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詩織ちゃんの憂鬱 for YouTube

作者: なつみかん
掲載日:2022/12/22

二〇二〇年四月一四日 朝七時五分

閉じられた部屋の中にご飯を炊く匂いが漂ってきた。窓越しに聞こえる車の音、遠くでは線路をはしる電車の音がしている。聴覚、嗅覚に朝の到来を告げられ真鍋詩織はゆっくりと目を開いた。そしてカーテンの隙間から入る陽の光に少し憂鬱そうな表情を浮かべる。


(そろそろ起きなきゃ)


そう思いながらもなかなか体を持ち上げられない詩織は、そろりとベッドから足を床に下ろすと、上体を起こしそのままベッドの縁に座った。備え付けのベッドテーブルにあったヘアゴムを手に取り髪を上に結ぶ。


「ふぅ……」


大きなため息を漏らしながら、再びベッドの布団に上体を投げ出した。


「今日は何しようかなぁ」


天井を見上げながら誰に聞かせるでもない言葉が口からこぼれた。

 三月二日に始まった休校は、一か月経った今も続いている。思いがけず訪れた長い休みは、流行り病の感染予防のためであることは理解していたし、喜ぶことではないことはわかっていた。しかし休み時間のたびに図書室から借りた本をひらき、たまに声をかけてくる同級生と二言三言の言葉を交わすだけの毎日…… それならうちでゆっくりと好きな本を読んでいたい。そう思った詩織は何の煩わしさもないであろう日々の到来を内心よろこんでいた。だが実際その休みを迎えてみると学校の宿題、学習教室の宿題、さらには母からの課題で午前中はずっと机で過ごすことになっていた。おまけにこの得体の知れないウィルスのせいで気軽に散歩にも出かけられない。この一ヶ月半の間、殆ど自室とキッチン、トイレを行き来するだけの、入院でもしているかのような生活にうんざりしはじめていた。


 詩織は再び上体を起こすと、立ち上がり自室のドアノブをまわした。部屋隣のキッチンで調理する匂いは、起きたばかりの彼女にはあまり心地よいものではない。古びたガス台では母 由美子が忙しく朝食の準備をしている。


「お母さん、おはよう」


「おはよう、朝ごはんできたよ」


「うん」


詩織はパジャマ姿のままテーブルに着くと、六枚切りの食パンを袋から出して、目玉焼きとソーセージが載った皿のはしに置いた。由美子は詩織の前にあるコップに豆乳を注ぐ。


「もうすこしでお母さん仕事いくからね。今日の課題午前中のうちに終わらせて。終わったらラインちょうだい。受験まであと八ヶ月しか無いんだからしっかりね」


「……うん」


この休みに入ってから何度も繰り返した朝のやりとり。詩織はコップの豆乳を一口飲むと、パンにブルーベリージャムとマーガリンを塗り口へと運んだ。

由美子は詩織の前の席に座り、炊き立てのご飯を食べ始める。二人だけの家族でありながら二人の朝ごはんは別々だ。一枚の食パンをのんびりと食べ進める詩織に対し、由美子は時計を気にしながらいそいそと茶碗のご飯をかきこむ。詩織が食パンの半分も食べないうちに、茶碗を空にすると、食器を流しに運んで自分の部屋に駆け込んだ。それを気にする様子もなく詩織はモグモグしている。そして食パンが残り一口となった時、出勤姿と化した由美子が部屋から飛び出し食パンをついばむ詩織に目を向けた。


「おやつとお昼は冷蔵庫に入っているからね。今日の帰りは七時くらいだから…… 何かあったらライン入れて。急ぎなら病院に電話して。じゃあ行ってくるね」


由美子は隣町の病院で看護師として働いている。その為仕事中は携帯に出ることができず、親子の連絡はラインでのトークで行なっていた。緊急の用事があるときは病院に電話する事になっているのだが、これまで一度もそんな事態になったことはない。

 由美子は返事を待たずに『バタン!』というアパート特有の鉄扉が閉まる音とともに詩織がいるキッチンから出ていった。隣の住人も既に出かけたのか、全く人の気配を感じない。残された彼女は食べ終えた食器を流しに運ぶと、冷蔵庫脇に置いてある箱買いしたお茶のペットボトルを一本持って自室に戻った。カーテンを開け 窓に向けられた小さめの平机越しに外を眺める。眼下では出勤のためたくさんの車が行き交うも、人通りは殆どない。市内の小中高校は全て休校となり、外出も控えるよう学校から言われている。それでもどこからか聞こえる鳥の鳴き声が何事もない平和な日常の雰囲気を醸しだす。詩織はベッドに置かれたiPhoneを手に取ると、ベッドのヘリに座りYahooニュースのサイトを開いた。相変わらずコ○ナの文字が幾つも並んでいる。国内感染者数は七五〇〇人を超えたらしい。

母親が勤める病院もこの流行り病の感染者を受け入れている。そんな中にいて感染しないかと心配になりながらもスマホのブラウザを閉じると、重い腰を上げ机の椅子にすわった。机の上には由美子が準備した今日の課題が載せられている。学校や学習教室の宿題は最初の3日で終わり、その後は母親が準備した大量の問題プリントが毎日の課題になっている。


 詩織は小学三年生の夏休み前、ちょっとしたパラダイムシフトがあって中学受験を目指すこととなった。当時、詩織の成績はお世辞にも良いとは言えない。それどころか最底辺にいた。そのような成績から中学受験を目指したのだ。

アレから二年半、毎日三、四時間。休日は八時間の勉強をこなし今では学年トップ。理系科目では県内一桁の順位を何度も取るまでになった。


詩織は机の上のプリントの山を理系科目と文系科目に分けるとウサギの形を模したキッチンタイマーをセットしその問題を解き始める。静まり返った部屋の中にシャープペンが紙の上を走らせる音だけが聞こえてくる。

90分後キッチンタイマーのアラームがけたたましい音を立てると詩織は握っていたシャープペンを机に置きアラームを停めた。

苦手にしている文系科目のプリントを解き終え、背もたれに寄りかかりながら伸びをする。机の隅に置いてたペットボトルのお茶を一口含むと、立ち上がりキッチンへの冷蔵庫へとやってきた。

 詩織は冷蔵庫からプリンを二つ取り出し、引き出しの紙スプーンと共に部屋に持ち帰った。窓を開けて一つ目のプリンを口にしながら外を眺める。四月とはいえまだ冷たい風が体を撫でると、詩織はブルンと身体を震わせた。それでも詩織は外を眺めながら冷たいプリンを口に運び優しい甘さを堪能している。

