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朝来たる

作者: 水無月 黒

 そこは、常夜の世界だった。

 世界を明るく照らす太陽の現れることのない空は、星々の輝く星空と、星の見えない黒い空が広がる闇空から成り立っていた。

 そんな夜ばかりの世界でも、人々は生まれ、文明が育まれて行った。


「つまりだ、最新の観測結果と重力理論からすると、闇空の向こうには巨大質量を持った天体が存在することは間違いないのだ。」

「闇空自体がその巨大質量で良いのではないのか?」

「いや、観測結果から闇空の大きさは半径一億二千万キロメートルになる。想定される最大の質量でも空気よりも密度が低くなる。それでは星の光を遮る闇空にはならない。」

「中空の球殻構造になっているとか。」

「その場合、自重で潰れない物質は存在しない。光を通さない薄い膜のような物質が、巨大質量を持つ天体を覆っていると考えるのが妥当だ。」


 夜しかない世界でも、一日の周期は存在していた。

 空は、一定時間ごとに二種類の様相を呈していた。

 一つは、数多の星が煌めく星空。

 もう一つは、星の見えない漆黒が空の大部分を占める闇空。

 この二種類の空が一巡して一日を為していた。

 そして、星空を詳細に観測する天文学から、天体の運行を支配する重力理論を導き出すに至っていた。


「闇空の向こうに天体があるとして、それが光を放っているとは限らないと思うが?」

「だが、光を放っていると考えると、突然現れる惑星や彗星が何故光るのかを説明できるのだ。」

「惑星や彗星? 流れ星とは違うのか?」

「全然違う。流れ星は落ちて来た隕石が大気中との衝突で輝く現象だ。だが惑星や彗星は宇宙空間で突然光り出す。何故光るのかは長年の謎だった。」

「闇空の向こうに光る天体があると説明が付くのか?」

「ああ、惑星は闇星が突然光り出す現象だと分かっている。闇空の一部に小さな穴が開いていて、そこから出た光に照らされて闇星が光ると考えれば説明が付く。」

「彗星もか?」

「小さくて未確認の闇星の一種だと考えれば、同じ現象として説明が付く。」


 闇星と言うのは、背後の星を隠して見えなくすることで存在が知られた天体の事だ。長年の観測から星空を移動していることが判明していた。

 惑星は、夜空に突然現れ、短期間で消える不思議な天体の事である。闇星が突然光を放つ現象だと知れたのは最近の研究成果だった。

 彗星も突然現れて突然消える、尾を引くほうき星として知られていた。

 惑星と異なり彗星に対応する闇星は見つかっていないが、彗星の方が小さな天体で背後の星の光を遮蔽しないからだろうと考えられている。


「しかし、宇宙に光を遮るものがあっても、最終的には同じ明るさで輝きだすとこの前言っていなかったか?」

「ああ、それは宇宙が無限ではないという根拠の話だな。」


 宇宙が無限に広ければ、星空はもっと明るくなるという議論がある。

 定常的な宇宙を考える場合、次の二つの条件が仮定される。


――宇宙は無限に広く、だいたい同じくらいの密度で星が存在する。

――宇宙に始まりも終わりもなく、過去も未来も同じような宇宙が永遠に続いている。


