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Soul overlay  作者: 546 nm
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大人って卑怯

02:


大人は何て卑怯な生き物だ、と常々思っていた。時には理路整然と、またある時は全く理解に困る持論や精神論を振りかざして子どもに言い聞かせる。あれはだめだ、これはだめだと。自分が幼かったころ、『お母さんはやっているのに、どうして僕はだめなの?』とよく聞いてはヒステリックに怒られた覚えがある。


例えば夜更かし。

普段見ていた番組が、野球の延長で繰り下げられることがあった。当時野球観戦には興味がなかった私は、あとワンストライクでアウトになってしまう場面で『粘れ粘れ』と応援する父を冷ややかな目で見ていた。再繰り下げにでもなったらどうしてくれるんだと。

ようやっと試合が終わり、若干不機嫌な様相で離れていく父の居た場所を奪取した私は、リモコンを奪われないように抱えていた。ああ、やっと自分の番だ。

しかし直後、水仕事を終えてキッチンから出てきた母に言われたセリフに酷く落胆することになる。『あんた、もう寝る時間やで』


いやいや、ちょっと待ってよ。僕、これ毎週見てるの知ってるやん?ビデオの予備(*1)はお父さん使ってたし。お母さんは見るんでしょ?ずるいよ!

そして冒頭に戻るわけだ。


--------------


今にして思えば、これも親心であったことに間違いはないだろう。

子どもは早く寝なければ成長に良くない。これは一般論として周知されている。


睡眠の質と脳内ネットワークの構築には深い関係があるらしい。浅い眠りといわれるレム睡眠、深い眠りといわれるノンレム睡眠があるが、ノンレム睡眠時に於いて成長ホルモンが盛んに分泌されるらしい。これが脳内ネットワークの構築に重要とされている。要は、夜しっかり寝ないと、脳の発達に影響する可能性があるのだ。


赤ちゃんは一日の大半を寝て過ごしている印象が強いが、平均的には10歳ごろまでに総睡眠時間が10時間程度にまで減少するとともに、レム睡眠, ノンレム睡眠の比率も大人とおよそ同程度になるらしい(*2)。睡眠時間の減少は、脳がある程度十分に成長してきていることを支持するが、ノンレム睡眠の時間量自体は成人に比べてまだ多い。『子どもは早く寝なさい』とは良く言ったものである。


ただこの様な学術的知見を齢10歳にも達していない子どもに理解させることは到底不可能といえる。そこで放たれるのが、防御・回避不能の攻撃魔法『あんた、もう寝る時間やで』である。上位互換には即死の属性まで付与された『はよ寝なさい!』がある。放たれたら最期、気づけば布団の中だ。


親は結局、我が子の将来がより良いものになるならば、自分が悪く思われようが(一時的に)嫌われようが心を鬼にしてしまうのだろう。時には理屈に基づいて。時には精神論を振りかざして。

何て不器用で、何て卑怯なのだと思う。


何が言いたいって?

憑依転生した先が成長期真っただ中の娘ではあったものの、40手前だった頃と同じ思考が出来ている以上、きっと脳内環境は十分大人になっている筈だということだ。だから大人同様に夜更かししても、ちょっとくらいなら大丈夫なのである。きっとそうだ。


・・・嘘です。ごめん、ごめんなさい。

肌つや、髪質に影響するよね。私が悪かった、夜はちゃんと寝るから。



---------------



少し時間を巻き戻す。

この子を守り、救うと誓った私だったが、すぐ次の壁にぶつかっていた。「どうやって?」だ。

世界の簡単な仕組みと身の上話は理解できたが、それ以上の情報がない。情報収集をしたいところではあるが、16歳の娘に40近いオッサンが憑依転生したなんて誰に言えよう。頭のおかしな人と避けられるか、祈祷師でも呼ばれて霊をそぎ落とされるか。無事この子の本来の魂を体に返せる日が来たとして、この子の将来に汚点を残すような真似だけは絶対にできない。


かといって、この部屋で思考を巡らせるだけではいつまでたっても埒が明かない。何かゴールにつながる手がかりを見つけなければ。少しだけ震える指で、もう一度日記をめくっていった。


多くは健気な観察日誌ともとれる内容。

天気、気温、湿度、畑の作物に関する成長の記録など。おそらくは自給自足に近い生活をしていたのだろうか。気候に合わせて作物の最適化を行おうとしている節すら見られる。とても研究熱心だなと思う一方で、この子は私の愛娘と似て非なるものであると改めて痛感する。異世界宅配便なんてサービスがあるなら、ぜひこの子の爪の垢を我が子に届けてやりたいと思う。