部屋の窓から数百メートル先に詩織の小学校が見える。そのグランドでは一輪車で遊ぶ女の子と、ケイドロでもしているのか不規則な動きで走り回っている何人かの児童が目に入った。


(学校は休みでも学童はあるんだ……)


詩織も三年生春までは学童に通っていた。その頃を思い出しながらその様子をながめていたが、当時の嫌な思い出も蘇りピシャリと窓を閉めて再び机にむかった。


(あと今日は理科のプリント四枚だけ……)


さっきと同じようにキッチンタイマーをスタートして最初のプリントに取り掛かった。

今回のプリントは天体。中学受験で天体は計算問題としてよく出題される。でもだいたいパターンは決まっていてあとは暗記だ。暗記する星座も星の名前もそれ程多くは無い。


「青白い星は…… スピカ……と……

 太陽までの距離 1億5000万キロ? 

 黒点の温度 4500度だっけ?」


月までの距離、太陽までの距離や温度など、何度やっても自信無さげだ。その時々で書く答えは違ってしまう。

早く終わらせてスマホで動画を見たい。

そんな思いから鉛筆を走らせる音は加速して、プリントの文字も雑さを増してきた。プリントを始めてから約九十分。アラームがなったとき時計は十一時三十分をさしていた。


「疲れた……」


そういって椅子から立ち上がり大きく伸びをしながら窓の外に目を向ける。その瞬間詩織の身体が硬直する。詩織の部屋の窓を瞬きもせずに見上げる視線。その主は羽柴真美。詩織の同級生だ。小学校に入って初めてできた友達で、低学年の頃は何度となくお互いの家を行き来していた。家族ぐるみの付き合いもあってよく遊びにでかけたものだが、小学三年生の頃から急に関係が悪化して今では犬猿の仲だ。

 そんな真美との関係が面倒になり、詩織は彼女に関わらない様に努めているのだが、ことあるたびに真美の方からちょっかいをだしてきて何度もトラブルにもなっていた。また学校でペアやチームを作るとき、仲のいい友達が殆どいない詩織とトラブルメーカーの真美は最後まで残りペアになることが多い。すると、「詩織ちゃんとは組みたくない」と拒んで、授業の進行を遅らせることがたびたびあった。詩織は由美子に

「学校は遊びじゃないんだから、苦手な人とでもちゃんとする様に!」

と強く言われているので、嫌な顔をしつつも真美を拒まなかった。しかし、真美は全力で拒絶する。そんな二人の関係を見かねた各学年での担任は何度も関係改善を試みたが、良化の兆しは見えなかった。そんな真美が外から詩織の部屋をみているのだ。そしてそんな彼女と目が合ってしまった。


(真美?! いつからいるの?)


(今、家にいるのは私だけ)


そう思うと詩織は急に怖くなり、すぐに目をそらして窓をしめた。カーテンの隙間からそっと外をみると真美はまだこちらを見ている。そしてまばたきをして再び真美の姿を捕らえようとしたとき、真美の姿は無くなっていた。


(……こわい)


詩織は窓から離れて、ベッドに飛び込むとスマホを手にして気を紛らわそうとYouTubeアプリをひらいた。


小学校に入ってから何度となくトラブルにあっているが、その殆どは真美が元凶だ。彼女が何故自分にちょっかいをかけてくるのかが理解できない。だが詩織は真美との関係が悪化し、同学年の女子間が混沌としている理由は理解していた。そしてその原因が自分である事も……

 小学校入学当時の詩織は運動も勉強も苦手で、他にも取り立て秀でたものはなかった。また他の子と積極的に遊ぶような性格ではなかった為、クラスの中でも孤立する事が多かった。そんな詩織と似たような境遇だった真美とは休み時間など一緒にいることが多くなり、いつしか詩織は”大親友”というまでになった。

 ただクラスの中での詩織の立場はあまり良くなかった。いじめられこそしなかったが、クラスの中でも比較的勉強のできる花鈴に手下のような扱いを受け、また学童でも謂れのないことで迫害を受ける事もよくあった。しかし小一年から習い始めた演劇で徐々に度胸と打たれ強さを身につけ、母親による徹底指導のおかげで学力は急激に向上し小学三年に『二学期デビュー』を果たした。小学四年生になると児童会にも立候補して、たった一年でクラス内での立ち位置が劇的に変わったのだ。

 しかしこうなると今までは起こりえなかった事も発生する。クラス内の力関係は詩織を中心に崩れ出した。学力面でも精神面でも強くなり花梨の支配を脱すると、花梨の支配下にあった他数人もこれとばかりに花梨から離れた。そして花梨はクラス内で孤立。

真美はそんな詩織から距離を取るようになり、やがて敵視するようになる。そして情緒不安定な行動をとり幾つものトラブルをひきおこしたのだ。こんなクラスの変位の原因が詩織ではあるものの、一ミリだって彼女が悪いわけではない。しかしこの毎日のように起こるトラブル、女子間の混沌の中にいることは大きなストレスとなっていたのだ。

そこで詩織はこの状況から脱するため由美子が提案した中学受験に乗ったのだった。


(それにしても真美ってば、何で学校が無い日までチョッカイかけてくるのよ)


詩織はスマホを眺めていても、さっきの真美の目が頭から離れない。詩織はぶつぶつと独り言を言いながら動画を眺めている。


『ピンポーン』


急になった玄関の呼び鈴に詩織の身体はビクリと跳ね起きた。


(何よ。こんな時に……)


詩織は足音を立てないように玄関前に行くと、そっと覗き窓からドアの外側を覗きみる。


(誰もいない……)


そして静かに玄関ドアを開けて顔を出してあたりを見回した。やはり誰もいなかった。


(ピンポンダッシュとか、近所の子供かな?)


そう思ってドアを閉めようとした時、ドアの前に何かが落ちているのが目に入った。


「うわぁっ!!」


そこにあったのは二匹のハムスターの亡骸だった。詩織は力一杯ドアを閉め鍵をかけた。


(絶対真美だ。何あいつ。おかしいよ!)