 輝く星が発した光は距離の二乗に比例して弱くなる。つまり、遠い星ほど暗く見えるはずだ。

 一方、星の個数は距離が離れるほど増える。

 地上から見上げて、同じ距離に存在する星とはその距離を半径とする球面上に位置する星のことだ。

 星の密度が一定ならば、該当する星の数は球面の面積に比例する。

 だから、距離の二乗に比例して星の数は多くなって行く。

 ある一定距離離れた位置の星の光は、距離の二乗に比例して弱くなるが、その個数は、距離の二乗に比例して増加する。

 つまり、どの距離から届く星の光も、総量は変わらないのだ。

 宇宙が無限の広さを持つならば、宇宙の全てから届く光の量もまた無限になってしまう。

 無限の光に埋め尽くされることなく、暗い星空に星が輝いて見えるのは宇宙が有限である証拠である。

 しかし、ここで次のような疑問を持つ者もいるだろう。

「星間物質などが遠くの星の光を遮れば、無限の光量にはならないのではないか?」

 この疑問に対する回答は、以下のようになる。

 光はエネルギーを持っている。

 光を遮るということは、その光のエネルギーを吸収することになる。

 無限の過去から永劫の時間をかけて光のエネルギーを吸収し続ければ、その物質は高温になるだろう。

 最終的には遮った光を発している天体と同じ温度にまで上がり、自ら光を発するようになる。

 やはり無限の宇宙を考えると空は明るく輝くことになるのだ。


 この議論における「光を遮る星間物質」を「闇空の光を遮る薄い膜」に置き換えて考えてみたわけである。


「無限の時間が経った後のことだから単純には当てはまらない。それに、闇空は受けた光のエネルギーをマイクロ波の形で放出していることが判明した。」

「マイクロ波? ラジオ草が放っているというあれか?」

「実は逆で、闇空の放出したマイクロ波をラジオ草が吸収しているらしい。」


 ラジオ草と言うのはこの世界固有の生物だった。

 ラジオ草の生い茂る辺りには強い電波が存在することが分かり、この名が付いた。

 最初は、ラジオ草が身を守るために電波を放出していると考えられていた。

 実際には逆で、ラジオ草がマイクロ波を吸収して生きるためのエネルギー源にしていたことが判明したのは比較的最近のことである。

 そのラジオ草が吸収しているマイクロ波が、闇空から発せられていることが判明したのはさらに後のことになる。


「ラジオ草の吸収したマイクロ波のエネルギーは、地中の送電菌を介して電力として様々な植物に供給される。ランタン(ツリー)が主に闇空の下で光るのもこのためだ。」

「へー、あの雑草がそんなすごいものだったんだ。」

「我々が地下から取り出している電力も、元をたどればラジオ草に行き着く。」


 この世界の植物は、空気と水と電力から栄養を作り出すことができた。

 その植物の育成に必要な電力を生み出しているのが、強いマイクロ波の環境でも生存でき、マイクロ波を効率よく電力に変換できるラジオ草である。

 そして、ラジオ草が過剰に生成した電力を他の土地に伝えているのが、地下に巨大な菌糸のネットワークを作っている送電菌だった。

 そうして電力供給を受けている植物の中には変わった性質を持つものもある。

