~緊急事態宣言 首都閉鎖~ それでも俺は出社する
フィクションです。
実際の首都圏は電車はちゃんと走っています。
ジリリリリリリリッ!!
東京郊外のベッドタウン八王子にあるどこにでもありそうな一軒家の一室にめざましが鳴り響く。窓からは朝日が差し込み、この部屋の住人と思われる青年の顔を照らした。音と光によってその青年は否が応にも眠りから引き離された。
桜も散り、緑が芽吹くこの季節は寒いからと言って布団に巣ごもりすることもなくぼんやりと開けた目でアラームとして使ってるスマートフォンの画面を青年はタップし止めた。
彼は高輪 門太。都内のIT企業に勤める会社員だ。今日も朝早くに起きて都内へ向かうのだ。えっ、八王子は東京都内じゃないのかって? 八王子は八王子だ。都内って言ったら23区のことだろう。なにせ八王子の天気は別。気温も東京とは違うし、関東平野じゃなくて関東山地の山沿いの天気なんだから。
目が覚めれば寝間着を脱いでスーツに着替える。ダイニングに行けば昨日の夕飯の残り物で1食分用意されていた。最近の門太が朝早く出るので母親には残り物での朝ごはんでいいと言っているからだ。
門太の会社は品川の駅近くのビルの一室にあり、始業時間は9時だ。本来ならこんな日の出と共に起きてすぐに出かける必要はない。八王子駅まで15分の門太の家からしてみれば7時に出てもギリギリ間に合うのだから。
「いってきます」
門太は家人が寝静まっている家の玄関で小さく挨拶をし、自転車で駅に向かった。顔にはマスクとゴーグル、手には暖かくなってきたこの時期に手袋。一歩間違えば不審者であるが、駅に向かうにつれて少しづつ増える人々は皆同じような格好をしている。門太だけが特別変ではないのだ。
皆がなぜこのような格好をしているのかについては門太の出勤の出発時間を早めたことにもつながる。そうあれは……。
20XX年1月、世界のある都市で一つの新型ウイルスが誕生した。それはどこから来たのかがいまだわかっていないが、現在の人類の文明に影を落とすほどだった。相性がそれほどまでに悪かったのだ。
なにが厄介なのか、そのウイルスの潜伏期間が10日~20日と長かった。そして潜伏期間中に自己免疫で対処できず発症した場合、自然治癒はほとんど見られず、入院を余儀なくされたのだった。入院して人工呼吸器を取り付けることが唯一の対症療法だった。そのため致死率は初めに観測された都市では3割を超えた。
この潜伏期間が長いことは世界各国を渡り歩くビジネスマンが多い今の世の中では、最初の症例が確認されたころには世界に拡散してしまっていて手遅れだった。
アメリカ、ヨーロッパ、アジア、世界中の都市で観測し始めたのは2月に入ってからだろうか。日本も例外ではなくまずは東京で観測された。しかしそれは感染から2週間後だった。その間に会った人間も感染のリスクを負っている。しかしまだ日本人の中では他人事だった。
他国で感染が拡大している中、日本でも初めの発症者を観測してから1週間後には10人の発症が確認された。それはまだ東京の中で収まっていた。しかし2週間経てば大阪や愛知、札幌、福岡などの地方都市にも発症者が現れ始めた。この時、東京での発症者は20人を超えていた。このころになるとウイルスの感染経路も特定され、飛沫感染及び接触感染ということが分かっていた。空気感染でないことは救いだったが他人との会話や接触、また公共物の手すりやボタンなどでも感染の可能性があるというのは抑制が難しいことを示していた。
3月に入ると発症者の数は100人を超え、死者も10人を超えた。東京には収まらず一都三県のベッドタウンのある街にも広がりを見せていた。政府は外出を控えるように促すが、しかしながら都心に通勤する多くの会社員を抑えることはできなかったのだ。これは東京にあるすべての会社に休業してもらっては経済に大きな損失があるとわかっていて政府が決断ができなかったからだった。
