男爵は語る
紅茶の華やかな香りが揺蕩う室内。
俺の目の前には男爵がいる。
三十歳位の落ち着いた雰囲気を纏っている。
長話はしたくない。
男爵の話に適当に相槌を打って早々に会話を切り上げよう。
俺は柔和な笑みを浮かべる男爵を見ながら決意する。
「ふふ」
男爵の忍び笑い。
「どうしました?」
「ふふ、失礼しました。こうして貴方と向かい合っているとついね」
俺の顔を見ていると笑えてくると。
喧嘩売っているのか?
「それはどういう意味ですか?」
俺は冷めた声で尋ねる。
「貴方は若い。これから成長し何か大きなことを為すかもしれない。
将来の大人物と、今まさに面識を得ている真っ最中だと思うと心が躍って仕方がないんですよ」
男爵は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
他人の未来に自分の妄想を押し付けないでほしい。
「残念ですけど僕はそれ程の才気は持ち合わせておりません」
俺は男爵の期待を袖にする。
そもそも大人物って何だ? 有名人か?
俺は将来魔獣を狩って密かに暮らすのだ。だから有名になる気なんて全くない。
「ご謙遜ですね。相応の実力がなければ、その若さで魔法学校に推薦されることなんてまず有り得ない。
いくら貴族とはいえ伊達や酔狂で我が子を入学させるほどあの学校は安くない」
俺の発言を窘めるような色が男爵の瞳を染めていた。
何か怒られた。だから言い訳がしたいと思う。
伊達や酔狂ではなく、脅迫なんです。
軍人さんに脅されて嫌々入学するんです。俺だって行きたくないんですよ学校なんて。
思うだけで、俺は吐き出したい本音を我慢して本題に切り込む。
「僕の話はもういいでしょう。それよりニールの話です。なぜ人気闘士になるのですか?」
「そうですね。本題は、なぜニールが人気闘士になるのかでしたね」
男爵は俺の入学の件について深くは追及せずあっさりと話題変更を受け入れた。
肩透かしを食らった感はあるが都合がよいのでこのまま話を続けることにする。
「やはり、ぽっと出の新人が人気者になるとは考えにくいです」
「普通はそうですが、ニールは特別です」
「特別?」
俺の疑念が深まると共に男爵の笑みが深める。
「カイル殿も既にご存じだと思いますが、私もこの都市の近くに魔鳥が巣くっているという話を耳にしましてね。話を聞いたときは私も驚きました。それほどまでに魔鳥という存在は恐ろしいものなのです」
魔鳥は獲物を定めると無味無臭の麻痺ガスを吐き出し、獲物が身動きできなくなってから喰い殺す。
そして警戒心が高く安全が確保できるまで姿を現すことがない。
麻痺に気付いた時には既に手遅れってことだ。
マジでヤバいやつだな。
一人の時に襲われたらどうしようもない。
俺のその状況を頭に浮かべ身震いした。
「魔鳥の存在が公になれば、市民の皆さんは自分が襲われるのではないかと不安になるでしょう」
「公表されるのですか!?」
俺は驚く。
公表するメリットはないはずだ。
このまま黙って魔鳥を討伐したほうが、市民も余計な不安を抱えずに済し、運営側もその対応に追われることもない。
「注意喚起のためでしょう。
警戒心の高い魔鳥は人の多い場所には近づきませんので、都市の人間が襲われる可能性は低いんです。
ですが襲われる可能性はゼロではないので市民の皆さんには自衛して頂きたいというのが都市上層部の考えなのでしょう」
なるほど被害が出ていない今こそが公表の好機というわけか。
「こちらの方達も魔獣被害に慣れていらっしゃるんですね」
フット領は魔獣と共存共殺しあっている関係のため魔獣被害なんて日常茶飯事だ。
驚くようなことではなく、ただ対処すべき食害というだけだ。
魔獣の聖地である天覧山脈の麓にあるフット領は地理的に魔獣被害が起きても仕方がないが、
この学術都市がある地域は人間の支配圏の中にあるので魔獣被害は起こりにくい。
定期的に山狩りも行われているので魔獣の数が増えるということもない。
安全な土地だ。
だからこそ魔獣被害に慣れていないと考えていたが実際はそうではないみたいだ。
魔獣はどこからか現れて人の安全を脅かす。
ここはそういう世界なんだ。
それでもこの世界の人達は強かに生きている。
この都市の人達もそうだ。
事前に危険を知らせ不安を与えたとしても市民は冷静さを失わない、そう判断したからこそ都市上層部は
魔鳥の存在を公表するのだ。
「そうですね。魔獣被害はこちらでも珍しい事ではありませんからね。
慣れているといえば慣れているといえるかもしれませんが、
