第六話 明かされた事情、俺はどうじよう
潜入した使い魔によってすり替わっていた本物の藍々は、その後古くなった蔵の中で縛られているのを無事保護された。
下着姿で縛られ、猿ぐつわをかまされていた姿は中々エロティックなものだったが、優種はそれを見ようとしたところを槙菜に追い出されて、結局藍々と話す暇もなかった。
ピンチを救ってくれたうさぎは、親指を立ててぐっと優種に挨拶すると、すごすごと立ち去っていなくなった。
後始末が終わった後、屋敷の一室には、現在常駐しているメイドたちが集まった。
礼桐、千代丸、槙菜、そして医務室から出てきた多苗は、まだ槙菜のお説教の影響で憔悴気味だった。
うさぎ、けもはここにはいない。
どうやら藍々と一緒に、屋敷の警備を引き受けているようだ。そう告げたのは千代丸だった。
「で、話ってやっぱり優之心さんのことなんやな?」
「多苗さんもオヤジのこと知っているんだ? そりゃそうか。あのクッッソオヤジがここにいたなら、会っていても不思議はないよなあ」
「ちょっと優くん? それはどういう意味や? 私がそれだけ歳を食っているいう意味やったら、ちょっと裏に来てもらうで?」
ピリピリと憤りを露わにする多苗は、しかしあまり恐ろしさを感じさせない。
基本的に弱い人なのだこの人はと、優種は感じていた。
もちろんそれは礼桐や千代丸や槙菜、主に槙菜と比較しての話であるが。
「私も話に聞いたことはあるけど、その頃は本宅にいなかったから詳しくは知らないわ。どういうことなの、説明してよ」
千代丸も珍しくこの話題に興味を示す。
「じゃあうちが説明するわ。優之心さんは、先代のお館様が連れてきた次代のお館様候補やってん。あの人は母親がメイドの里の忍メイドで、昔から不思議な力を持ってたんやて。それに目をつけたお館様が、自分の後継者候補としてこの里に連れて来させたらしいわ」
多苗が口火を切ると、全員が押し黙ってそれに聞き入った。
その話の内容に、一人苦しげな表情を見せるのは礼桐だった。
「あのオヤジにそんな出自があったなんてな。確かにどこか不思議な雰囲気はあったけど」
「私も知らなかったわ。でも……そう言われれば、なんだかそんな気もしていたのかも。あの時感じた違和感は、おじさんにも力が宿っていたからなのね」
「優之心様の力は、時を操る力だ。一瞬だけ時間を停止させ、その空間を自由に移動できる」
礼桐の声に、優種と槙菜が息を呑んだ。
二人には思い当たることがいくつかあった。
幼き日に父が見せた奇跡の謎解きが、こんなところにあったのか、二人は今さらの衝撃に打たれていた。
「ただの手品だと思っていたのに、あの早技はそんな反則技を使っていたからなのか。道理で一瞬後にはいきなり女の人を抱き上げて抱えていたり、そこから口説き始めてすぐどこかに消えたはずだ」
「ちょ、なによそれ。最低の力の使い方ね……」
「あの方らしい……あの方はどんな人にも優しかった。そう、私にも」
礼桐の呟きに、槙菜は驚愕し、優種は半ば呆れていた。
「あのオヤジ、まさか礼桐さんにも手を出していたのか。いや、それしたら死罪か」
「あの方は私に手を出したりはしない……ただ優しかっただけだ」
即座に否定する礼桐の瞳は、しかし微かに潤んでいた。
「いくらそんな下心丸出しの男でも、八歳の礼桐に手は出さないでしょう。出したら掟以前にただの犯罪よ」
それもそうだ、と千代丸のツッコミに全員が納得して頷いた。
やや不服そうな礼桐は、しかし特にそれを否定もしなかった。
「お館としては最強の力を持ってるいうことで、当時は相当期待されたらしいわ。この人なら長く続く里同士の対立を治めることができるかも知れんってな。けど、結局は優之心さんも駄目やった。彼は戦場に出て、帰らぬ人になったのよ」
里の関係者でありながら、今まで知らされなかった事実を聞かされた槙菜は、この中で一番ショックを受けていた。
だが優種は自身直接の関係者であるにも関わらず、相変わらずそんな気配がない。
父の最期を聞いても、まるで堪えていないようだ。
すぐに状況を受け入れて、ずっと冷静に話を聞いている。
不思議なくらいに落ち着いている優種に、槙菜は逆に訝しむような瞳を向ける。
この違和感に気づいたのは、この中では古くから優種を知る槙菜だけだった。
