第2話 大賢者はゼロ歳の赤ん坊に恋をする ~少年は魔法世界エストガルドの夢を見る~
ここではないどこか……魔法世界。
夢を見ていた。
魔法世界エストガルドでただ一人の大賢者エマーリンの夢を。
* * *
「エマーリン様、本当に赤ん坊を異世界へ逃がすのですか?」
薄暗い森の中をひたすら奥へ奥へと進んでいく途中、弟子のレイクは何度もした質問をもう一度師匠に投げかけた。
もう一人の弟子パーメラの腕の中には一歳にも満たない赤ん坊が眠っていた。
ふさふさの白いヒゲをなでながら大賢者エマーリンは、年若き弟子のレイクとパーメラに言い聞かせた。
「そうする他あるまい。赤ん坊は魔法世界エストガルドの人間ではない。世界の外側から訪れたストレンジチャイルドなのだから」
「世界の外にまた世界があるんなんて、とても信じがたいです」
パーメラが言った。
「わしも観測したわけではない。だが理論上あり得ると考えている。世界の壁を越えてやってきた赤ん坊がこうして生きている事実が何よりの証拠であろう」
遠くで爆発音が聞こえた。
「奴らトラップにひっかかったようですね」
エマーリンたちは夜の森に目を凝らす。
「『赤ん坊を手に入れた者が世界を支配する』などと奴らは本気で信じているのだ、愚かしい」
奴らというのは、神を信奉しながら強大な権力を持ち、世界を操ろうとするハズラム教団の信徒たち。
「このままでは赤ん坊は確実に血みどろの権力闘争の渦中に飲み込まれるだろう」
進行速度を緩めることなく、エマーリンたちは目的地へと急いだ。
「西の大魔女ニニアンナに言われたのだよ」
ニニアンナは未来予知能力を持つ稀代の大魔女だ。
「赤ん坊が生き延びるたったひとつの方法は、魔法のない世界へ逃がすことだと」
「だから、エマーリン様はこの子を異世界に送り出すのですね」
夜の空を光の魔法が照らし出す。
「追っ手が近いですね」
「急ごう」
唐突に森が終わり、廃墟の中に出た。
「この古代遺跡はかつてエストガルド中を網羅した転移魔法陣の中心的な役割を果たしていた場所だ。ここなら異世界への転送魔法を起動するに申し分ない。なんとしても赤ん坊を、奴らの手の届かぬ世界へ送り出す。大賢者エマーリンの名に賭けて」
「エマーリン様、赤ん坊よりご自身の命を優先していただけませんか」
「わかっておる、パーメラ。だが、わしはこの子の成長した姿を見てみたい。この争いに満ちた世界で生を終わらせたくないのだ」
古代遺跡の石畳の上に、複雑な魔法陣を描いていく大賢者エマーリン。
異世界への転送魔法。魔法世界エストガルドでこの魔法を使えるのはおそらく大賢者と呼ばれる彼ひとりだけだろう。
「レイク&パーメラ、赤ん坊を頼む」
「エマーリン様」
「これからおまえたちが行く世界には魔法が存在しない。故に苦労をかけてしまうことを申し訳なく思う」
「もったいないお言葉です。赤ん坊のことはお任せください。エマーリン様」
完成した魔法陣に触れ詠唱する。
「『神秘と叡智の境界に身を委ね、異界の風を我が身に宿し、未知の次元へと続く扉を開け。アストラル・ゲート』」
触れた指の先から大量の魔力が流れていく。
ズバッと空間が切り裂かれ異世界へのゲートが開かれた。
次の瞬間、エマーリンの体に魔法の矢が突き刺さる。
ゆらりとゲートが揺れた。
「エマーリン様!」
「かまわずに行け! 長くは持たぬ!」
「行くぞ、パーメラ!」
「でも、エマーリン様が」
「師匠の願いを叶えるのも、弟子の務めだ!」
レイクがパーメラと赤ん坊を連れてゲートに飛び込んだ。
ダダダダッ!
魔法の矢が次々とエマーリンの身を貫いた。
それでも大賢者エマーリンは魔法陣に魔力を注ぎ続けた。
やがて魔法陣の光は消え、エマーリンの命の灯も消えた。
「大賢者エマーリンを討ち取ったぞ!」
ハズラム教団の魔術師たちが歓声を上げた。
この日、魔法世界エストガルドでただ一人の大賢者は命を落とし、世界の外側から訪れた赤ん坊は大賢者の弟子と共に異世界に消えた。
ハズラム教団の魔術師たちはチリ一つ残さずにエマーリンの亡骸を焼き払った。
* * *
魔術師たちが去った後、水色の長髪に白いローブを纏った長身の青年が、石畳の上の黒く焼け焦げた跡を見つめていた。
「あーら、エマーリン、死んでしまうとは情けないわねえ」
青年が手を差し出すと、手のひらの上にふよふよと青白い炎が漂ってきた。
エマーリンの魂だ。
「死してなお赤ん坊が心配なのねえ」
青年はエマーリンの魂に語りかけた。
「ふーん、赤ん坊の名前はフィス・アメノというのねえ」
どうやらエマーリンの魂から情報を引き出しているようだ。
「そう、あーたは世界の外から訪れた赤ん坊に恋をしてしまったのねえ」
青白い炎がゆれてピンク色に染まった。
「何も恥ずべきこてとではないわよん。恋に年齢は関係ないのだわん」
青年は虚空を見つめ思いをはせた。
「あたくしの知っている大賢者は総じて幼女趣味だったわよん。数千年以上生きているあたくしも若い女の子は大好きよん。最近ではJKというのよねえ」
手のひらの上の魂に顔を近づけて青年は告げた。
「わかったわん。あーたをあの赤ん坊の近くに転生させてあげちゃう。一番近くでじっくりと観測するといいわよん」
青白い炎がゆらゆらと大きく揺れて喜びを表した。
「ただし、大賢者としての記憶は封印させてもらうわよん。封印を解く方法は……おっふ、これ以上教える訳にはいかないわねえ。自分で探してねん。それでも転生するかしらん」
魂は大きく上下に揺れ動いた。肯定の意思表示だ。
「大賢者エマーリン。いつかまた会える日を楽しみにしているわよん」
そう言うと、水色の髪の青年とエマーリンの魂は、霞のようにその場から搔き消えた。
* * *
「またあの夢か……」
ぼんやりと天井を眺めながら夢の内容を思い出した。
今回の夢では、大賢者エマーリンの死後、水色の髪の青年が現れてエマーリンを転生させた。青年の正体はおそらくオカマ……もとい、神様か何かだろう。
「赤ん坊の名前はフィス・アメノと言っていたな。雨乃と同じ名前……。偶然だろうか」
掛け布団を跳ねのけてガバッと起き上がった。
「たかが夢なのに何を真面目に考えているんだ」
それよりも気になったのは雨乃だ。
「エッチしよ」なんて言われて僕はどうすればよかったんだ。
「次はエッチをすると約束してしまったし」
ガシガシと頭をかいた。
「雨乃の頭の中にはエッチしかないな、絶対に」
幼馴染にエッチを迫られたらどう対処すべきか……どこかにマニュアルは転がってないものか。
「仕方がない、コンドームを買っておくか……」
魔法世界エストガルド……思春期の幻想。