060 暑中お見舞い
もう二度と来ないと思っていた。
懐かしい防壁が見える。
表面が真っ黒に焦げ戦闘の凄まじさを物語っている。
天覧山脈にある獣人の街。
俺達が冬に魔狼の襲撃から守った街。
そしてカイルが救済を願った街だ。
周囲には畑が、夏野菜の栽培をしているようだ。
僅かだが麓に向かって開拓が進んでいる。
正門は開いており二人の少女がフット伯爵の馬車を出迎えている。
……ぶっちゃけどう思っているのだろう?
俺を召喚するためにカイルはあちらの世界に隔離されてしまった。
カイルは死亡したわけではないが、永遠の別離であることには変わりない。
その事をサラ、イネスが心のどこかで気にしているかもしれない。
気にしていても表に出さないでくれたら、俺も素知らぬふりで応対することが出来る。
気不味くなるのは避けたいが、結局、会ってみるまで分からない。
……覚悟を決めるしかない。
正門前で馬車が停まる。
デイムが馬車を降りるので俺も後に続く。
「ようこそ御出で下さいました。デイム様、カイル様」
サラが代表して挨拶する。
「しばらく世話になるよ」
「ご滞在中のお世話は私達が務めさせていただきますので、何なりとご用命ください」
サラとイネスが深々と頭を下げる。
「だったら馬車に乗ってもらおうか」
そう言ってサッサと馬車に乗ってしまうデイム。
サラ達は戸惑いを見せる。
恐らく馬車を先導する仕事があるのだろう。
「遠慮することはないよ。
屋敷への道順は覚えているから問題ない」
中から声を掛けるデイム。
「ではお言葉に甘えさせて頂きます」
サラがデイムの要請に応じる。
俺はサラとイネスの乗車の補助として手を差し出す。
運動神経の良い二人には不要な助けだが、双方合意で貴族の馬車に乗るということを形として示した方が都合が良い。
この場には俺達以外にも人がいる。
正門前には出迎えに来てくれた獣人達が、防壁の上には武装した獣人達が、俺達を見つめている。
見ている人間に変な誤解を与えないように、俺達仲良しだぜとアピールしておく。
何事もなくサラとイネスが馬車に乗り込り、俺も向かいの席に腰を下ろす。
馬車は無事に正門を通過することができた。
「カイル様、お久しぶりでございます」
サラが話しかけてきた。
半年ぶりの再会だ。
黒い瞳が俺を見据えている。
艶のある黒髪から猫耳が顔を出している。
久々に獣人を間近で目撃した。
やはり見慣れないため違和感を覚えてしまう。
……だが可愛いと言えば可愛い。
今日のためにサラもイネスも身綺麗にしている。
武装していないので無骨さも感じない。
品の良い衣服を身に纏い、可憐な女の子として俺の目の前にいる。
「久しぶりですね。
二人共元気そうで安心しました」
「ご心配ありがとうございます。
お陰様で私達もこの街も生き長らえております」
仕事中のためかサラの様子が他人行儀だ。
一緒に魔狼と戦った戦友として打ち解けた気になっていたが、やはり時間経過で好感度が減少したのだろうか?
俺が逡巡しているとデイムが会話に入ってきた。
「魔獣の襲来はいつも通りかい?」
「はい。いつも通りです。
畑荒らしに魔猪、肉狙いで魔狼や魔鳥が襲ってきていますが、今のところ大規模襲撃に繋がりそうな異変は見つかっておりません」
「そうかい。それは良かった。
それなら、サリム殿との会談も茶飲み話ですみそうだ」
デイムが静かに笑みを作る。
今回の訪問の目的は、情報交換と物資物量の交渉だ。
これだけならデイムの領主権限で処理することが出来るが、そこに軍事問題が加わると軍、王国への対応や獣人達の感情変化への対応というデイムの権限では上手く処理できない問題が発生し、会談は苦悶の時間へと姿を変えてしまう。
デイムが安堵するのも仕方ない。
「祖父もデイム様との語らいを楽しみにしております。
僭越ではございますが、私達もお二人の時間が楽しいものであることを願っております」
「ああ、私もそう願っているよ」
そう言ったきりデイムが黙ってしまったので、俺は場をつなぐため魔法学校での出来事を話題として提供した。
サラ達は、俺が代表戦を勝ち抜いて学年最強になった話には素直に称賛し、肉体強化魔法を使えずに苦労している話には同情と労りの言葉を掛けてくれた。
「魔狼襲撃の時に肉体強化魔法を使用されていなかったので不思議に思っておりましたが、そういう事だったのですね」
サラは疑問が解けて嬉しそうな顔をした。
「不甲斐無くて申し訳ない。
だが、決して手を抜いていたわけではないことを理解してくれると有難いです」
俺はサラ達に頭を下げる。
肉体強化魔法が出来ていたら、もっと多くの命を救う事が出来たと思う。
サラ達もそう思っているかもしれないと、俺はこの魔法の存在を知った時から不安だった。
現にサラは疑問に思っていた。
俺はその疑問を抱えた少女達を半年も放置してしまった。
その半年の間に、俺に対して不信感や悪感情が生まれていてもおかしくはない。
もし本当にそのような感情があるのなら、払拭したい。
使わなかったのではなく使えなかったのだと分かって欲しい。
そうした想いから俺は自分の弱点をサラ達に晒した。
「頭をお上げください。
カイル様が謝る必要はありません。
あの夜は、私達四人は最善の行動を取りました。
カイル様が肉体強化魔法を使用していないのは気が付いておりました。
ですが戦況的に必要ないと判断して、カイル様に肉体強化はお願い致しませんでした。
その判断が誤っていたとは今でも思っておりません。
ですのでどうかご自分をお責めになるのはおやめください」
サラの気遣いの言葉に心が軽くなるのが分かった。
「ありがとう、サラ。そうさせてもらうよ」
俺は再び頭を下げてサラに感謝した。
馬車が屋敷に到着する。
感慨深い。
異世界生活のスタート地点だ。
玄関先にこの街の首領サリムが待ち構えている。
「ようこそ暑い中お越しくださいました。
ご壮健でしたかな、デイム殿?」
サリムが快活な笑みを浮かべる。
「ええ、お陰様で。
サリム殿もご壮健そうで何よりです」
デイムも明るい口調で答え、二人は握手を交わした。