市民の皆さんが混乱せずにいられるのは、何かあっても衛兵隊がどうにかしてくれるという信頼感があるのが一番の理由でしょう」
衛兵隊と聞き、ベンジャミン達の顔を思い出す。
良い人達だった。
彼らが市民からの信頼に応えているからこの都市は平和なのだ。
凄い人達だったんだな。
俺はベンジャミン達に無言の感謝を捧げる。
「衛兵隊は優秀なのですね」
だから俺は素直に称賛した。
「ええ、その通りです。衛兵隊は都市防衛を任務とする以上失敗は許されません。
厳しい訓練をこなし、その重責に耐えられる人間だけが衛兵であることを許される。
彼らが都市内で帯剣しているのは都市の守護者だからです。
彼らが腰に提げた剣は市民からの信頼の証といえるでしょう」
男爵も衛兵隊のことを信頼しているようだ。
「この都市がよい都市だということは分かりましたが、ニールが特別であることとどう繋がるのですか?」
「市民の皆さんは衛兵隊に守られているとはいえ、やはり想像するでしょう。
もし自分が襲われたら、もし家族が襲われたら、もし友人が襲われたらとね」
まあそれはそうだろう。
俺は同意を示し頷く。
「いろいろ考えるでしょう。そして思うわけですよ、実際に被害にあった人はいるのだろうかと」
男爵はニールに視線を投げる。
ニールは俺の後ろに控えているのでその表情は分からない。
だが居心地は悪いだろう。
男爵は言葉でニールに現実を突きつけた。
「可哀想ですよね?」
悪意の滲む声音だった。男爵は分りきったことに同意を求めてきた。
同意してニールを刺せというのか!?
怒りが湧く。
「そんなに怒らないでください。お嬢さん方もね」
思惑通りの反応だと言わんばかりに男爵はご満悦だ。
嫌な奴。
俺は後ろを振り向く。
男爵相手に睨むなとケイトとダリアに目で訴える。
非は男爵にあるが、こちらが非礼を働いてもいいという理由にはならない。
ケイトとダリアは不満げな表情で顔を逸らす。
納得はしていないみたいだがこれで大人しくしていてくれるだろう。
俺は男爵に向き直る。
今のやり取りで男爵が何を言いたいのかは分かった。
「ニールの身の上を宣伝し市民の同情心を煽ろうということですね」
「ご明察です。ニールは魔鳥被害の唯一の被害者ですからね。市民の同情を一身に集めることが出来ます。家族のために奴隷となり、家族のもとへ帰るために闘う。美談ではありませんか?」
男爵の声音が熱くなる。
「闘技場に訪れたお客さんは喜んでニールを応援します。ニールが早く家族のもとに帰れるようにいつもより多くのお金を賭けてくれます。素晴らしい隣人愛だと思いませんか?」
男爵は前のめりになり身振り手振りが激しくなる。
美談だし素晴らしい隣人愛だと思う。
だが、
「物凄く儲けそうですね」
目の前の男はそれを利用して金儲けしようぜと俺達を誘っている。
「えいえい、その通りです。私もいくら集まるか想像できません。楽しみですよ」
男爵は力強く首肯し笑みを零す。
無邪気の喜びようだ。まるでニールが闘士になると決まったかのようだ。
「ニールは闘士にはなりませんよ」
俺は当たり前のことを告げる。
「何を仰います!? 大金が手に入るのですよ? カイル殿はもちろん、ニールにだって一生遊んで暮らせるだけの大金が。今だけですよ。こんな好機は二度と訪れない! やるしかないでしょう!」
男爵はさらに前のめりになり俺とニールに熱く語りかける。
「いえ、やりません」
俺は淡々と答える。
「どうしてですか?」
男爵は理解できないと言いたげだ。
「死ぬかもしれませんよね?」
「うちの回復魔法士は優秀です」
「でも死ぬかもしれませんよね?」
「大丈夫です。相手も一流の剣闘士を用意します。
うまい具合に斬ってくれれば回復魔法で元通りですよ」
「即死したら回復魔法も意味ないですよね?」
「大丈夫です。頭と心臓さえ無事なら、そうそう即死はしません」
「やはり危険そうなのでやめておきます」
「では拳にしましょう。剣で闘うより安全です」
男爵は妥協した。
闘技場は剣闘と拳闘を開催しているようだ。
確かに剣より拳のほうが死ぬ確率は低そうだが、
「それでも死ぬかもしれませんよね?」
「うちの回復魔法士は優秀です」
「……」
「……」
俺達は見つめ合ったまま沈黙した。
堂々巡りだ。
死ぬ可能性があるならやらせたくない俺と
死ぬ可能性は低いからやらせようとする男爵。
「……」
「……」
「ニール、こんなガキに買われてお前は満足なのかよ?」
場の沈黙を破ったのは男爵の後ろに控えていた青年の声だった。