062 獣人との世間話
昨日の会談は無事に終わった。
今日は自由行動の日だ。
屋敷にいても暇なので、俺は街を散策することにした。
付き添いはイネスだけだ。
サラは屋敷でデイムの世話係をしている。
イネスと二人っきりになるのは初めてだ。
イネスはサラより背が高いので俺は見上げる角度を上げる。
「あの、一人でも大丈夫ですけど……」
「それは不用心です。
カイル様の御身に万が一の事があってはいけません。
不肖、このイネスが身命を賭して御身をお守り致します」
真面目な顔で重苦しいセリフを吐くイネス。
言葉の通り、イネスは護衛として帯剣している。
綺麗なお姉さんに守られてラッキーと思わなくもないが、今日の目的はそれじゃない。
今日の目的は、獣人達の意識調査だ。
首長サリムを筆頭としたフット伯爵であるデイムとの友好を望む穏健派、そして、それ以外。
……それ以外の派閥がよく分らないので実地で調査しようと思ったのだ。
街行く人を眺める俺。
寄って来ないな。
皆自分の仕事があるから、俺とお喋りしている時間がないのは分かる。
分かるが、ちょっと位立ち話してもいいと思うんだよ。
俺が近づこうとすると距離を取られる。
完全に避けられている。
この一貫した対応は、俺との接触を禁止されているからではないのかと疑ってしまう。
「避けられていません?」
指示出し側であろうイネスに尋ねる。
「皆、立場を弁えているのでしょう」
すまし顔で答えるイネス。
イネスは現状を肯定している。
指示出しを指摘しても撤回することはないだろう。
住民と触れ合えないのならこうして街を歩いていても意味がない。
屋敷に帰ろうかな。
俺がとぼとぼ歩いていると道の角から三人組が現れた。
二十代前半の青年達。
黒髪に猫耳、尻尾を揺らしている。
手には槍を持ち、革防具で肉体の要所を守っている。
明らかに他の住民と雰囲気が違う。
俺と目が合っても立ち去らずこちらに向かってくる。
お、これはサラ達以外の獣人と接点が持てるかも。
俺は期待に胸をときめかす。
軽い足取りで先に進もうとしたら、イネスが俺の進路に割り込んできた。
イネスの尻尾の毛が逆立っている。
「おいおい、何で隠すんだよ?」
男の声が飛んできた。
俺はイネスの後ろから顔を出す。
中央の男が声を掛けたのだろう。
他の二人に先んじてどんどん近づいてくる。
「それ以上近づくな!」
イネスが警告を発した。
これはマジのやつだ。
仲間内の冗談のような気安さや親しみがない。
俺も万が一に備える。
俺にとっての危険人物か?
イネス達にとっての不都合な人物か?
「そんな警戒すんなよ。
俺達はただそこの冬の英雄殿に挨拶したいだけなんだよ」
冬の英雄……?
それが俺を指していることは理解できた。
だが、そう呼ばれているなんて知らなかった。
発言した青年が隣にいる獣人に槍を預けて歩いてくる。
斬り合うつもりはないという意思表示。
最低限の礼儀を示したようだ。
イネスは近づくなと警告したはずだが聞く気はないようだ。
「俺は守備隊のユーグだ」
ユーグと名乗った青年が手の差し出す。
「カイル・フットです。よろしくお願いします」
俺も手を差し出し握手を交わす。
「痛っ」
俺は思わず手を引いた。
「はは、すまない。力が強すぎたみたいだ」
「貴様!」
イネスが柄に手を掛けながら一歩前に踏み込む。
流血沙汰は不味い。
「イネスさん! 僕は大丈夫です!」
俺は慌ててイネスを止める。
右手を開閉させ動きを確認する。
痛かったが怪我はしていない。
「すまない。
英雄殿がこの程度の握手で音を上げるとは思わなかったんだ。
まあ、俺は普通に握手しただけなんだがな。
しかし、これじゃあ、見た目通り子供扱いしなきゃいけないみたいだな」
ユーグはおどけながら嗤う。
後ろの二人も嘲笑を浮かべている。
どうやら俺を虚仮にするために、わざわざ近づいてきたみたいだ。
サリム率いる穏健派では有り得ない暴挙。
別の派閥と見て間違いないだろう。
「子供なので、それ相応の扱いをして頂けるのは有難いですね」
俺は姿勢を正してユーグの前に立つ。
「ああ、もちろんだ。
危ない事は大人がやるから子供は家で大人しくしていればいい」
「危ない事?」
俺は聞き返す。
「魔獣狩りさ」
ユーグは短く答えた。
天覧山脈は魔獣の生息地だ。
会いたくなくとも遭遇してしまう程数が多い。
そのため日常的に魔獣狩りが行われている。
ユーグ達守備隊はそれを専門にしているのだろう。
専門家が専門の仕事をする。
当たり前の話だ。
勝手にすればいい。
なぜ、それをわざわざ俺に言う?
「守備隊だけで魔獣狩りが行えると仰りたいのですか?
何が起こるか分からないのが、この天覧山脈です。
必要であれば子供の手も借りるべきではありませんか?」
子供が俺の事を指しているのなら、ユーグは俺の排除を狙っている。
「子供の助けは必要ない。
俺達は十分強いからな」
ユーグは俺という戦力を拒絶した。
それが狙いであり願いである以上、俺の言い分は受け入れてもらえないだろう。
「勝手な事を言わないでください。
魔獣対策はサリム様がお考えになる事です。
貴方が、少なくとも貴方がフット家の方に対して発言する権限はありません」
隣のイネスが憤る。
「権限とか、言い方が大袈裟なんだよ。
これは世間話の範疇だよ。
なあ、そうだろ、英雄殿」
ユーグとイネスの視線が集まる。
「確かにそうですね。
皆さん、自分の意見を持っているのは当たり前の事ですし、
ユーグさんが自分の所属する守備隊に絶対の信頼を寄せているというお話を聴かせてもらっただけなので、これはただの世間話ですね」
俺はユーグと話を合わせた。
これでユーグの思惑を俺も理解したとユーグも察しただろう。
「そうだろ。これはただの世間話だ。
俺は自分の意見を話した。
今度は英雄殿の番だ。
英雄殿の意見も教えてくれよ」
踏み込んできたな。
カイル・フットは獣人の街に干渉するのか否か。
ユーグが懸念しているのはこれだろうな。
俺がこの街を守ってしまえば、守備隊の存在価値が下がる。
価値が下がれば、影響力も下がる。
影響力が下がれば、サリム率いる穏健派を追い落とすことが出来ない。
「要請があれば応えるのもやぶさかではないですよ」
「カイル様!」
イネスが堪らずといった顔で俺達の会話に割り込んできた。
ユーグごときに話す内容ではない。
そう目で訴えているイネスを俺は視線だけで制す。
「要請があれば……ね」
ユーグが意味深に口角を上げる。
「ええ、要請があれば」
俺も意味深に口角を上げる。
要請がなければ俺達はこの街に来れない。
強引に足を踏み入れることは出来るが、それをすればこれまで築いた友好関係が壊れてしまう。
だから、要請がなければ俺達はこの街に来れないのだ。
俺達を呼ぶか呼ばないかはお前達次第だ。
自力でやりたきゃサリムを説得してみせろ。
俺は目だけで伝える。
「なるほど。そういう考えか」
ユーグが機嫌よく歩いてくる。
「良い話を聴かせてもらった。
礼を言うぞ、英雄殿」
ユーグが手の差し出す。
「こちらこそ、面白話を聴かせてくれて有難うございました」
俺も手を差し出し握手を交わす。
今度の握手は痛くなかった。