138 北の牙
広場の端を走り抜け、獣人奴隷の居住地に足を踏み入れた。
質素な平屋が並んでいる。
いた!
俺の読み通りだ。
集団が輪をつくっている。
片方は普段着の獣人奴隷達、もう片方は武装した襲撃犯達。
和気あいあいといった雰囲気ではない。
交渉は難航しているようだ。
まだこちらにも勝ちの目はある!
「ちょっと待った!」
俺は集団に向かって叫ぶ。
一斉に視線が集まる。
怖っ。
俺は距離を取って足を止める。
ネイトとミックが俺を守るように陣取る。
「僕はカイル・フット。
クロード殿と話がしたい!」
クロードは獣人奴隷のまとめ役。
この男と交渉できれば、その間は奴隷達も大人しくしているはずだ。
俺が襲撃犯より実の良い提案ができればクロード達を味方に引き込める。
気合を入れる俺。
「俺がクロードだ」
名乗りを上げる中年の男。
クロードは眉根を寄せ険しい表情をしているが声色に苛立ちはみえない。
話し合いは出来そうだ。
「改めましてカイル・フットと申します。
去年の秋、ジルと一緒にここを訪ねたのですが、僕の事覚えていますか?」
「ジル? 国を創ったって言っていた、あの王子様の事か?」
「ええ、ブロウ獣王国の第七王子ジル・ブロウです」
ブロウ獣王国の名前に反応する獣人奴隷達。
襲撃犯達の様子を窺うそぶりをみせている。
「その王子様は元気なのか?」
仲間の様子を無視して質問を続けるクロード。
「無事に国に帰ったのでは?」
クロードの質問に答えるために俺は襲撃犯に質問を投げる。
一人だけ素顔を晒している白髪の老人
闘士として鍛えているクロードと対峙していても見劣りしない肉体を有している。
俺達がいるのに獣耳を隠そうともしない。
この老人がこの集団の首魁
そしてブロウ獣王国と繋がりがあると確信する俺。
「儂に聞いているのか、フット家の小僧?」
静かで重い声が返って来た。
「ええ、そうです。
お名前、ジョエル殿で合っていますか?」
「……会った事は無いはずだが?」
怪訝な顔をする老人
俺も会った事は無い。ただ
「サリム殿から話は伺っています」
「……そうか。まあ素性がばれるのは覚悟の上だ。
別に構わん。儂がジョエルだ」
しばしの沈黙の後、開き直るジョエル。
ジョエルもサリム同様、天覧山脈に拠点を構えていた。
そしてデイムの死を切っ掛けとする立ち退き要求に対する身の振り方の違いによって、サリムとジョエルは絶縁した。
話し合いの末にだ。
恨み言を吐く気もないのだろう。
「ジョエル殿、クロード殿達を巻き込まないで下さい」
単刀直入に願い出る俺。
「断る。
ここまで来て止めるわけがないだろう。
こいつらは連れて行く」
決意のこもった言葉で断られた。
「ご老体、勝手に話を進めないで頂きたい」
口を挟むクロード。
「フット家のお坊ちゃん、俺達は最近の出来事について何も知らない。
興行が中止のままで何かあったんだとは察しはついたが、俺達は外の情報を入手する術が無いんでね、何があったかは知らない。
それが今日、その騒動の張本人だって言っている奴らが出張ってきて一緒に来いって言ってやがる。
俺達はどうすればいいんだ?」
クロードが肩をすくめる。
エイベル男爵が行った情報制限のせいで、クロード達は事情を把握していない。
把握していればもっと早く決断を下せたはずだ。
「行ってはいけません。
ジョエル殿はクロード殿達を戦力として利用するつもりです。
今衛兵と戦っている集団も逃亡奴隷のはずです。
そうですよね、ジョエル殿」
襲撃の度に人員が増えている。
逃亡奴隷が参加していると考えるのが普通だ。
クロード達を説得しようとしているジョエルにとっては不都合な真実のはずだ。
「そうだ」
肯定するジョエル。
素直に肯定した事に内心驚く俺。
「聞きましたか、クロード殿?
