第十話 明かされた真実、あいむゆあふぁーざーあんどまざー
それから数日して、すっかり平穏を取り戻した里では、いつも通りの日々が続いていた。
優種は本格的にお館候補として、礼桐や槙菜、氷雨にレクチャーを受けるようになった。
複雑な里の歴史や規則などを覚え込むのは、しかし学校の授業でさえ聞いていてもほとんど入ってこない優種には、ほぼ不可能な話だった。
彼の理解力のなさに、あの礼桐でさえ恋愛ゲージならぬ好感度を若干下げるに至っていた。
食事は相変わらず千代丸にじっと見られる中で食し、せっかくの味も台無しの雰囲気だった。
加えてこれといった娯楽もなく、ただただ自然しかない場所は、遊びたい盛りの優種には退屈なものであった。
「さすがにこう静かだと飽きちゃったな。ゲームでもしたいもんだが」
「またそういう情緒のないことを。諦めなさい。ここはそんな場所じゃないのよ」
「あんたがお館になればいくらでも女遊びできるわよ」
「うへへ、その時は千代丸さんもてごめにしてやる……とか、そんな遠い未来の欲望を抱えて今から悶々とする青年の苦悩もわかってくださいよ」
「別にいいわよ。その時は相手してあげる。その時はね。ただし、私がどういうプレイをご所望か、知って後悔しないようにね」
さらりと言う千代丸は、それでも意外と面倒見がいいということは、優種もここしばらくのつきあいで、少しはわかってきた。
これも彼女なりのコミュニケーションの取り方なのだろう、優種にはそう思えてならない。
それを証拠に、彼女は口こそ悪いものの、決して優種を見捨てたり避ける態度は見せないからだ。
それにしても遠回しすぎて、やっぱりただ冷たいだけに見えなくもないのだが。いや冷たくないということは決してあるまい。
もう自分でもどう考えるべきか、よくわからなくなっている優種だった
「そういえば、千代丸さんってあの棍棒で殴るのはどういう忍メイドスキルなわけ? 槙菜の拳銃も名前とかあるの?」
「私のは銃士忍メイド(じゅうしののめいど)よ。だけどまだそっちは駆け出しだから、あんまり得意じゃない。やっと五級になったところよ」
「私のは……知ったら後悔するわよ」
「ほんとに後悔しそうだな。でも一応教えてよ」
「……拷問士忍メイド(ごうもんしののめいど)よ」
「……聞かなきゃよかった」
「千代丸さんの武器は他にもいろいろあるのよ。細い針とか、釘バットとか、鞭とか万力とか」
「ああ、もういい。俺の障壁素通りして痛みが伝わりそうだから」
夏にしては穏やかな陽気が差し込む部屋の中で、三人はそれぞれ微妙な顔をしていた。
「どうやら少しは理解したようじゃな。忍メイドはさまざまな専門職をスキルとして持っておる。親から受け継ぐ継承スキルと、あとから習得する後天スキルの組み合わせ次第で、その忍メイドの特性が決定される。げぇむのようじゃが、細分化された仕事に対してこのような単純な格付けは、非常に有効なわけじゃ」
音もなく現れた氷雨は、いつの間にか優種の横に並ぶと、その優種のお茶を勝手に啜っていた。
槙菜はそれに呆れたが、黙って新しい湯飲みに、お茶を淹れて優種の前に差し出した。
優種や千代丸は、もうそんな事態に驚くことすらなく、完全に慣れっこになっていた。
「そういえば俺のスキルは? たてがみ十級からスタートするんだろうか」
「いやたてがみは最高の結界師忍メイドに与えられる称号じゃからの。たてがみはたてがみで、級も段もない。お前が持つ継承スキルは、あくまで結界師忍メイド十級じゃろう」
「じゃあ俺は結界師忍メイド資格検定を受けることになるわけ?」
「まず必要とは思えんがな。じゃがたてがみとしての力を磨くために、結界師忍メイドに教えを請うのは悪くなかろう。そちらはそのうち手配するつもりじゃ」
「ふうん、勉強はもうたくさんだけどな」
「ほんとに馬鹿なんだから」
「なんか言ったか?」
「いいえなんにも」
槙菜はおかわりを催促する優種に、黙って大盛りのご飯を差し出した。
庭先に礼桐が姿を現した。