他には料理が上手くいったとか、母の味に似せることが出来て嬉しかった...など。


ああ、何と健気で出来た子なのだろう。

この子を将来妻にめとることが出来る人は余程の幸せ者と見て間違いないだろう。断っておくが、私がこの子の中にいる限り絶対に虫は付けさせない、とここに宣言しておく。世の中の父親方であれば、この気持ち分かっていただけるだろうか。




・・・ぺら、ぺら、ぺら。悪く言えば代わり映えしない内容にページをめくる速度が増していた中、気になる記述の発見に手を止める。


『あれから2年、両親を奪った呪いが最終段階を迎えたみたい。もって後1か月なのかな。やっぱり、怖いよ。』


さっきは飛ばしてしまったのだろうか。

明らかにこの日から日記の内容が変わっている。体調の変化を克明に記録している。

頭痛、吐き気、気だるさ、肺が締め付けられるような感覚、悪寒…


私自身が幼少期に経験した体調の異変を、フルコースで味わっているようにも思える。これは地獄としか言いようがない。しかし、両親を奪った呪いとは一体どういうことだろうか。


これまでに目を通した文書を思い出す。

約2年前、この日に起きたこの子の人生を大きく狂わせた出来事と言えば魔物の類による襲撃事件で間違いないだろう。齢十余年で両親を失うことがどれほど深刻なことか、想像もできない。結果論として見れば、この子は襲撃を辛くも生き延びたことになる。何らかの形で両親に匿われたのだろうか。



この世界にも新聞に相当するメディアは存在する様で、幾つかのスクラップ記事をまとめたノートがあったことも思い出す。確か、襲撃事件に関する切り抜きがあったはず…


『悪性魔術師らによるロングヒル襲撃事件』これだ。


ロングヒルとは当時この子が両親とともに住んでいた地区の名前だ。

この世界には人間社会に益をもたらす一般的な魔法使い(魔術師)に対し、魔法を悪用して危害を加える人間, 魔族, その他の生命体をまとめて『悪性魔術師』と称するらしい。国が管理する王国衛兵協会(いわゆる警察に相当する組織だろう)は、これら悪性魔術師から人々を守るために日々職務に励んでいるものの、やはり事件は起きているようだ。どこの世界であっても、人間が集団生活を営む以上およそ同じ道を辿っているのだろう。記事には、本襲撃事件に関する情報が無機質に述べられている。


* 襲撃者の人数は不明。人間魔術師の他、魔族の類も関与していた模様。

* 捕らえられた何名かの供述に依ると、襲撃の目的は新規魔術の実験。

* 新規魔術とは遅効性の即死魔法の効力を有しており、タイムラグ操作に関するデータ収集が目的。

* 術師側のコントロールによらず、魔力耐性の低い人物に対しては即時に発現してしまう模様。

* グループの末端に属する犯人には解除方法は分からず。捕らえた犯人ものちに死亡。

* 犯人らにも予め本魔術が施されていた模様。


素人目に見ても襲撃の裏に巨大な組織が関与していることは明らかだった。日記の記述に依れば、魔力耐性の低かった両親はほぼ即死、周囲の住民も遅かれ早かれ死亡した様だった。襲撃に遭った住民の多くは王国側に保護され、手厚い介護を受けていた様だが、結局解除方法は見つけられず、そのほとんどが死に至っているようだ。

この子も保護対象となっていたが、両親を失ったショックがあまりに大きく、半ば自暴自棄になって王国管理外の土地で静かな生活を選んだ様だ。気持ちは痛いほどに分かる…



ぱたん。ノートを閉じた私は、本日幾度目になるか分からない涙を流しながら、天を仰いでいた。



この子に幾分の魔力耐性があった理由は、魔法学校を卒業する程度に経験を積んでいたからだろう。両親は、ごく一般の農夫として生計を立てていたことを考えると、一人娘を高等教育に進ませたことはかなり思い切った判断と言える。しかし、子がやりたいと真剣に相談したことを拒絶する親はそういない。少なからず、私は無理を押してでも行かせるであろうし、この子の親も同様に頑張ったのだろう。子に追い抜かれたくない親など居ないのだ。