何をしでかすかわからない彼女に怯えながら、まとめられた遮光カーテンの隙間から窓の外を見渡すと遠くに真美が歩いている後ろ姿がみえた。

その姿にホッとしながら詩織は机に向かう。


(真美とこれ以上関わりたくない。

絶対に違う中学に行くんだ)


そう決心して再ひ今日の課題をもう一度見直した。



二〇二〇年四月十六日 六時三十分

 詩織の部屋で目覚ましが鳴っている。小さな音で鳴り始めたアラームは時間の経過とともに大きくなり、今はけたたましく耳障りな音を立てている。だが真下ではそんな音を気にする様子もなく詩織は寝息を立てていた。


「詩織!起きなさい!周りの部屋に迷惑でしょ!」


突然部屋のドアが開き、由美子の声に薄目をあける。それでも詩織は慌てた様子もなくノソリと手を伸ばして、目覚ましのアラームを止めた。

頭は枕に埋めたままだ。


「まったくもう……」


由美子はその様子をため息混じりでみている。


「ほら。宿題とか準備したの? 遅れるわよ」


そう言われて詩織はようやく顔を上げた。

今日は一ヶ月半ぶり、学年が上がっての初の登校となる。夏休みよりも長く、課題もほとんどない休みにすっかりペースが乱れている。


「ヤバい! 何も準備していない!!」


詩織はあわててメールで連絡された今日の提出物を、ランドセルに詰めはじめた。由美子は呆れ顔でため息をついた。


「成績上がってもこういうところはさっぱり成長しないんだから……」


登校準備を終えた詩織が台所に現れたのは七時半になろうとしている時だった。その姿は既にランドセルを背負っていた。


「早く朝ごはん食べなさい!」


「食べる時間無いからいらない。どうせ今日はすぐ終わるし……」


バタバタと靴を履きながら答えた。


「いってきまーす!」


そういうと勢いよくドアを開けてとびだした。この日は分散登校なので通学班はない。家を出て小走りで学校へ向かったが、二百メートル程行ったところでスピードを緩め歩き出した。

学校に近づくにつれて休校前のトラブルのことや、先日のハムスター事件が頭をよぎって憂鬱な気分になってくる。


(さすがに今日は何も起こらないよね……)


詩織は力なく笑いながらぽりぽりと頬を掻いた。

そうは思っていても、校門をくぐり、昇降口を通って、新六年生教室に近づくにつれて足どりは重くなっていく。三月にあるはずだった卒業式も、今学期の始業式もないまま進級したことに違和感を感じながらも、詩織はいつものように教室の後ろのドアからこの新しい学年の教室に入った。さっと辺りを見回し、真美の姿を探したが見当たらない。詩織はホッと胸を撫で下す。だが心なしか教室内が騒ついているように思える。

詩織は机に貼られた自分の名札を探し、机の脇にランドセルをかけた。なぜかクラスメイトからの視線を感じる。


(何? この感じ……)


そう思いながら席について読みかけの本を取り出した。


「ねぇ、詩織ちゃん」


「あぁ、唯ちゃんおはよー」


クラスの数少ない友達、唯が話しかけてきた。


「真美ちゃんの事聞いた?」


詩織はその名前を聞いてドキリとする。


「真美がどうかしたの?」


平静を装って聞いてみる。


「真美ちゃんね……」


唯がそう言いかけたとき、


「真壁さん! ちょっといいかしら……」


後ろのドアから詩織を呼ぶ女性の声があった。


「はい! 何でしょうか?」


呼んだのは担任 草苅淳子だった。詩織は草苅の元へ駆け寄る。その言動にクラスメイトの視線が注がれ、詩織を見ながらゴソゴソと何か言っているのが頭の後ろに聞こえた。だがそれを聞き取る事ができない。うしろ髪ひかれながらも草苅と共に職員室隣にある会議室へ向かった。道中の廊下で草苅は何も話してこない。会議室に入ると、そこに学年主任と教頭が仁王立ちしていた。ただならぬ雰囲気に呑まれそうになりながら言葉を絞り出す。


「先生、何の御用でしょうか?」


対峙している三人からも緊張感が伝わってくる。


「真壁さん、えーっと……」


草苅がそう言いかけたとき、学年主任の先生が横から割って入ってくる。


「あぁ、草苅先生、私から話しましょう」


そう言われて草苅は一歩後ろに下がると、代わりに学年主任が一歩前に出てきた。


「真壁詩織さん、君は同じクラスの羽柴真美さんは知っているよね?」


「はい。勿論知ってます」


詩織はチラリと草苅に目線を移すと、神妙な面持ちで二人の対話をみていた。


「羽柴さんは一昨日昼に家をでてから家に帰っていないそうなんです。真壁さんは羽柴さんが行きそうな所とか心当たりありませんか?」


「いいえ…… でも何故私に?」


そう詩織は聞き返す。


「一昨日のお昼過ぎに、あなたのアパートから真美さんが出てきたのを見た人がいるのよ。真壁さんのところに行ったんじゃないの?」


後ろに下がっていた草苅がそう聞いてきた。詩織は暫く口を噤んでこの先生たちにどう応えるかを考えた。一昨日真美がアパートに来ていた事は母親にも言っていない。これ以上由美子に心配をかけたくは無かったからだ。しかしこの状況で下手に隠すのは後々面倒な事になりかねない。詩織は大きく息を吸い込むと、


「草苅先生はご存知でしょうが、真美とはうちに遊びにくるような仲ではありません。一昨日は確かにうちの前で彼女の姿を見ました。真美は道路から私の部屋をジッと見ていて、たまたま外を見た時に目が合いました。そのあと暫くしたら玄関の呼び鈴が鳴ったので覗き窓からドアの外を見たのですが、誰もいなかったのでドアを開けたら二匹のハムスターの…… えっと、その……な、亡骸がありました。これは真美がやった証拠はありませんが、私は真美のしわざだと思っています。これが一昨日あった全てです」


詩織は事実と自分の見解をはっきり説明をしたが、ここまで喋ってからゴクリと唾を飲み込み汗ばんだ掌を握りしめた。学年主任は腕を組んで詩織をみおろし唸っている。


「先生。警察へは……」


詩織がそう聞くと、学年主任は大きくため息をついた。


「届けてあるそうです。だが君のアパートから真美さんが出るのを見たと言う話を、真美さんのお母さんが聞いて……」


「先生!!」


草苅は学年主任の話を遮る。

だが詩織には学年主任が言おうとしていたことは大凡想像がついた。それに苛立ちを覚え拳に力が入る。


「これ以上お話が無いのでしたら、私はこれで失礼します」


「あ、ああ……」


詩織はどうしようもない苛立ち抱えたまま会議室を後にした。教室に戻るとやはり詩織に視線が集まった。


(今までの真美との事を知っていれば私に疑いがかかるのはわからなくもないけど、小学生の私が同級生をどうにかできると思っているの?)


