そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)4.1 < chapter.5 >
戦いが長引くにつれ、クレーター内部にはレインに有利な環境が整っていった。地道に撃ち続けた《水泡弾》で砂は波打ち際のように程よく湿り、時折放つ《渦潮》や《引き波》により、複数個所に潮だまりのような水溜まりができている。
スナガニに化けたレインは恐竜の足元を駆け抜け、手近な水溜まりに姿を隠した。
「……?」
普通の生物であれば、これでスナガニを見失うだろう。しかし、相手は『神』だ。視覚情報以外に、『神の眼』による索敵手段を持つ。
「……ソコカ……!」
水溜まりに向けて、太く、大きな足を振り上げる。そしてそのまま、スナガニを踏み潰すべく足を振り下ろして――。
思わぬ先制攻撃を食らった。
小さな水溜まりからドッと水が噴き上がり、スーパーサウルスに襲い掛かる。片足を持ち上げた体勢で真下からそれを食らったのだから、スーパーサウルスは真っすぐ立っていられない。波に体を持ち上げられ、ひっくり返り、それから渦を巻く濁流にのまれてもみくちゃにされる。
仲間たちの判断は間違っていた。レインは狂暴化しても、理性を完全に無くすわけではない。《大海嘯》をはじめとする上級攻撃魔法は自在に繰り出すし、必要に応じて変身も防御も行う。シーデビルが狂暴化によって完全に失うものはただ一つ、『恐れる心』のみである。
レインは立て続けに三回、最大出力で《大海嘯》を重ね掛けする。
すり鉢状の地形は水系魔法と相性が良かった。水はどこにも流れていかず、クレーターの内側を超高速で回転しはじめる。流れと水圧に囚われたスーパーサウルスは、水から頭を出すことすら難しい状態だ。
レインは魔法を使うと同時に、素早くクレーターの縁に逃れていた。勝利を確信したレインはグルグルと回り続ける恐竜に向けて、勝利のスナガニダンスを披露する。
と、そんなレインの耳にベイカーの声が届く。
「レイン! 早く水から離れろ! そこにいると感電するぞ!!」
ハッと正気に返り、上を向くレイン。
見れば、ベイカーたちはペガサスに跨って空中に退避していた。
「!」
スナガニは突き出た眼をキュッとすぼめ、一目散に逃げだす。
「……よし、退避完了! 行くぞハンク!」
「はい!」
ペガサスから飛び降りるベイカーとハンク。真下にあるのは轟々と流れる渦の中心である。
「《氷柱》!!」
突き立てられる巨大な氷柱。二人はそこに着地し、背中合わせに体を密着させた。
「その目その耳に焼き付けよ! 神鳴る天の怒鎚を!! 《神明雷剣・武御雷》!」
ベイカーのコールに、空はにわかに掻き曇る。
電気を帯びた大気に包まれ、知らず知らずのうちに皮膚は粟立ち、心も体もすくみ上がる。
聴覚はゴロゴロという不気味な音にジャックされ、嫌が応にも、『次の瞬間』を予感させられ――。
発動から十秒後、天から刃が突き立てられる。
あまりにも激しい雷撃。
紫電の雷光は直下に存在するありとあらゆる物質を滅多刺しにし、貫かれた生物は一撃で命を奪われる。
軍神タケミカヅチの攻撃であれば、スーパーサウルスの神にも大打撃を与えられる。何より、雷の光は闇を祓う。闇堕ち状態の神と戦うにはこれが最適解であるのだが――。
「コノ、テイド……マダ……ワレハ、マダ……ッ!」
激流に揉まれ、雷に打たれ、それでもなお、おびただしい量の闇を吐き出し続けている。
黒く染まっていく水。
瘴気を帯びた水は粘性を増し、墨で作ったスライムのようにうごめき始める。そして瘴気の発生源、スーパーサウルスの意思を反映するように、渦の中心にいる二人に襲い掛かった。
「な……っ!?」
既に大技を発動中。防御魔法の同時使用は難しい。ベイカーは咄嗟に剣を抜くが、黒スライムは構うことなく突っ込んできた。
「くっ……!」
「この敵はいったい……!?」
ハンクは拳に氷を纏い、襲い来る黒スライムを迎撃している。だが、なんといっても元が水。剣で斬っても、拳で殴りつけても、動きを止められるのはほんの数秒だ。五秒もすると、何事もなかったように再び動き始める。
「なんと厄介な……! あともう一押しだというのに!」
「隊長! 落雷の座標はどの程度コントロールできますか!?」
「一メートル単位で操作可能だが、何をする気だ!?」
「半径十メートルを完全凍結させます!」
「分かった! やってくれ!」
「《氷陣・惨式》!!」
ハンクの足元に出現する魔法陣。そこから吹き出す冷気に当てられ、黒スライムは液体窒素でも浴びたように瞬時に凍り付く。
