第八話 目覚める力、覚醒せよ獅子、揺らせこれがたてがみの力よ
「背、ちっちゃ」
「なんだと!?」
素直な反応を示した優種に、継ぎ目の見えない黒服をまとった少年は、激高して叫んだ。
かたや地面に這いつくばりすでに限界の男。かたや圧倒的優位に立つ男。
二人の男の邂逅はしかし、ジョークにしかならなかった。
「ふん、強がっていられるのも今のうちだ。状況を見ろ!」
優種が言われるまま見上げれば、そこでは苦戦の状況が見て取れた。
最初は優位に立っていた槙菜も、ついに弾が切れるとガトリングガンを捨てて、また不利な状況に逆戻りしている。
千代丸と藍々と三人固まりながら、徐々にじり貧になっていく。
けももまた赤鬼を相手に善戦してはいたが、パワーで押すうさぎに対して、身軽さでそれをかわす赤鬼では相手が悪すぎたようだ。
青鬼と戦う礼桐も、金棒こそ寸断したものの、その後も青鬼と互角の戦いを続け、他に援軍に向かう余裕はない。
武器を失って無力化するかと思われた青鬼は、体術で対抗し、お互いに致命傷を負わせられないまま時間だけが過ぎていく。
そしてからくり人形に圧迫される多苗の結界は、今にも破壊されようとしていた。
「どこにお前たちの勝利の要素がある? このぼくが千年に渡るメイドの里支配を解放し、今度こそ新たな支配者になってやる」
「背小さいのに?」
「ぷぷ」
それでも全く動じない優種が間髪入れず呟くと、多苗が笑ったが、それがさらに少年のプライドを刺激した。
「貴様ぁ、また背のことを言ったな! 絶対に許さんぞ虫けらが!」
「虫みたいに小さいのに」
「うがぁ! こうなったら絶望を見せてやる。前鬼! 手始めにその着ぐるみをズタズタにしてやれ!」
「はっ!」
命令を受けてせせら笑う赤鬼が、急速にスピードを上げると、金棒の先から刃を突き出させ、一瞬でけもの右腕を吹き飛ばした。
「!!」
「けも!?」
それにはさすがに優種も激情を露わにした。
だが赤鬼はさらにスピードを増すと、反対の腕も斬り飛ばしてしまう。
「やめろ、やめてくれ!」
それでも赤鬼は動きを止めずに、ついには両足すら斬り落としてしまった。
目の前で起こる惨劇に信じられない顔をする優種は、これまでずっと堰き止めていた感情の波を、一気に爆発させていた。
「これはあかんな、うちの出番やけど……」
多苗はなんとかけもに近づこうとするが、今にも結界を破壊しようとしているからくり人形たちが、それを阻む。
「くっ、これはやばいわね。とはいえ、こっちはこっちで手一杯よ」
千代丸もさすがに息を上げながら、それでも小鬼の相手をするが、援護に向かう余裕はなかった。
それは藍々、槙菜も同じだった。それでも彼女たちは経験不足の中でまだ善戦しているほうなのだ。
「優種!」
槙菜の叫びは、優種を心配しているものか、それとも救援を求めている悲鳴か、それは本人にすらもうわからない。
「終わりだよ!」
赤鬼は余裕を持ってうさぎの着ぐるみを見たが、その時三つの変化がこの戦場に舞い降りた。
そのどれもが約束された事実であり、彼らに敗北はないことを証明していた。
第一の変化は、周囲を照らす光球が、もう一つ追加されたことだ。
それを放った薄いピンクの着ぐるみは、そのもそもそした動作とは裏腹に高速に近づいてきた。
そして上空から、式神たちを一瞬にして焼く破壊光が周囲に散らばっていく。
「れも? いるならさっさと手伝いなさいよね。全くこんな時まで引っ込み思案で!」
千代丸のぼやきは、しかし疲れで弱々しく落ちていく腕と同じで、それほど強いものではなかった。
素早く優種の近くに駆けつけたピンクの着ぐるみは、バズーカを構えると、少年とからくり人形に向けてそれをぶっ放す。
一体の人形が直撃を受けて吹き飛び、完全に破壊されたが、それに守られる形で後退する少年。
「くっ、こいつがあの光球を上げた奴か!」
「なんだ、あれ。けもがもう一人……?」
「あれはれもや。けもと双子のからくり師忍メイド(からくりしののめいど)やで」
優種はなにかを思い出しかけた。
片方はフレンドリーに接するドピンクうさぎの着ぐるみ。片方はボードで思い切り殴ってくれた薄いピンクうさぎの着ぐるみ。
だがこの闇の中では、照明があってもピンクの色合いの違いをはっきり確認することはできなかったので、優種はこの時結局二人の違いを見分けることはできなかった。
二つ目の変化は、地面に転がるうさぎの着ぐるみから起こった。
