制限時間は40分
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日本と欧州諸国との間に於ける価値観違いのひとつに、家屋がある。
通常、日本の家屋は年数が経てば経つほどその価値を失っていくが、欧州では年数が経つほどに価値を増すケースが多いそうだ。古いものでは数百年レベルのアンティーク。孫、ひ孫の世代まで家を残せる程に堅牢な造りだからこそ、その価値は認められ続ける。
家の造りは、風土や環境、歴史と密接な関係にある。石造建築は古代エジプト時代(B.C. 3000頃~)には既に存在していたそうだ。その後ギリシア、ローマと、石材が豊富な環境と乾燥地帯で寒暖の差が少ない気候は石造建築に適しているようで、その後ギリシア、ローマと益々技術が栄えていく(*1)。余談だが、昔ルーブル美術館で見た数々の石像は、石であるにも関わらず、布の透け感や肌の柔らかさすらも完璧に表現されていた。それこそ、メデューサに石化されてしまったのではないかと思うほどに。美術の成績は3以上取ったことがない私であってさえ、本気で息を飲む迫力だった。
その一方、日本に於いては昔から木造が大半を占めている。これは、石を積み上げる組積造は地震大国で定着しなかったという考え(*1)に加え、高温多湿な気候に対応する調湿機能の高さも一役買っているようで(*2)、世界的に見れば例外らしい。個人的には、音が響かないという点で石造りより木造の方が「静」を感じて好きだ。
これら断片的な情報からのみ類推すれば、石造りが栄える地域というのは多かれ少なかれ共通点がありそうだ。地震が少なく、湿度はそれほど高くない。気温さえクリアされれば、住環境としてはとても快適ではないだろうか。結果として、多くの人が集まるコミュニティも旺盛になってゆくのかもしれない。
---都市国家がひとつ プリンストン
中世ヨーロッパを思わせる佇まい。軒先で親しげに会話する多くの人々。
どことなく、街全体に高貴な印象すら漂っている。
「あー・・・マジ疲れた・・・マジだりぃ・・・マジしんどい・・・」
一方こちらは、開口一番お口の悪いアリシアお嬢様。
汗ばむ陽気の中やっとの思いでたどり着いた市街地。キンキンに冷えたビールで駆けつけ一杯と行きたいところだったが、それを許可して貰えなさそうな雰囲気に、早くも被った猫を脱ぎ捨てたくなっていた。
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辛くも狼の襲撃を生き延びた後、『折角だし技名欲しいな』などとファンタジー要素に浮かれた私は、ソレに『加速波動』の銘を与えていた。いいじゃん、16歳なんだし。
勿論、その名は仮説に立てた原理に由来する。操電能力により、神経伝達速度の限界を超えることで人知を超える速度での反応や運動を可能にする。
しかし、極短時間に数多くの肉体的負荷を掛けるためか、後の疲労もひとしおらしい。時間の経過と共に、身体のいたるところとから悲鳴の産声が上がっていた。一歩踏み出すことすらためらうが、地に着いた軸足もまた悲痛な叫びをあげる。かといって腰を下ろすとお尻が痛い。正に地獄。
痛みを紛らわそうと足や腰、臀部のマッサージをしていたが、何かとてつもなくイケナイことをしているのではと思い、耐える選択に切り替えたのが悪かったのだろうか。
・・・折角決めた技名だったが、叫ぶ機会はそうそうなさそうである。
---しかしまぁ
精巧な造りをした同じ様な建物が並ぶ様は、シンメトリーを感じて心地よいが、どうも家なのか店なのか区別がつきにくい。初めて歩く通りであれば尚の事である。
このままでは日暮れまでに飯にありつくことも困難かもしれない。・・・道を聞こう。
こちらの世界の人との会話は初めてだが、聞き耳を立てている限り、特に違和感はない。
「---ぁ・・っ」
前を歩く中年男性と思しき人に声を掛けそうになって、慌てて口を押さえる。
何度も言うが、今の私は16歳の女の子。ここが日本なら援交の疑いとやらで事情聴取を受け兼ねん。
既の所で思いとどまった私は、前方を歩く、アリシアより少し年上と思しき女性へと目標の切り替えに成功した。それはそれで何かよろしくない気もするが、いい加減対外的にはアリシアとして振る舞わねば。
「あの、すみません・・・っ」
「ん?どうしたの---?」
凛とした、通る声。頼れるお姉さん、というのが第一印象だった。