ベイカーは凍結範囲を避けるように雷撃を続けるが、あまりにも大量の水で満たされているせいか、思ったほどの戦果が挙げられない。スーパーサウルスにダメージを与える前に、電流の大部分は水のほうに流れてしまうのだ。
「クソ! 水が邪魔だな!」
「ですが、水がなくなれば……」
「ああ! 動きを制限できなくなる!」
二人は現状維持に努めた。しかし、スーパーサウルスも必死である。渦を巻く濁流から長い首を突き出し、二人に向けて炎を吐いた。
黒い炎を防ぐべく、氷の盾を展開するハンク。
けれども相手は『神』である。ツクヨミの光でも浄化しきれなかった炎が、通常魔法で防げるはずもない。
「ぐあああぁぁぁーっ!?」
「ギャアアアァァァーッ!」
二人の姿が炎に呑まれた。
咄嗟に助けに入ろうとするグレナシン。しかし、その腕を掴んで止める者がいた。
「ちょっと! 何で止めるのよ!?」
グレナシンの腕を掴んでいるのはロドニーである。しかし、今はその目が赤く光っている。これは体の制御権が『神』にあることを示す光だ。
「オオカミナオシ!? アンタどういうつもり!?」
「貴殿の助力は無用であろう。来るぞ」
「来るって、何が……」
と、言っている最中にそれは来た。
あたり一帯に降り注ぐ、鮮紅色の炎の雨。
これはティラノサウルスと戦っていた男、アーク・アル=マハの魔法である。
邪気のみを祓う『神の火』によって、ベイカーとハンクは黒い炎から救われた。あらかじめ《銀の鎧》を纏っていたおかげで、肉体的なダメージは非常に軽微である。
炎の雨を降らせたアル=マハは、スーパーサウルスに向けてわざとらしく挑発するような動作を見せ、すぐに背を向け駆け出している。
スーパーサウルスは突然の横槍に怒り心頭。アル=マハの背中に向けて次々と炎を吐き散らす。
ベイカーとハンクは顔を見合わせ、頷き合った。
今ならスーパーサウルスごと凍結させられる。
ハンクはもう一度《氷陣・惨式》を使った。先ほどよりも威力を強め、自分たちの足元から外へと、一気に凍結範囲を広げていく。
だが、この攻撃は不発に終わる。凍結範囲が広がれば、スーパーサウルスを振り回す『激流』は流れ方と速度が変化する。スーパーサウルスはそれを感じ取り、ハンクの狙いに気付いたのだ。
凍結した水面に「それっ!」とばかりに這いあがると、スーパーサウルスは二人に襲い掛かった。長い首を鞭のようにしならせ、二人を真上から叩き潰す。
防ぐ間もなく、今度こそ二人は死んだ――かのように見えた。
少なくとも、攻撃した本人には。
「……ナン……ダ? コレハ……?」
異変に気付いたスーパーサウルスは、頭を上げて周囲を見回す。
何もない。
目の前にいたはずの二人も、足元の氷も、クレーターも、空も大地も光も風も。何もかもが消えうせ、代わりに世界は『闇』に満ちていた。
全方位から迫り来る、圧倒的な孤独の色。それを目の当たりにし、スーパーサウルスの脳裏にかつての光景がよみがえる。
「……イヤダ。ヤメテクレ。ナンダ、コレハ。クライ……クライ……コレデハ、マルデ……」
天体衝突と、その後に訪れた長い冬の時代。大量絶滅の恐怖と絶望が、スーパーサウルスの心にまざまざと蘇る。
「アア……アアアアアァァァァァーッ!! ドコダ!? ヒカリハ!? ヒカリハドコダ!? イヤダ! オモイダサセナイデクレ! アノヒヲ! アノヒヲ、オモイダサセナイデクレ!」
右も左もない『闇』の中を、堕ちた神はさ迷い歩く。
外の世界ではどしん、どしんと力強く響いた足音も、ここでは酷く弱々しく、どこに反響することも無く虚空に呑まれて消えていく。
誰もいない。
守護すべき対象を失った神には、この事実は何より重く圧し掛かる。
天体衝突によって巻き上げられた大量の粉塵は全天を覆い、太陽の光を遮った。低下する気温、枯れる植物、食べ物を得られず飢えて死んでいく恐竜たち。守ることができずに死なせてしまった『愛すべき者たち』を思い出し、スーパーサウルスの守護神は泣いた。
あの大量絶滅で恐竜の守護神たちは『役割』を失い、こちらの世界に送られた。幾人かの神は希望を失わず、新たな世界に『竜族』という生命体を生み出した。けれども、スーパーサウルスの守護神は彼らに続くことができなかった。
そこに救いがあると分かっているのに、心の傷が深すぎて、希望に手を伸ばすことができなかったのだ。
そうこうしているうちに、竜族は世界に満ちた。あとからやってきた神々の子孫、『獣人』たちを使役し、この世の繁栄を謳歌した。
