挽歌が聞こえる丘 3
議場の隅々まで大きなベルの音が鳴り響き、議会初日は幕を閉じた。
相沢達治民政党議員は複雑な思いでその時を迎えていた。
未だ議員に成ってから本会議場で質問をする機会も無かったが、それでも民政党に籍を置いている事を誇りに思い、凛とした気持ちで今に至っていた。
しかし今日国民党から国政新報がすっぱ抜いた記事に対する質問は、龍志の心を抉えぐるものであった。
これまで描いていた国政に対する思いとは裏腹なものであった事は言うまでもない。これまでも同じような事が起こっていた事も確かであったが、それは野村総理の若かりし頃の出来事で、然程気にならなかったしむしろ擁護する気持であった。
しかし今回起こった事は、まるで別の党で、これまで訴え続けてきた民政党の理念とは懸け離れた内容であると思われた。
心の中で冷めたものを感じながら国会を後にした龍志は、党の宿舎に戻り一人部屋に籠っていた。
「先生お疲れ様、どうされたのですか?事務所に戻らないから気になって」
「あぁちょっと疲れたから少し眠ってから行くから」
「解りました。今日午後七時から総理からお話があるようで」
「解りました。いつもの所で良いのですね?」
「ええ、七時からです。」
龍志は暫くして深い眠りについた。目覚ましのベルが鳴るまでの間は暫くであったが、眠っている間に夢を見た。
何処かの山道を駆けずり回っている少年の夢であった。目が覚めてから気が付いたのは、おそらくそれは少年期によく遊びに行った畝傍山であったとおぼろげに思えた。
目から涙が零れていて、それが涙であると龍志は手で拭きながらそうは思いたくなかったのである。
七時になり民政党臨時集会が執り行われ総理から一言があった。
「みなさん本日はご苦労様でした。お蔭で無事野村二次内閣はスタートする事が出来ました。
国民党から指摘があったように、わが党と凌駕さんとの間でいくつかの約束事がありましたが、そこはお互い政治家、按排良く事が運んだものと思われます。
これもひとえに三役が頑張ってくださったからで、最良の結果を得られたと自負致します。 これからは凌駕さんと力を合わせて揺ぎ無い連立政権を構築して行く積りでありますから、皆様もどうかご理解ご協力頂けますように」
総理のあいさつに満場一致で大きな拍手が鳴り響いて、狭い会場は割れんばかりであった。
龍志もつい同じように手を叩いていたが、その手には力など籠っていなかった。
「政治ってこんなものなのか・・・これが大人の世界なのか・・・所詮民政党もお金で事を片づけるのか・・・ではマイクを持って有権者に言っている事は一体何なのだ!」
初めて龍志は野村総理に向かってその眼は怒りとショックを感じていた。
解散してからも龍志の心は穏やかではなく、民政党には裏と表がある事を悟った気がして、大人げなかったが、それでも同じ事を何度も思う毎日となった。
それからの達治は、会館に行っても、総理が口にする事を疑心暗鬼の目で見つめる様になり、重く感じる毎日を繰り返していた。
そして週末を利用してある人にアポイントメントを取る事を思いつき、それは月刊誌国政新報の編集長山下治氏であった。
「私民政党の相沢達也と申します。今月こちらが出された月刊誌について、更に詳しくお聞き出来ないかと思いまして。
初めに申しあげますが、私の思う所は、我が民政党がこちらで書かれていた内容の全て事実なら、まるで我党は違った道に進んで行っているのではないかと、私だけかも知れませんが危惧している次第です。
常に私利私欲など御法度であり無関係であると更に政治に裏表などあってはならないと、それが我が党の理念だと常日頃から教えられているわけで、それが今回の人事に於いては腑に落ちない事が相当含まれていると私には思えます。
あの記事を書かれた記者さんもおそらく同じ思いであったと考えます。
私はこの一件があってから、少々政治不信になっている事も確かです。お恥ずかしい話ですが」
「そうですね。実はあの記事を書いたのは私です。
内の記者が言わば命がけで掻き集めたネタです。
ですから重い内容である筈が総理はいとも簡単に事を収められましたね。