「その時礼桐さんはどうしてたの?」
「私は……それ以前の戦いで怪我を負って眠っていた。私が無事なら、身を呈して優之心様をお救いできたかも知れないのに」
後悔に歪む礼桐の顔に、一番最初に否定の言葉を投げつけたのは千代丸だった。
「八歳の娘っ子がなにできるって言うのよ。あんた早くから実戦に出ていたからって自惚れすぎなのよ」
それに素早く同意したのは優種だ。
「口は悪いけど、俺も千代丸さんの言う通りだと思う。別に礼桐さんに責任はないよ。俺だってそんなこと今さら責めない」
「だが……いや、私のせいなんだ。あの時、私をかばって優之心様も怪我を負われていた。その傷さえなければ、あの強くたくましい方が敗れるなど、あり得なかった」
悔恨の情に流される礼桐に、優種は言葉を続けることができない。
千代丸は、呆れ気味に肩を竦めて見せた。
「ねえ、あんたはお父さんのこと知って、ショックじゃないの? やっぱりなんかおかしいわよ。以前のあんたはそんなんじゃなかった。もっと小さいことで驚いたり、傷ついたりしてたじゃない」
ついにたまらなくなって、槙菜が優種の顔を見た。
それほどに優種の態度は、彼を知る者からすれば異質に映っていたらしい。
だが本人は、槙菜の深刻そうな顔を、きょとんとして見つめ返すだけだった。
「ごめんわからないや。俺だってそりゃあ驚いたり悲しかったりはするけどさ。でもオヤジはもう十年も前に死んだんだし、別に今さらショックなことなんてなにもないよ」
「でも……」
「心配してくれてありがとな、槙菜」
その優しい言葉を聞いた槙菜は、さっと頬を赤らめた。
「べ、別に心配なんて……ちょっとしただけよ」
優種は笑うと、その視線を礼桐のほうへと向けた。
「礼桐さん、俺のこと嫌いだって追い出そうとしたのは、オヤジのことで罪悪感を感じていたからなんだな」
それを聞くと、今度は礼桐が視線を落として無言の肯定を示す。
「よかったよ、無意味に嫌われてるんじゃなくて」
それを聞いた礼桐は再び視線を上げる。
その瞳は今まで以上に潤み始めていた。
「こういうところは優之心さんの血やねえ」
「ふん、気に入らないわね」
多苗と千代丸は、それぞれ優種に感心し、また同時に呆れていた。
「改めてお願いします。私は優之心様の血をここで絶やさせるわけにはいきません。どうかボタンを押して、お館候補の座を降りていただきたいのです」
礼桐は土下座して優種の前にひれ伏した。
それはメイド長としての矜持を捨てた、一人の女としての懇願だった。
が、優種はその礼桐を抱き起こしてから、ゆっくりと首を横に振る。
「悪いけどそれはできない。もしここでギブアップしたら、記憶消されてしまうんだろ?」
「命と記憶、どちらが大事ですか!」
悲痛に叫ぶ礼桐は、涙で頬を濡らしていた。
それは多苗や千代丸も槙菜も見たことがない、あの強かった礼桐が人前で見せるとは思ってもいなかった光景だった。
だがそれでも、優種の心はまるで動かなかった。
「俺はみんなのほうが大事だよ」
その言葉に、礼桐と槙菜は目を見張った。
多苗は我がことのようにいやんと頬を赤らめ、千代丸は眉根を寄せた。
少し離れたところでそれを聞いていたうさぎは、何故か自身、正確にはうさぎの頬をそっと撫でる。
藍々は、うわぁと口元を押さえていた。
使い魔が化けた藍々は、オリジナルの藍々の仕草や性格をほぼそのままコピーしていたのだが、優種はそれをまだ知らない。
「格好いいところ見せてくれるのはいいけど、あんたこれからどうするか、なんにも考えてないでしょ」
最初に雰囲気に水を差したのは千代丸だった。
「えへへ、わかります?」
「当たり前でしょ。そういうなんにもわかってないくせにわかった気になって出す子供の空元気が、最悪の結果を導き出すことになるのよ。かつての礼桐みたいにね」
千代丸の厳しすぎる言葉に、一番反応を示したのは礼桐だった。
きっと眉を寄せる礼桐は、言葉を返すこともできない。
しかし優種は相変わらずのんきなものだった。
「大丈夫、俺にはちょっと悔しいけど、あのクソオヤジの血が半分入っている。ならその血の力で同じ力に目覚めて……」
「メイドの力は男から男には受け継がれないのよ。ほんとにあんた馬鹿ね」
「え、そうなの? じゃあなんで俺お館候補になったんだろ」