 ランタン(ツリー)もその一つで、闇空の下で電力の一部を光として周囲に放っていた。

 常夜の世界でも、人々が主に闇空の時間帯に活動するのは、このランタン(ツリー)の明かりがあるためだった。

 そうした植物の性質を調べた結果、今では地面に電極を埋め込むだけでほぼ無尽蔵に電力を得る方法を人類は手に入れていた。


「そのラジオ草にマイクロ波を供給している闇空、その向こうに存在する天体の放つ光が地上全ての生命と現代文明を支えていると言ってよい。」

「そこまでなのか? 所詮は星の光なのだろう。」

「何光年も離れた先にまで届く星の光は、至近距離では強力だぞ。それに、もうすぐ直に見ることができる。」

「直に? どういうことだ?」

「惑星や彗星の記録から、闇空の穴の運動が判明したんだ。計算の結果、約二千年周期で闇空の穴は地上を向く。それがもうすぐだ。」

「二千年周期か……ちょっと不気味だな。」

「不気味? 何かあるのか?」

「二千年前に滅びた古代文明を知っているか?」

「一日で海に沈んだアトロポス大陸とかか?」

「それは創作だが、ルーベルム期と呼ばれた時代の古代文明群が二千年前のほぼ同時期に世界中で一斉に滅びているんだ。」

「二千年前と言えば確かに闇空の穴が地上から見える時期だが……偶然じゃないのか?」

「二千年前だけじゃない。四千年前にアルブム期の文明群が、六千年前にニガレオス期の文明群が、それぞれ滅んでいる。」

「……」

「二千年周期で文明が滅亡を繰り返していることは考古学者の中では通説になっている。その原因が謎だったのだが、天体現象がきっかけならば周期性に説明が付く。」

「だが、明るくなる程度だぞ。そこまで影響があるとは思えないな。」

「エネルギーは大きいんだろう?」

「総量は多いが、密度はそれほどでもないはずだ。一平方センチメートル当たり多くて一カロリー程度だろう。」

「気温が上がったりするのではないのか?」

「一時的には上がるだろうが、星空になれば熱は放出されるだろう。少なくとも人が耐えられない温度にはならないはずだ。」

「二千年に一度の現象なのに、そこまで言い切れるのか?」

「遥か昔には闇空が存在せず、その向こうの天体の光が直接届いていたと考えられている。地上の生物が耐えられない光ではないはずだ。」

「闇空が存在しなかった? ちょっと信じられないな。」

「我々の目はマイクロ波ではなく可視光線を見るようにできている。生物学者によると動物の目ができたのはラジオ草やランタン(ツリー)が登場するよりもずっと前らしい。」

「人工的な明かりが作られたのはさらに後か。確かに星明だけでは我々の目はあまり役に立たないな。」

「だから有史以前の遥か昔には闇空が無く、天体の強い光を直接受けていたはずだ。地上の生物はそれでも生きて行けるようにできているのだよ。」

「なるほど。だとすると、周期的に文明が滅びる原因がまた分からなくなったな。時期的に無関係とも思えないんだが。」

「光が強いから、直接見続けると失明する恐れがあるくらいかな。」

「さすがに文明が滅びるほど多くの人が失明することはないだろう。物理的な災害ではなく、元々政情不安なところに予想外の異様な光景を目の当たりにしてパニックでも起きたのか……」

