無礼な剣闘士
「ニール、こんなガキに買われてお前は満足なのかよ?」
場の沈黙を破ったのは男爵の後ろに控えていた青年の声だった。
な!?
俺は突然の暴言に呆然とする。
きっと今の俺はマヌケな顔をしているはずだ。
それほどまでの衝撃だった。
貴族の子弟に向かって発していいものではない。
恐れ知らずの愚か者の登場に場の緊張が高まる。
奴隷商のノエルが狼狽えながら俺と男爵の顔色を窺う。
「マーカス、口が過ぎるよ」
男爵が柔らかな声音で青年を注意する。
その声はどこか他人事の響きがした。
お抱えの騎士ではないのか?
俺は今まで男爵の騎士が護衛として侍っているのだと思っていた。
だが二人の間に流れる雰囲気が主従という感じがしない。
従者の失態は主の恥だ。
恥をかかされた男爵は無礼を働いた青年を叱責し俺に謝罪すべき場面だ。
そのはずなのに男爵はソファに身を預けたまま動こうとしない。
この二人は主従ではない。
では、この二人の関係は一体なんだ?
「閣下、俺はそうは思えません。
ただ貴族に生まれただけで他人の人生を好き勝手左右できるなんて許せません。
それをやってやろうなんて思うこと自体が傲慢なんです」
敵意のこもった眼差し。
確かに俺は若輩者だし金もデイムに用意してもらったし
そんな俺が年上のニールを救ってやるなんて、お前は何様なんだよと俺も思う。
「では、わざわざ危ない道を選べと言うのですか?」
俺は反論する。
買い手が誰とか関係ないだろ。
ニールが望む未来を手に入れることが大事なはずだ。
「そうだ」
青年はあっさり肯定する。
なぜ断言できる!?
「最終的には家に帰るのですから、闘技場なんてただの遠回りですよ。馬鹿げている」
俺は正論を返す。
「クソガキに施してもらった日常と自分の力で勝ち取った日常では天と地との差がある」
青年は視線を鋭くし俺を睨む。
クソガキだと。
こいつ。
正面から二度も暴言を叩きこまれた。
こいつは俺を、いや貴族の子供を嫌悪している。
気持ちは分からなくもない。
何の苦労もせず家の力だけで世の中を渡っていく。
平民が努力しても手が届かないものを軽い気持ちで手に入れることが出来る。
特権階級、その恩恵に与る子供。
気に喰わないって顔してるぜ。
俺は青年の眼光を受け止めながら相手を観察する。
年は二十代前半。
背は高くないが、鍛えていることが分かる立ち姿。
敵意に満ちた表情。
そして腰にある剣。
都市内で帯剣が許されている存在は限られている。
「閣下、この者は?」
俺は青年を無視して男爵に話しかける。
「マーカスですか? 彼は剣闘士ですよ。
ニールを手に入れたらマーカスに剣の先生になってもらおうと思っていまして、
今日は顔合わせのつもりで連れて来たんです」
闘技場関係者。
興行を成立させるには闘士の参加が不可欠。
闘士はその興行で金や名声を手に入れる。
興行主と闘士は互いになくてはならない存在だ。
俺の目の前にいるのは、貴族と平民ではなく、興行主と剣闘士だった。
そして、マーカスが貴族を相手に威圧的な態度をとれるのは強者の自信があってこそか。
「そうなのですか。僕はてっきり閣下の騎士なのだと思っていました。早合点し申し訳ございません」
俺は頭を下げる。
男爵は笑い声をあげる。
「私の騎士にこのような無作法者はおりませんよ。
ですがこの場に連れて来たのは私です。
貴方に不快な思いをさせたのならば、お詫びします」
男爵が頭を下げる。
お互いが非礼を詫びこの場は水に流す。
これでフット家とエイベル家の対立は霧散した。
もう潮時だろう。
俺は男爵に目配せしこの会談を終わらせようとする。
「ニール! いいのかこのままで!」
会談の終わりを察しマーカスが声を荒らげる。
「お前は何も悪くない。家族を守るために自分の出来ることをしただけだ。
覚悟を決めて奴隷になったんだろ! なら貫けよ!」
マーカスが熱を込めてニールを説得しようと足掻く。
「安い救いに手を出しちゃいけないんだよ。お前の覚悟が腐っちまう! 分かるだろ!」
ニールの心が揺れる。
思い出しているのだろうか? 捨て身の覚悟というものを。
俺は黙ってマーカスの言葉を聞き続ける。
ここでマーカスの説得が功を奏してニールが翻意したとしても俺は怒ったりはしない。
決めるのはニールだ。
「お前が貴族の坊ちゃんに頭を下げることはないんだ。剣なら俺が教えてやる。
二年だ! 二年あれば自分を買い戻せる金を稼げる。たった二年だ! 二年闘えばお前は自由なんだよ。誰に憚ることなく胸を張って家に帰れるんだ。最高だろ!」
確かに最高だ。
上手くいけばな。
マーカスが語るのは闘技場生活の上澄みだ。
その下に沈んだ澱は完全に無視している。
勝てなかったらどうする?
斬りあいに恐怖を感じたらどうする?