赤鬼が援軍に気を取られて視線を逸らしている間に、それは鳴動し、めりめりと壁を突き破った。
「もう怒った……のだー!」
ばきばきと着ぐるみから突然手足が伸びて、外に突き出された。
そのあまりにも不格好な変化に、赤鬼は目を丸くする。
「なんだこいつは!」
「フェイスオープン!」
やけにのんきな声とともに、ぼこっと大きなうさぎの頭部を剥ぐと、下からは凶悪な黒いうさぎのマスクが顔を覗かせる。
ころころと転がる元のうさぎのかぶりもの。
「なんでそんなもんかぶってるのさ!」
赤鬼が馬鹿にしたように叫びながら金棒を構えるが、その姿は一瞬にして赤鬼の視界から消える。
「なんだ!?」
「私けも、からくり師忍メイド初段、拳闘士忍メイド(けんとうしののめいど)一級、以後お見知りおきを!」
自己紹介とは思えないテンションで叫ぶけもは、赤鬼の背後に回ると、開放された両腕を振り回して連続パンチを叩き込んだ。
その怒濤の衝撃を受けた赤鬼は、ひたすら殴られながら一本の木に挟まれ、サンドイッチ状態で赤いトマトのようになっていく。
それは血肉を持たない式神相手でなければ、正視を憚られるような光景だった。
「うが、うはは……あははははは!」
狂乱にもはや笑っているのか、断末魔を上げているのか、わからない状態の赤鬼。
「うへえ」
さすがに赤鬼に同情した優種だが、優種自身そんなことを心配している状況ではなかった。
そしてここに三つ目の奇跡が舞い降りる。
れものバズーカで倒しきれなかったからくり人形は、それでもまだ結界を攻撃し、ついにそのアクリル板を、粉々に破壊していた。
「しもた!」
多苗が腰を抜かしている優種をかばおうとする。
だがそれも間に合わない。
優種は顔のないのっぺりとした人形が、とてつもないスピードで腕を振り回して自分に迫ってくるのを見た。
だが不思議と恐怖はない。
彼の心はけもが無事だったことで、すっかり不安を取り除かれていた。
そう、自分は死なない。
その根拠のない自信は、やがて形となって障壁を作り、からくり人形の攻撃を完全に弾いていた。
「ご主人様!!」
青鬼と戦い続ける礼桐が、弾切れで腕を下げながら、メイド服をぼろぼろにしてうずくまっている槙菜と藍々が、その傍で力無く棍棒に寄りかかってやっと立っている千代丸が、マスクから口元を見せるけもが、声を揃えていた。
そのメイドたちの声よりも先に、からくり人形は優種の作った結界に触れて腕を粉々に破壊され、そのまま後退し、そしてその場で崩れ落ちて崩壊した。
「!? なんだあれは!!」
「ん? なんだこれ」
驚愕する式神使いの少年と、やっと違和感に気づく優種。
優種はやっと崩れた体を持ち上げて立ち上がる。
「もう一度だ、鬼どもよ、行け!」
からくり人形に代わって、残っていた小鬼が急降下して優種に向かうが、しかしそれは全て優種の張った結界に触れると、呆気なく吹き飛ばされ、それどころか元の護符に強制的に戻されていた。
「なんでや? 結界は破壊されたのに。それどころか、簡易結界よりさらに強い、とんでもない力やで、あれは」
「結界を……張っているんだわ、ご主人様が」
礼桐が呟くと、青鬼はむ、と唸り声を上げて優種のいる場所を見た。
「たてがみ……?」
千代丸が呟くと、槙菜がその顔を見つめる。
「なんですか、たてがみって」
「漢字で書けば盾の神。かつて超上級の結界師に与えられた、唯一無二、最高の称号よ。元々里に張られた永久結界は、そのたてがみ一人の力によって張り巡らされていたものだったの。その人が亡くなってからは、複数の結界師が交替であの巨大な障壁を維持しているのだけど」
「じゃあ優種は……」
「文字通り、あいつそのものが強大な盾よ。これを倒すには里の結界を突破するのと同じくらいの破壊力が必要ね。とても一人や二人じゃ歯が立たないわよ。軍隊でも連れてこないとまず倒せない。これが、最強のお館候補の力……ってことなの?」
「な、なんだと!?」
驚愕の表情を見せる少年は、ほとんどいなくなった式神に守られながら、徐々に後ずさっていた。
「これが俺の力……?」
自身がなにを起こしている自覚もない、いつも通りのてのひらを眺めながら、優種は呟いていた。
その間にも無駄な努力を続けて群がる小鬼たちは、分裂して仲間を増やしながら優種に突撃するが、それはまた同じ結果、優種の結界に阻まれて、自身が力を失い崩壊する愚を繰り返すだけだった。
じゃきん!