付いて行けば皆さん闘技場襲撃に加担する事になります。
命がいくらあっても足りませんよ」
誰だって命は惜しい。
踏みとどまる材料になるはずだ。
クロードが静かに俺を見る。
「各地の獣人奴隷が処刑されたのは本当か?」
息を呑む俺。
知っているのか? というか話したのか?
俺はジョエルを見る。
処刑は事実、だがその原因はジョエル達が起こした襲撃のせいだ。
ジョエル達が行動を起こさなかったら、誰も死ぬことは無かった。
余計な事をするな、とクロード達の怒りを買ってもおかしくはない。
それでも話したのか?
唖然としてジョエルを見る俺に
「フット家のお坊ちゃん、どうなんだ? 本当なのか?」
クロードが質問を重ねる。
「本当です」
クロードはどちらに怒りを向けるのか?
俺もネイトもミックも身構える。
「そうか」
ぽつりと呟く。
「ご老体、アンタいかれてるな」
クロードが悪態を吐く。
怒りの矛先はジョエル……?
「覚悟を決めただけだ」
クロードの視線を受け止めるジョエル。
覚悟? 何の覚悟だ?
俺達がここに来る前に何を話したんだ?
「そうか。
ならアンタに付いて行くよ、ご老体」
「何で!?」
俺は思わず叫んだ。
「すまんな、お坊ちゃん。
ここに残っていても殺される可能性がある。
ならば、このご老体と一緒に同胞を救ってまわった方が助かる命が多いと判断した」
「この国に喧嘩を売るつもりですか?
正気じゃありません!」
「そうかもな。
……だが喧嘩か。くっくっく」
クロードが抑えた声で笑う。
「それも面白いかもな」
目は笑っていなかった。
闘争のスイッチが入ったと俺は感じた。
獰猛な笑みに背筋に悪寒が走る。
引き止めなくては。
「同胞の方が亡くなったのは、この人達のせいなんですよ!
それでも付いて行くんですか!?」
解せない。
ジョエル達を許せるのか?
「その通りだ。
だから、全て終わったらこの爺様は殺す」
クロードがジョエルに殺意を向ける。
「それで構わん。
儂はこの国の、儂らとこの国の因縁を絶つ。
そのためなら同胞の命も犠牲にする」
「……」
言葉が出ない。
自分だけでなく他人の命までもなげうつ覚悟の老人に対して理解が追いつかない。
「よーし、話がまとまったんならこのガキ共殺して行こうぜ」
緊迫した場に軽薄な声が響く。
後ろ!?
振り向く。
槍を構えた目出し帽の男がいた。
槍の間合いだ。
気付かなかった。
音もなく背後を取られた事に戦慄する俺。
魔人の赤い目が笑っている。
「止めろ」
ジョエルが魔人に命じる。
「……」
「……」
睨み合うジョエルと魔人。
「……いいのかよ、このチビッ子、竜殺しだろ?
生かしておくと後々面倒だぜ」
「黙れ。
お前は竜殺しの小僧と戦いたいだけだろうが」
ジョエルが苛立ちを見せる。
「……」
一触即発の雰囲気が場を支配する。
どうなる?
固唾を飲んで状況を見極める。
「分かったよ、そんな怖い顔をすんなって」
魔人の方が折れた。
「小僧」
ジョエルが俺に話しかける。
「何ですか?」
「フット家には恩がある。
今夜だけは見逃してやる。ただし二度目は無いぞ」
上から目線の最後通牒。
舐めやがって。
静かに怒りが湧く。
「やる気なら付き合うぜ」
魔人が笑う。
「止めろ」
ジョエルが同じ命令をする。
魔人だけでなく俺に対しても。
「カイル」
ミックの小さい声。
指示を待つ声だ。
どうする?
ネイトとミックを巻き込むか?
「……ジョエル殿、王家に対して復讐は行うのですか?」
俺は戦う事より情報を収集する事を選んだ。
「新たな因縁は不要。だが戦場に立つと言うのならお相手しようとこの国の王に伝えてくれ」
ジョエルが泰然と答える。
「誰からと?」
「北の牙、儂らの事は北の牙と呼んでくれ」
「……南は獣王国ですか?」
俺の問い
「ふっ」
ジョエルが悪戯小僧のように笑う。
結局俺の質問には答えないまま、ジョエル達、いや北の牙は俺達の前から姿を消した。




