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●3日目:丘陵と青空のハーモニー ~美瑛へ~

 朝もやが晴れ始めた小樽の空の下、真中清風と水上爽香は、民宿「運河の宿」を後にした。清風のメタリックレッドのロードバイクと、爽香のパールブルーのクロスバイクが、朝日に輝いている。


「爽香、今日は小樽から美瑛まで200kmだぞ。かなりの距離になるけど、大丈夫か?」


 清風の声には、期待と少しの不安が混ざっていた。


「もちろん! 私、昨日の海鮮丼でパワー全開なんだから」


 爽香は明るく笑いながら答えた。その笑顔に、清風の心配は吹き飛んだ。


 二人は軽やかなペダリングで、小樽の街を後にした。やがて、街の喧騒が遠のき、代わりに豊かな自然の風景が広がり始める。


「ねえ清風、見て! あの雲の形、まるでウサギみたい!」


 爽香が空を指さしながら声を上げた。


「本当だ。爽香の想像力には驚かされるよ」


 清風は爽香の明るさに心を温められながら、ペダルを漕ぎ続けた。


 道中、二人は美しい風景に何度も足を止めた。ラベンダー畑の紫色のじゅうたんが広がる丘陵地帯、緑豊かな森林、そして遠くに見える雪をかぶった山々。北海道の大自然が、二人の心を癒していく。


 昼頃、二人は小さな峠に差し掛かった。


「ふう……結構きついな」


 清風が少し息を切らしながら言う。


「でも、頂上に着いたらきっと素敵な景色が待ってるはず!」


 爽香の前向きな言葉に励まされ、清風も再び力強くペダルを踏み始めた。


 頂上に到着した瞬間、清風と爽香の目の前に広がる景色は、息を呑むほどの美しさだった。二人は思わず自転車から降り、立ち尽くした。


 なだらかな丘陵が、緑のじゅうたんを敷き詰めたかのように、地平線まで果てしなく続いている。その起伏は、まるで大地の鼓動のように、ゆったりとしたリズムを刻んでいるかのようだ。丘と丘の間を縫うように、一本の白い道が蛇行している。その道は、まるで画家が一筆で描いたかのような、優美な曲線を描いていた。


 頭上には、コバルトブルーの空が広がり、その中を真っ白な雲が悠々と漂っている。雲の形は様々で、あるものは綿菓子のように柔らかく、またあるものは城壁のように厳かだ。太陽の光を受けて、雲の縁がまぶしいほどに輝いている。


 丘の斜面には、色とりどりの野花が咲き乱れていた。黄色のタンポポ、白いマーガレット、紫のラベンダーなど、まるでパレットの上の絵の具のように、鮮やかな色彩が散りばめられている。それらの花々が風に揺れる様子は、まるで大地が息づいているかのようだった。


 遠くには、深い緑の森が見える。その森の向こうには、薄っすらと雪をかぶった山々のシルエットが、霞んで見えた。山々は、この壮大な風景の背景として、静かに佇んでいる。


 風が吹くたびに、野花の香りが漂ってくる。その香りは、清々しく、かつ甘美で、二人の心を癒していく。遠くからは、野鳥のさえずりが風に乗って聞こえてくる。


 清風は深呼吸をした。澄んだ空気が肺いっぱいに広がる。それは、都会では決して味わえない、自然の恵みそのものだった。


 爽香は、感動のあまり言葉を失っていた。彼女の目には涙が光り、その瞳に風景が映り込んでいる。まるで、この美しい景色を心に焼き付けようとしているかのようだった。


 二人の間に言葉はなかったが、互いの呼吸と鼓動が、この絶景への感動を物語っていた。まるで時が止まったかのような、そんな静寂の中で、二人は自然の壮大さと美しさに心を奪われていた。