軽快な音をさせ、ついに青鬼を真っ二つに斬り捨てた礼桐は、高速で跳び上がると、それでも無駄な抵抗を続けて優種に群がる小鬼を片づけながら急降下し、式神使い本体に迫る。
その後ろで、動きの遅そうな丸まると太った小熊のような猫が、元は青鬼がいた空中から落ちてきて、木の枝に引っかかるのが見えた。
「ひっ!」
「お前は確かに個人としては非常に強力な存在だった。だがそれに溺れて一人でここにやってきた時点で、この敗北は決定されていたのだ。我らの新しい主の真の力、これでわかっただろう。帰ってお前の同胞と歪んだ野望を抱く主と、そしてお前自身に告げよ、我らは決して敗れぬとな!」
「う、うわあああぁぁぁ!!」
礼桐の刀が複数回虚空を引き裂きながら閃くと、それが背中の鞘に収まり、礼桐は敵に背中を向ける。
叫び声を上げていた少年は微動だにしないまま突っ立っていたが、黒の衣装は綺麗に切り裂かれ、下着一枚を残してそれがはらはらと地面に散っていった。
優種はそれからすぐ目を背けた。男の裸なんか見てもしょうがない。
それよりさっきの戦いで、もう少しみんなの下着を覗いておけばよかったなどと、またのんきに考えていた。
近づいてくる礼桐は、深々と優種に頭を下げた。
「私の不始末で、またご主人様を危険に巻き込んでしまいました。いかような処分も受けるつもりです。いえここで自刃することをお許しください」
「それじゃ助けに来た意味ないじゃん。ほんとに馬鹿だな礼桐さんは」
「しかし……」
「今回ばかりはボンクラご主人の言う通りよ。死ぬ気もないのに死ぬなんて簡単に口にするんじゃないわよ、全く!」
ぼやきながらも近づいてきた千代丸が、礼桐の背中を思いきり叩く。
それにびくんと反応を示した礼桐は涙目になっていたが、それを取り囲んで笑うメイドたちの目は、誰も、千代丸でさえ礼桐を責めてはいなかった。
「間違ったときはごめんでいいんだよ。いや、まあ限度はあるけど。みんな無事だったんだから、今回は許す。はい、礼桐さんを許す人」
優種が手を上げると、全員がそれに賛同して手を上げたので、礼桐はそのまま優種の胸に飛び込んで、涙に濡れる顔を隠した。
「お許し下さい、ご主人様……」
少しだけ複雑な顔を見せる槙菜とその他のメンツも、この時はなにも口を挟みはしなかった。
パンツ一枚でとぼとぼと帰路に着く男が一人、夜の闇に紛れている。
全ての符を使い切り式神を呼び出せなくなった少年は、惨めさと失意の中にいた。
そんな少年に追い打ちをかけるように、ザクと地面を鳴らして立ちはだかる一人のメイド。
「ひいいいっ!?」
「その力、もったいないから私にくださいよぉ」
「や、やめてくれぇぇぇぇぇ!」
木霊した叫び声は、やがてか細く掻き消えて、二度と聞こえなくなった。