これは良いレストラン情報も期待できそうだ---
「いきなりすみませ・・・・「アリシア!?」
「・・・へ?///」
素っ頓狂、という言葉がしっくりくるだろう。
予想外の返しに思考が停止した私へ、目の前の女性は捲し立てる様に話を続ける。
「今までどうしてたの!? 失踪したって聞いてから、私ずっと心配してたのよ!?」
がしっ。肩を捕まれ揺さぶられる。
加速波動を経験した直後の私には、それすらもHPが削れる音がした。
「ぇ・・ぇと・・・あのっ・・と・・とりあえず放してくださいっ!///」
このままでは棺桶に入って教会まで引きずられるのではないか。
女性の肩をぐぃと押し返す。
「あ・・ごめんね、痛かった?」
「い・・いえ・・少し、びっくりして」
「それはこっちのセリフ。2年前、失踪したって聞いてから、あなたどこに居たのよ!?」
---時間にしてみればほんの僅かだっただろう。
『2年前』と『失踪』というキーワードに反応するかのようにフル回転する脳みそ。
マズい。
少なくとも、目の前の女性はアリシアの何らかの知り合いだ。
襲撃事件があった後、王国管理から逃げ出したこの子を知っている。
そして、その理由をただそうとしている。
まるでド忘れしていた仕事の進捗を問われたときのように---
「・・・ごめ・・なさぃ・・私・・・・思い出せなくて・・・ぐす・・っ」
襲撃→両親喪失→憔悴→失踪→記憶喪失 ・・これでいこう。
---脳内会議はコンマ1秒で全会一致の方針を打ち立てていた。
「え・・・っ 私のこと・・・も?」
女性の表情が曇る。申し訳無さで胸が痛い。
「ごめんなさい・・・事件に巻き込まれて・・・それで・・・」
「でも・・っ 事件のことも・・・両親のことすらも・・・私・・覚えてなくって・・・ぐす・・・っ」
記憶喪失---医学的には健忘と言うそうだが---にはいくつか種類がある。
* 原因となった出来事以前のイベントを忘れる、逆行性健忘
* 新しい記憶を保持できなくなる、前向性健忘
* ある感覚によって処理される出来事を忘れる、感覚特異的健忘
この場合は、逆行性健忘を適用したことになる。
また、記憶障害は「事実, 出来事」に関するものが多く、「技能(言語、運動など)」に関するものは少ないと言われている(*3)。一般名詞などは忘れなくとも、人の名前や出来事だけをすっぽりなくすこともあり得るのだ。
なお、襲撃を受けたことや両親を失ったことは、後に情報として知っただけだという説明(設定)も重ねて伝えておいた。
「・・・ちょっと話をしましょう」 そう言って手を引こうとする女性。
「わわ・・・ちょっと・・・まって・・っ いきなりそんなっ・・・こ、困ります・・っ」
二人がよく見知った仲であることは間違いないだろうが、設定上、私は彼女を知らない。
知らない人にはついて行かないというのが、鉄則である。
「そっか・・それもそうね。」
物分りの良い人で助かる。
ん---と、口元に人差し指を当てて虚空を見つめる女性。
「・・・あっ。 ところであなたは何で私に声を掛けたの?」
とても物分りの良い人で助かる。
「お恥ずかしい話なのですが・・この辺りに食事が取れる場所をご存知ではないかと思い・・///」
ぐぅぅ、とタイミングよく鳴る下腹部を押さえつつ、少し気恥ずかしい思いだった。
「そっか・・街のことも思い出せないのね・・・」
「いいわ。私が連れて行ってあげる。昔あなたがよく食べてたもの見たら何か思い出すかも。」
とても、とても物分りの良い人で助かる。
知らない人にはついて行ってはならない、と言ったのは誰だったか。
「私は、セシリア。セシリア・ハミルトン。 あなたが居たプリンストン魔法学園の---先輩になるわ。」
私は---その名前がアリシアの日記に何度か登場していたことを思い出していた。
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からん。
個人経営の喫茶店で良く聞いた、小気味よいドア鈴の音。
既に時間は昼をとっくに過ぎていたが、カフェと思しきその場所には、制服に身を包んだ学生がいくらか見られていた。
「座って?」
勝手知ったる店なのだろうか。
迷うことなく窓際の席を選択したセシリアは、私に椅子を引いてくれた。
「ありがとうございます」
既に警戒心の欠片も無くなっていた私もまた、素直に従い腰掛ける。
かたん。
