081 グレイスとの対話
魔獣狩りを堪能したメイソンは満足した顔でミルズ領へと帰っていった。
一緒に帰ってしまったアリシアとは文通する約束をしてしまった俺。
今後、ミルズ家との付き合いがどう転ぶか分からない。
慎重に行動しないとな、と気を引き締める。
フット家の屋敷に客人はいなくなった。
俺は目当ての人物に声を掛ける。
「グレイス、ちょっといいですか?」
「何でしょうか、カイル様」
振り返るグレイス。
グレイスはバートン子爵の令嬢だが、フット家で侍女として働いている。
地味な格好をしていても十代の少女の華やかさは隠しきれていない。
「ミルズ家の応対、有難うございました。
お陰様で、メイソンさん達もフット領を満喫できたと思います」
俺はグレイスに感謝の言葉を告げる。
「お役に立てたのであれば、光栄です」
静々と頭を下げるグレイス。
「それともうひとつ。
先日、キース伯父さんと少し話をしたんだけど、
グレイスは、フット領貴族なら、誰が婚約者でも構わないというのは本当なんですか?」
「仰る通りです」
真顔で答えるグレイス。
その淡泊さに戸惑いを覚える俺。
「好きな人とかいないんですか?」
言っていて恥ずかしくなる台詞を最後まで言い切る。
「いません」
俺はグレイスの表情を観察する。
秘めた恋心が存在するなら、見逃したら大変だ。
真っ直ぐに見つめてくる茶色の瞳。
……これは、ないな。
無いと判断してしまう俺。
「グレイスの婚約者、お祖母様にも相談する事になっていますよ」
俺は困ったように次の予定をグレイスに教える。
デイムに相談するという事は、デイムがグレイスの婚約者を決めるという事だ。
それでもいいのかと念押しする。
「なるほど。
デイム様がお決めになるのが、最良の選択ですからね。
お任せ致します」
グレイスは微笑みを浮かべ、あっさりと承認してしまった。
貴族らしいと言ってしまえばそれまでだが、ここまで自分の人生に淡泊では、俺がもやもやする。
「それでいいんですか?」
だから、非難の声を上げてしまった。
グレイスが目を丸くする。
目に見えて分かりやすいリアクション。
フット家の利益となる行動をしようとしたら、咎められたのだから驚くのも仕方がない。
「一緒に生活するなら、気の合う人とした方が楽しいですよ」
俺は、頑張るメリットをアピールする。
「確かに仰る通りだとは思いますが、
気の合う合わない以前に、
夫となる殿方には、貴族の義務を全うする覚悟のある方が望ましいです」
「おお、要望があるのですね!」
グレイスにも婚約者に望むものがあると分かって喜ぶ俺。
だが、グレイスの要望は、貴族としてだ、家庭人としての要望ではない。
家庭の幸せを考慮に入れていない事に、俺は渋い顔をする。
「私はただ、貴族の義務を果たしたいのです。
夫を支える事で、それが叶うなら私は満足です」
真面目な表情から彼女が貴族の義務に拘っているのがよく分かる。
「立派な志だと思います。
けど、どうして、そこまで拘るのですか?」
俺の質問に動揺するグレイス。
「カイル様がそのような質問をなさるのですか?」
グレイスが悲しそうな顔で俺を見る。
まるで裏切り者を責めるかのようだ。
「五年前の緑竜との戦いで、お祖父様を亡くされたからですか?」
俺はグレイスの過去に触れる。
五年前、バートン領の街を緑竜の群れが襲った。
グレイスの祖父が指揮を執り、群れの半数を打倒し、もう半数を撃退した。
だが、被害は大きかった。
街は壊滅し多数の死者が出た。
その死者の中に、グレイスの祖父とカイルの両親がいた。
家族を失う、グレイスとカイルは同じ悲しみを背負っている同士だった。
「お祖父様は立派に務めを果たされました。
孫娘の私もお祖父様と同じように誇り高く生きたいのです。
それはカイル様も同じのはずです。
違うのですか?」
グレイスの強い眼差しに射抜かれる。
俺は生唾を飲み込む。
俺は、俺ではないカイルの気持ちを知っている。
あの日感じた無力感を知っている。
触れてはいけない他人の気持ちを本人のふりをして語るなんて罪深い行為だ。
