093 王子と奴隷
闘技場エリアの奥に向かって歩いて行く俺達。
観賞用の庭園を抜けると、背の高い木が増えてきて視界が悪くなっていく。
道も舗装がなく、土がむき出しになっている。
一般客なら、この辺で引き返すだろう。
俺達は、この先に用があるので歩調を緩めない。
「……」
この一団、ジルの護衛とエイベル男爵の護衛が一緒にいるので、非常に緊迫した雰囲気が漂っている。
その静かな一団の中で、陽気な声が交わされる。
「獣人の闘士は皆強く、この闘技場の上位陣は皆獣人なんですよ」
笑顔の男爵。
「それは当然だ。
人間より強くなるために進化したのが獣人だ。
人間なんかに負けるわけがない」
誇らしげなジル。
「仰る通りです。
獣人が強すぎて人はなかなか勝てません。
だからこそ、屈強な獣人に人が挑むという構図が最高に盛り上がるんです。
勝てる公算も低いのに、観客は人が勝つ方に賭けてしまう。
本当に良いお客様方ですよ」
愉快そうに笑う男爵。
「金儲けに来ていて、金を失う行動を取るとは愚かとしか言えないな。
だが、同胞を応援したくなる気持ちは理解できるぞ」
「なるほど。
そこは獣人も人も同じなのですね」
感心したのか、深く頷く男爵。
これぞ接待みたいな会話を黙って聞いていると広場が見えてきた。
その先には住宅が整然と立ち並んでいる。
「着きましたね。
ここが獣人達の居住地です」
男爵が俺達に向かって、この地を紹介する。
「この広場は彼らの訓練場です。
闘士としての腕を磨くために日々鍛錬に汗を流しています。
奥にあるのは彼らの住居です」
俺は周囲を確認する。
監視の人員はいない。
という事は、獣人奴隷達はある程度の自由が許されているという事だ。
王家に反逆した獣人、その子孫。
もっと厳しい生活を強いられていると思っていたが、そうでも無さそうだ。
広場には訓練中の獣人達がいるが、今は訓練を中断して、突然の訪問者達に視線を集めている。
その視線に敵意がない。
あるとすれば、戸惑いの感情だろうか。
男爵が平然と歩いて行く。
そして一人の男の前に立つ。
中年の獣人
がっしりとした筋肉質な体躯
落ち着いた様子で、男爵と対峙する。
「やー、クロード。
調子はどうだい?」
「別に良くも悪くもないよ。
そんな事より、大人数でやって来て一体何の用だ?
新人が来るなんて聞いてないが」
クロードがジル達を一瞥する。
「ははは、新人ではないよ。
君達と話がしたいと言うのでお連れしただけさ」
楽し気な男爵。
クロードが眉間に皺を寄せ、訝しがる
「ジル君。
こちら、クロード。
この闘技場の最強の闘士で、ここに住んでいる獣人達のボスだ。
何かある時は、彼に話を通すのが一番手っ取り早い」
男爵が手短に紹介し、ジルに場を譲る。
「紹介感謝する、男爵」
ジルが意気揚々とクロードの前に足を進める。
堂々とクロードを見上げるジル
その態度に、困惑気味にジルを見下ろすクロード
「初めまして、クロード殿。
僕はブロウ獣王国、第七王子ジル・ブロウといいます」
「ブロウ?……獣王国?……第七、王子?」
分かり易く驚くクロードが男爵を見やる。
「何だこれ?
そういう設定で試合しようって話か?」
ジルを無視して、男爵に尋ねるクロード。
「いやいや、闘技場も私個人も無関係ですよ。
話がしたいというお客様はこの少年だ。
ジル君の話を信じるか信じないかは、貴方次第です」
男爵が首を振って関与を否定する。
「はあ? 何だそれ?」
怪訝な顔でジルに向き直るクロード。
さて、この男は突然やって来た自称王子の話を信じるのか?
ただの部外者である俺は、静かにクロードの反応を観察し始める。
「信じられない事かもしれませんが、
僕の父が獣人の国を建国しました。
ですので、ブロウ獣王国は存在します。
今日ここに僕が来たのは、皆さんを僕達の国にお招きするためです」
俺と男爵がいるのに、ジルは本来の目的をクロードに話してしまった。
少しは包み隠せ!
これでクロードは考えてしまう。
ここから解放されるのではないかと。
有り得ないと思いつつ、心のどこかで期待してしまうかもしれない。
その心の変化を察知すべく俺は集中する。
「何言ってんだ、坊主?
男爵、こいつ一体何なんだ?」
突拍子もない話に堪らず、男爵に助けを求めるクロード。
「王子様ですよ。
未確認の国ですが」
男爵の立場ではそう言うしかない。
「……」
しかめっ面のクロードが男爵とジルを交互に見やる。
「俺達はここから出られるのか?」
クロードが真面目な声でジルに尋ねる。
「はい。
近いうちに、エンマイア王から皆さんの身柄を引き渡してもらうつもりです」
「……つまり、今は無理なんだな」
「そうですね。今は無理です」
ジルが素直に認める。
「そうか。
まあ、頑張ってくれ」
ジルを見限った発言をするクロード。
その表情からは、真剣さが抜け落ちている。
「エンマイア王から許可を頂ければ、獣王国に来てくれますか?」
ジルは冷静だ。
「さぁな、そんな胡散臭い国に行くなんて
かなり勇気がいると思うぜ」
クロードが、ジルから距離を取る発言をする。
「そんな悲しい事言わないで下さいよ。
二百年前、この国の王家になれなかった僕達の一族が
やっとの思いで建国した国です。
一緒に盛り立てていきましょう」
勧誘を続けるジル。
クロードの目つきが厳しくなる。
「僕達の一族……俺達と先祖は同じって事か?」
「そうです。
僕達は、奴隷と逃亡者、二つに分かれてしまいましたが、
元々は一つの家族だったんですよ」
複雑な表情を浮かべるクロード。
たとえ先祖が同じでも、
片や、国に捕まり奴隷として生きてきた者、
片や、国から逃げ延び自由に生きてきた者だ。
二百年後の現在、
前者の子孫であるクロード達は奴隷のまま、
後者の子孫であるジル達は国を手に入れた。
その格差に何も思わないはずがない。
そこで初めて、男爵の表情を盗み見るように、クロードは一瞬だけ視線を動かした。
男爵は微笑みを浮かべたまま、何を考えているのか分からない。
「そうかい、それはおめでとう。
お前達の国だ、大事に育てるといいさ」
「協力してくれないのですか?」
「俺達は奴隷なんでね。
決定権なんてないんだよ。
そっちで勝手に決めてくれ」
クロードがジルの要請を断り、この話を男爵に押し付ける。
「まあ、どうなるかは、陛下のご意向次第というところですかね」
男爵も決定権を持っていないので、この場にいない王様に責任を丸投げした。
「やはり、エンマイア王に会わねば話を進まないか」
ジルが独り言ちる。
冷静なジルに、俺は少し驚く。
自分達の事を軽んじたクロードに対して感情的に対応しなかった。
やはり同胞だから敬意を払ったのだろうか?
謎だ。
でも分かった事もある。
同じルーツを持つとはいえ、ジル達とクロード達は簡単には一つに纏まらないという事だ。
これは大きな収穫だ。
ジルを連れて闘技場に来た甲斐はあったといえる。
ジルがフット領に到着する前に、デイムに報告しておこう。