詩織が席について数分後、草苅が教室に入ってきた。そして真美のことには全く触れないままホームルームが行われ下校を迎えることとなった。

帰宅の最中も苛立ちはおさまらない。しかし詩織は一度深呼吸をして一昨日の事を思い返してみた。


(一昨日、私は確かに真美が遠くに歩いていく姿を見ている。少なくともうちの近辺で行方知れずになったわけではない)


窓から見た真美の後ろ姿を思い出し、そこから真美の家までの経路を想像した。


(最後に見た場所から真美の家までは約一キロ。その間にさらわれたり、襲われたりと言う可能性は否定できない。まして今はマスクなしに外を出歩こうものなら自粛警察の餌食になりかねない。あの時の真美はマスクなんてしていなかったし……)


詩織が安直に『自粛警察のせい』ということで自分の中で片付けようとしていた時、ふと学校での話を思い出した。


(うちのアパートから真美が出てきたって誰に聞いたのだろう?)


アパートには同じ小学校に通っている人はいないし、近所にも今年入学の一年生がいるくらい。仮に出てくるのを見たとしても、真美の事を知っているとは思えない。


(そういえば学年主任の話だと真美のお母さんもうちのアパートから出てきたのを知っている風な言い方だった…… 一昨日の話なのに何処からそんな話を聞いたんだろう?)


そんな事を考えながら歩いているうちに自分のアパート前まできていた。階段を上り部屋の鉄扉を開け、鍵を閉めると自室に入って机脇にランドセルを置いた。そして窓を開け一昨日真美を見た場所を確認してみる。


(やっぱりおかしい。真美がこのアパートにきていた事を知っているのは、私と真美本人以外考えられない。かと言って真美が言いふらして回るわけない)


そう考えた時、一つの仮説にたどり着く。


(噂を流したのは真美のお母さんだとしたらどうだろう? 真美のお母さんは確か専業主婦だし、真美が一昨日出かけて行ったのは知っている可能性が高い)


詩織は真美の家の状況が気になり出した。

そして由美子の部屋から双眼鏡を持ってくると真美の家を探した。だが部屋からは家の屋根しか見えない。詩織は実際に家の近くまで行って確認する事にした。人に見られても自分だとわからないように大きなマスクをして、深めの帽子をかぶり家を出ると真美の家の方へと歩きはじめた。一昨日真美の後ろ姿を確認したあたりに差しかかる。そこで辺りを見回した。


(この辺りで真美を見たとしても、うちのアパートに来てたなんてわからないよね)


そして再び歩き出す。相変わらず道を歩く人は無く、誰とも会わないまま真美の家まで来てしまった。そこで物陰に隠れ真美の家の様子を窺った。

特に変わった様子もない。

……と、ちょうどその時、真美宅の玄関が開き中から真美の母親が出てきた。彼女は玄関前に停めてある車に乗り込むとどこかに出かけていった。


(真美を探しに行くのかな?)


詩織は見つからない様に注意を払い、真美の母親の車が見えなくなるまで隠れていた。


(真美のお母さん、意外と普通だったな……)


自分の一人娘が行方不明になり、取り乱している様を想像していただけに、この母の様子は予想に反するものだった。暫くその場に身を潜めていた詩織だったが、真美の母親がいないこの家を見ていても仕方ないと、帰路に着こうとしたとき二階の窓に人影を見た。詩織は再び身を隠して見つからないように窓の様子を窺った。


(真美!?)


いないはずの彼女の姿を目にして、狐につままれたような気分になった。


(真美、いるじゃん!)


これはどんな状況なのか?


(真美が帰ってきた? でなきゃ見つかったのかな?

……いや、私が先生に呼ばれたのはほんの二時間前。その間に見つかった割には真美もお母さんも平静過ぎる)


詩織はその仮説をすぐに否定した。


(あとは真美が自分の家にいながら母親に見つからないように隠れて失踪を装っているとか?)


そう少し考えたところで詩織は失笑した。


(それはないよね。真美のお母さんは専業主婦でずっと家にいるんだ。その中で物音立てずに篭っているなんて無理だよ。そうなると残るは……)


最後の説。詩織はその場を後にして自宅に帰ることにした。アパートに着いて時計を見ると十三時をすぎていた。朝食を抜いてこんな時間を迎えていても昼食をたべる気にはなれない。詩織は冷蔵庫からプリンを持ってきて机に置いたところで、ポケットのスマホが鳴り出した。画面には『お母さん』と表示されている。


「もしもし、お母さん?」


「詩織。さっき学校から電話があってね、真美ちゃんが居なくなったって! 一昨日うちのアパートから出るのをみた人いるらしいんだけど、真美ちゃんうちにきたの?」


詩織は大きく溜息をつくと由美子にコトのあらましを説明した。そして自身の仮説である、『真美親娘による狂言説』をさも事実であるかのように話した。


「お母さん。私、暫くこれに乗っちゃおうかと思ったんだけと……」


「うーん……」


由美子は電話越しに唸り、何か考えているようだ。


「詩織の言う通りなら、真美ちゃんのやっている事にお母さんが口裏合わせているってことだよね。でも真美ちゃんにどんな意図があって……」


「意図って……」


そんなものあるはずが無い。

そう言いかけて口を閉ざした。これまで受けてきた嫌がらせの数々がそれを物語っていると詩織は感じている。

真美は母親に自分の正当性を訴え、そしてあの母親はそれを真に受けて片棒を担いだといったところだろう。真美に意図があるとすれば、失踪することで自分に注目が集まること。そして詩織がその失踪に関わっていると思わせて非難を受けること。それだけだ。

詩織は『真美の意図』はそうであると確信をもっている。


「お母さん、とりあえずいいよ。ちょっと考えるから」


そういうと半ば一方的に電話を切った。


(おそらく……いや、絶対に真美のお母さんは警察に捜索願いなど出してはいない。……となれば……)


そんなとき突然家の電話が鳴り出した。


(家電が鳴るなんてどれくらいぶりだろう。)