だが、今カイルはいない。
俺が語るしかない。
俺は決意を固め口を開く。
「違いません。
父と母は領民を守るために己が命を散らしました。
例え自己の権益を守るための必要な行動だったとしても、命懸けで戦うなんて誰にでも出来る事ではありません。
その務めを果たした両親を心の底から尊敬しています」
「であるなら、私の気持ちもお分かりになるはずです」
強い語気で説き伏せようとするグレイス。
ここで同意しては話が終わってしまう。
「分かりますが、それでは足りません」
「え?」
戸惑うグレイス。
主張を同意され反論する事も出来ず、押し黙る。
戸惑う顔が母親そっくりだ。
「貴女の幸せが足りません。
貴族の義務を果たしつつ、貴女の幸せを追求する事は出来ます。
不可能ではありません。
可能です。
なのに、貴女は自分の幸せから目を逸らしている。
なぜですか?」
今度は俺がグレイスを追及する。
真っ直ぐ見つめると、グレイスが俺から目を逸らす。
「すみません。
意地悪な質問をしました。
答えは分かっています」
分かっている。
カイルとグレイスは同じ悲しみを背負っている同士だ。
だからこそ、違いが明白になる。
「貴族の義務に拘るのなら、まずは地元に帰るべきではないですか?
うちに来てから一度も帰っていないでしょ?」
「……」
肩を震わせるグレイス。
グレイスは壊滅した街からデイムの元に避難してきた。
当初は一時避難のはずだったが、街が復興してもグレイスは帰らなかった。
無理に帰す必要はないと判断したデイムが、グレイスを侍女として雇い入れ、そのまま屋敷に住まわせている。
五年の月日が経った。
そろそろ過去と向き合うべきだ。
「先日も伺いましたが、バートン領は綺麗になっていましたよ」
俺は明るい声で言う。
五年前の瓦礫の山が嘘のように綺麗な街へと姿を変えていた。
あれなら、グレイスのトラウマを刺激しないはずだ。
「……」
グレイスは返事をしない。
小刻みに体を震わせている。
緑竜の襲撃を体験したグレイスの恐怖が如何ほどのものなのかは、俺には分からない。
分からないが、彼女が緑竜への恐怖心で竦んでいるのなら、
「緑竜くらいなら、僕がぶっ飛ばしてやりますよ」
俺が彼女の安心材料になれば良い。
俺はシャドーボクシングよろしく拳を交互に繰り出す。
その様子を見たグレイスが喉に貼り付いたような声を絞り出す。
「……お変わりになりましたね」
「そうでしょうか?」
すっとぼける俺。
「昔は、もっと思い詰めた顔をしていらっしゃいました」
俺はカイルの過去に思いを馳せる。
「……そうですね。
自分の力では何も出来ないと考えていましたからね。
気持ちが塞ぎ込んでいた日もありました。
けど、何も出来ないからこそ、せめて目を逸らさないようにと心掛けてはいましたよ」
「デイム様に同行されるようになったのも
そのようなお考えからだったのですね」
カイルは両親の死後、デイムの後を付いてまわっていた。
今領地で何が起こっているのか把握するために、
何も出来ないと諦観の念を抱いたまま。
「それが僕の出来る事だったので」
俺は寂しく笑う。
「その覚悟を、デイム様もお認めになられたからこそ
秘法を授けられたのですね」
グレイスも儚く笑う。
「秘法?」
「ええ。
強くなるための秘密の魔法です。
カイル様が急に強くなったのも、それが原因だと騎士団の方々が噂されていました」
「それは」
「ああ、何も仰らなくて結構です。
詮索するつもりはありませんから、そういう噂があったという話です」
慌てて話を打ち切るグレイス。
そう言われると俺も口を噤むしかない。
「カイル様は、困難から目を逸らさなかった。
だから今の貴方様があるのだと思います」
グレイスが一呼吸する。
「私も前に進むために、
過去を乗り越えようと思います。
協力して頂けますか?」
震える体に力をこめグレイスが顔を上げる。
「ええ、喜んで。
そのために僕がここにいるのですから」
カイルの守りたかったものは俺が守る。
俺は笑ってグレイスの願いを引き受けた。