「最近は終末論を吹聴するおかしな連中も多いな。そいつらが騒ぐことになるのか。」

「おそらくは。それだけで滅びるとは限らないが、捨て鉢になった人が増えれば混乱はするだろうな。」

「早目に分かっていることと、予想される現象を発表しておいた方が良いか。珍しいが単なる自然現象だから慌てるなと。」

「そうだな。失明の危険性も含めて正しく周知しておくべきだろう。」


 天文学者の研究成果は、憶測の部分も含めて大々的に公表された。

 闇空の穴は輝孔と名付けられ、世界中で輝孔の観測が一大ブームとなった。

 滅びた古代文明との関連を疑う者もいたが、二千年に一度の大規模な天体ショーに多くの人は浮かれた。


 多くの者が空を見上げる中、ついにその日が訪れた。


「空が明るくなってきたな。」


 東から闇空はゆっくりと昇って行くが、闇空のほぼ中央に存在するはずの輝孔は未だに現れてはいない。

 しかし、その影響は既に現れ始めていた。


「回析光だな。輝孔から直接放たれた光はまだこちらに向いていないが、回析して周囲に回り込んだ弱い光が届いているんだ。」


 わずかに漏れ出る回析光から輝孔の位置が特定され、それが予測の精度を高めた。

 そして、前兆現象はそれだけではなかった。


「あれは何だ!」


 そう言って指さしたのは、闇空とは反対側、西の空だった。

 そこには、他の星を圧する明るさと大きさを持った、誰も見たことの無い天体が輝いていた。


「……あれは、天空最大の闇星、月だ。月が惑星になったのだ!」


 この世界で惑星とは、ある日突然光り出し、そして突然消える天体のことを指す。他の惑星や闇星と月の軌道の違いは判明しているが、衛星と言う概念はなかった。

 そして、その大きさから昔から知られていた闇星である月は、長年惑星にならない闇星だと考えられてきた。

 輝孔の出現に伴う現象として一部の天文学者から指摘されていたが、月が輝きだす現象に多くの人が驚愕した。


 異変はさらに続いた。


「西の空が、赤い……」

「輝孔から出た光が上空の大気に当たったのだろう。闇空の向こうの天体は随分と赤い光を放っているようだ。」


 大気に斜めに射し込んだ光が、レイリー散乱で波長の短い光が抜け落ち、波長の長い赤色だけが現れているのだが、初めて見る現象でそこまでは理解が及ばない。

 この世界には夕焼けを見たことのある者はいないのだ。

 その後、次第に空は明るくなり、赤色からオレンジ色へと変化し、やがては空が青く染まる光景を目にすることになる。


「眩しい! ランタン(ツリー)よりはるかに強い光だ。」

「これ以上直視するのは危険だな。」


 ついに光が直接差し込んだ。

 輝孔を通して、最も近い恒星――太陽の光が地上を照らしたのだ。

 二千年に及ぶ長い夜が明け、朝が訪れた瞬間だった。


 強い光に他の星の光は消え失せ、ひときわ存在感を放っていた月もいつの間にか西の地平に沈み、空は青一色に染まった。

 今、天に輝いているのは眩しくて直視できない輝孔のみだった。

 だが、大きな変化はそこまでだった。

 ゆっくりと輝孔は天頂へ向かって昇って行ったが、大きく光景の変わることはもうなかった。

 小一時間もすると、一般の人々は興味を失った。

 それ以上劇的な変化は起こらず、ただ眩しいだけの空から目を逸らし、いつもより明るくなった日常に戻って行った。


「これで終わりか?」

「大きな変化はこれで終わりだろう。天文学者はこれからが忙しくなるだろうが。」


 最も近い輝く星を直接観測できる機会の到来に、天文学者は狂喜乱舞した。

 この日のために用意した数々の機器を持ちして輝孔とその向こう側を調べ始めた。


「暴動も大騒ぎも起こらなかったようだし、二千年周期の滅亡はどうやら今回は乗り越えられたようだな。」

「元々輝孔とは関係なかったのかもしれないな。ただちょっと眩しいくらいに明るくなっただけで、特に変りはない。」

「これはいつまで続くんだい?」

「正確な輝孔の形と大きさは調べている最中だろうが、長くて数十日だろう。」

「それが過ぎれば完全に元に戻るわけか。その時は、また空を見上げて消えゆく輝孔を見送るとするか。」


 だが、彼らは気付いていなかった。

 既に次の異変が始まっていることに。


