●6日目:「星空と海の饗宴 ~函館、光と影の交錯~」
朝もやが晴れ始めた登別の空の下、真中清風と水上爽香は、温泉旅館「地獄谷の宿」を後にした。清風のメタリックレッドのロードバイクと、爽香のパールブルーのクロスバイクが、朝日に輝いている。
「爽香、今日は登別から函館まで200キロだ。長い道のりだけど、最後に函館山からの夜景が待ってるぞ!」
清風の声には、挑戦への期待が滲んでいた。
「わくわくする! でも、その前に室蘭で寄りたいところがあるの」
爽香は地図を指さした。そこには「だんパラ公園」と書かれていた。
二人は軽やかなペダリングで、登別の街を後にした。やがて、太平洋の広大な眺めが広がる海岸線に差し掛かる。
「わぁ、清風見て! 海がキラキラしてる!」
爽香が歓声を上げた。朝日を受けて輝く海面が、まるでダイヤモンドをちりばめたかのように眩しい。
「綺麗だな。まるで僕たちの未来みたいだ」
清風も感動した様子で言葉を漏らす。その言葉に、爽香の頬が少し赤くなる。二人は自転車を止め、しばし景色を楽しんだ。潮の香りが鼻をくすぐり、カモメの鳴き声が耳に心地よい。
だんパラ公園に到着すると、予想外の光景が二人を迎えた。
「えっ、こんな所に滝があるの?」
爽香が目を丸くする。緑豊かな渓谷の中に、白い水しぶきを上げる滝が見える。
「北海道にもこんな亜熱帯のような景色があるんだね。驚きだ」
清風も感心した様子で言った。
二人は自転車を降り、遊歩道を歩き始めた。木々の間から差し込む木漏れ日が、幻想的な雰囲気を醸し出している。
「ねえ清風、ここで写真撮ろう!」
爽香が提案する。清風はカメラを取り出し、滝を背景に二人で自撮りをした。シャッターを切る瞬間、爽香が清風の頬にキスをする。
「えっ!?」
清風が驚いた表情を浮かべる。
「ふふっ、いい表情!」
爽香が嬉しそうに笑う。清風も照れくさそうに微笑んだ。
公園を後にした二人は、再び自転車に乗って函館へと向かう。道中、太平洋の絶景と内陸部の豊かな自然が交互に現れ、目を楽しませてくれる。
昼頃、二人は長万部町に差し掛かった。
「ふう……お腹が空いたね」
清風が言う。
「あ、あそこ! かにめしの看板があるよ」
爽香が指さす先には、小さな食堂があった。二人は自転車を停め、中に入った。
「いらっしゃい! 遠出のサイクリングかい?」
中年の男性店主が笑顔で迎えてくれた。
「はい、函館まで行くんです。おすすめは何ですか?」
清風が尋ねると、店主は自信満々に答えた。
「それなら迷わず『特製かにめし』だね。長万部名物さ。これを食べりゃ、函館まで一気に走れるよ!」
二人が頷くと、程なくして大きな丼が運ばれてきた。炊き込みご飯の上に、たっぷりのカニの身が載せられている。
「うわぁ、香りがすごい!」
爽香が目を輝かせる。一口食べると、カニの甘みと出汁の旨味が口いっぱいに広がる。
「これは凄い。北海道の海の恵みを存分に感じるね」
清風も感動した様子で言う。
食事を終え、再び自転車に乗った二人。しかし、数キロ走ったところで、突然空が曇り始めた。
「あれ? 雨が降りそう……」
爽香が不安そうに空を見上げる。
「大丈夫、レインウェアは持ってきてるから」
清風がすかさず言う。しかし、その言葉が終わるか終わらないかのうちに、大粒の雨が降り出した。
「きゃっ!」
爽香が驚いて声を上げる。二人は急いで道路脇の木の下に避難した。
「まいったな。天気予報では晴れだったのに」
清風が少し困惑した表情を浮かべる。
「でも、これも旅の醍醐味じゃない? 予想外の出来事こそ、思い出になるんだよ」
爽香が前向きに言う。その言葉に、清風の表情が和らぐ。