「それはやな、優くんのお母さんがメイドの里の血を持っていたからやな」
多苗は少し考えながら、慎重な物言いをする。
その理由はすぐに説明された。
「けどこれが不思議で、実は優くんの母親に関しては記録がないんや。里側でも密偵班の謀略士忍メイド(ぼうりゃくしののめいど)らが中心になってかなり調べたらしいんやけど、どこの誰なんかはっきりしとらん。ただ確実に血が続いていることは、メイドの紋章ではっきりしとるけどな」
「ということは、このボンクラの能力はまだわかっていないってことなのね?」
「そういうことになるなあ。母親の能力がわかれば、子供の能力もある程度は予測できるはずなんやけど」
優種は自分の胸にある紋章を着物の上から押さえながら、少し考えてみる。
だが、考えたところで答えが思い浮かぶはずもない。
優種に母の記憶はなかった。
生まれた時から父と二人きりで、思い起こすのは父が迎えた後妻との生活の記憶だけだ。
こうして議論は玉虫色のまま決着した。
それでも礼桐は優種に里を去るように働きかけ続けたが、当の優種は全く耳を貸さない。
席を立った千代丸は、ついに興味をなくして食事の準備に去った。
槙菜もそれに続き、多苗もまた腰を上げてしまう。
礼桐もまた説得を諦めたのか、優種の傍から離れた。
そして一人になった優種は、夕食を終えても、ずっと一人部屋にいた。
緊張感が足りない優種は、大あくびをして空に浮かぶ月を眺める。
「ここは涼しくていいな。クーラーもないのに全然暑くないや」
「ほっほっほ、それはこの里が広大な結界障壁に守られておるからじゃよ。あれは太陽光も、全てではないが大部分を反射してしまうからのう」
不意に庭のほうから聞こえた声に、優種は腰を上げてふすまを開ける。
そこにはやけに背の低い、小さな女の子が一人正座していた。
礼桐と同じように背中まで伸びる銀髪は、月の光を浴びて黄金に輝き、まるでビロードのような光沢を帯びている。
幼さを残す瞳は金茶色に輝き、じっと優種を見上げていた。
彼女はメイド服ではなく、この屋敷に見合った和装の出で立ちだった。
赤と白のラインが複雑に絡み合う装束は、小さな体をほとんど覆い尽くしていて、その体型をわからなくしているが、顔の作りからすれば、細身の体つきであろうことがうかがえる。
「誰?」
「新しいお館候補の顔を覗きにきたんじゃよ。ほう、聞いていた通り間の抜けた顔をしておるわ」
「喧嘩売ってるのかちびっこめぇ」
本気ではなく、あくまでじゃれるように指を突き出しててつんと少女の広めの額を突こうとした優種は、しかしその手を簡単にかわされてしまう。
いつの間にか立ち上がってすたすたと部屋の中に入ってきた少女は、部屋の隅に用意された茶器に手を伸ばし、それでお茶を淹れ始めた。
図々しい子だな、と思いながらも、別に自分のものではないこともあって、優種はふすまを閉じて部屋に戻ると、少女の傍に腰を降ろした。
程なくしてなみなみとお茶を満たした湯飲みが、そーっと優種の前に差し出された。
「入れすぎじゃない?」
「久しぶりで勝手がわからんでな。まあ若いんじゃからたっぷり飲め。熱いから気をつけるんじゃぞ」
言いながら少女は、自分だけ普通量の湯飲みを啜り出した。
「ちょ、そっちちょうだいよ」
「年寄りには譲るもんじゃ」
「どこが年寄りだよ全く……どこから見てもちびっこじゃん」
優種は若干戸惑いながら、そっとその湯飲みに指先を触れさせたが、熱くて持てそうにない。
仕方がないので地面に手をついて這いつくばると、ほとんど湯飲みより盛り上がっているが、表面張力でぎりぎりこぼれないでいる水面を、軽く啜ってなんとか減らそうと努力した。
だが、それは無駄に熱く、量を減らすのは並大抵の苦労では成しえなかった。
少女は自分の湯飲みを横に置いて、這いつくばる優種をずっと見ていた。
「お前の父親優之心のことじゃがな」
切り出した少女に、優種はやっと顔を上げて、その美しすぎる顔を見た。
「うちのクソオヤジ知ってるの? オヤジが死んだ時まだ生まれてなさそうだけど」
「よう知っておるよ。あの子を取り上げたのはわしじゃからな」
「またまた、このちびっこは大人をからかいすぎだよ」
「名乗りが遅れたの。わしはこのメイドの里を束ねるお館、氷雨じゃ。ここで七十年メイドどもの長をやっておる」