詩織は変な胸騒ぎを覚えながら、躊躇いつつも受話器を持ち上げた。


「は…… はい」


由美子に教わった通りこちらの名前は名乗らず電話に出る。


「もっ、もしもし羽柴真美の母です。そっ、そちらに真美は、真美は行ってないでしょうか?」


真美母の声は何度も聞いているはずなのに、あまりの慌てぶりで名乗るまでわからなかった。


「いっ、いえ。きていません」


「そうですか。ありがとうございます」


電話はすぐに切れた。真美母は電話の相手が詩織だという意識もないまま、電話しているような感じだった。

ついさっきまで真美母に対する怒りでいっぱいだったのに、詩織は毒気をぬかれたかのようにポカンとその場に立ち尽くした。





(後編)

詩織は突然の真美母の電話に、状況を把握できず呆気に取られている。


(何? 今の? さっき家にいたじゃん……)


そして今朝、唯が自分に言いかけていた『何か』を思い出した。唯とは同じ幼稚園で、同級生で唯一友人といえる子だ。詩織はスマホに登録されている数少ない連絡先の中から唯を選んで発信ボタンを押した。すると何回かのコールの後に繋がった。


「あっ、唯ちゃん?」


「詩織ちゃん。もしかして真美ちゃんのお母さんから電話きた?」


「うん」


やはりクラスメイト全員に電話しているのだろう。詩織は聞こうと思っていた事を早速問いかけた。


「唯ちゃん、今朝何か言いかけていたでしょ? 何を言おうとしてたの?」


「ああ、それ? 真美ちゃんが詩織ちゃんのアパートから出てきた噂の事だったんだけど……」


「ああそれなら先生からも聞かれたよ。確かに一昨日はアパートの前にいるのは見かけた。それで……」


詩織はピンポンダッシュされた事、廊下にハムスターの死骸を置かれたことを話した。


「おそらくそのハムスターって真美ちゃんが飼ってた子じゃないかな。前にみんなに自慢してたし」


「そんな可愛がった子を何で廊下なんかに……」


そこまで言いかけて、これまでの情緒不安定な真美の行動を思い出して口を噤んだ。


「そういえばさ、今日帰ってから真美の家の前まで行ってみたんだよ。そうしたら真美のお母さんがちょうど車で出かけるところでさ、その時二階の窓のところに真美がいるのがみえたんだ。だからてっきりこの失踪自体真美とお母さんの自作自演だろうって思ってたの」


「……」


唯は黙ってしまった。


「もしもし? 唯ちゃん?」


「詩織ちゃんてさ、真美ちゃんの裸見たことある?」


「えっ、何? 突然……」


あまりにも唐突な質問につい聞き返してしまう。


「あっ、いや、違うくて……」


唯は自分が発した言葉の意味に気がついて慌てている。


「いや、無いよ。私真美とは極力顔も合わせないようにしているし…… で? 真美の裸がどうしたの?」


そう答えると、唯は言いにくそうな様子で話を続けた。


「真美ちゃんさ、身体の色んなところにキズがあるの」


「へー 」


唯はその反応をみて『わかっていない』とばかりに言葉を続けた。


「腕や足、胸やお腹にも刃物で切りつけたような跡が幾つも!」


その様を想像して腕の生毛が逆立ち、鳥肌が立つのを感じる。


「……何それ!? もしかして虐待?」


「多分そうじゃ無いと思う。詩織ちゃんも知ってるでしょ。あのお母さんの異常な可愛がり方。大事な娘にそんな事するとはとても思えない。それに腕の傷は左手ばかりなのよ」


詩織はハッとした。


「リストカットってやつ?」


「多分ね。真美ちゃんの場合、リストだけじゃないけど……」


……だとするなら初めは自作自演のはずだったのが、本当に真美がいなくなってしまった。今の真美は自殺もしかねない。だからあんなにも慌てて探し回っているのではないだろうか? 詩織はそんな事を考えながら唯の話を聞いていた。


「なんかとんでもない事になっちゃったね」


詩織はポツンと呟いた。


「気をつけてね。あのお母さん、こうなったのは詩織ちゃんのせいだと思っているから。何をしてくるかわからないよ」


「うん、わかってる」


そう言って電話を切ると、窓の外に目を向けた。そこは相変わらず春の暖かな風が吹き、いつもの街並みを呈している。そんな中であの真美母が必死に娘を探している姿を想像すると、詩織は胸が締め付けられる思いがした。


 夕方六時、玄関のドアに鍵が差し込まれる音がして、鉄扉が開く音のあと、すぐに由美子が詩織の部屋にとびこんできた。


「詩織! 大丈夫?」


「ふにゃ?」


煎餅を食べながらスマホをいじっていた詩織は、その問いかけに煎餅を咥えたまま由美子の方を向いた。


「良かった…… 無事で……」


由美子はホッとした表情で安堵の溜息を漏らした。


「どうしたの? お母さん?」


口の中の煎餅を急いで飲み込む。由美子はカバンから一枚の紙を取り出すと詩織の前で広げて見せた。


「駅前でね、真美ちゃんのお母さんが配ってたのよ。向こうは私のこと気が付かなかったみたいだけど……」


「真美? やっぱり行方不明なの?」


詩織は真美の母親から電話がかかってきたこと、唯に聞いた事を由美子に話した。


「そんな事になっていたなんて…… でも小学生が失踪なんてちょっと考えにくいよね」


由美子はそういうと最悪のシナリオが頭をよぎったのか表情を曇らせる。


「でも何で駅なんかでチラシ配ってだんだろう? 駅で見た人いたのかな?」


「どうかしらね」


『ぐぅ~っ!! 』


どこからともなく緊張感のない音が聞こえてきた。詩織はお腹を押さえて由美子をみて苦笑いを浮かべる。


「そういえばお昼食べてなかった……」


すると由美子は詩織に苦笑いを浮かべ微笑みかける。


「とりあえずご飯にしましょ。慌てて帰ってきたから、今日はお買い物してないのよ。ありあわせだけどすぐ作るね」


部屋に残された詩織は、母に見せられたチラシの写真を撮って唯に送った。



二〇二〇年四月十七日

 翌日、詩織は課題が終わると大きなマスクと深めの帽子というお約束の変装スタイルで駅前へと足を運んだ。すると昨日由美子に聞いたとおり、疲れた顔の真美の母がチラシを配っていた。その痛々しい姿に詩織の怒りは完全に消え失せてしまった。


「あの……真美ちゃんのお母さん…… 私もチラシ配るの手伝います」


「し、詩織ちゃん?」 


目の前の詩織の姿に目を丸めている。


「ありがとう。今までごめんね」


今の真美母にこれまで詩織に悪態をついていた姿はなかった。昨日、唯に言われ自分でも思っていた事が杞憂であったと感じる。二人は夕方近くまでチラシを配り、その次の日も、その次の日も詩織は真美母のチラシ配りを手伝った。


二〇二〇年四月二十日

 真美がいなくなって五日目、駅前に真美の母は姿を現さなかった。念のために真美の家にも行ってみるが、車は玄関前に停めたまま。いくら呼び鈴を鳴らしても出てこない。


(そえいえば真美ってお父さんはいないんだっけ?)