「何だ、これは? 地面から生えているから植物か? だが、()()の植物なんて見たことないぞ。」


「ラジオ草が枯れている! しかも、群生地が丸ごと全滅だ。どうなっているんだ!?」


「ランタン(ツリー)のランタンが全て落ちている! 代わりに何か緑色のものがたくさん生えている!」


 二千年ぶりに現れた陽光に、地中に種子として眠っていた草が一斉に芽吹き、樹木が緑の葉を茂らしたのだ。

 一方で、常夜の世界で誕生したラジオ草は、強い太陽光に耐えられずに枯れ、その地を緑の草に譲った。

 昼を知らない人類は、葉緑素を持ち光合成をおこなう植物の存在も、ラジオ草が陽光に弱いことも、全て未知の知識だった。

 翌日になると、事態はさらに進展した。


「これは、キノコか? 何でこんなにたくさん!?」


 地上の光景は一変した。

 強い光に照らされて映るのは増殖して行く緑、緑、緑。

 樹木は広げた枝に無数の葉を付け、一回り大きな緑の塊に見えた。

 地面には緑の草が所狭しと生い茂り、じわじわとその領域を増やしている。

 建物の壁にも蔦植物が貼り付き、緑で埋めようとしてくる。

 そんな緑に侵されつつある大地に、緑以外の異物があった。

 それがキノコである。

 背の低い草と競うように、地面から無数のキノコが生えてきていた。


「送電菌の子実体だな。送電菌は送電ネットワークが切断され電力が止まると、胞子をばらまいて再接続しようとするのだが……」

「つまり、この辺りの電力供給は止まっていると?」

「そうなるな。」

「これも、輝孔の影響なのか?」

「いや、輝孔が現れても周囲の闇空は健在だ。マイクロ波は届くはず。あるとすれば、緑の植物に送電菌のネットワークを壊されたか……」

「そう言えば、ラジオ草の群生地が一斉に枯れていたという報告があった。」

「それだ! だが、送電菌のネットワークは広大だ。群生地の一つが無くなったくらいで電力が途絶えることはない。」

「つまり、電力を供給できなくなるほど大量にラジオ草が死滅したと……」

「……これって、文明が滅びる出来事なのでは?」

「電気に依存する文明に到達していたら滅びるな。二千年前の古代文明でも電気を利用していたことが判明している。」


 二人は顔を青褪めさせた。

 この世界の文明は、大地から無尽蔵に汲み上げられる電力に依存していた。

 無尽蔵と言っても一度に取り出せる電力には限度があり、星空の時間帯にはその上限が大幅に下がる。

 だから電力を安定させるための蓄電設備や補助的な発電機も存在するので、いきなり完全に停電になることはない。

 しかし、蓄電設備はあくまで供給電力を平滑化するためのもので長期間に渡って電力を供給することはできない。

 発電機にしても重要な設備が一瞬でも停止することを避けるための蓄電設備の予備であり、広く一般に電力を供給する能力も無ければ給電できる時間も限られていた。

 ラジオ草と送電菌による電力ネットワークが復活するまで、それらの電力供給が持つ可能性は限りなく低い。

 地下を流れる電力の供給が止まれば、何日も待たずに文明の利器の多くは機能を停止する。

 既にその影響は出始めているだろう。

 文明を支えるエネルギーが失われてしまえば、その影響は甚大だ。

 少し不便になる程度では済まず、場合によっては命に関わる問題を生じる。

 社会は大いに混乱するだろう。

 その混乱が限界を超えれば、社会そのものが崩壊する。

 危機的な状況に気付いた一部の者が、混乱を未然に防ごう、あるいは最小限に留めようと奔走を始めるが、有効な対策を立てるのは困難だろう。

 根本原因である電力不足には打つ手が無く、そして何よりあまりにも時間が無かった。


 そして、事態はさらに悪化して行く。


「何でこんなところに、こんなに大きな木がいきなり生えているんだ!?」


 地面を埋め尽くす草に後れを取った樹木が、遅れを取り戻すように急速に成長していた。

 舗装された道路も、人の作った建物も突き破り、太陽光を独占しようと高く広く枝を伸ばした。


「こんな酷い嵐は初めてだ。どうなっているんだ?」


 世界各地で異常気象が多発した。

 ある場所では強い嵐が吹き荒れた。

 ある場所では激しい落雷に人々は恐怖した。

 ある場所では大雨が降り続き洪水が発生した。