それでも自主的な行動の抑制を求める政府。人が集まる舞台や式典、展示会などは取りやめとなり、他人とは3m以上の間隔を開けることが求められた。それでも大きな効果は見られず、また東京は危ないと学校が休校になったとたん郷里へ帰る学生もいて全国への感染の拡大は止めることはできなかった。
桜が咲き始めた3月下旬で発症者は2000人。死者は100人を超えた。そして全国で発症者のいない都道府県の方が少なくなったのだった。
毎週、倍々に増えていく発症者の数。そして大都市に挟まれ赤く染まっていく日本地図。国民もこのままだと明日は我が身と不安を感じていた。
そして新年度が始まった4月になっても事態は収束の兆しは見えず、悪化していく一方だった。やっと政府は重い腰を上げて国家緊急事態宣言を宣言したのは4月6日。ここから5月6日までの1か月が期間だった。
これで各都道府県の首長に権限は委ねられ、地域に寄り添っての対応ができるようにもなった。カラオケ店やネットカフェなどの店舗や長時間同じ人間が同じ空間にいるようなスポーツジムやパチンコ店などの施設に対しても細かい休業の要請ができるようになり、感染は抑えられるはずだった。
しかし、仕事もなく、家にいてもやることがないとなると結局買い物とかで出かけてしまうのだった。
発症者の数は若干抑えられていてもまだ増えており、4月15日の時点で8000人を超えた。地方の病床の少ない地域でも集団感染が発生しており、病床の枯渇も始まっていた。
そして緊急事態宣言から2週間経った4月20日からとうとう鉄道会社への要請も始まったのだった。それによる郊外から首都圏への輸送力の低下。そんな中でも通勤しなければいけない人もいる訳で。
眠い。自転車をこぎながら考える。なんでこんなに朝早く家を出ないといけないんだ。普段なら7時の電車に乗れば品川の駅前で一服してちょうどいいくらいなのに。これだと早く着きすぎるんだよなぁ。だけど指定席がこの時間しか割り当てがなかったらしいししょうがないんだけど。指定席の割り当てがなければ、結局同じ時間帯の電車に乗ってちょうどいいくらいの時間になるしな。
駅前の駐輪場に自転車を止めた俺は、寝ぼけた頭でスマホの列車予約システムのアプリを起動し、指定席の予約画面を表示させた。そこに表示されたのは『特急 八王子 102号 3号車6番A席』の文字。出発時間は6時ちょうどだった。今は5時半。まだ出発まで30分もあるのだが早めに駅に着くのはとある理由があった。その理由は改札口から駅前のバスロータリーまで続く行列にある。
感染症予防のため前の人間とは距離を空けているため長い列となっているが実際の人数は100人ほどだろう。俺もその列の最後尾に並ぶ。なんの列かって? 駅構内に入るための体温検査の列だ。37度以上の発熱が見られる場合は乗車拒否となる。使える自動改札機が2機に限定されており、それぞれが男性用、女性用となっている。
体温の測定は非接触型体温計で行っており数秒で済むが、それでも100人単位の人数を検査するのに20分程かかる。体温検査が始まった初日なんて乗車拒否を求められた客が駅員と口論になっていたりして1時間かかってた。それのせいで後続の各駅停車を乗り継いで東京駅まで行くことになったんだ。特急は待ってくれなかった。それについてさらに乗れなかった客がさらに食って掛かりそうだったが、数人の警察官が警戒についておりどうにか抑えた感じだった。
数日経った今はあまりそんな騒動はないがそれでも騒ぎ立てる輩はいるようで今日もエスカレーターの下では
「誰か私に指定席を譲ってください! 急遽出勤になって新宿まで行きたいんです!」
一人のスーツ姿の男性が叫びながら頭を下げていた。気の毒だとは思うが誰も見て見ぬふりだ。電子チケットなので簡単には譲れないし、みな必要だから割り当てが与えられたもので譲れるわけがないんだ。しかも叫び声なんてウイルスをまき散らす奴なんてなおさら誰も近づかないし助けようと思わない。
そんな叫びを背景にして階段を1段づつ上がっていく。上でもちょっとした揉め事は起きていた。