そんな事を考えながら帰路につく。詩織はスマホを取り出すと、履歴の唯の名前をタップした。


「もしもし唯ちゃん? ちょっと聞きたいんだけど……」


詩織は唯に真美の父親のことを尋ねるが、真美にお父さんの話は聞いた事がないという。由美子であれば知っているかと思ったが、仕事中なのでとりあえず他の線からあたることにした。

歩きながらスマホを弄っているうちにアパートの前まできていた。このままアパートに入ろうかとも思ったが、気持ちが落ち着かない詩織は学校へと向かい歩き始めた。

校門をくぐると低学年の子が、校庭の隅で砂の山を作っていた。その様子を見ている学童の先生に挨拶をして、校舎へと入っていく。生徒のいない学校は妙な静けさをもっていて、何となく長居したくない雰囲気がある。そんな学校の廊下を足早に通り過ぎると、職員室を覗いて草苅の姿を探した。


(あっ、いた!)


職員室の扉をノックする。


「失礼します!」


詩織はそう言って職員室へと入ると、草苅の机へと向かった。そして声をかけようとしたとき、草苅は電話中であることに気がついた。先生は左手をチョコっと挙げ合図をおくる。詩織は話しかけるのをやめ数歩下がったところで電話を終えるのを待つことにした。


「はい、わかりました。それでは確認してみます。失礼します」


何分かして草苅は電話を切った。

そのタイミングで草苅に声をかけようとしたとき


「ちょっと待ってね」


そう言ってこの前の呼び出された会議室へと入ってしまった。詩織は溜息をついてあたりを見回していると、会議室のドアが開き草苅が詩織を手招きしているのがみえた。招かれるがままに会議室へ入ると、そこにまたもや学年主任の姿があった。


(げっ、また?!)


部屋に入るとまたこの前と同じポジションで二人は立っている。そして話始めたのはやはり学年主任だった。


「羽柴真美さんの事なんですが、未だに見つかっていません。真壁さんはやはり心当たりはありませんか?」


詩織は学年主任のいかにもな上から目線な言い方にイラリとしながらも、この問いに応答した。


「無いです」


「そうですか。実はさっき警察から連絡があって、昨日の夜から羽柴さんのお母さんとも連絡が取れなくなっているらしいのです」


「えっ!!」


(昨日の夜って、駅で私と別れたあと?)


「携帯も家の電話にも出ないんで、お巡りさんが羽柴さんの自宅に行ってみたらしいんだがやはりいなかったそうです」


この言葉で今後警察の疑いを受けかねないことに気がつき、取り敢えずここ数日の出来事を話すことにした。


「私、十七日から昨日まで真美のお母さんと駅前でチラシ配りをしてました。そして今日も真美のお母さんがくるだろうと思って駅前に行ったのですが来なくて、暫く待った後に真美の家に行ったんです。そうしたら先生がおっしゃったように誰も出なくて…… それで何かわからないかなと思ってここにきたんです」


学年主任は鼻で大きく息を吐くと


「外出自粛の中、駅でチラシ配りとは感心しませんが…… まぁ、事態も事態だしそれは置いておきましょう。だけどこちらでわかっている事はこれだけです。君は早く家に帰りなさい」


そう言って学年主任は会議室から出て行き、部屋には草苅先生と詩織だけが残された。


「あの……先生。真美ってお母さんと二人暮らしなんですか? お父さんは?」


詩織は聴きたかった事をようやく訊ねられた。


「んー 個人情報だから誰にも言わないでね」


そう言って先生が話したのは、真美の父親は三年前に離婚して家を出て行ったというものだった。それからはあの家に二人でくらしていたそうだ。


(三年前というと真美と仲が悪くなった時期と一致しているな)


詩織は何となく真美の心の闇に触れた気がして、胸の中のモヤモヤが大きくなるのを感じた。


「じゃあ、真壁さん。もうおうちに帰りなさい。不要不急の外出はダメですからね」


「わかりました」


そう念を押され学校を後にした。

その後、真美母娘の情報は全く入ってこなかった。次の登校日にも、先生は真美の事に一切触れない。クラスでの噂話さえ聞こえてこなかった。



二〇二〇年五月一日 十五時

 真美が失踪してから二週間が経った。

真美の母も最後のチラシ配りをした日から見ていない。親子二人が忽然と消えるなんて、テレビのワイドショーにでも取り上げられそうな大事件のように思えるが、そのようなニュースはみていない。日本では毎年八万人ほどがいなくなっているそうだ。そう考えると親子二人の失踪なんてさほど珍しい事ではないのかも知れない。しかしローカルニュースにも取り上げられず、噂話すら無いのはいくらなんでも不自然すぎるような気がする。詩織は二人の新たな情報をもとめ唯に電話をかける事にした。


「ああ、唯ちゃん。あれから真美の話って聞いてないかな?」


あまり期待しないままに、唯に聞いてみた。すると返ってきたのは意外な答えだった。


「えっ? まみ? まみって?」


詩織は唯にからかわれているのかと少し怒った調子で聞き返した。


「羽柴真美だよ。二週間前に行方不明になった! 唯ちゃん、真美の身体にたくさん傷があるって教えてくれたじゃない!」


「私、まみなんて子知らないよ! 誰かと勘違いしてない?」


唯は全く声の調子を変えずにそう答えた。


「あんな自己中でトラブルメーカーな子、間違うわけないじゃない!」


「トラブルメーカー? だってうちのクラス一度だってトラブルらしいトラブルなんてないじゃない」


唯の様子はからかっているでも、とぼけているでもなさそうだ。これが本当に演技だとするなら劇団四季にでも入ってもらいたい。詩織は何がなんだかわからなくなってきた。


「唯ちゃんがアルツになった」


「ちょっと! 誰がアルツよ! 受験勉強のしすぎで頭おかしくなったんじゃないの?」


「えっ?」


詩織は唯の言葉に反応した。


「ねぇ、私が中学受験するって誰から聞いたの?」


「自分で言ってたじゃない。小笠原さんと同じ学校受けるんだって……」


「私、言ってない……」


このクラスは受験する人を応援する雰囲気で無い事から、今のところ家族間だけの秘密にしていたのだ。まだ先生にも話していない。詩織は呆然としながらスマホを耳に当てている。


(何? この状況?)