彼女は以前の無茶以来、優種に対して最も態度を変えた人間だった。
優種たちに気づくと、深々と頭を下げて丁寧な礼をする。
そして頭を上げると、その瞳は少し切なげに優種を見つめた。
「おはようございますご主人様、本日もいいお天気ですね」
「そうだね礼桐さん。体のほうはもういいの?」
「ええ、多苗に治してもらいましたし、もうすっかり元気になっております……ご主人様こそ、ご無理はなさっておられませんか? 貴方はこの里の大事な宝なのですから、ご自愛くださいませ」
「うん、わかった。でもあんまり畏まられても緊張するから、もう少し気楽にやってよ」
「はい、ですが、私は元からこういう人間ですので、どうすればいいのかよくわかりません」
もじもじと居心地悪そうにする礼桐は、しかしそれほど悪い気もしてはいないように見えた。
「そういえば礼桐さんの剣士忍メイドもお母さんから受け継いだんだよね?」
「ええ……母は私が子供の頃に里を出ていってしまいましたが。一体どこでなにをしているのか」
「そうだったのか。悪いことを聞いたね」
「いえ、別に気にしてはいません。ただ、少し恥ずかしいだけです」
「礼桐の母親は男と駆け落ちしたのよ。礼桐のお父さんは早くに亡くなっていたらしいから、別に問題はないんだけどね」
「……全く、あの放蕩母親には、幼少期から苦労させられました」
さらりと言い合う千代丸と礼桐だが、その裏には優種の知らない苦労や苦悩があったのだろう。
それ以上なにか言うこともできない、重い空気がたちこめていた。
それを忘れるように、礼桐はぱっと顔を明るくした。
「ご主人様、よろしければ今日は私と北の草原に、その……でぇとに出かけませんか?」
顔を真っ赤にしてもじもじと女の子の顔をする礼桐に、槙菜は眉を顰め、千代丸は肩を竦めた。
だが当の優種は、あまり乗り気でもないようだった。
「草原かあ。昨日もけもに引っ張られて行ったしなあ。いてっ!」
ばちんと背中を叩く千代丸に恨みがましい視線を向ける優種には、残念そうな礼桐の表情を読みとるような気の利いた真似はできなかった。
槙菜は一人、安堵とがっかりを混ぜ込んだため息をついた。
「そういえば、そのことで謝らねばならぬことがお前たちに一つある」
どういうわけか、この状況に割り込んだのは氷雨だった。
「謝らねばならぬこと? 俺と礼桐さんに?」
二人はお互いを見合いながら首を傾げたが、礼桐のほうは優種と長く視線が合ったことで、頬を赤らめていた。
「うむ、実はお前たちの母親のことじゃが……」
その声を聞いて、その場にいた全員が激しく動揺する。
特に礼桐の衝撃は常軌を逸していた。
「ま、まさか……」
唇をそれ以上動かせない礼桐。
千代丸も目を見張って、その先の言葉を想像していた。
「“お前たちの母親”って、そんな話ってある……?」
だがいち早くこの違和感に気づいたのは、一番冷静でいられた槙菜だった。
「継承スキルが違うもの、それはないわね。髪の色だって違うし」
その言葉を聞いて、一番ほっとしていたのは礼桐だった。
だが
「いや、同一人物じゃよ」
あっさりと告げる氷雨に、悲壮感を漂わせるほど涙目になる礼桐。
優種は首をひねって、もう一つの回答に辿り着いていた。
「それってもしかしてさあ……」
どすどすと音がして、玄関の方向から足音が近づいてきた。
その聞き慣れた音に最初に反応したのは、やはり優種だった。
「げ、あれはまさか……!?」
「ちょっと優種、いるなら出てきなさい!」
「義母さんだ……」
年の頃なら三十過ぎ、黒髪を編み込んで後ろに垂らした髪型で、青いエコバッグを肩にかけて、まるで近所に買い物に来たような普段着の女性を見て、一番驚愕したのは礼桐だった。
「母……さん!!?」
「なんですって?」
千代丸も思わず礼桐に向かって呟く。
槙菜もただの幼なじみの母親だと思っていた見慣れた顔が、このメイドの里にあることに激しく衝撃を受けていた。
「まさか、おばさんが、メイド長の……!?」
