第16話 王都を離れて
翌朝、リゼルは早くに宿を出た。
「今日で……着く」
故郷まで、あと数時間。
「もう少し……」
軽い足取りで、街道を歩く。
心は、不思議と軽かった。
*
昼過ぎ、小さな町を通りかかった。
「ここは……」
見覚えがある。
「五年前、王都に行く時に通った町だ」
懐かしさが込み上げる。
「あの時は……希望に満ちてたな」
リゼルは苦笑した。
「聖女になれるって、嬉しかった」
*
町の広場で、子供たちが遊んでいる。
「鬼ごっこだ!」
「待てー!」
笑い声が響く。
リゼルは立ち止まって、その様子を見た。
「いいな……」
自分も、昔はあんな風に遊んでいた。
何の心配もなく、ただ笑っていた。
「戻りたいな……あの頃に」
*
その時、ボールがリゼルの足元に転がってきた。
「あ、すみません!」
少女が駆け寄ってくる。
「いいのよ」
リゼルはボールを拾って渡した。
「ありがとうございます!」
少女は笑顔で礼を言う。
「お姉さん、旅の人?」
「ええ、そうよ」
「どこへ行くの?」
「故郷に、帰るところ」
*
「故郷かぁ。いいなぁ」
少女は羨ましそうに言った。
「私、ずっとこの町だから」
「でも、ここもいい町じゃない」
「うん! みんな優しいし、楽しいよ!」
少女は無邪気に笑った。
「お姉さんの故郷も、いいところ?」
「ええ、とっても」
リゼルは微笑んだ。
「優しい人たちがいる、温かい村よ」
「いいなぁ。私も行ってみたい!」
*
「ねえ、お姉さん」
少女が首を傾げた。
「なんか、疲れてる?」
「え……」
「目が、悲しそう」
少女の純粋な言葉に、リゼルは動揺した。
「そう……見える?」
「うん。大丈夫?」
「ありがとう。でも、もう大丈夫」
リゼルは少女の頭を撫でた。
「優しいのね」
「えへへ」
*
その時、母親らしき女性が呼んだ。
「アリス! ご飯よー!」
「はーい!」
少女は振り返った。
「お姉さん、バイバイ! 気をつけてね!」
「ありがとう。あなたも元気でね」
少女は笑顔で手を振りながら、走っていった。
リゼルは、その姿を見送る。
「いい子……」
*
町を出て、再び街道を歩く。
「子供は……純粋ね」
さっきの少女の言葉が心に残る。
「目が悲しそう……か」
自分では気づいていなかった。
「でも、確かに……」
五年間、ずっと悲しかったのかもしれない。
「楽しいことなんて……なかった」
*
ふと、立ち止まる。
「待って」
リゼルは自分に問いかけた。
「本当に、なかった?」
記憶を辿る。
「ミナとお茶を飲んだこと」
「子供を治癒して、笑顔を見たこと」
「村人に感謝されたこと」
少しずつ、温かい記憶が蘇る。
「あった……楽しいことも」
*
「じゃあ……」
リゼルは歩き出した。
「全部が悪かったわけじゃない」
「ただ、バランスが悪かっただけ」
そう思えた。
「働くことは、悪いことじゃない」
「でも、休まないのは悪いこと」
そのバランスを、取り戻せばいい。
「そう……私は、ただ休みたかっただけ」
*
夕方、丘の上に立った。
そこから、遠くに村が見える。
「あれは……」
心臓が高鳴る。
「私の村……」
五年ぶりの、故郷。
「帰って……きた……」
涙が溢れた。
「やっと……」
*
リゼルは丘を駆け下りた。
村への道を、走る。
「ただいま……!」
大声で叫ぶ。
「ただいま……!」
誰にも聞こえないけど。
それでも、叫びたかった。
「私……帰ってきたよ……!」
*
村の入り口に着く。
木製の看板が、懐かしい。
『フェルナ村』
「ここ……」
リゼルは看板に触れた。
「変わってない……」
涙が止まらない。
「何も……変わってない……」
それが、嬉しかった。
*
村に入ると、畑で作業をしている人たちが見える。
「あの人は……トムさん?」
幼い頃、よく遊んでもらった農夫。
「変わってない……」
リゼルは笑った。
「みんな……元気そう」
その時、一人の老婆が気づいた。
「あんた……もしかして……」
*
「エルナおばあちゃん!」
リゼルは駆け寄った。
「リゼル……! リゼルなのかい!」
「はい! ただいま!」
二人は抱き合った。
「よく帰ってきたね……よく……」
老婆は泣いていた。
「おばあちゃん……」
「聞いたよ。聖女を辞めたって」
「はい……ごめんなさい」
「謝ることないよ」
老婆は優しく笑った。
「よく頑張ったね」
*
その言葉に、リゼルは号泣した。
「おばあちゃん……!」
「いいんだよ、いいんだよ」
老婆はリゼルの背中を撫でた。
「もう、大丈夫だからね」
「うん……うん……」
リゼルは子供のように泣いた。
「帰ってきた……私、帰ってきたよ……」
「ああ、帰ってきたね」
*
その様子を見て、村人たちが集まってきた。
「リゼルだ!」
「本当に帰ってきた!」
「おかえり!」
「よく帰ってきたな!」
口々に声をかけてくれる。
リゼルは涙を拭いて、皆に頭を下げた。
「ただいま……みんな……」
温かい拍手が響いた。
*
その夜、村では急遽、歓迎会が開かれた。
「リゼルの帰還を祝って!」
「乾杯!」
村の広場に、人々が集まる。
焚き火を囲んで、食事をし、笑い合う。
「リゼル、元気そうだな」
「でも、痩せたな」
「ちゃんと食べてたか?」
皆が心配してくれる。
*
「ありがとう……みんな」
リゼルは涙を堪えた。
「私……迷惑かけてごめんなさい」
「何言ってんだ」
トムが笑った。
「お前は村の誇りだ。聖女になったんだから」
「でも……辞めちゃった」
「それでいい」
エルナ婆さんが言った。
「無理して続けるより、ずっといい」
「おばあちゃん……」
「さあ、食べな。今日はゆっくり休みな」
*
リゼルは、温かい食事を口にした。
「美味しい……」
涙が零れる。
「本当に……美味しい……」
こんな幸せな食事は、五年ぶりだった。
「おかわり、あるぞ」
「はい……!」
リゼルは笑顔で答えた。
その笑顔は、本物だった。
*
夜が更けて、人々が帰っていく。
リゼルは一人、焚き火の前に座っていた。
「帰ってきたんだ……」
呟く。
「本当に……」
空を見上げる。
星が綺麗だ。
「神様、見てますか」
*
「私、帰ってきました」
風が吹く。
「これから……どうしよう」
まだ、分からない。
「でも……」
リゼルは微笑んだ。
「ゆっくり考えます」
焚き火が、パチパチと音を立てる。
「今は……休みたい」
それだけを、願った。
(第16話・終)




