079 メイソンと魔猪を狩る
空を見上げる。
今日も青空が美しい。
心がふわふわしている。
現実感がないというか、置かれた現実が信じられないというか。
今まで生きてきて彼女なんて出来た事ないのに、まさか一足飛びで婚約者が出来るとは、
異世界、いや、貴族って凄いな。
「カイル君」
「はい」
俺は、メイソンに呼ばれて返事をした。
メイソンは帯剣し防具を着込んでいる。
今日は魔獣狩りに来ているので、当然といれば当然の装備だ。
ちなみに俺は剣ではなく槍を抱えている。
「何を見ているんだ?」
俺に釣られてメイソンも空を見上げる。
「あぁ、警戒しているだけですよ、
竜とか大鷲とかが接近していないかを」
「まさか目撃情報があったのか?」
驚くメイソン。
「いえ、ありません。
けど、いつ来てもおかしくはありません。
ここは、五年前、緑竜の群れに蹂躙された土地ですから」
脅かすつもりはないが、事実は伝えておかなければならない。
メイソンには、ここは危険な場所だと心に刻んで行動して欲しい。
フット領内の北に位置するバートン子爵領
これより北は未開の森が広がっている。
魔獣の生息域だ。
俺達は、その森と領地の狭間にある緩衝地帯に来ていた。
木々は抜根され下草も刈り取られている。
視界は良好。
振り返ると、子爵領の畑が広がっている。
獣は夏野菜や作業者を狙ってやって来る。
森から獣が渡って来ても、見晴らしの良い、この緩衝地帯で発見する事が出来る。
「そうか、ここが……」
呟いたメイソンが同情の眼差しを向けてくる。
俺は、その眼差しの意味を理解していた。
カイルの両親についてだ。
カイルの両親は、五年前のバートン子爵領を襲った緑竜との戦いで命を落としている。
貴族の責務を果たしたのだ。
立派な人達だと思う。
けど、俺の両親ではない。
この場面では、カイルとして悲しい表情をメイソンに見せるのが正解なのだろうが、
俺には出来ない。
「ですので、十分気を付けて下さいね」
俺は過去に触れないで話を続ける。
「とんでもない所に連れて来てくれたね」
メイソンは力なく笑う。
「魔獣を狩るなら、奴らの領域に足を踏み入れないといけませんから、
ある程度、危険は覚悟しないといけません。
でも、ここなら見晴らしが良いので比較的安全に魔獣を狩ることが出来ますよ」
そう言って歩き続ける俺。
俺達の周囲を護衛のフット騎士団が歩いている。
これだけ護衛がいればメイソンを守ることが出来る。
騎士団の仕事は、客人であるメイソンを守り抜くことだ。
彼らは静かに集中している。
先頭を歩くフット騎士団団長のダグラスが少しだけこちらに顔を向ける。
「いました。
畑を荒らしています」
ダグラスが細めた目で見つめる先に、ぽつんと畑があった。
緩衝地帯に存在する畑は、領地の畑を守るための囮だ。
獣にとっては、いくら荒らしても人間が守りに来ない都合の良い餌場。
だが今日は違う。
狩人が来たぞ。
「あれが魔猪?」
メイソンの半信半疑の呟き。
黒褐色の猪が一頭、畑から野菜を穿り出している。
「そうです。
まだ気付かれていません。
ゆっくり近付きましょう」
俺は、ダグラス達騎士団に目配せし、散開させる。
魔猪と戦うのは、あくまでメイソンだ。
下草を踏むたびに、音がする。
そのうち、この足音に気付いて魔猪が顔を上げるだろう。
魔猪は、下顎から白い牙が生えている。
短刀くらいの長さがありそうだ。
体長も寝転んだ俺と同じくらいある。
「メイソンさん、
接近し過ぎると電撃喰らいますから気を付けて下さいね」
「分かった」
俺達は尚も距離を詰める。
魔猪は命の危険を感じると、魔法で体中を帯電させる。
魔法の威力が高ければ、周囲を巻き込む放電現象が発生する。
感電してしまえば、人間は硬直したまま、その牙の餌食になってしまう。
当然のように、魔猪も肉体強化魔法を使ってくるが、
一番警戒すべきは、電撃魔法だ。
俺達の足音に気付いて、魔猪が顔を上げる。
まだ敵意を持っていない瞳。
じっと俺達を見つめている。
魔猪は、畑の畝を一つ越え、二つ越え、こちらに向かってくる。
ゆっくり歩いてくる姿から、立ち去れと無言の威嚇を発している。
引くわけないだろ!
「行きましょう!」
「ああ!」
俺はメイソンと共に駆けだした。
二対一
魔猪が、どちらか片方を狙ったら、もう片方がフリーになる。
そのフリーになった方が魔猪を攻撃する。
圧倒的優位の戦い。
敵意を示した俺達に魔猪も臨戦態勢になった。
走り出す魔猪。
まだ距離はある。
そう思った次の瞬間、間を詰められていた。
速い!