 ある場所では乾燥が続き水不足が心配された。

 ある場所では熱波が襲い暑さに苦しんだ。

 ある場所では寒波が襲い寒さに苦しんだ。


 この世界の人々には知れていない重要な事実が幾つか存在する。

 例えば、ラジオ草は降って来るマイクロ波を受けるだけでなく、自らもマイクロ波を発する能力がある。

 ラジオ草が発したマイクロ波を闇空が受けると、その場所めがけて闇空からマイクロ波が送り込まれる。

 そんな仕組みが存在していた。

 また、ラジオ草と同様の生物は海にも存在し、海上でマイクロ波を受けて養分を生産して海の生態系を支えていた。

 世界各地に降り注ぐマイクロ波は、こうした生物が受け取って活力にする他、地面や海水に吸収されて熱となった。

 日の射さない常夜の世界が凍り付かない理由は、マイクロ波が照射されていたことにあった。

 世界各地にほぼ均等に降り注ぐマイクロ波は、温暖で穏やかな気候を作り出していた。

 しかし、日光が差し込んだことでそのバランスが崩れた。

 まず、マイクロ波を受けて育つラジオ草などの生物が全滅した――完全に死滅してはいなくてもその活動を停止したことでマイクロ波が途絶えた。

 マイクロ波の代わりに降り注ぐ太陽光が地表を温めることになったのだが、光の当たり方は一様ではない。赤道付近で強く、極地で弱くなる。

 日照の不均衡は気温の差を生み、その温度差を均すように大気の大循環が始まった。

 その結果が、各地で頻発する異常気象である。

 膨大な太陽のエネルギーは、大規模な気象現象の形でその猛威を振るい始めたのである。


 様々な異変を引き起こした輝孔は、闇空をゆっくりと移動して、出現から一月ほどでその輝きを失った。

 実際は闇空の一角に輝孔だった箇所は今も存在するのだが、そこから漏れる光が地上を向かなくなったために分からなくなっているだけである。

 よく観察すれば微かに漏れる光から輝孔の場所を見つけることはできるだろう。

 だが、そのようなことをしている余裕のある者はいなかった。

 人類は文明崩壊の瀬戸際にあった。

 電動の交通機関は全て停止し、遠く離れた場所との行き来が実質的に不可能になった。

 発達していた通信網も寸断され、遠隔地とは連絡を取り合うことも難しくなった。

 国際的な協力は見送られ、狭い範囲で自給自足を目指すことでどうにか生き延びようとしていた。

 社会生活をギリギリで維持していたのだった。


 闇空から輝孔が消え、再び星の光も無い漆黒に戻ったが、それで全てが元通りとは行かなかった。

 一度死滅したラジオ草は、種子は残っていたとはいえ、簡単には元に戻らない。

 闇空から輝孔が消えた後、芽吹いたラジオ草が群生地(コロニー)を作り、闇空から受けたマイクロ波をエネルギーに変換して余剰電力を送電菌に渡す。

 そうしたラジオ草と送電菌の電力ネットワークが広範囲に再構築されるまでには、年単位で時間がかかった。


 その間、人類にとっては試練の時となった。


 世界から光が消えた。

 闇空の下、光を灯していたランタン(ツリー)発行体(ランタン)を全て落とし、陽光の下で茂らせた葉も全て落とし、種子の入った果実をばらまいた後で休眠状態に入った。

 人工の照明器具も電力が無ければ光らず、火を灯して明かりにしようとして火事を起こす者も出た。

 星空の微かな星明だけがほぼ唯一の光源となり、闇空は世界に闇をもたらす恐ろしい存在に変わった。


 深刻な食糧不足が発生した。

 この世界の植物は、送電菌が供給する電力に頼っていた。

 地下から電力を得られなければ、植物は成長しない。

 あらゆる畑の農作物が成長を止め、枯れて行った。

 植物だけではない。家畜も飼料が無ければ飢えて死ぬ。

 人々は食糧を求めて奔走した。

 手に入る食べ物は、輝孔が現れる以前に収穫された農作物、加工された食品、飢えて死ぬのを待つばかりの家畜の肉など。

 備蓄はそれなりにあるはずだが、流通が停止したため行き渡らず、また食糧の生産が再開される目途が立たないこともあって、食糧の奪い合いが始まっていた。

 実は陽光の下で一気に成長した緑の植物の中にも食用になる物が多数含まれていたが、二千年に一度しか姿を現さない植物の知識などあるはずもなく、そのほとんどが鳥や獣や虫に食べられてしまった。