貴方が言われるように、この度の出来事は、これ迄民政党が掲げてきた理念とは程遠い考えであったと思います。はっきり言って総理はご自分の立場や内閣を守る為にお金で買ったのでしょう。
私利私欲に一切興味など無いと野党時代から口を酸っぱくして言ってきた筈が、総理に成り政権を取り、内閣を存続したいあまりにお金を使い、それで新党凌駕の今池氏のほっぺを叩いたわけでしょう。
私たちはこの記事を書くに当たり、約二か月にも渡り調べさせて頂きました。
ですから両党がやってきた事は、先日の国会で総理が答弁した様な凛としたものではなく、もっとどろどろしていたのです。
巧妙に仕組まれた両党の思惑があり、それでどうにか今日を迎えているのですよ。」
「その事は我が党はわかっているのでしょうか?」
「ええ、三役と総理はわかっています。」
「それではあの十二億も新党凌駕の全員が判っていたのでしょうか?」
「それはわかりません。今池さんがポッポに入れたかも知れないし、あるいは新党凌駕の台所に入れたのかも知れないですね」
「そこまでは調べられていないのですね?」
「いえ例え調べがついていてもそれはそれで」
「第二弾って事でしょうか?」
「それは言えません。貴方の党だって凌駕さんだって、いつ私たちを名誉棄損で訴えるかも知れませんからね。それをされては困りますから。」
「もしですよ、万が一凌駕の今池さんが、十二億を一人占めしようと考えていたなら、大変な事に成りませんか?」
「それは私たちが一番妙味を引く所で、万が一そうなら揉めるでしょうね。」
「今池さんが大変な事に成りますね。あの方は党内で八割ほどの票を集める信頼の厚い方ですからね。ですからそれは無いでしょうが・・・」
「でも政治ってそんな落とし穴のような所がありますから、掛け算や割り算が解けるのに、足し算や引き算が解けない方も居られますからね。」
「では十二億は今池さんが・・・?」
「そうかも知れませんよ。通産大臣は知っているような言い方をしていましたが、本当だか知れたものじゃないですし、・・・それからも取材をしていますが、腑に落ちない点もありますから、本当に知っていたのか、だって他の方は知らないようだから」
「そうですか・・・今池さんが一人占めですか・・・それもショックですね。」
「相沢先生は本当に相当真面目な方のようですね。お聞きしていると可也落ち込んで居られるから」
「ええ、実はおっしゃる通りで、実は私これまで大学時代から野村総理の事務所で寝泊まり迄して、先生を支え、あれから二十年総理を只管慕ってきた積りですから。
今の様な先生ではなく、全く権力とか気にしない大らかな方であったと思っています。ですから今回の様なことは、言わばはっきり言ってショックで許せなく思えてきて」
「そうですね。それは私たちも同じで、国民不在の采配と憤りを感じたから、この様に書かせて戴いたのです。
記者としての命も掛かっている事も覚悟をして、それは私だけではなく若い記者たちの将来も関わる事ですから、言わば命懸けなのです。
しかし貴方はまだお若いから気が付かないかも知れないですが、あの記事をこの時期に書いたのは、まだ民政党も新党凌駕も十二億に関して、まだ逃げ道がある事を解って下さい。」
「逃げ道?」
「ええ、両党が収支報告書をすでに出していて、その中に何も書かれていなかったなら、それは大きな問題です。しかし時期的には収支報告書を提出する期限はあと二か月も後なのです。つまりこれから二か月の間にどうにでも成るのです。」
「つまり貴方はその事を解っていて、あえて今月号で出されたと言うのでしょうか?」
「そうですよ。ですから逃げ道を与えてそれで粛正される事が何よりであると」
「成るほどね」
「だから今回の件は然程大きな出来事には成らないと思いますよ。但しこれからも何ら反省もされないで同じ事を繰り返すなら、間違い無く叩かせて頂きますから」
「そうでしょうね。でも記者の方も編集長も命がけで取材をされている様におっしゃっていましたが、それに比べて今回取って戴いた配慮は、割に合わない話ではないのでしょうか?