は? と口をぽかんと開けた優種は、すぐまたまたぁと言いかけたが、その言葉は最後まで喉から外へ出ていくことはなかった。
「嘘でしょ……?」
それでも抵抗するように呟く声は、珍しく真剣なものだった。
「先ほどの結界の話じゃがの。あれは結界師忍メイド(けっかいしののめいど)が複数人集まって、その流れを絶やさぬように交替で張り続けておるのじゃよ。それがこの里を不沈の要塞と化しておる。じゃがその効果は強力すぎて、太陽光すら反射するほどになっておる。おかげでこの里は夏涼しいのはよいが、代わりに冬は非常に寒いのじゃ。わしはそれが苦手での」
氷雨は、日常会話のような口調で優種に語りかける。
その声の調子に、優種もいつの間にか現状を認めてしまい、逆らおうとはしなくなった。
「もしかして寒いのが嫌でお館をやめようと思ったとか?」
「無論それもあったがの。優之心とお前には悪いことをしたと思っておる。お前はわしが憎いか?」
静かに語りかける氷雨に、謝意はあまり感じられない。
だが優種もそれを気にかけはしなかった。
「全然。クソオヤジは勝手に自分で死んだだけさ。今さらそんなことで他人を責めたって、オヤジが生き返るわけじゃない。生き返っても邪魔なだけだからさっさとあっちに帰ってもらうよ」
「そういう部分だけは老成してしまったようじゃの」
「どうせ他の部分は子供ですよ」
「ほほほ、面白い童子じゃの」
笑う氷雨を見ていると、優種は千代丸が罵っていた理由が少しわかるような気がした。
だがその顔が一瞬にして引き締まると、また氷雨は静かに語り出した。
「わしは自身の力ではこれ以上この里を束ね、敵対する一族との戦いを続けられぬことに気づいておった。じゃからお館を降り、次代にその任を託そうと思ったのじゃ。その時わしは夢を見た。新たな光は、ある男がもたらしてくれるとな」
「それがオヤジだったってこと?」
「そうじゃ。じゃがわしは優之心をこの里に迎えた直後、さらに別の夢の予言も見たのじゃ。それが優種、お前のことじゃ」
「俺?」
自分を指差しながら、優種はまさか、と軽く笑ってみるが、氷雨の深刻な表情は崩れなかった。
「その時、優之心がお前という新しい光を生み出すための犠牲の一人であるということはすでにわかっておった。わかっていて、わしは優之心を死地に送り込んだのじゃよ」
さすがの優種も、それには表情を険しくさせた。
だがそれでも、一瞬後には首を横に振っていた。
「そんな夢のお告げがなんだってのさ。お館様には責任なんてないよ。馬鹿馬鹿しい。もういいってオヤジのことは」
「優之心のことだけではない。これからわしはお前もまた戦場へ送る言を吐かねばならん」
鼻白む優種は、しかしまた一瞬後にはその衝撃から立ち直るように、けろりとした顔を見せた。
「どういうこと? 一応聞くだけは聞かせてよ」
「わしが優之心を巻き込んだ結果、礼桐もその渦に巻き込まれてしもうた。礼桐は可哀想な娘じゃよ。あの娘は幼い頃から剣の世界でしか己を知らなんだ。そしてその剣に自分が初めて恋心を抱いた人間を奪われてしもうた。不幸な巡り合わせじゃったというしかない」
「そんなのオヤジがたらしなかっただけじゃん。礼桐さんはオヤジのいいとこばっか見過ぎなんだよ。オヤジの犠牲者みたいなもんだ」
「じゃがそうして因果は巡る。わしが優之心を不幸に招き入れ、それが礼桐を巻き込み、そして今またお前を巻き込もうとしておるのじゃ。それをお前は許せるのか」
「許すもなにも」
優種は即応して言葉を紡ぐが、そこから先は出てこなかった。
じっと見つめあう四つの瞳。
「礼桐さんが勘違いしてるなら、俺がなんとかするよ。クソオヤジにいつまでも取り憑かれているんじゃ、息子の俺がなんとかするしかない」
その言葉に、氷雨は満足げに笑みを零した。
だがその顔が一瞬にしてまた引き締まる。
それから程なくして
「大変よ! メイド長が、礼桐さんがどこにもいないの!」
駆け込んできた槙菜が、息を切らしながら叫んだ。
その慌てぶりにつられるように立ち上がった優種は、まだたっぷりと入っていた湯飲みを倒して、畳の上にぶちまけていた。
「南の結界、式神使いを一人で倒しに行きよったんじゃろうな」
冷酷ともいえる氷雨の声が、優種の背後から響き渡った。