兎に角、『遅効性の即死魔法』が今現在私の置かれている状況を解き明かす重要な手がかりとみて間違いないだろう。


しかし、だ。

日記にあった1か月後とは、まさに私が転生した日とおよそ一致している。この子は生物学上の死を迎えてしまったのだろうか。抜け殻となったから、私という魂が憑依できたのだろうか。


・・・ふにっ

手は無意識に胸に添えられていた。


いやいやいや、待ってほしい。これはあくまでも診察としてだ。なんのやましい気持ちもないぞ。

誰に言い訳するでもなく、私は首を横に振っていた。


どくん、どくん、どくん、どくん


少し動揺したからだろうか、その心臓は早鐘を打っていた。

生きている証を確認できた私は、安堵すると同時にある推論が立っていた。


『脳死、あるいは植物状態』である。


人の死には心臓死と脳死が定義されている。全脳機能と心機能の両方が停止した場合を心臓死、脳幹を含む全脳機能は停止している一方、心機能は停止していない状態が脳死とされている(*3)。身体をコントロールしようとする意志が完全に失われてしまった場合、どれだけ身体が生きていてもそれは死となってしまうのだ。なお、脳死後1週間程度で心機能も停止してしまうらしい。この期間、人工心肺を適用することで各器官の生命維持が可能である。


では、コントロールしようとする意志が復活した場合はどうなるか。

植物人間に定義されるものだが、脳幹が停止していない状態であればまれに回復するケースもあるらしい。


つまり、この子が手放してしまった体のコントロールを、憑依した私が肩代わりすることで復活したと考えるのはどうだろうか。元居た世界からすれば突拍子もない空想だが、実際に転生憑依という現象が起きたり、魔法が一般に存在するこちら側であれば可能性はある。



仮定をまとめるとこうだ。


* 2年前の襲撃により発された魔法は、相手を脳死状態にしてしまう。

* 魔力耐性は脳機能と何らかの相関がある。

* 魔法を修めたこの子は、脳機能が常人より優れていた結果として効力の発現を2年間遅らせた。

* 2年後、不幸にも発現した効果によりこの子も脳死、或いは植物状態になってしまった。

* 偶然か必然か。この子へ憑依転生した私により、この子の生命体としての全脳機能が一部復活。


勿論希望的観測も多分に含まれているが、当たらずとも遠からずだと願いたい。

次は、身体機能が復活したにも係わらず、なぜこの子は本人の意識を失ったままなのか、だ。しかしこれにも思い当たる節はある。神経系、即ち脳内情報伝達の一次的あるいは恒常的喪失だ。


この子がこれまでに覚えたこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、怖かったこと。

これらは情報として脳内に記憶された状態にあるが、情報の送受信に用いられる神経系(主にニューロン)に何らかの障害が残っているとするならば、一部或いは全部の記憶を失ったままという状態にも説明はつく。


この子は電気操作の能力に長けているそうだ。脳内情報伝達は約100 mVの神経パルスによって行われる(*4)為、生体電流の操作により、この子自身の記憶系統が一時的に喪失した状態であっても、憑依した私が感覚を享受できているのかもしれない。



これらトンデモ理論が正解だと仮定するならば、私がとるべき行動は三つある。

ひとつ。この子自身が神経系を原状復帰できるように手を差し伸べること。

ふたつ。この子に私が憑依転生した原因を探ること。

みっつ。この子と両親を不幸にした連中をぶちのめすこと。


1つ目と2つ目はおよそ同じ目的だろう。

この子は「お父さん」「お母さん」に加え、「神」へ祈っていた。こんな奇跡が実際に起きている以上、この世界には神或いは人知を超えた存在が居たとしても不思議ではない。推論の正否を明らかにするためにも会う必要はあるだろう。


3つ目は言うまでもない。この子を不幸にした報いを必ず受けさせる。

これ以上被害を広げないためにも。



行動指針は固まった。

最後は、これらマイルストーンを達成するための小目標設定だ。悪党の成敗は後に回すとして、目標1, 2を達成するキーとなる「神」にはどうすれば会えるだろうか。すぐに思いつく範囲としては、神社、教会に相当する施設がある。神に祈るという行為がなされている以上、そういった施設はあっても不思議ではない。どんな僅かな情報でもいい。神とやらに辿り着く手がかりが欲しい。