 結果として多くの人が飢えることになった。

 そして、飢えたのは人だけではなかった。

 植物が軒並み枯れたことで草食動物が数を減らして行った。

 草食動物が減ったことで肉食動物も飢えることになった。

 飢えた獣は時に行倒れた人の死肉を貪り、やがて生きた人間をも襲うようになった。

 襲ってきた獣を討ち取ればその肉を人が喰い、失敗すれば獣が人を喰う。

 食うか喰われるか。熾烈な生存競争が始まった。


 気候も厳しいものとなった。

 太陽光の引き起こした大気の大循環とそれに伴う異常気象は次第に落ち着いて行った。

 その代りに起こったのが、寒冷化だった。

 マイクロ波を受信するラジオ草等の植物が死滅、あるいは活動を停止したことで地上に降り注ぐマイクロ波が大幅に減った。

 闇空から降り注ぐマイクロ波こそが地上を温めていた熱源であり、そのマイクロ波を地上に誘導していたのがラジオ草だった。

 マイクロ波に代わって地上を温めていた太陽光が隠れると、その熱は急速に失われて行った。

 最初は大気から熱が逃げ出し、次いで海が徐々に冷えて行った。

 人々が初めて経験する冬は、長く続いた。


 人々は闇に怯えた。

 飢えに苦しんだ。

 狂暴化した獣に脅かされた。

 底冷えする寒さに凍えた。

 数々の苦難に人々はただひたすら耐え、時に耐えきれずに多くの死者を出した。

 文明の利器を失った人々は自然の猛威に対して脆弱だった。

 分断され、社会が崩壊しかかっていた状況では組織的な対応も十分に行えなかった。

 次々と発生する新しい脅威に、過去に蓄積された知識は、そして今現在の知識であってもなんの役にも立たなかった。

 人類は、徐々に衰退して行った。


 そして十年ほど過ぎると多くの地域でランタン(ツリー)に明かりが灯った。

 枯れたり倒れたりした木も多数あるので元の明るさに戻るまではまだ時間がかかるが、星明より力強い光に人々は安堵した。

 さらに十年ほど過ぎると、食用になる植物が収穫できるようになった。

 倒木に生えるキノコや獣の死骸を漁って飢えをしのいでいた人々の食生活に、少しだけ余裕が戻った。

 寒冷化していた気候が元の温暖な状態に戻るまでには半世紀を要した。

 気候が安定するまでには度々局所的な異常気候も発生して人々を苦しめたが、暖かく穏やかな陽気が続いて人々は一息ついた。

 生態系が安定するまでには一世紀近くを要した。

 その間、有用な動物や植物が姿を消したり、見慣れぬ生物が大量発生したりと過去の知識が役に立たない狂乱の時代だった。

 生態系が安定したことで農業の収穫も安定し、害獣への対処も決まった方法が定着して行った。

 人々の暮らしはようやく安定し、減少し続けていた人口が増加に転じた。

 昨日と同じような明日がずっと続くことが期待できるようになり、知識の継承が有効となった。

 ここから徐々に文明が発展していくのだろう。

 しかし、これまであまりに多くの人が死んだ。

 かつての栄えた文明を知るものはほぼ全て死に絶え、存命の者がいたとしても非常に高齢だ。

 旧文明の知識を記した書物は、明かりや暖を取るために燃やされた。

 旧文明の便利な機器は、使えないままに朽ちて行った。

 文明は継承されることなく、滅んだのだ。


 そして、また新しい二千年紀が始まった。


アイザック・アシモフの有名な短編「夜来たる」は六個の太陽が一日中地上を照らす夜の無い世界で生まれて初めて星空を見る人々の物語です。

逆に、夜しかない世界に朝日が昇る話をかけないかと思い立ちました。

最初に考えたことは、常夜の世界を作る方法でした。

地下に閉じ込められた環境など限られた状況ならば陽光の届かない夜だけの世界も可能ですが、惑星全体を夜にすることはなかなかに困難です。

太陽そのものを無くすと夜明けをもたらす太陽をどこから持ってくるかが問題になります。それと、地上が凍り付きかねません。

そこで、太陽を隠すことにしました。

作中に出て来る「闇空」はダイソン球の出来損ないのようなものです。

SF作品にたまに登場するダイソン球は、恒星の放つエネルギーを余すことなく利用するために星を囲う球殻状の構造物として描かれます。

本作の闇空はダイソン球ですが、所々穴が開いています。

本来は人が居住する惑星の運行に合わせてその穴が光を通し、人々は陽光の恩恵を受けていました。

しかし、闇空を作った宇宙文明が滅びたことで、その仕組みが狂いました。

結果として二千年に一度の朝となったのがこの世界です。

また、闇空は吸収した太陽光のエネルギーを任意の場所にマイクロ波の形で送信する能力があります。

この闇空の機能を利用する能力を獲得した植物が「ラジオ草」になります。

日の射さない世界で人が生活できる環境を作るために考えた設定ですが、生物は様々な環境に適用するものです。

二千年に一度の日光を地下で待ち続けるとか、日の光に代わるエネルギー源を見つけ出すとかありそうです。

そうやって夜の世界の生態系や気候を考えているうちに一つ気が付きました。

この世界、ちょっとバランスが崩れれば簡単に滅びる。

そんなわけで、「夜来たる」では百万の星空に人々が魂を奪われたことで滅びますが、この物語ではもっと物理的に滅びます。

現在の文明の発展も、ここ数千年にわたって地球の環境が安定しているからだと聞いたことがあります。

宇宙規模の異変は、文明を滅ぼすきっかけとして十分なインパクトがあると思います。


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