スーパーサウルスの守護神は、ただそれを眺めていた。
羨ましくて仕方がなかった。
あの日、他の神々と足並みを揃え、自分も『竜族』の始祖となっていれば――。
こんなはずじゃなかった。
その思いは次第に膨れ上がり、ぽっかりと開いた胸の穴を満たしていった。
そしていつしか、心は闇に蝕まれていた。
こんなはずじゃなかった。
そう、こんなはずじゃあなかったのだ。
仲間が子を産み、孫、ひ孫が生まれ、繁栄する様を見て、少しも喜べないなんて。
獣人たちが革命を起こし、竜族を絶滅させる様を見て、ざまあみろと嗤うだなんて。
そしてその獣人たちの幸せそうな『今』を見て、殺意と衝動に駆られて暴れるなんて。
「ワレハ……ワレハ、イッタイナニヲシテイル……?」
真っ暗な『闇』の底にあって、思い出すのは幸せだった日々ばかり。たくさんの恐竜が思い思いに草を食み、幼子は虫や魚を見てはしゃぐ。たったそれだけの、けれども何物にも代えがたい、当たり前の毎日だった。
あんなに明るい太陽の下で、どうしてこれまで忘れていたのだろう。
自分が本当に求めていたのは、世界の終わりでも大量絶滅でもない。
もう二度と、悲劇の光景を視たくなかっただけなのに――。
「……ワレハ、ナントイウ、コトヲ……」
叩き潰してしまった。
あの獣人たちは、きっと死んでしまっただろう。
命を守るべき『神』なのに、自分は何と罪深いことをしてしまったのか。
スーパーサウルスの守護神は心の底から懺悔した。そして天を仰ぎ、闇の向こうに希う。
「主ヨ……ドウカ……ドウカコノ身ニ終焉ヲ。モウ、コレ以上ノ罪ヲ重ネヌヨウニ……」
涙を流せば流すほど、心の穢れは洗われていった。
次第に軽くなっていく心と身体。ドロドロとした気持ちが、嘘のように晴れていく。
これは創造主の赦しなのだろうか。
スーパーサウルスは不思議に思い、滴り落ちた涙を見た。するとどうしたことだろう。足元に落ちた涙はブクブクと膨れ上がり、先ほど出現した黒スライムと同じ、闇のモンスターに変質しているではないか。
「ナ……コレハ……ッ!?」
再び取り憑いてやろうとでもいうのか、黒スライムはスーパーサウルスににじり寄る。
スーパーサウルスがわずかに後退った、その時だった。
「はあああぁぁぁーっ!」
風の刃が闇を切り裂き、黒スライムを両断する。
二つに分かれ、なおも蠢く黒スライム。それは左右からロドニーに襲い掛かるが、その身に触れることはかなわなかった。
「気持ち悪ぃな! こっち来んなハゲ!」
圧縮空気で防壁を構築し、それを弾けさせることでスライムを撥ね退ける。そして風を操って宙へ舞い上がると、スーパーサウルスの頭上に着地した。
「何ボサッとしてんだ! 行くぜ!」
「イク? ドコヘ……?」
「決まってんじゃねぇか! 『卵』の外だっつーの!」
「タマゴ、ダト? ……モシヤ、コノ『闇』ノ世界ハ、母胎ノ……?」
「とにかく走れ! 黒スライムを振り切って外に出れば、あれは世界と一緒に勝手に消えるらしいぜ! よく分かんねーけどよ!」
「ソトニ……コノ『闇』の外ニ……」
「いいから走ってくれよ! 急に言われてもワケ分かんねーだろうけど!!」
「イヤ……ワカル。ワカルゾ獣人ヨ。我ハ、コノ闇ヲヨク知ッテイル。スマナイ……アリガトウ!」
ツクヨミが構築した『母胎の闇』に、距離や高さという概念は無い。ツクヨミが術を解除する以外に、この世界を抜ける方法は一つ。
生への希望を持って、自分の殻を突き破ることである。
逞しい脚で全力疾走するスーパーサウルス。
追いすがる黒スライムを、ロドニーが風で払い除ける。
体内の『闇』を涙と一緒に流し尽くしたスーパーサウルスは、腹にグッと力を込める。
胸いっぱいに吸い込む空気。それは真っ暗だけれど、優しく清涼な香りに満ちていた。
太古の森で感じた、濃厚な緑の香り。それは静かで気高い、懐かしい夜の空気である。
月夜に思う、昇る朝日への淡い期待。永く忘れていた『希望の光』が、今、確かにそこにあった。
自分を救おうとする者たちの優しさに感謝を抱く。そしてその思いで胸の灯をともし、スーパーサウルスはまっすぐ前へと――『未来』へと向けて宣言する。
「ワレハモウ、絶望ナドシナイ! 胸ニ希望ガアル限リ、何度デモ立チ上ガッテミセル! ワレハ神ナリ! 闇ヲ照ラス、炎ノ神ナリ! コノ希望ノ灯ハ、幾度掻キ消サレヨウトモ、決シテ絶エルコトハナイ……!! 《超竜豪焔咆》!!」
大きな口から吐き出された炎は、もう闇の色ではなかった。
夜明けを告げる朝日のように、黄金色の炎が暗闇を打ち破る。