第14話 神官長ミナの涙
深夜の執務室。
ミナは一人、窓の外を見ていた。
「リゼル様……」
呟く。
星空が綺麗だ。
「今頃、どこで何を……」
涙が零れた。
「会いたい……」
*
ミナとリゼルの出会いは、三年前。
ミナが聖堂に配属されたばかりの頃だった。
「今日から、聖女様の補佐をしていただきます」
枢機卿に言われ、緊張しながら執務室に入った。
そこには――。
「初めまして。リゼル・アルティナです」
優しく微笑む、美しい女性がいた。
*
「よろしくお願いします!」
ミナは深く頭を下げた。
「こちらこそ。ミナさん、ですね」
「はい!」
「じゃあ、ミナって呼んでいい?」
「え……聖女様が、私を……?」
「うん。私のこともリゼルって呼んで」
リゼルは笑った。
「友達みたいに、気楽にいきましょう」
その言葉に、ミナは救われた。
*
最初の数ヶ月は、楽しかった。
リゼルは優しく、いつも笑っていた。
仕事も丁寧に教えてくれた。
「ミナは真面目ね」
「そ、そうですか?」
「うん。でも、もっと肩の力を抜いていいのよ」
リゼルは優しく言った。
「完璧じゃなくても、大丈夫」
「でも……」
「ミナ」
リゼルはミナの肩に手を置いた。
「無理しないでね」
その温かさが、ミナの心に沁みた。
*
しかし、一年が経つ頃。
リゼルの様子が変わり始めた。
笑顔が減り、疲れた顔が増えた。
「リゼル様、大丈夫ですか?」
「ええ、平気よ」
でも、平気じゃないことは明らかだった。
書類は増え続け、予定は詰め込まれ。
休む時間は、どんどんなくなっていった。
*
「枢機卿様、リゼル様の予定を減らしていただけませんか」
ミナは何度も頼んだ。
「無理だ。国が聖女様を必要としている」
「ですが……」
「それに、聖女様は特別な存在だ。疲れなど感じないはずだ」
枢機卿の冷たい言葉。
ミナは、何も言えなかった。
*
二年目。
リゼルは明らかに限界だった。
夜中まで働き、朝早く起きる。
食事もまともに取れない。
「リゼル様、少し休んでください」
「ごめんね、ミナ。でも、まだ仕事が……」
「仕事なんて!」
ミナは叫びそうになって――。
でも、言葉を飲み込んだ。
「……はい」
何もできない自分が、悔しかった。
*
そして、あの日。
リゼルが倒れた日。
「リゼル様!」
ミナは駆け寄った。
床に倒れているリゼル。
顔は真っ青で、呼吸も浅い。
「誰か! 医者を!」
叫びながら、ミナは思った。
「私が……守れなかった……」
涙が止まらなかった。
*
リゼルが逃げた日の朝。
裏口で二人は会った。
「行くのね」
「ごめん、ミナ」
「謝らないで」
ミナは微笑んだ。
「あなたは、悪くない」
「でも……」
「いいの。行って。そして、幸せになって」
ミナは涙を流した。
「それが、私の願い」
リゼルは、ミナを抱きしめた。
「ありがとう、ミナ。あなたは、最高の友達よ」
「リゼル様……」
「またね」
「はい……また……」
二人は、そうして別れた。
*
現在。
ミナは窓辺で、その記憶を反芻していた。
「会いたい……」
涙が止まらない。
「でも……会えない……」
なぜなら、リゼルを守るため。
「私が会いに行ったら……追手が気づく……」
だから、我慢するしかない。
*
その時、扉がノックされた。
「入って」
若い神官が入ってくる。
「ミナ様、報告があります」
「何?」
「今日の街での活動ですが、とても好評でした」
「そう……良かった」
ミナは微笑んだ。
「明日も、続けてください」
「はい!」
神官が去った後、ミナは呟いた。
「リゼル様……見てますか」
*
「あなたが望んだこと……叶え始めてます」
窓の外を見る。
「奇跡に頼らず、人の力で」
星が瞬く。
「私たちは……変わり始めてます」
涙を拭う。
「だから……安心して」
風が吹く。
まるで、答えるように。
「ありがとう、リゼル様」
*
翌朝、ミナは早くに目を覚ました。
今日も、やることがたくさんある。
「頑張らないと」
自分に言い聞かせる。
「リゼル様の分まで」
執務室に向かう途中、食堂を通りかかった。
そこでは、神官たちが朝食を取りながら話している。
「今日は、東の地区に行こう」
「ああ。あそこ、病人が多いらしい」
「看護の準備をしないと」
皆、やる気に満ちている。
*
ミナは微笑んだ。
「みんな……ありがとう」
呟く。
「リゼル様の意志を……継いでくれて」
涙が浮かぶ。
でも、今度は悲しみの涙じゃない。
「嬉しい……」
希望の涙。
「私たち……変われるかもしれない」
*
執務室に着くと、机の上に手紙があった。
差出人は……リゼル。
「え……!」
ミナは慌てて手紙を開いた。
『ミナへ。元気にしてる? 私は、故郷に向かっているところ。心配しないで。私は、大丈夫』
リゼルの文字。
ミナの目に涙が溢れる。
『ミナ、あなたは最高の友達。ずっと支えてくれて、ありがとう。いつか、また会いましょう』
最後に、こう書かれていた。
『聖堂を、よろしくね』
*
ミナは、手紙を胸に抱きしめた。
「リゼル様……」
涙が止まらない。
「はい……任せてください……」
呟く。
「必ず……あなたの望んだ世界を作ります……」
窓の外、朝日が昇っている。
新しい一日の始まり。
「行きましょう」
ミナは立ち上がった。
涙を拭い、前を向く。
「リゼル様のいない世界でも……」
扉を開ける。
「私たちは、生きていけるから」
そして、ミナは歩き出した。
未来へ向かって。
(第14話・終)