じっくり待って逃げられない状態まで追いつめておいて、それで雑誌に載せればはっきり言って効果たるや絶大ではないのでしょうか?」
「ですから、逃げ道を」
「深いですね。実に深い。結局人間はいや政治家と言うのですか、与党も野党もひと塊なわけですね。解散して万歳をしてチリチリに別れて、それでまた戻って来た者たちはみんな仲間なのですね。
それを取り囲む族もみんな同じ思いの者たちが集まって、国会議事堂を取り囲んでいるわけで、それは言わば冬ならたき火で、夏ならプールに集まるわけですね。
私はこれまで政治家とはと考えた時、もっと違うものを思っていました。もっと律義で堅苦しく正義感に満ち溢れたものを、
だから尊敬する総理も今は許せなく思い苦しんでいました。
まさかこの雑誌に書かれていた事に二つの意味があったとは、それは政治家に対する言わばお仕置きで、そしてもう一つは逃げ道を作った言わば思いやりと警鐘である訳ですね。悪い事をしてはいけませんよって言う事ですね。
あの活字にはその様な意味があったのですね。」
「貴方もこれから同じように成って行かれますか?皆さんと同じ様に、言わば染まって行かれますか?」
「そうですね。私はもしかすると無理かも知れませんね。もともと私は裏方に向いていた性格だから、政治家に成ってそれで大臣に成ってとか全く思った事のない人間。ですから皆さんの輪に入って同じように染められて行く・・・?そんな事無理でしょうね。」
「もしかしたら政治家に向いていないのかな?」
「かも知れません。妻が二期務めてその後を引き継いだから」
「妻っておっしゃいますと?」
「沢谷亜紀と言う名です。」
「沢谷さん・・・よく知っていますよ。良い方だ。綺麗な方でしたから、よく覚えていますよ。奈良へ取材に行った時もお会いした筈。事務所へもお邪魔したかも知れません。 そうでしたか・・・あなたの奥さまが沢谷さん。なら貴方が誠実なのはそれでわかりました。
奥様はボランティア精神に長けた方で、まさに裏表のない政治家でした。」
「でも編集長今貴方が言われた事は、これまで言ってこられた事と裏腹ではないのですか?」
「まさにそうかも知れません。しかし貴方もお気づきだと思われますが、貴方の奥さまのような方は稀なのです。世の中に居ないのです。
ですから私は敢て政治家とはと、全く奥様と真逆の事を口にするのです。それが政治であると」
「編集長今日は何かと有難うございました。勉強に成りました。
それに来させて頂いて色々お聞きして気が楽に成りました。
これからは民政党の理念がどうであるとか、律儀であるとか拘り過ぎない考えを持って、政治家を務めて行こうと思います。そうすれば許せるものも増えるように思います。
半分だけ見つおめ半分だけ聞いて半分だけ口にする、まさに徳川家康のサルと同じように」
「ええ、天空海闊ですね。この大らかな精神で」
「ありがとう御座います。」
「相沢さん、奥様によろしくお伝えください。」
「はい編集長」
「ちなみに編集長ではなく当時は新米記者の山下と言うことで。」
「成るほどね」
編集社を後にして街の中を歩きながら、龍志は時の流れを感じ、既に四十代に入っている事を感じていた。高いビルが景色を変えた様に、この二十年で一途だった心までも変えてしまったのでないかと思えていた。
野村健三に初めて出会ったあの日から、二十年が過ぎ、この間に野村健三は総理大臣になり、龍志もまた議員として四期目に突入していた。
隅田川の川風が龍志の顔に当たり、快さが全身を包んでいた。ベンチに腰を下ろし、走り続けて来た二十年余りの月日が何故か景色の向こうから蘇っていた。
龍志はこの時冷めて行く心の一部を強く感じていた。それは政治家として、一人の男として、夫として、あるいは人間として、そのどれであるか等わからなかったが、物足りない少し欠けてしまった心の内を感じていた。
最近の選挙は若者が姿を引っ込め、三十数パーセントの投票率になっている事は確かである、良くても四十数パーセントに留まる。
それは若者の過半数が参加していない事になる。
この現実は将来において何を意味するのか、彼らもそれなりの年代になれば、選挙に参加する気持ちになるのか、それはわからない。
しかし龍志は政治に二十年余り関わってきた今
若い彼らが更に参加しない時代が来るのではないかと懸念している部分がある事は感じていた。
それはまさに政治とはと思い直した時、今回のような裏で起こる出来事が与党にも野党にも幾らでもあるからである。