花弁のレリーフが細かく刻まれたお洒落なテーブル。
周囲では楽しそうな会話が聴こえる中、私達の間は静寂が支配していた。
ことん。ことん。
これまた上品な刻印が施された氷水入りコップがサーブされ、私は少しそれに目を落とした。
同時に、セシリアは注文を出す。『パフェの女王』確かにそう言った様に聞こえたが、何故か少し顔色を悪くした店員は、足早に厨房へと戻っていった---
「それにしても、本当にびっくりしたわ」
謎の注文を終えたセシリアは、店員からこちらに視線を戻した。
「そうみたいですね。すっごく、丸い目をされていました」
くすっ、と。彼女に笑みを投げかける。
確かに、幽霊でも見たかの様な彼女の表情は、声からくる印象とは到底かけ離れていて少し面白かった。
「うん。まさかまた会えるとは思ってもみなかったもの。2年と少し振りね。」
また2年前---か。 少し複雑な気持ちに駆られたが、言葉を待つ。
「自分のこと、本当に名前くらいしか覚えてないの?」
本当に心配してくれているのであろう。
辛い話をしてしまうことになったらごめんなさい、と彼女は続ける。
情報を得たい私は、大丈夫ですとゆっくり頷き、彼女の目を見て姿勢を正した。
「プリンストン魔法学園---あなたの卒業校ね---そこで私達は研究ペアだったんだよ」
彼女曰く、魔法学園は卒業の年に1年掛けて研究を行うらしい。大学の卒研みたいなものだろう。
魔法学校には、大学院のような、更に研究を続けたい人向けの上位課程が設けられており、セシリアはそこに現在も通っているらしい。上位課程の学生は一度、一般学生の研究をサポートするというカリキュラムが存在するそうで、それが研究ペアだ。
つまり、アリシアとセシリアは、1年間同じ釜の飯を食う仲だったことになる。
「あなたが無事卒業するとき、私柄にもなく泣いたなー・・・/// 妹が巣立っていく気分よ・・」
「そう・・だったんですね・・・ごめんなさい、本当に思い出せなくて・・・」
「仕方ない・・・って言い方は失礼だと思うけど・・本当に辛かったんだね。」
「あなたが卒業して、ホントに1ヶ月も経ってなかったと思う。あの襲撃事件があったのは・・」
『悪性魔術師らによるロングヒル襲撃事件』だ。
「情報を見てすぐロングヒルに行ったんだけど、既にあなたは失踪したあとだった。 衛兵協会も、最初はかなり探してたのよ? でも、数ヶ月、1年、2年と経つ中でだんだんと薄れていってたわ」
「私も何とか手がかりを掴もうと必死だったけど、本当に何の痕跡も、情報もなかったわ・・・あなたどこに居たの?」
彼女に隠す理由はないなと判断した私は、このプリンストンから歩いて半日程の距離にある草原地帯で暮らしていた旨を明かす。
「うそ・・・そんな近くに・・・・」
はぁ...と深いため息をつくセシリア。でも、と言葉を続ける。
「私、この辺りも探したのよ?確かにあの辺りは背の高い草とかも多いから、結構見落としもあるかもだけど・・・」
うなだれるセシリア。今度はこちらが申し訳ない気持ちになる。
「でも、もう一度あえて、本当に嬉しかったわ・・・」
彼女の目からは、大粒の涙がこぼれていた。
この人が言っていることは全て真実だろう---それを証明するには十分すぎる雫だった。
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コップの氷は既に溶け切り、水は幾分温くなっていた。
自分から語れることがほとんどない私は、研究ペアとして一緒に居た頃の話を聞いていた。
アリシアの人物像を知る上で、また魔法学園について知る上での貴重な機会。
ここまで先輩に心配してもらえる子なのだから、間違い無いだろう。
セシリアから聞くアリシアの性格は、およそ私の認識と一致していた。
「ただ・・そうね、あなたは没頭すると手元しか見えなくなるタイプだったわ」
笑いながらセシリアは続ける。
「余程研究内容が煮詰まりつつあったのでしょうね。研究室に寝間着のまま来たときはホント、今思い出してもお腹痛いわよ」
「わた・・寝間着・・・えっ!?/////」
実際には自分のことではないにも関わらず、こっ恥ずかしくなっていた。
ちょっとを通り越してかなり天然が入っているように思う。かわいい。
---でもね、と少し声のトーンを落とし、真剣な眼差しになるセシリア。
「あなたはこれまでの雷系魔法に関する常識を覆す成果を出したのよ。」
「雷系魔法の・・・常識・・・?」