「うわぁ……」


 二人は同時に息を呑んだ。言葉を失い、ただその景色に見入る。


「清風、こんな景色を二人だけで見られるなんて、本当に幸せだね」


 爽香の目には、感動の涙が光っていた。清風は静かに頷き、爽香の手を優しく握った。


「ああ、この旅に出て本当に良かった」


 二人は長い間、その絶景を眺めていた。やがて、清風が腕時計を見て言った。


「そろそろ行こうか。美瑛まではまだ距離があるからな」


 爽香は少し名残惜しそうにしながらも、頷いた。


 下り坂を進む爽快感と、目の前に広がる大自然。二人の心は高揚感に満ちていた。


 午後、二人は美瑛に到着した。街に入ると、のどかな田園風景が広がっている。


 遠くに見える一帯の森の中に、不思議な青い輝きが目に飛び込んできた。清風は思わず自転車のブレーキを握り、ゆっくりと減速しながら、その方向を指さした。


「あれが有名な『青い池』かな?」


 清風の声には、期待と好奇心が滲んでいた。彼の茶色の瞳が、遠くの青い光に釘付けになっている。


 爽香も自転車を止め、清風の指す方向を見つめた。彼女の大きな黒目が、驚きと感動で見る見る広がっていく。


「わぁ、想像以上に青いね! まるで宝石みたい」


 爽香の声は、まるで子供のようにはしゃいでいた。その目は輝きを増し、まるでその青い池の色を反射しているかのようだった。


 二人の前に広がる光景は、まさに絵画のようだった。深い緑の針葉樹に囲まれた池の水面は、想像を超える鮮やかな青色に染まっている。それは空の青さとも、海の青さとも違う、神秘的で幻想的な青だった。水面は鏡のように周囲の景色を映し出し、立ち枯れた白い木々が水中から突き出ている様子が、さらに神秘的な雰囲気を醸し出していた。


 清風は深呼吸をした。ほのかに漂う森の香り、清々しい空気が肺いっぱいに広がる。


「なんだか、この世のものとは思えないくらいの美しさだね」


 彼は静かに呟いた。その声には、自然の神秘に対する畏敬の念が込められていた。


 爽香は清風の腕にしがみつき、目を輝かせたまま答えた。


「ねえ清風、もっと近くで見てみたい! きっと、もっと素敵な景色が待っているはず」


 彼女の声には、冒険心と好奇心が満ちあふれている。清風は爽香の熱意に、思わず微笑んだ。


「そうだね。行ってみよう。でも、この美しい自然を大切にしないとね」


 二人は自転車を降り、青い池の周りを散策することにした。池の周囲には、白樺の木々が静かに立っている。池の水面は、まるで鏡のように周囲の景色を映し出していた。


「ねえ清風、この風景をスケッチしたいな」


 爽香がつぶやいた。


「いいね。僕は写真を撮るよ。二人で美瑛の思い出を残そう」


 清風は優しく微笑んだ。


 しばらくすると、地元らしき年配の男性が二人に声をかけてきた。


「おや、旅行者の方かい? その自転車を見るに、だいぶ遠出のようだが」


「はい、実は自転車で日本縦断の旅をしているんです」


 清風が答えると、男性は目を丸くした。


「へえ、それは驚いた! ところで、お二人は『パッチワークの路』って知ってるかい?」


 二人が首を傾げると、男性は嬉しそうに説明を始めた。


「美瑛の丘陵地帯を、色とりどりの畑が縫い合わされたパッチワークのように彩る絶景なんだ。今の季節なら、特に美しいはずだよ」


 爽香の目が輝いた。


「わぁ、素敵! ぜひ行ってみたいです」


 男性は微笑んで地図を取り出した。


「ここだよ。この道を進むと、最高の眺望ポイントに着くはずだ」


 二人は感謝の言葉を述べ、男性と別れた。


「親切な人だったね」


 爽香が感動した様子で呟く。


「ああ、旅の醍醐味だね。地元の人との出会いが、新しい発見につながるんだ」


 清風は爽香の言葉に深く頷いた。


 二人は男性に教えてもらった道を進み、パッチワークの路へと向かった。道中、緑豊かな丘陵地帯を抜けていく。風に揺れる麦畑、色とりどりの花畑、そして遠くに見える十勝連峰。その風景は、まるで絵本から飛び出してきたかのようだった。


 夕暮れ時の柔らかな光が、美瑛の丘陵地帯を優しく包み込んでいた。真中清風と水上爽香は、パッチワークの路を自転車で進みながら、息をのむような美しい風景に何度も見とれていた。空は夕陽に染まり始め、オレンジと紫が混ざり合う幻想的な色彩を醸し出していた。


「清風、見て! あの丘の上に、一本の木が立ってる!」


 爽香が突然、興奮気味に叫んだ。彼女の声には、まるで宝物を見つけたかのような喜びが溢れていた。清風は爽香が指さす方向に目を向けた。


 そこには、なだらかな丘の頂に、一本の木がシルエットとなって佇んでいた。夕陽を背に、その姿は神々しいまでの存在感を放っていた。木の枝葉は、まるで天空に向かって手を広げているかのようだった。


「ああ、有名な『セブンスターの木』だ。美瑛を象徴する風景の一つだね」


 清風も感動した様子で答えた。彼の声には、期待していた風景に出会えた喜びが滲んでいた。


 二人は自然と自転車を止め、その光景をじっくりと眺めた。セブンスターの木は、夕暮れの空を背景に、まるで水墨画のような美しさで佇んでいた。木の周りには、なだらかな起伏の丘陵が広がり、様々な色の畑が大地を彩っていた。緑、黄金、茶色のパッチワークのような風景が、木の足元から地平線まで続いている。


