052 マーカスと獣人の闘い
中級剣闘士のバイロンとジャクソンの試合の後、俺達は数試合を観戦した。
試合は、バイロンとジャクソンの試合と同じように手足を狙ったものが続いた。
剣闘士とはいえ殺し合いを進んでやる頭のねじが吹っ飛んだ人間はいなかったようだ。
俺は剣闘士が理性的に人間なのだと分かり安心して観戦することが出来た。
だが、同じ試合展開が続けば見飽きてしまう。
正直もう帰りたい。
試合が終了して観客達が席から離れ始めた。
ほとんどの観客が賭札を買いに窓口に向かうので、こうして席に残っていると妙に目立つのだ。
「もう帰りましょうか?」
俺はエレノアに提案する。
「ええ!? マーカスの試合を見に来たんだよ」
仰る通りです。
だがもう充分だと思う。
エレノアが俺達を闘技場に連れて来た目的は、
カレンの教育のためと
俺にマーカスに対する理解度を深めさせるためだと思っている。
なら、この目的はすでに達成されたと言っても過言ではない。
闘技場という未知の世界の雰囲気は俺もカレンも学習した。
マーカスの剣闘もこれまでの試合から察することが出来る。
だからもう闘技場には用はないのだ。
「兄弟子が切り刻まれる姿を見るのは、忍びないです」
「え? ダメだよ。身近な人の不幸もちゃんと見届けないと」
同情心に訴える作戦が全く通用しなかった。
厳しい女だ。
仲間が大怪我をした場合でも動じず平常心を保つための訓練なのだろう。
後輩想いの良い先輩だ。
俺はマーカスが大怪我しても平常心でいる自信があるので意味のない訓練だが、口には出さない。
「カレンは大丈夫ですか?」
エレノアの思惑からは逃げられないので、せめて巻き込まれるカレンを気遣う。
「私は頑張るよ」
健気な答えが返ってきた。
良い先輩に良い後輩。
理想的なコンビだ。
「凄いですね」
カレンは自分が傷つく覚悟で観戦するつもりだ。
マーカスのやられっぷりに心を痛めるなんて良い娘すぎる。
「凄くはないよ。
カイルが怪我した時、私は何もできなかったから。
エレノアさんみたいに仲間を救える狩人になりたいんだ」
カレンは自分の掌を眺めながら決意を語る。
どうやらカレンは、今日の闘技場見学を平常心を手に入れる絶好の機会と捉えているみたいだ。
カレンは何もできなかったと言うが、魔鳥にやられた俺の治療中、カレンは俺の頭をずっと抑えていた。
エレノアの助手として役に立っていたと思う。
「カレンは治癒魔法も勉強中だから、そのうちお世話になるかもよ」
エレノアがカレンの肩を抱きながら妹分を自慢する。
治癒魔法は俺も魔法の授業で取り組んでいる。
エレノアレベルになるにはまだまだ時間が掛かると思っている。
「私なんてまだまだですよ。真に受けないでよ、カイル」
カレンは慌ててエレノアの発言を否定する。
「その時は宜しくお願い致します」
俺は深々と頭を下げる。
「だからやめてって」
カレンが俺の上半身を押し起こす。
俺は笑う。
「笑うな」
カレンが怒る。
だから笑ってしまう。
冗談を言える位の仲になったのが嬉しくて笑ってしまう。
「あっ、マーカスが出て来たよ」
エレノアが本日のド本命の登場を告げる。
半裸のマーカスが入場口から出て来た。
背は高くないが、しっかりと筋肉がついている。
いけ好かない男だが、堂々とした態度に強者感を覚える。
ムカつくので対戦相手に勝利を期待してしまう。
黒髪の若い男だった。
「……」
俺は知らず立ち上がっていた。
「……獣人」
獣人がいた。
黒髪の間から猫耳が生えている。
尻尾も生えている。
獣人が闘技場にいる。
獣人は天覧山脈を超えてこの王国に侵入しようとしている。
現在進行形でだ。
それがなぜ王国の中、この学術都市にいるのか。
「奴隷だね」
俺の自問にエレノアが回答する。
「奴隷……」
サラ達の街から誰かが攫ってきているのか?
デイムがそれを許している?
いつから?
いや、デイムの目を盗んで人身売買を商っている者がいるのかもしれない。
疑問が次々と浮かんでくる。
「天覧山脈にいる獣人じゃなくて、昔からいる獣人の子孫だと思うよ」
エレノアが俺の疑念を打ち払ってくれた。
天覧山脈の獣人達が虐げられているわけではないと分かり安心したが、この国に昔から獣人がいたなんて初耳で驚いた。
「昔からいるんですか?」
当然の疑問をエレノアに問う。
「そうだね。
人間との権力闘争に敗れて、大部分の獣人達は天覧山脈の向こう側に行っちゃったけど、
当時、人間に捕まっていた獣人達もいたから、そういう人達が奴隷になって、そっから子供も孫もその次もずっと奴隷として生きている。
だから、あの獣人の剣闘士もそんな奴隷のうちの一人のはず」
エレノアが語る人と獣人の歴史。
その言葉には感情がこもっていない。
他人事として俺に事実を教えてくれている。
この国には奴隷制度がある。
だが、それは一代限りだ。
奴隷の子だからといって奴隷になるわけではない。
獣人は、この国の法律が適用されない生粋の奴隷。
何だよ、それ!?