仮定に基づけば、私がこの子に憑依している限り生命活動は維持できると思われるが、いつまでもつか分からない。一刻も早く解決の糸口をつかまなくてはならない。


しかし、今日はもう遅い。急いては事を仕損じるともいう言葉もある。

寝る子は育つ。睡眠も大切だ。



しかし時の流れとは意外に早いものである。

ベッドに戻る決心はしたものの、時すでに遅し。

窓に差し込む薄明りに気づいた私は、心の奥底で眠っているだろうアリシアに対し、睡眠不足による肌つや, 髪質へのダメージを謝るのであった。



-------------



「ん・・・・ぅ・・・・っ!」



憑依転生2日目。

本当に目が覚めるか少々不安だったが、思いの外心地よい起床だった。生前は体のあちこちにガタが来出していたが、やはりそこは16歳。体のコンディションはとても良いようだ。


「おはよう、アリシア。」


私は。ここにまだ彼女が居ることを信じて時折声を掛けようと決めていた。

何らかの刺激により彼女が彼女として目を覚ます可能性はないかという淡い期待と、体を借りている身として最低限の礼儀だけは正しておきたいという勝手な都合。


もしも君が、私のような人間に体を預けることを良しと思っていないのであれば大変申し訳ない。君の父親と同じような年齢だ。私もよく、娘に「無理」と言われていた。何が無理なのか分からないが、とにかく無理らしい…


しかし、これだけは信じてほしい。私は君を救うためだけにここにいる。君さえ助かるならば、私は今すぐにだって消滅しても構わないのだから。前世で孝行できなかったしがない男の最期のわがままと思って許して頂けると幸いだ。



さて、と。

他でもない自分自身に言い訳をした私は、ある意味で昨日より大きな壁に立ち向かうべく部屋を後にした。アリシアの周辺状況を確認した私は、彼女がここに一人で住んでいるものと理解している。屋内の捜索もあらかた終了しており、一通りの設備が整っていることも確認済だった。

私は、意を決して屋内角地にある部屋の扉に手を掛けた。



そう、風呂である。



私が憑依転生したのは実質24時間前。年頃の娘がそんな長時間も風呂に入れて貰えないなんて、それこそ『無理』だろう。日記の記述を見るに、私が憑依するよりも数日前からは最早ベッドから起き上がることすら困難だったそうだ。いい加減身体を洗浄しないといろいろと問題がある。


科学技術が殆ど存在せず、魔法の類に頼っているこちらの世界では、給湯システムとシャワーは存在しない。水系の魔法を封じた魔法石によって浴槽に水を張り、そこへ炎系の魔法を封じた魔法石を投げ入れることで適温にして使うらしい。

活動の活発な都心部では、動力源を魔法としたからくり仕掛けのシステムも存在しているようなので、シャワーに似た設備もあるかもしれない。しかし人里離れたこの子の家では、自給自足が基本となる。五右衛門風呂よりは随分と楽だが…


しかし問題は設備としての便利・不便ではない。

風呂に入るにはどうしても裸になる必要がある、という点だ。


幼いころであれば、私も娘の葉月をよく風呂に入れていた為耐性はある。

ただそれも成長とともに最期の日を迎える。究極魔法『無理』である。


風呂係をクビになってもう何年も経つが、まさか再雇用される日が来ようとは思わなかった。

「こよう」だけに。 ・・・だから無理って言われるのよ。妻ならきっと頭を叩いて来るだろう。




さて、浴槽の温度も丁度良くなった様だ。

いい加減覚悟を決めよう。落ち着け、葉月とアリシアは違う。違うが姿はどう見ても葉月だ。娘に興奮する父親なんて最低だろう?少なくとも、俺にそのような気はない。例え葉月より成長が進んでいても、「娘」は「娘」だ。


・・・ええい言い訳がましい。


両の頬に平手打ちをお見舞いした私は、手早く服を脱ぐと同時に、またしてもアリシアに謝るのであった。



謝って済まそうとする辺り、やはり大人は卑怯である。

(References)

*1 VHSで使われる記録媒体、いわゆるビデオテープ。

現在20歳以上の方々にはおそらく言うまでもないが、DVDやBD、HDDなんて影像記録媒体は当時なかった。『ツメ』を折らない限り上書き可能ではあるが、やりすぎるとテープが伸びてすべてがパァになる。ツメ折ったからもう上書き禁止?セロテープで回避できますよ。

*2 大川匡子. "子どもの睡眠と脳の発達."学術の動向15.4 (2010): 4_34-4_39.

*3 医療情報研究所, 病気が見える vol. 7 脳・神経, 2011, 460p

*4 活動電位, https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%BB%E5%8B%95%E9%9B%BB%E4%BD%8D

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