「あら、礼桐あんたメイド長だって? 出世したわね。槙菜ちゃんも、忍メイドだとは知らなかったわ。それより優種、あんた通知票持って雲隠れとはいい度胸ね!」
「雲隠れじゃねーよ。無理矢理連れてこられたんだよ!」
「言い訳はあとで聞くから、ちょっとこっち来なさい」
「それよりどうやって結界入ってきたんだよ……」
「あんたには言ってなかったけど、私はこれでも剣士忍メイド十段なのよ」
「!?」
その場にいた全員が、その途方もない段位に驚いていた。
「ちょっとおばさんお説教してくるから、奥の部屋借りるわね。来なさい」
「ちょ、お館様、たす……け、て……」
ずるずると引きずられていく優種を、呆然と見送るその他の面々。一人だけ涼しい顔の氷雨。
「では先代のお館様候補、優之心様は、私の母と……」
まだ混乱しきっている礼桐は、ぶつぶつと自分の考えをまとめられず、氷雨の顔を見ながら呟いた。
「ちょっと待って。おばさんがおじさんと再婚した時には、すでに優種は生まれていたはずでしょ? なら順番としては優種が産まれて、そのあとおじさんがメイド長のお母さんと再婚して、それからおじさんがお館候補としてこの里に来たことになるはず」
混乱しきっていた礼桐は、槙菜の言葉を頭の中で再確認することでやっと自分と優種の血のつながりを否定することができた。
本当は幼き日の初恋でずっと想い続けていた人と、自分の母親が通じていたということになるのだが、もはや礼桐はそのことを微塵も考えてはいなかったようだ。
だが、まだまだ謎は残っていた。
「その件、どこからお館様が絡んでいるんです? それと、あのボンクラご主人の本当の母親はどこにいるわけ?」
千代丸は厳しい目つきで氷雨を見つめるが、氷雨はそれに珍しく眉を下げていた。
「そこが、わしが謝らねばならぬところでな……」
一同がその氷雨の態度に言葉をなくしていると、遠くからぎゃーという悲鳴が聞こえて、なおさら沈黙は深まった。
ずるずると優種を引きずって戻ってくる、剣士忍メイド十段の強者。
「みなさんお世話になりました。優種はまだまだ半人前ですので、連れて帰ることにします」
ぺこりとお辞儀する母親を見て、もう礼桐も声を発することはできなくなっていた。
「舞華、相変わらず強引な性格じゃの。お前が優之心についていった時もその調子で強引じゃったが」
「あら、今さら嫉妬は見苦しいですわよ、先代」
その言葉に、最も素早く反応したのは千代丸だった。
普段ほとんど感情を示さない千代丸も、この時ばかりは衝撃に完全に自失していた。
次いで礼桐が、槙菜も辿り着くべき真実に辿り着いて、唖然としていた。
一人事態を理解できないのは、前段の説明を折檻で飛ばした上に憔悴しきっていた優種だった。
そんな空間に、さらに乱入者が現れることで、混乱はマックスとなった。
ぽんと小さな音とともに、明らかな違和感を覚えた室内の面々。
だがその変化は、ごく静かなもので、派手さはどこにもなかった。
「よ、お揃いだな。それにしても槙菜ちゃん、綺麗になったなあ。昔はよく寝小便していたのに、すっかりメイドらしくなって」
「きゃぁぁぁ!」
さわさわとお尻に触れる手に、槙菜はほとんど無意識に蹴りを発していたが、それは虚しく空振りした。
瞬時に移動したその男は、今度は舞華に向かう。
「おや舞華。相変わらずだな。まだ黒髪に染めているのか」
「ええ、アナタも相変わらず」
それが十年ぶりの再会ではないかのように、ナチュラルに挨拶をかわす夫婦。
「ゆ、優之心様……!? 私は夢を見ているのか!!」
この時ばかりは礼桐の冷静な心も、崩壊寸前に達していた。
「お、オヤジ……なのか」
それは優種も例外ではなかった。
彼の障壁を持ってしても、このショックは吸収しきれなかったようだ。
「おじさんが、生きてる?」
「おいおい、勝手に殺すなよ。俺はピンピンしているよ」
「いつから生きてんだよ。お前は十年前にくたばったんじゃないのか!?」