「ええ。その様子じゃ、魔法に関しても殆ど忘れちゃったのかな」
少し残念そうな表情を浮かべて苦笑する。
「あなたに言うのは失礼な話なんだけど、雷系魔法って今ひとつマイナーな分野だったのよね。先生方はみんな、あんなのは攻撃にしか使えない魔法だって言ってたわ」
確かに、この国には機械科学の概念がない。科学と電気は切っても切れない関係だが、魔法の力で生活を豊かにしているこちらの人々にとって、電気は単にしびれさせるだけという印象が強いのだろうか。そうなんですね、と首を縦にふる。
「その中で、あなたは雷系魔法の研究をわざわざ選んで没頭してたわ。」
それこそ、寝間着で登室するくらいにね、と少し冗談めかす。
「あなたはね、その雷系魔法で自分の身体能力を大幅に向上させる、という成果を出したのよ」
数時間前、狼に襲われた時のことを思い出す。
やはりアレは、アリシア自身の能力に由来するものだったのか---
「尋常じゃない反応速度、動体視力を見せてたわね。みんな目を丸くしてたわ。」
「ただ、少なくともこれまでの所そんな芸当をやってのけたのは国中であなた一人。 その魔法に関する理屈・・脳がどうとか、出力を大幅克つ正確に減衰させた雷で代用するとか。 たしかに理論としては成り立ってたけど、実際にそれをすることは逆立ちで世界一周することよりも不可能だー、って言われてたわ。 本当なら世紀の大発見なのに、『アリシア以外で検証が行えない以上、技術発展への寄与は期待されない』とか言ってお蔵入りさせられたのは残念だったわ。」
「そう---だったんですね・・・」
「そう落ち込まないで。学園内では成果に対する特別賞も授与されたのよ? おねーさん鼻高々だったんだから。 ま、研究の手伝いなんて、反応速度を測るくらいしかできなかったんだけどね。あなた自分で勉強しちゃうんだもん。」
おでこに人差し指を当てられ、ちょっと照れくさくなった。
認められる人には認められた嬉しさより、この子---アリシアが、誰にでも好かれる人であったことが分かった嬉しさが上回っていた。
「今日時間ある? 後で研究室連れて行ってあげる。 昔の研究内容は学内で機密保管されてるし、見たら何か思い出すかもだよ?」
願っても見ない申し出に、間髪入れずに頷く。
「じゃーきまり! っていうかお腹すいてたのにごめん。準備に時間掛かるのよ、アレ。」
そう言って、厨房を指差すセシリア。
そこには---軽く10人前くらいはありそうな、カロリーお化けを運ぶ店長と思しき人がいた。
「まさかこのメニューをまたサーブ出来る日が来るなんて思っていませんでした・・・っ」
え・・何・・? 何でこの人泣いてるの・・・?
「お待たせ致しました。お一人様限定メニュー『パフェの女王』でございます。お帰りなさいませ、女王様」
ぺこり、とお辞儀をして店長は厨房へと姿を消した。
「えっ・・・え・・・っ? せ・・セシリア・・・これ・・なに・・・っ?」
「言ったじゃない。『昔よく食べたものを見たら何か思い出すかも』って。 ---女王さまっ」
---この日のことを、店長は後にこう語る。
---女王陛下が帰ってきた、と。
(References)
*1 石造建築, コトバンク, https://kotobank.jp/word/%E7%9F%B3%E9%80%A0%E5%BB%BA%E7%AF%89-86852
*2 日本家屋の特徴的な間取りとその魅力, LIFULL HOME’S, https://www.homes.co.jp/cont/living/living_00494/
*3 健忘, MSD マニュアル プロフェッショナル版, https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB/07-%E7%A5%9E%E7%B5%8C%E7%96%BE%E6%82%A3/%E8%84%B3%E8%91%89%E3%81%AE%E6%A9%9F%E8%83%BD%E3%81%8A%E3%82%88%E3%81%B3%E6%A9%9F%E8%83%BD%E9%9A%9C%E5%AE%B3/%E5%81%A5%E5%BF%98
最後までお目通し頂きまことにありがとうございます!
書くのが楽しくなってきたのは嬉しいのですが、ネムイデスネ・・・
評価や感想等頂戴できますと、とても嬉しいです。
またよろしくお願い致します!