「そうだね。爽香の前向きさには本当に助けられるよ」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。雨音を聞きながら、二人は静かに寄り添う。
しばらくすると、雨は上がり、代わりに美しい虹が現れた。
「わぁ、きれい!」
爽香が歓声を上げる。七色の虹が、太平洋の上に大きくかかっている。
「これは幸先がいいね。函館での素敵な思い出を予感させる」
清風が柔らかな表情で言う。
午後遅く、ようやく函館に到着。二人は函館山ロープウェイの山麓駅に向かった。
「やっと着いたね。でも、まだ最後の山登りが残ってるよ」
清風が少し疲れた様子で言う。
「大丈夫、ここまで来たんだもの。最後まで頑張ろう!」
爽香が励ますように言った。
ロープウェイに乗り、山頂に到着すると、息を呑むような光景が二人を迎えた。夕暮れ時の函館の街が、足元に広がっている。
「うわぁ……」
爽香が息を呑む。街灯が一つ、また一つと灯り始め、やがて街全体が光の海に包まれていく。
「まるで、星空が地上に降りてきたみたいだ」
清風がつぶやく。二人は言葉を失い、ただその景色に見入った。
やがて、爽香が清風の手を握った。
「ねえ、清風。私ね、この旅を始めて本当に良かったと思う。毎日が新しい発見で、あなたとの絆も深まった気がする」
清風は爽香の手を優しく握り返した。
「僕もだよ。爽香と一緒だからこそ、こんな素晴らしい体験ができたんだ。これからも、一緒に新しい景色を見ていきたい」
二人は顔を見合わせ、優しく微笑んだ。函館の夜景を背景に、二人のシルエットが浮かび上がる。
その夜、二人は地元の居酒屋「はこだて屋」に足を運んだ。店内は、観光客と地元の人々で賑わっている。
「いらっしゃい! お二人さん、どこからいらしたの?」
女将さんが親しげに話しかけてきた。
「登別から自転車できたんです。日本縦断の旅の途中なんです」
爽香が答えると、店内がざわめいた。
「まあ! それは大変だったでしょう。こりゃあ、函館の特産品をいっぱい食べて、元気つけていかなきゃね!」
女将さんが笑顔で言うと、イカの活造りと、地元の日本酒が運ばれてきた。
イカを口に運ぶと、新鮮な歯ごたえと甘みが広がる。日本酒は、ほのかに塩気を感じる風味が、イカと絶妙にマッチしている。
「ねえ、お二人さん」
隣の席の年配の男性が話しかけてきた。
「函館にはね、『ガガンボ』って言葉があるんだよ。『いがった』っていう方言もそうだけど、函館の言葉は面白いんだ」
清風と爽香は興味深そうに聞き入った。
「『ガガンボ』っていうのは、蚊とんぼのことなんだ。でもね、ここじゃあ『役立たず』って意味で使うんだよ。もともとは「カガンボ」(蚊の母)って言葉だったんだけどね」
男性の話を聞いて、二人は顔を見合わせた。
「面白いですね。方言って、その土地の文化が詰まってるんですね」
清風が感心した様子で言う。
「そうそう。君たちも旅の中で、いろんな土地の言葉を覚えていくといいよ。それが、その土地を本当に知ることになるんだ」
男性の言葉に、二人は深く頷いた。
宿に戻った二人は、部屋の窓から函館の夜景を眺めていた。街の明かりが、まるで天の川のように輝いている。
「ねえ清風、明日はいよいよ北海道を離れるんだね」
爽香が少し寂しそうな表情で呟いた。
「ああ。でも、これは終わりじゃない。新しい冒険の始まりだよ」
清風の言葉に、爽香は頷いた。
「そうだね。北海道で得た思い出を胸に、これからも一緒に頑張ろう」
二人は笑顔で見つめ合い、再び窓の外の景色に目を向けた。函館の夜景が、二人の旅の新章への期待を静かに見守っているようだった。