「詩織ちゃん、疲れてるんじゃない。今日はもう休んだら?」


「うん、もしかしたら私、本当におかしくなったのかもしれない……」


詩織はそう言って電話を切ろうとしたが、もう一つだけ唯に聞いておく事にした。


「ねぇ、もう一個だけ教えて。五年生の時、生き物係していたのって誰?」


「えぇ? 何言ってるの? 詩織ちゃんでしょ!」


(やっぱりおかしい)


昨年生き物係をしていたのは真美だ。詩織は生き物係に立候補したところ、後から真美がしたいと言い出して、散々駄々をこねて仕方なく詩織が引いたのだった。電話を切ったあと昨年の緊急連絡網を確認してみる。そこに真美の名前はない。


(本当に真美がこの世から居なくなった…… というより最初からいないことになっている?)


詩織は考えた。何かもっとインパクトのある『真美絡みの出来事』は無かったか? それがいまどのように変わってしまったのかを確かめたい。ベッドに腹這いになりながら枕に顎を乗せてスマホをいじりながらこれまでのことを思い返した。


(あっ! そうだ! 林間学校!!)


 詩織は四年生の林間学校での出来事を思い出した。

 四年生の夏休み直前、山間にある県の施設で二泊三日の宿泊体験が行われた。その時、詩織のグループは唯と柚葉、そして不本意ながら真美と一緒だった。活動する中でメンバーは真美のわがままに振り回されながらも、なんとか課題をこなしてきた。そして二日目の夜、施設と隣接している廃校のグランドで、キャンプファイヤーが予定されていた。その準備のため各グループは、担当の仕事をする事になっていて、詩織たちはキャンプファイヤー周りのセッティングをしていた。四人は使い終ったトーチを入れる箱を用意してクラスメイトが座るビニールシートを敷き準備をすすめた。

辺りが暗くなりそろそろ始まるという時、真美はトイレに行きたいと言い出した。宿泊施設に戻っている時間もない。その辺りの陰で用をたすよう言うが真美は断固として拒否して、廃校となっている校舎のトイレを使うと言い出したのだった。この校舎のトイレは昇降口を入って直ぐにあるのが見えていた。真美は嫌がる唯の手を引いて廃校舎に入って行ったのだ。それから何分かして唯は真っ青な顔で詩織たちのところへ戻ってきた。

 そして唯は廃校舎に入ってからのことを話し出した。トイレに着くと真美はトイレの個室に入り、唯は扉の前で真美が出てくるのを待っていた。ところがいくら待っても出てこない。痺れを切らした唯は個室の真美に向かって呼びかけると、ようやく扉が開き真美がトイレから出てきた。早く戻ろうとする唯に、真美は「屋上へ行ってみたい」と言い出したというのだ。キャンプファイヤーの時間も迫っていることから、何とか真美と戻ろうとするが、真美は唯の腕を掴み校舎の奥へ行こうとする。唯は真美の掴む手を振り解き校舎を飛び出してきたという。

唯が二人にそんな話をしているとき、その顔は更に青ざめた。詩織と柚葉の隣には真美の姿があったのだ。そして唯は驚き取り乱しながらも校舎での真美の行動を責めたてる。すると真美はトイレになど行っていないという。


これは林間学校が終わってから、学年を越えて語られる話となった。


(これはどのように変わっているのだろう)


差し詰め、トイレに行ったのが自分か柚葉になっているか、トイレには行ってないというところだろうか。漠然とそんなことを考えていた。そしてもう一度唯に電話をかけた。


「もしもし。何度もごめんね。もう一つ教えて。小四の時、林間学校あったでしょ。二日目のキャンプファイヤーの時さ、廃校舎のトイレ行ったの覚えてる?」


「ん? 廃校舎のトイレ? 廃校舎って何?」


「ほら、キャンプファイヤーしたグランドの隣に廃校になった学校あったじゃん」


「えっ? 建物なんて何も無かったよ」


(あれ? どういう事?)


「詩織ちゃん。大丈夫? ホント変だよ。電話なんてしてないですぐ寝なよ」


そう言って唯の方から電話を切った。

詩織の全身から汗が吹き出す。


(ヤバい! ヤバい!! ヤバい!!! 何コレ! 本当にどうなってるの?)


腕を組み冷静になろうとするが、手足の震えが止まらない。気づくと詩織はアパートを飛び出していた。その足は真美の家に向いている。あたりを見回しながら挙動不審な様子で歩みを進める。だがそこは普段見慣れた風景で、特に変わった風でもない。


(ここの角を曲がれば真美の家だ)


そう思いながらT字路の歩道を右折。

そのとき目の前に現れたもの。それは数日前に見た真美宅の変わり果てた姿であった。駐車場であろう場所には枯れた草が積もり、割れたコンクリートからは雑草が生えている。家屋は所々傷んで屋根は錆が浮き出ている。ついこの間見たものとはまるでその様相は変わっていた。もう何年も放置されていると言った感じだ。


詩織は表札があると思われる部分をみてみるが、しっかりと剥がされていた。あたりを見回してもこれが誰の家なのかを知る手がかりは見当たらない。すると向かいの家からホウキとちりとりを持ったお婆さんが玄関から出てきた。詩織は道路の左右を確認すると、小走りで横断する。


「すみませーん。ちょっとお尋ねしたいのですが……」


「はい、何か?」


おばあさんは玄関先を掃こうとする手を止め、詩織に顔を向けた。


「あの、その家なんですが、どなたの家なのでしょうか?」


そう訪ねる女子小学生に、不審がる様子もなく答えた。


「ああ、この家はね、羽柴さんという方のお宅ですよ。でも七年前に事故で小さな子供さんとお母さんが亡くなってね。そのあとお父さんが一人で住んでたんだけど、五年前にその方も出て行って、今は空き家になっているんですよ」


「そのお父さんは今どちらに?」


「さぁ、わからないわね」


詩織はおばあさんにお礼を言うと、もう一度廃屋を見上げて元来た道を戻り歩きはじめた。


(ここにも真美はいたんだ。でも何かの事故に会い亡くなった。しかも真美のお母さんまで…… ということは、ここはパラレルワールド的なところなのかな? でもなんで私はここにいるんだろう? いつから?)


