廃墟
その日、僕たちはとある廃墟にいた。
「単上さん、今日は何をするんだろうか?」
とはいえ、真夜中に廃墟にいるのだから、おそらく肝試しだろう。秋に、しかも一人で?などと笑うのは無粋というものである。彼は廃墟そのものにも関心があったはずだし、無類のホラー好きでもあった。流行りものの肝試しというより、趣味の一環なのだ。
ずんずん歩くのかと思いきや、やたらと慎重に歩いていく。天井を眺めてため息を漏らしたり、壁にある落書きに笑ったり、彼なりに楽しんでいるようだった。彼の気持ちの高ぶりとは裏腹に、昆虫の鳴き声以外にはほぼ何も聞こえない空間。僕は存在を悟られぬよういつも以上に気配を殺すことに努めていた。
そのとき、廃墟には似つかわしくない若い男女の明るい話し声が響く。心霊スポットにはつきものの、不良たちの襲来イベントだ。
おっ、単上さんも気付いたらしい。やはり慌てない。どこかに隠れるのかと思いきや、鞄をごそごそと弄くっている。中から出てきたのはコスプレ衣装、あれは警備員?持っていたフラッシュライトをしまい、細長い別のライトに持ち替えた。おそらくマグライトだ。そこまでこだわる必要があるのかと少し呆れた。
「待って、誰かいるよ」
女が声を潜めて言った。単上は自分から不良グループに近付いていく。彼らは単上のことを不審者の類いと思っているに違いない。心霊スポットに住みつく狂人。震え上がる女たちとは対照的に、どこか浮き立つ男たち。彼らにとっては肝試しを盛り上げるスパイスなのだ。
「誰かいるんですか?」
単上さんが先手を打った。この一言で不良グループは静まり返る。相手が何者なのか、様子を見ようという判断に違いない。しかし何よりも、高めの声を精いっぱいに低くして、声を“つくっている”単上さんが面白くて仕方がなかった。
「心霊スポットになってるのは分かるけど、ここは立ち入り禁止だよ」
優しげな口調で続ける。
「おじさんも肝試し好きだけど、ちょうど巡回中。タイミング悪かったね」
「逃げられたことにしとくから帰りなさい。いま帰ればどうにもしないから、ね」
その後、私服に戻った単上さんは再び探索に興じていた。あの“つくられた”声がなかなか頭から離れず、思わず吹き出してしまいそうになる。雑念を振り払い、観察に集中した。彼は、壁に空いた大穴にカメラを向けていた。フラッシュが少し眩しい。写真を撮り終えると、そこに顔を近付ける。そのときだった。大穴から白塗りの顔の女が現れたのだ。
「うわっ!」
ここ数ヶ月、彼を観察してきたがこんなことは初めてだった。いついかなる時にも平静を崩さなかった彼が大声をあげて後ろに倒れ込んだのだ。例の白塗りの女は不気味な笑みを浮かべている。まさしく不審者。
単上さんは起き上がらない。失神しているのか?僕は降りるべきか迷った。万が一、単上さんに危害が加えられそうになったなら僕が守るしかない。
あれこれと考えていると、クスクスという笑い声が聞こえた。その小さな声は次第に、バカ笑いという表現が適切なほどにまで大きくなった。どこかで聞いた声…。そして、穴から出てきた女を見て僕は驚愕した。
「たしか単上クンだよね?偶然見かけたから驚かしたんだけど、まさか失神しちゃうなんて」
ひいひい言いながら自己弁解しているのは、転校生の一之瀬だった。偶然見かけた?こいつも心霊スポット巡りに来てたのか?状況を整理できない、理解が追い付かない。そうこうしているうち、彼女は単上さんを抱えあげた。
「ちゃんと帰してあげるから、ごめんね」
ごめんと口にはするものの、未だに笑っていて反省の気持ちは感じられない。男一人を抱えていながら、身軽に穴から抜け出すと、すぐに見えなくなってしまった。
起床の時間が近付いていた。一之瀬を追いかけたいものの、毎日4時半には庭で乾布摩擦と決めている。泣く泣く、壁に張り付くのをやめて、僕はクラウチングスタートの姿勢を取った。