秘書の性にして悪事を働いてきた政治家が、今度はそれでは抜け穴があるからと言い合い、規則を改定するのであるが、それでもまだ抜け道を確保しているのであるからどうしようもない。
その度に有権者は、特に新たに成った有権者は事実を知りしらける事になる。
十人の有権者の中で三人しか選挙に行かない。更にその選挙に行く顔ぶれは公務に就いている、言わば強制的に参加させられている状態の人たちである。それははっきり言って仕事である。
この国は何れこの様な人たちで、構築される事になるのではないかと思わされる始末である。
政治家はこの様な有様ではいけないと、何となく危機感を持っている龍志にとって、この度の野村二次内閣の誕生の経緯を思うと、まさに今若者が政治離れをしている原因がここにある様に思われた。
龍志は自分のような権力も学力も乏しい政治家が、幾ら心で思っても何も変わる事などない。
本会議場で一人舞台の様に質問に立ち国政に携わる事など然程無い。これまで前もって書きあげられた原稿を歯切れよく読み上げるだけで、議員としての年月が流れた。
其れでもよかった。一生懸命働いた。
そして政治家として、これから脂が乗ってきて、活躍の場がやってくる事も考えられた。
しかしこの日の龍志は一人の人間に戻っていた。そこには後援会も地盤を譲ってくれた妻も子も居なかった。隅田川の川風だけが話し相手であった。
「父さん俺だけど」
「どうした?久しぶりだなぁ」
「今隅田川の麓でベンチに腰を下ろして寛いでいる」
「そうか、今日は土曜日だから少しはゆっくり出来るんだな」
「ああ・・・」
「どうした?元気ないようだな。何かあるのかな?電話をして来る位だから」
「いや別にないけど」
「そうか?では父さんから言ってやろうか?総理に失望したのじゃないのか?裏切られたようになって?違うか?」
「それは言うまでも無いから・・・その事は俺傷つくから敢て言わないでおこうと」
「そうだろうな。民政党はあんな事する党で無かったからなぁ。龍志が常に言っている言葉を思うと腹が立つな」
「そうだね・・・」
「どうした?でも政治家なんて思う事みんな同じだと思うよ。
父さんは思うに、龍志が頑なに今まで言ってきた事は、それはいい事だと思う。でも誰もがそうではなく、むしろ長い物には巻かれろって言う様にやっていると思うよ。 硬い事言っていても選挙に落ちれば只の人だから。選挙はお金が要るから稼ぐ事も甲斐性だと思っている者も居ると思うよ。
むしろそんな政治家ほど頼り甲斐があるからな。辣腕と言われる人は何をしても辣腕だと思うよ。
これで民政党は安泰じゃないか、新党凌駕も、誰も文句など言えないだろう。
喧嘩して仲たがいになり政権を失えば、また何十年と言う間野党に落ちる事に成るだろう。
父さんは野村さんが巧く采配したと思うよ。まさに雨降って地が固まったと言う事だろうね。」
「父さんまでそんな事言うんだ」
「間違っていると龍志は思うのか?」
「そう、間違っているかはわからないけど、でも父さんが言った事と同じような事を、国政新報の編集長も言っていたよ。
さっき迄そこへ行って来たのだけど、おそらく野村先生も三役の先生方も同じ事を言うのだろうね。」
「そんなものだと思うよ。だから龍志もその様に振る舞えばいいのじゃないか。組織ってそんなものだと思うよ。どれだけ偉そうに言っていても、組織と成るとそれは個人なんて一個の歯車に過ぎないからな。
みんなが向く方に向かないと、ましてそれが党の方針であるとか、三役が決めた事であるとかなら尚更だよ」
「父さん俺今父さんに電話をした事を後悔しているよ。みんな同じように見えてきている。父さんも編集長も総理はじめ三役の方も」
「なら父さんも正解だな。」
「正解?でも父さん其れで若者は納得するだろうか?お金で動くような政治って 興味を持つだろうか?そこに夢や可能性を見つけるだろうか?
平等に思うだろうか?俺はそんな事を最近結構危惧しているんだ。其れも間違っている?」
「確かに龍志が言う事は正しいかも知れない。でも政治の世界はそれだけではないからな。正しい事を言う者だけが選挙に勝って事ないからな。
確かに民政党は龍志の言っているような事を理念にしてきたから今の姿があると思う。
誠実さが認められて党員が増えて行ったと思う。
でもそれは政治ではなく、政治をするための手段であって、野村総理は龍志が思っているほど同じ思いだろうか?もっと貪欲でもっと厳しくて、もっとドライだと父さんは思う。だからトップに成れたんだと、
龍志は野村総理のようにトップに成れるかな?