「ねえ、清風」


 爽香が小声で呟いた。


「なんだかこの木、私たちを見守ってくれてる気がしない?」


 清風は爽香の言葉に少し驚いたが、すぐに理解を示すように頷いた。「そうだね。何年もの間、この場所に立ち続けてきた木だから、きっと多くの旅人を見てきたんだろう」


 風が吹き、二人の髪を優しく撫でた。その風は、セブンスターの木の方から吹いてきているようで、まるで木が二人に挨拶をしているかのようだった。


「写真に収めたいけど、同時にこの瞬間をこの目に焼き付けたいな」


 爽香が言った。彼女の目には、感動の涙が光っていた。


「大丈夫、両方できるさ」


 清風は優しく微笑んだ。


「まずは心に刻もう。そして、この風景を二人の思い出として残そう」


 清風はカメラを取り出し、セブンスターの木と爽香を一緒に収めた。シャッターを押す瞬間、爽香は木に向かって手を振った。その仕草が、この旅の素晴らしい一コマを象徴しているようだった。


 写真を撮り終えた後も、二人はしばらくその場所に佇んでいた。セブンスターの木は、静かに、しかし力強く、美瑛の大地に根を下ろし、空へと枝を伸ばしている。その姿は、まるで二人の旅の象徴のようだった。根をしっかりと張り、そして新たな冒険へと枝を伸ばしていく。


「この景色、一生忘れないと思う」


 爽香がつぶやいた。


「ああ、僕もだ」


 清風は頷いた。


「この旅で見る景色の中でも、特別な一枚になりそうだ」


 二人は自転車を降り、丘の上まで歩いて登った。頂上に着くと、360度の大パノラマが広がっていた。色とりどりの畑が、まるでモザイク画のように広がっている。赤、緑、黄色、紫……様々な色が織りなす風景は、まさに絶景だった。


「うわぁ……こんな美しい場所が日本にあったなんて」


 爽香の声が震える。清風も息を呑んだ。


「ああ、この景色を見るためだけでも、この旅に来る価値があったよ」


 二人は長い間、その絶景に見入った。風に乗って、野の花の香りが漂ってくる。遠くでは、鳥のさえずりが聞こえる。



 美瑛に向かう途中で二人は富良野に立ち寄った。ちょうどラベンダーが見頃の時期だった。


「わぁ、清風見て! 紫の海みたい!」


 爽香が歓声を上げた。丘一面に広がるラベンダー畑が、風に揺れて波打っている。その光景は圧巻で、二人は思わず自転車を止めた。


「香りがすごいね」


 清風が深呼吸をする。


「まるで自然のアロマテラピーだ」


 二人はファーム富田に立ち寄り、ラベンダーソフトクリームを味わった。紫色のソフトクリームは、見た目も味も香りも楽しめる一品だった。


「ねえ清風、私たちの旅も、このラベンダー畑みたいに美しい思い出で彩られていくのかな」


 爽香が遠くを見つめながら呟いた。清風は優しく微笑んで答えた。


「きっとそうなるよ。でも、ラベンダー以上に鮮やかで、香り豊かな旅になると思う」


 清風は確信に満ちた表情でそう言った。



 夕暮れ時、二人は美瑛の街に着いた。地元の居酒屋に入ると、温かい雰囲気が二人を包み込んだ。


「いらっしゃい! お二人さん、どこからいらしたの?」


 女将さんが親しげに話しかけてきた。


「小樽から自転車できたんです。日本縦断の旅の途中なんです」


 爽香が答えると、店内がざわめいた。


「まあ! それはすごいわ。こりゃあ、美瑛の特産品で乾杯しないとね!」


 女将さんが笑顔で言うと、美瑛産のジャガイモを使った焼酎と、カラフルな野菜の盛り合わせが運ばれてきた。


「ねえ清風、今日一日、どうだった?」


 爽香が少し疲れた表情で、でも目を輝かせながら尋ねた。清風は少し考えてから答えた。


「正直、80キロはかなりきつかったよ。でも……」


 彼は爽香の目をまっすぐ見つめて続けた。


「今日見た景色と、爽香と一緒に過ごした時間は、何物にも代えがたい宝物だと思う」


 爽香の目にうっすらと涙が浮かんだ。


「私も同じ気持ち! 清風と一緒だから、この長い距離も乗り越えられたんだと思う」


 二人は笑顔で見つめ合い、グラスを合わせた。窓の外では、美瑛の夜空に星々が輝き始めていた。それは、まるで二人の旅の前途を祝福しているかのようだった。


 その夜、民宿「風の宿」に着いた二人は、疲れた体を布団に横たえながらも、興奮冷めやらぬ様子だった。


「ねえ清風、明日はどんな風景が待ってるんだろう」


 爽香が窓の外の星空を見上げながら呟いた。


「さあ、それは明日になってみないとわからないさ。でも、きっと今日以上に心に残る日になるはずだよ」


 清風の言葉に、爽香は頷いた。二人の心には、これから続く旅路への期待が、さらに大きく膨らんでいた。


 窓の外では、美瑛の夜空に輝く星々が、二人の旅の無事を祈るかのように、静かに瞬いていた。


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