「誤差だ! もう一回計ってくれ。駅まで走ってきたからだ」
「落ち着いてください。一度冷静になってください。まだ発車まで時間はありますから」
37度を超えてしまったのだろう。防護服を着た市職員がなだめるように男性を諭す。汗だくの男性は自販機で飲み物を買ってから最後尾の方に向かって歩き出した。その足取りは若干ふらふらしてたことは気になったが。
ようやく俺の番が回ってきた。おでこに体温計を向けられて、ピッと計測された体温は35度8分だった。そして改札窓口のガラス越しに駅員にスマホの画面を見せながら改札にICカードをタッチし3番線に向かう。電光表示板を見れば上りの電車は『特急八王子』は東京行きだが、それ以外は豊田や立川止まりの各駅停車でそこから先も東京に行くには2度は乗り換える必要があった。外で叫んでいた人も、さっき膝から崩れ落ちそうだったおやじの気持ちも多少はわかる。所要時間も倍は変わるからな。
他の方面も終点までいかない横浜線は町田行きと橋本行きしかないし、八高線も箱根ヶ崎行きだ。そこから先は乗り継ぎらしい。詳しくは知らないがコンコースの放送でそう言っているのでそうなんだろう。
なんでこんなことになったのか。それは不要不急の外出と都道府県を超えての感染を防ぐために、首都圏の1都6県の各知事が鉄道会社に運行区間の縮小を求めた結果だった。
通勤型列車はおおよそ1つの運転区間を30分程にして、乗り継ぎで一度外に出るようにしている。これによって同じ空間に1時間もいることがないようにだそうだ。
特急型列車は全席指定制となり発売されているのは窓側の席だけだ。隣席に座る人がいないように配慮だそうだ。そしてその席も申請のあった企業に対して優先的に直接割り当てる方式を取っており、一般発売の区分はとても少ない。なので多くの乗客はいつもと変わらないはずだ。
これはJRだけではなく私鉄でも同じことが行われており、首都圏の各線は座席指定の列車を除いて途中駅で分断されている。本数も若干減っているがもともと出勤者や学生が減っているので混雑はそこまでひどくなかった。それでも乗り換えもないこの列車に乗れることは会社に感謝してる。
5時50分に2番線には豊田行きの電車が到着し、先に出発していった。中距離列車と呼ばれるステンレス体に水色と緑の帯の電車だ。あの列車は大月発らしい。各駅停車でも全席指定で1時間弱の区間を例外的に走っている。その電車からこちらに乗り換える乗客の体温検査を乗車口で行うとちょうど6時となり電車は出発した。
豊田駅では先ほどの豊田止まりの電車を横手に見ながら立川、国分寺、三鷹と停車するが、指定席は各駅で号車ごとに振り分けられていてこの車両に新しく人が乗ってくることがない。そして新宿には6時50分。終点東京には7時15分の到着。各駅での乗降に時間がかかるために普段の快速より遅いというのに定刻なのだった。
東京駅からは山手線の大崎行きに乗り換えて会社のある品川へ。この時間の山手線で席が空いてるなんていうのが異常なのはわかる。そして到着は7時半。普段なら新幹線や京急に乗り換える客で混雑する品川駅も人がまばらだった。
やっぱり早く着きすぎたな。特急指定席の割り当ては助かるがこうも毎日早く着くと結局会社で仕事を始めるくらいしかやることがないんだよな。喫茶店もファミレスも臨時休業。コンビニのイートインスペースも封鎖中。結局会社でコーヒーを入れて机で飲むしかないんだ。指定席の割り当てを申請した社長にはこれしか取れなかったとは言われているが、実は早朝出勤を余儀なくされている状況にいいようにされてると思う。そんな俺は今日もオフィスビルの自動ドアを潜り抜けた。
湘南などの海に出かけるサーファーとかの問題で駐車場の閉鎖とか、山形県への越県時に体温検査とか聞くと日本で首都封鎖するならこんな感じかなと考えながら書きました。
高速道路も料金所で出勤者と物流のトラックだけ通行を許可される裏設定あります。
他の視点でもちょっと書いてみたいので反響次第です。