか……」
答えは返ってこなかった。
(第18話・終)