俺は空へと逃げる。
もう一秒遅かったら、轢かれていた。
「これが魔猪の突進か。
マジやべぇ」
安全圏に逃げて魔猪の脅威が身に染みる。
俺を見上げる魔猪。
それは大きな隙だ。
メイソンが横から氷の散弾を放つ。
ピギィと悲鳴を上げる魔猪。
だが、揺らいだ体を四肢で支えて、メイソンに向き直る。
不味い。
次は俺が攻撃する番だ。
メイソンの散弾では貫通力が足りなかったようだ。
俺は、氷の質量を増やし、槍の形に成形する。
案の定、魔猪はメイソンに向かって突進する。
上から俯瞰しているから見失ったりしないが、
魔猪の加速力は想像以上だった。
その加速力に負けない瞬発力を見せたのがメイソンだ。
空に逃げずに横に避けた。
肉体強化をしていると、人間でも魔猪と渡り合えるらしい。
魔猪はメイソンがいた場所を一瞬で通過していった。
動いているところを狙撃するのは無理だ。
俺は、魔猪が振り返る瞬間を狙う事にした。
尻を見せていた魔猪が胴体を晒す。
方向転換のスピードは緩慢だ。
四つ足を細々と動かしている。
今だ。
俺は氷槍を魔猪の胴体目掛けて撃ち出した。
距離は三十メートル位で少し遠いが、
当たれば突き刺さる威力は十分にある。
魔猪は方向転換中。
急加速は出来ない体勢。
これは当たる。
氷槍が地面に突き刺さる。
その上を跳躍する魔猪の姿を、俺は目撃した。
「嘘だろ?」
あの体勢でジャンプするなんて有りなの?
魔猪の器用さに唖然とする俺。
魔猪が氷槍を飛ばしてきた俺を睨む。
怒りで瞳が燃えている。
俺は空中十メートル付近で浮遊している。
「まさか届くのか?」
魔猪はじっとこちらを見ている。
まるで距離を測っているかのようだ。
全力のジャンプなら届くのかもしれない。
すすーっと高度を上げる俺。
「地上戦は無理だな」
メイソンに任せよう。
一度失敗し、俺の失敗も観察していたメイソンなら、確実に仕留める方法を思い付いているだろう。
メイソンが魔猪に右手を向ける。
メイソンと魔猪の間にある下草が激しく震える。
風が吹いて、魔猪の体が宙に浮いた。
メイソンは風魔法で魔猪を拘束することを選んだようだ。
ピギィと鳴いて怒りを示す魔猪。
だが、鳴くだけだ。
脱出のための行動を見せようとしない。
安全を確認した俺は地上へと降りる。
「捕まえましたね」
メイソンに声を掛ける。
「ああ。
上手くいったよ。
これからどうしようか?」
拘束に集中しながら尋ねるメイソン。
「燃やしましょう」
無難な提案をする俺。
拘束したとはいえ、まだまだ元気な魔猪。
電撃魔法も危険なので近付く事も出来ない。
もっとも安全な方法は、遠間から高火力で一気に仕留める方法だ。
メイソンも異論はないだろうと彼の返事を待つが、即答は返ってこなかった。
「…カイル君」
メイソンが言い辛そうに俺の名を呼ぶ。
「何ですか?」
「僕達の初狩りの獲物だ。
記念に毛皮を持って帰りたいんだ。
だめかな?」
気恥ずかしそうに照れた笑みを浮かべるメイソン。
意外と俗っぽいところがあるよな、メイソンさん。
二人の記念とか何言ってるの。
「べ、別にだめではないですが、
では、どうやって仕留めます?
近付くのは危険ですよ」
「考えがある。
まず魔猪を気絶させる」
そう言ったメイソンが風を操作する。
魔猪が錐揉み大回転し始めた。
始めは悲鳴を上げていた魔猪も、しばらくするとぐったりしてきた。
「槍貸してくれる?」
片手を差し出すメイソンに俺は槍を手渡す。
「カイル君、
魔猪が落ちてきたら捕まえてくれるかな?」
「分かりました」
メイソンのやりたい事は理解できた。
空高く浮上していく魔猪を眺める俺。
メイソンが投擲体勢を取る。
風が解け、魔猪が落下し始める。
「ふ!」
メイソンが力を込めて槍を投げた。
空気を切り裂いた槍が魔猪を串刺しにする。
「よし!」
メイソンが短く歓声を上げた。
「おおー、お見事です」
俺も感心しながら拍手を送る。
一撃必中だ。
メイソンの投擲技術はかなり高いようだ。
槍の穂は魔猪の体を貫通している。
致命傷だ。
だが、魔猪が息を引き取るまでは油断はできない。
俺は落下してくる魔猪を風の網で確実に捕らえる。
「……降ろしてみますか?」
俺はメイソンに尋ねる。
風に揺られて魔猪の生死が確認し辛い。
鳴き声も上げず暴れもしないので、既に事切れている可能性もある。
「分かった。慎重にね」
メイソンの同意も取れたので、ゆっくり地上に降ろす。
横たわる魔猪は浅い呼吸を繰り返すだけで起き上がろうとしない。
少しばかり距離を詰める俺達。
魔猪の目は半分閉じかけている。
「ここから止めを刺しましょう」
「そうだね」
氷槍を創造する俺。
狙うは喉元。
射出!
魔猪に接近する氷槍。
次の一瞬、青紫色が視界を染めた。
ピギィ、聴覚は魔猪の悲鳴を捉えた。
「な!?」
何が起こった!?
白んだ視界で魔猪を捉える。
焦げた槍の柄が、煙を吐いている。
魔猪も絶命していた。
「自分の電撃で感電した?」
メイソンが状況を見て推測を呟く。
「氷槍を撃ち落とそうとしたんでしょう」
俺は周辺を見渡す。
氷槍は落ちていない。
魔猪の電撃で蒸発したらしい。
半死半生の状態で、自分の身を守ろうとした魔猪。
槍が刺さった状態で電撃を放てば、どうなるか知らなかったのだろう。
知っていれば、どんな行動を取ったのだろうか?
そんな疑問が頭をよぎる。
死線を越えて学習していく魔獣なんて、怖すぎる。
今日ここで仕留める事が出来て本当に良かった。
俺は気持ちを切り替えて、明るい声で告げる。
「この魔猪、伯父さんの屋敷に持って帰りましょう」