自由を奪われた人生なんて俺なら耐えられない。
逃げられないのか?
同情とも憐憫とも言えない感情で、俺は獣人の剣闘士を見つめる。
獣人の剣闘士は逃げる素振りも見せず、落ち着いた様子で試合の開始を待っている。
試合の準備が整った。
いつものように女性アナウンサーの選手紹介が始まる。
「上級剣闘士マーカス選手の紹介です。
本業は狩人の彼ですが、狩りに行くより剣闘している方が多い不良狩人。
獣を狩らず、人を狩る。
ついた異名が人狩りマーカス!」
「獣狩れ、けもの」
エレノアが冷めた声でツッコむ。
上級だと!? 生意気な。
マーカスが上級剣闘士であることが気に喰わない俺。
「続きまして、トリスタン選手の紹介です。
こちらも上級剣闘士、そして、まだ十代という若者。
人にはない圧倒的な身体能力をもって対戦相手を斬り伏せる獣人剣闘士!」
「マーカスより頭一つ高いね」
マーカスと対峙するトリスタンを一言評するエレノア。
トリスタンは手足も長い。
そのせいだろうか線が細い印象を受ける。
「どちらが強いんですか?」
カレンがエレノアに問い掛ける。
「うーん、どうだろうな。
マーカスいわく勝ったり負けたりって言ってたから」
「それって凄い事ですよね?」
「まあ獣人相手だしね。凄いとは思うけど、年下の子と互角ってマーカス的には我慢ならないかもね」
兄弟子は負けず嫌いだな。
身体能力が優れた獣人が強いのは当然だろう。
認めるべきところは認めるべきだ。
そして対策して勝てばよい。
試合が始まった。
静かな立ち上がり。
二人共、剣を中段に構え、機会をうかがっている。
手足狙いなら、頭は狙わない。
それが闘技場の不文律らしい。
マーカスが大きく踏み込んだ。
頭を狙った突きだった。
「なっ!?」
俺は声を詰まらせる。
トリスタンはその突きを余裕をもって回避した。
「あ、頭狙いましたよ。頭!」
カレンが慌てた声を上げる。
「ほんと馬鹿だよねぇ。自分から殺し合いに誘うなんて」
エレノアは呆れていたが、観客達は違う反応を示した。
「「「おおおおおおおおお!!!」」」
殺し合いの始まりに、場内から大歓声が上がる。
マーカスが怒涛の攻勢にでる。
狙いを限定しない自由な剣筋がトリスタンを襲う。
だがトリスタンは舞台を大きく使い回避し続けている。
リーチの差があるので余裕のある立ち回りだ。
マーカスが必死に追う。
トリスタンが本気で踏み込んだらどうなるのか?
その答えが次の瞬間に来た。
トリスタンがマーカスの攻撃を器用に受け流し体を入れ替えて、完全にマーカスの背後を取った。
「ああ!」
カレンの短い悲鳴。
心臓を一突き。胴を一薙ぎ。
トリスタンには複数の選択肢が用意されている。
マーカスは受けるか捨て身で反撃するかしかない。
だが体勢が悪いので、どちらも中途半端な威力にしかならないだろう。
崩され、躱され、致命の一撃を喰らう。
そんな未来を幻視する俺。
だがそんな未来は来なかった。
現実は、背面にいるトリスタンを捕まえるように右手が伸ばされた。
マーカスの右腕が宙を舞う。
「勝負あり! 勝ったのはトリスタン選手!」
女性アナウンサーの勝利宣言が響き、場内から歓声悲鳴が入り混じった轟きが起こった。
片膝をついて痛みに耐えるマーカス。
エレノアとカレンは直視し続ける。
「腕に狙いを変えましたよね?」
カレンが理解できないと戸惑いの表情に浮かべる。
それもそのはずトリスタンは致命の一撃を放たなかった。
「マーカスが負けたを認めた。それをトリスタンが受け入れた」
エレノアが二人の行動の理由を説明する。
「先に仕掛けたのに、そんなの許されるんですか?」
困惑するカレン。
「信頼関係が出来ているってことでしょうね。
お互いに殺したいほど憎んでいる相手ではないから、降参するなら許してやるってさ。
ああやって、腕を差し出すのが降参の合図。
マーカスは命拾いしたね」
殺し合いを演じながら、どこかでストップを掛けられる信頼関係。
奇妙で強固な絆だ。
それが殺し合いをアリとする剣闘士の仁義なのかもしれない。
仁義を守ったトリスタンは格好良かった。
それに比べ仁義に守られたマーカスは格好悪すぎた。
格好悪いマーカスは、今、回復魔法士に治療してもらっている。
エレノアもカレンも静かに見守っている。
観客席も人が少なくなっていく。
残る人間は目立つようになる。
だから気が付いた。
メイソン・ミルズがいた。
魔法学校の同級生が観客席に座っていた。