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二人同時に無職になったので思い切って日本縦断サイクリングの旅に出ることにしました!  作者: 霧崎薫


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20/21

●17日目:花巻→平泉 ~黄金の記憶、明日への誓い~

 夜明け前の花巻は、まだ眠りの中だった。清風は宿の窓辺に立ち、東の空がほんのりと白む様子を見つめていた。今日が旅の最終日――その事実が、妙な重みとなって胸に沈んでいた。


「あ、やっぱり起きてた」


 爽香の声に振り返ると、彼女は既に着替えを済ませ、カメラを首から下げていた。


「どうしたの? カメラなんて珍しいね」


「うん。岩手最後の日くらい、写真で記録してみようかなって」


 いつもならスケッチブックに描き留めるはずの彼女の変化に、清風は何か特別なものを感じた。


 花巻の「いわてサイクルステーション」には、既に数人のサイクリストが集まっていた。その中の一人、白髪交じりの男性が二人に声をかけてきた。


「お二人さん、平泉まで行かれるんですか?」


「はい」


「なら、これを見て行きなさい」


 差し出されたのは、一枚の古びた写真だった。モノクロの画面には、若かりし日の男性が自転車に跨がる姿が写っている。背景には、黄金に輝く中尊寺金色堂。


「私が二十歳の時の写真です。あれから五十年、毎年一度は平泉を訪れています」


 男性の手には、今も工具が握られていた。


「実は、このステーションの立ち上げにも関わったんです。次の世代にも、自転車の旅を楽しんでほしくて」


 その言葉に、清風は考古学を志した頃の初心を思い出していた。過去を未来につなぐこと。それは遺物の発掘だけでなく、こうした形でも可能なのだと。


 東北最大級のバラ園「はなばたけ」は、朝露に濡れて輝いていた。


「わあ……!」


 爽香の感嘆の声が、バラの香りと共に空に昇っていく。数千本のバラが作り出す色彩の洪水は、まるで画家のパレットを大地に落としたかのようだった。


「清風、これ、不思議だよ」


「何が?」


「今まで私、バラの絵を描く時は、一輪一輪をしっかり観察して、細部まで描き込もうとしてた。でも、今はなんだか違う気がする」


 爽香は、カメラのファインダーから目を離さなかった。


「この光、この香り、この空気。全部含めて『バラ』なんだって、今更ながら気付いた」


 清風は黙ってうなずいた。考古学も同じだ。個々の遺物の分析も大切だが、それらが作り出す全体の文脈こそが、本当の意味を語るのだから。


 昼前、二人は「わんこそば」に挑戦していた。


「はい、いっぺこと!」


 給仕の女性が次々と小さな器に蕎麦を盛っていく。その手さばきには、まるで儀式のような厳かさがあった。


「お客様、ご存知ですか? この作法には深い意味があるんですよ」


 女性は、器を置く音を楽しむように続けた。


「江戸時代、南部藩では凶作に備えて、常に食料を蓄えていました。でも、蕎麦は長く保存が効かない。だから、収穫時期には皆で分け合って食べた。この『わんこそば』は、その時の喜びと感謝の記憶なんです」


 清風は箸を置いた。今まで単なる観光名物だと思っていた「わんこそば」に、こんな歴史が隠されていたとは。


「私たちも、きっと誰かの記憶の一部になるんだね」


 爽香の言葉に、清風は考え込んだ。確かに、人は誰かの記憶の中で生き続ける。それは考古学が教えてくれた真実でもあった。


 午後、二人は中尊寺金色堂に向かっていた。突然、爽香が自転車を止めた。


「ねえ、清風。私、やっと分かった」


「何が?」


「私が絵を描く理由」


 彼女は、カメラを胸に抱きしめるようにして言った。


「記憶を残すことは、未来への約束なんだ。今この瞬間を、誰かに伝えたいという願い。それは、この旅で出会った人たちが、私たちに様々な記憶を託してくれたのと同じ」


 中尊寺金色堂は、夕陽を浴びて輝いていた。その姿は、清風が朝見た古い写真と重なって見えた。


「この金色堂も、きっと約束の証なんだろうね」


 清風が静かに言った。


「平泉の人々は、未来の誰かに何かを伝えたくて、これほどまでに美しいものを作り上げた」


 夕暮れ時の文化遺産ガイドツアーで、二人は最後の学びを得ていた。


「平泉には、二つの時間が流れています」


 ガイドの中年女性が、不思議な表情で語り始めた。


「一つは、私たちが生きている『今』の時間。もう一つは、この地に眠る『記憶』の時間。その二つが交わる時、私たちは何かを悟るのです」


 月が昇り始めた頃、二人は最後の写真を撮っていた。背景には、ライトアップされた金色堂。


「なあ、爽香」


「うん?」


「この旅で、僕らも変わったよね」


 爽香は静かにうなずいた。


「私ね、解雇された時は、全てを失ったと思った。でも今は違う。新しい何かが始まろうとしてるの、分かる」


 彼女の横顔が、月明かりに照らされて輝いていた。


「清風は?」


「うん。考古学って、過去を掘り起こすだけじゃないって気付いた。過去と現在の対話なんだ。そして、その対話は未来へと続いていく」


 二人は黙って月を見上げた。この六日間の旅は、確かに何かを変えた。海女の技、龍泉洞の神秘、SL銀河の轟き、遠野の語り部、そして今、平泉の黄金――。全ては記憶となって、二人の中で輝いていた。


「ねえ、清風」


「なに?」


「これからも、ずっと旅しよう」


 その言葉は、問いではなく、約束だった。清風は笑顔で頷いた。

 二人の自転車は、月明かりの下で静かに佇んでいた。明日からは、新しい物語が始まる。その予感と共に、岩手の夜空には、無数の星が瞬いていた。


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