詩織はぼっーと歩いていると、目の前に由美子の歩く姿があった。


「あっ、お母さん!」


「あれ? 詩織、何しているの?」


「えっ、えーっと、さ、散歩?」


言い訳を考えて咄嗟に口から出た言葉に疑問符がついてしまった。


「なぁに、それ。お母さんにきいているの?」


由美子は笑いながら詩織の顔をみた。由美子の右手にはビニールの買い物袋が下がっている。


「お母さん、荷物持つよ」


そう言って由美子の手から袋を受け取ると、横に並んで歩き出した。


「ねぇ、お母さん。パラレルワールドってあると思う?」


「ん? 何それ? 並列世界?」


「そう」


「うーん……」


由美子は空を見上げながら考える仕草をみせる。しばらくして顔を詩織に向けた。


「無いんじゃない?」


「えっ?」


詩織は何となく肯定するような気がしていたので意外そうな顔を浮かべた。


「だってさ。今日カレーにしようかシチューにしようか迷ったとするじゃない。それでカレーを選んだ自分とシチューを選んだ自分ができるってことでしょ。そんな累乗的に増えていく並列世界なんてありえなくない? マンガみたいに一つや二つしかない並列世界はもっとありえないと思うけどね」


由美子のこの根拠は何となく理解できるものの、そうするとこの今の自分や真美母娘の記憶ってどういうことなのだろう。そんなことを考えていた。


「仮にね、何らかの方法でタイムトラベルができて過去に干渉したとすればそれ以降の未来が変わっちゃう、俗に言うタイムパラドックスが起こるよね。そのつじつまあわせのため並列世界って概念を持ち込んだんじゃないかな」


「うーん…… だとするとお母さんは、仮に過去に干渉が起こったらどうなると思うの?」


「さぁね…… でも仮に未来までの道筋ができているとしたらそういう分岐も後々元の道に収束するって考えた方がしっくりくるかな」


詩織は自分で振っておきながら、このどこか宗教的で似非科学っぽい話についていけなくなってきた。


「でも何でそんな話を?」


そう由美子に聞かれて詩織は適当に誤魔化した。



その夜詩織はベッドに入ると真美母娘の事や、由美子との話を思い出していた。


「歴史の矯正力か……」


ポツリとそう呟くと、スマホを取り出して検索サイトの画面を開いた。その検索ワードに”羽柴 真美 事故”と入力して検索ボタンを押す。すると何件かの記事がヒットする。そのうち新聞社のページを開いてみた。



平成二十六年七月二十一日 

家族で県の保養施設を利用していた羽柴美加さん(32)、真美ちゃん(6)は隣接する廃校舎を散策中に建物老朽化による天井落下に会い死亡した。この事故をうけ市はこの廃校舎を取り壊すことを決定した。



(これか……)


詩織はスマホを枕元に置いた。


(これが本来の歴史なら、改変前の真美親娘が姿を消したのはこの為と考えられる。真美が何度も自分の身体を傷つけていたのは自分自身を消すためなのではなかろうか? 

何故私の記憶だけが変化に置いてけぼりされたのかはわからないけど……)


詩織はその後も暫く自分の身に起こった怪現象を調べていた。自分の記憶と現世の事実と照らし合わせる。こんなことをしても元の世界に戻るわけでない事は承知していたが、そうしないではいられなかった。


数日後、詩織が再び羽柴宅を訪れてみると建物の解体作業が行われていた。


(どうして急に……)


重機で二階の壁が取り払われ、最後に真美の姿を見た部屋の中が露わになっていた。この目の前の光景に詩織は唖然となった。


「あら? あなた、この前の?」


そう声をかけてきたのは、先日この家のことを教えてくれたおばあさんだった。詩織は軽く会釈する。


「先日はどうもありがとうございました」


「いいえ……。また見に来たの?」


詩織はコクリと頷いた。


「ここ急に取り壊される事になったのよ。羽柴さんの旦那さんがね、このままにしておくと危ないからって……」


「そうなんですか」


二人は半壊した羽柴宅の、二階に伸びたアームを目で追っている。グラップルは屋根を挟み引き剥がすように持ち上げると、部屋を形造っていたものが砕け落ちた。

真美の最後の痕跡が崩れていく様に、胸が締めつけられる感覚を覚える。

居た堪れなくなった詩織はおばあさんに一礼をするとその場を後にした。だがその姿が見えなくなろうとした時、詩織はその足を止めてしまった。そして振り返る。


「じゃあね、真美……」


元の姿がわからないほど崩れた真美宅に真美の面影を見ながら呟いた。帰路につこうと再び前を向いたとき、鼻先に冷たいものが落ちてきたのを感じた。


「雪?」


見上げると大粒の雪が降りてくる。詩織の顔に落ちた五月の雪はすぐに溶け雫となって地面に落ちた。

『雪には色んな生き物の記憶がつまっている』

昔漫画で読んだ、そんな言葉が思い浮かんだ。

詩織は上を向いたままその心地よい感触に浸っていた。


六月。

流行り病の新規感染者数が減少し、詩織の小学校では通常登校が始まった。真美がいない、トラブルの無い学校生活に誰も何の違和感も感じていない。詩織自身、朧げに覚えている『真美』とは一体誰なのか?

……思い出せない。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

今回の物語ははじめ受験を話題にしたものにしようと書き始めたのですが、娘の学校でのトラブルや人間関係をみていて今回の話を思いつき書いてみました。もちろんほとんどの内容はフィクションですし、人物名も架空のものです。

作品の真美のモデルとなった彼女は何がきっかけで娘に対する態度を豹変させたのか? どうして教室内での孤立を選んだのか? 少々心当たりはあるものの未だ謎の多い出来事でした。思春期というのは多かれ少なかれ心の闇はできるものなのでしょうが…… 自分にもそんな時期があったのかもしれませんが、時間の経過とともにそのときの気持ちって忘れてしまうものなのでしょうか? 

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