勝てなければ金は稼げない。
金が貯まらなければ自由は手に入らない。
そのままズルズルと闘い続けることとなる。
そして心身ともにボロボロになってまた奴隷として他所に売られていく。
そういうヘドロのような末路も存在するのだ。
俺は男爵を盗み見る。
男爵は神妙な顔のまま黙っているが、その目はキラキラと輝いている。
ニールがこちらに靡くのではと期待しているようだ。
マーカスは勢いで押すがニールは首を縦に振らない。
「悩む必要ないだろ。強くなればいいんだ。強くなればこんな奴に頼る必要もなくなる。
それとも、こいつに一生恩義を感じて生きていくのがお前の望みなのか!」
マーカスは俺を指差しながら吼える。
こいつマジで俺に敬意を払う気ゼロだな。
ここまで虚仮にされてしまうとマーカスには何かしらの制裁が必要になる。
エイベル家と無関係だというなら、こちらの貴族パワーを遠慮なく行使できる。
「さっきから失礼でしょ!」
!!
マーカスの説得に割って入ったのケイトだった。
「さっきから何なんですか貴方は。カイル様は伯爵家の一員ですよ。敬意をもって接してください。
無礼討ちされて文句言えませんよ!」
ケイトが憤慨する。
無礼討ちってケイトは俺を何だと思っているんだ。
制裁は必要だが、無礼討ちはやり過ぎだ。
マーカスの態度には腹は立つが殺したいと思うほどではない。
そもそもただの子供にそんな人殺しの権利があるわけがない。
その権利を有しているのはこの場では男爵だけだ。
その男爵はケイトの憤慨に目を丸くしている。
「俺はこいつにだけは敬意を払わなくていいのさ」
マーカスは俺を見て鼻で笑う。
「なんせ俺はこいつの兄弟子だからな」
兄弟子!?
やはりというか、まさかというか、その可能性はあった。
初対面であるはずなのに不遜過ぎる態度。
都市内であるにもかかわらず帯剣している特別な立場。
だが貴族でも騎士でもない。
そして粗暴なふるまいに衛兵隊という線も薄い。
なら残るは衛兵隊と並ぶ都市の守護者、マーカスの正体は狩人だ。
「狩人ギルドの親方に兄弟子の名前を伺っておけばよかったですよ」
マジで失態だ。
マーカスの正体を初めから知っていればここまで後手に回ることもなかった。
マジ失態。
対して、こいつは俺のことを知っていた。
「俺は知っていたぜ。カイル・フットが俺の下に就くってな」
マーカスは自慢げに笑う。
半人前の狩人は兄弟子に付いて回り仕事を覚える。
その関係性のため弟弟子は兄弟子に逆らえない。
「僕は貴方に下に就く気はありませんよ」
俺はマーカスを拒絶する。
「あ、あの頑固ジジイが一度決めたことを取り消すわけがないだろ」
「言ってみないと分からないでしょ?」
マーカスが言うように俺達の親方は頑固そうな人だった。
俺達のコンビを解消してくれないかもしれない。
「さすが貴族様だな。気に入らないものは全部無かったことにするんだな」
マーカスが俺を挑発する。
「僕も不本意なんですよ? ですが礼儀も修めていない者から教われるものは無いですからね。
仕方がありません。親方には僕の方からお伝えしますのでマーカスさんは何もしなくていいですよ」
「てめぇ」
マーカスが低い唸り声をあげ剣の柄に手を掛けた。
俺は魔法を編み上げる。
一瞬の殺意の激突。
「はい。そこまでにしましょう」
パンと手を叩き、男爵が仲裁に入る。
「それ以上はお互いに望まぬ展開のはずです」
男爵が俺を見つめ、マーカスを見つめる。
「「……」」
俺もマーカスも無言を返す。
「よいしょ」
男爵がわざとらしく立ち上がり俺とマーカスの間に身を置いた。
「お暇させていただきます」
全員に告げるような良く通る声だった。
「待って下さい閣下」
マーカスが声を掛けるが男爵は扉の方へと歩みを進める。
「ニール、来いよ!」
最後のチャンスとばかりにマーカスが手を伸ばす。
「すみません」
ニールが小さな声で謝る。
右手を左手で握りしめマーカスの手を取りそうにない。
マーカスは口の中で悪態をつき男爵とともに部屋を後にした。
静寂が訪れる。
誰も喋らない。
「カイル様、狩人だったの?」
その静寂をダリアが破る。
「まあね」
俺は気の抜けた返事をする。
「すごい。すごい」
ダリアが嬉しそうに俺に抱き着いてくる。
「カイル様、魔鳥やっつけてよ」
そして無邪気なお願いをしてくる。
「ちょっとダリア、何言っているの!? 魔鳥駆除はとんでもなく危ないのよ」
ケイトがダリアの口を押さえようとする。
「でもだって誰もやっつけてないんだよ。何人も狩人の人達がうちの村に来たけど誰もやっつけられなかった」
ダリアの声から必死さが伝わる。
ダリアの友達、テレサ達が襲われてから日が経っている。
その間に行われた駆除は失敗。
モーリス村は今も魔鳥の脅威にさらされている。
ダリアも不安なのだろう。
ダリアがケイトの手から逃れる。
「だからカイル様がテレサとトムの仇をとって!」
違った。
ダリアが魔鳥駆除を望むのは、襲われる不安ではなく友達を苦しめた魔鳥への怒りだった。
駆除するのは吝かではない。
自分の身を守るためにも皆を守るために早めに駆除した方が良い。
だが勝手に行動はできない。
半人前とはいえ狩人ギルドの一員だ。ギルドの方針に従う義務がある。
俺はダリアの頭を撫でる。
「親方に魔鳥駆除の部隊に参加できるようにお願いしてみるよ」