思わず叫ぶ優種に、しかし父優之心はあまり反応を示さなかった。
むしろ別の疑問にかられていたからだ。
「そういえばお前、なんでこの里にいるんだ?」
「連れてこられたんだよ! あんたの代わりにお館候補だなんだと、こっちがどれだけ大変だったか!」
「ほう、そうなのか。それはご苦労だった。ま、頑張れよ。それよりいい機会だからお前にも紹介しておこう」
その腕が氷雨のほうに伸びると、千代丸は顔に手を当ててあちゃーと呟いた。
礼桐も槙菜もまた、先ほどの答えがここで出るのかと思うと、なんともいえない感情が沸き上がる。
「お前の本当のお母さんだよ。死んだことにしていたが、実は生きていたんだ」
「……はぁ!!!???」
「すまぬ、実はそういうことなのじゃ」
最強のたてがみ、ミサイルさえ笑って完全に防ぎきると噂の男は、こうして神経を焼き切られ、そのままふらふらとくずおれた。
その後優種は三日間寝込んで起きあがれなかった。
「全く、どういう人間関係かって話よね」
結界によって適度な涼しさが保たれた夜の風景の中で、まだ千代丸はぶつぶつと言っていた。
その傍には礼桐の姿もある。
寝込んだ優種の世話は槙菜と舞華に任せて、二人はお手製の冷やし飴を飲みながら、縁側で休養の時間を過ごしていた。
「あんた、またどっか行っちゃう前に、ちゃんと優之心さんと話できたの?」
「ああ……優之心様はやはり優之心様のままだった。成長した私を可愛いと言ってくれたが、不思議ともう胸は高まらなかったよ。あの人は、すでに自分の中で過去の人だったのだ」
思い出を抱きしめるように腕を組む礼桐に、千代丸はやや呆れた表情を浮かべた。
「ほんと、馬鹿にしてるわよね。敵対勢力を欺くために死んだことにするとか。全部先代の仕業だったなんて」
「あの方はそんなお方だ。どんな危険も顧みず、汚れ役でも甘んじて引き受けられる。それにあの方の力なら、敵に気づかれずにあちこちに出没して、情報を奪い取ることも容易だろう」
「そこじゃなくて、生きてるならこっちには連絡しとけって話よ。どれだけあんたが悲しんだと思ってんだか。母親のこともね。あんな傍にいたのに、十年も全部隠していたなんてさ。しかもあのボンクラ主人が先代の子供ですって? 一体いつまで上がらないのよあのおばばは。本物の妖怪だわ。こんだけ無茶苦茶が続いたら、私だったらぶちきれるわよ、確実に」
足をぶらぶらさせながら、憤懣やるかたない千代丸は、時折ザクザクと地面の小石を蹴り上げていた。
だがそれに応じる礼桐の顔は涼しいものだった。
「ありがとう千代丸。だが私は満足しているよ。ご主人様が現れてから、自分の中のわだかまりが、全て綺麗に洗い流されてしまった。あの方は不思議な方だ……本当に」
「どうだか。あいつは結局なにもしてないじゃない。それよりあんた、これでメイドやめるとか言わないでしょうね。そんなこと言い出したら私は親友やめるわよ」
「やめるものか、私に残された道は、もはやご主人様とともにあるということだけだ。必ずあの方にはお館様になってもらわねば。そのためなら私は、どんな役目でも引き受けてみせる」
テンポよく、お互いの決まり手を見透かしたかのように交わされるやり取りは、二人のつきあいの長さと濃さを如実に表していた。
千代丸も礼桐の前では本心を隠さないし、礼桐も気取りはしない。
お互いを不快には思わない絶妙な距離感で交わされる言葉。
それはこの二人の間だからできる会話だった。
だがその会話に、千代丸は一つだけ楔を打ちつけてしまう。
「悪いけど、本気で親友やめることになるかも知れないわよ。私にも欲しいものができたから」
「それは私と分け合えないものか?」
「場合によってはね」
その返答に、礼桐は思わず暖かい笑みを浮かべていた。
「では受けて立とう。だがそれは、私とお前だけの戦いというわけにはいくまい」
千代丸はそんなまっすぐすぎる礼桐に、逆に頬を赤らめてしまった。
「そうね」
素っ気なく言いながら飲み干す水飴の感触は、冷たく苦いものだった。