無理だと思う。それだけの資質が無いと思う。失礼な言い方かも知れないけど、父さん程度の親から出来た子だから、決して誰にも負けない知能なんてないと思う。申し訳ないけど
トンビが鷹を産んだって言う事もあるけど、それは稀だと思う。
だから龍志の言うように若者が選挙が面倒だと行かなくなっても、それは別問題かも知れないな。
そんな世界だよ。今までもこれからも。」
「だから父さんはいつも真っ直ぐじゃないんだね。」
「あぁ判っているだけに。
龍志頭が切れる人が狡猾に物事を捉えたら、父さんたちは手も足も出ないからな。気付く事もおそらく無いだろう。
でも実際そんな構図の悪事が幾らでも繰り返されているだろう。
だから幾ら龍志が頑張っても太刀打ち出来ないと思うな。政治の世界はまさにそんな世界と思うな。」
「だから俺は今正直政治が嫌に成ってきているんだよ。この事は、父さんが言うように力の無い俺には言いたくないけど。」
「龍志、亜紀さんに相談するんだな。亜紀さんは龍志より真っ直ぐな人だから。それに亜紀さんが元々築いた地盤だから」
「そうだね。」
「それが筋ってもんだよ」
「あぁ」
龍志はそれからも隅田川の川風で頭を冷やしていて自宅へ着いたのは夕刻に成っていた。
食事を済ませ心を落ち着け亜紀が座っているテーブルの前に座った。
「どうしたの今日は?いつもリビングへ行って寛ぐのに?」
「そうかな・・・」
「お疲れね、色々あったから。仕方ないじゃない幹部で決めた事だから。貴方が何を言ってもそれはタブーって事でしょう。むしろ嫌われるだけだと思うよ。空気を読めって」
「でも亜紀は其れでいいの?」
「嫌だけど、でも私は政治家じゃないから・・・」
「そんなの狡いよ。俺なんかより亜紀がこの度の事で嫌な思いをしたと思うよ。そうだろう?」
「でも私はノーコメントよ。龍志さんが自分で判断して」
「俺ね~ここ何日間の間に決めたんだけど、今度の選挙では出馬を見合わせようと思っているのだけど」
「えっ?」
「だから今期で政治から卒業しょうと思って、思い付きのような話だけど。間違っているかな?亜紀の意見聞かせて、忌憚なく率直に言ってくれていいから」
「でもそれは貴方が決めれば良い事と思うわ。
貴方が出ないから私が代わりに出るなんて事出来ないから、辞めたいなら誰にも留める権利なんかないわ。」
「そう、そう言ってくれるんだね。」
「どうしたの?なんか急に笑顔になって」
「俺政治から卒業するよ。今はっきり決心した。」
「唐突ね。でも後援会の方やお世話に成った方、第一野村総理に心の内をはっきり言える?」
「いや思っている事は言わない。それが政治であると思うから。体調が悪いとかで濁す。其れで引く」
「それが政治って?」
「だから波風を立てず、みんなが旨く収まるように身を引く」
「失業になるわよ」
「解っている。俺二十歳の頃から政治に関わってきたから、他の事は何も判らないけど、他に出来る事だってあると思う。議員を丸四期務められたから誰か拾ってくれる方も居ると思う。その事は心配していないんだ。
任期終了までしっかり勤め上げて、それで政界を去る。」
「もう決めているんだ?」
「土を触りたいな。」
「土?」
「そう土、それと汗をかきたいな。今日ね隅田川の畔で風を受けながら、自分は自然と向かい合って生きるほど好いのかも知れないと、思ったと言うより確認したってわけ。
おそらく子供の頃からそんな思いがあって、たまたま野村先生が大学へ来られて長いお付き合いになったけど、でも俺本当は土を弄りたかったと思う。
政治の世界に入っても、何故か自分で出る事より誰かの世話を縁の下でしたかったから、それが亜紀の世話であったと思う。
其れってたまたま政治で在ったけど野菜作りでも良かったと思う。
これから満了までは先生や民政党に恩返しをする積りで全うしようと思っている。其れでも構わないかな?」
「ええ、私は一向に。でも龍志さん、そんなに目を輝かせて話されると何も言えないじゃない。
折角地盤があるのにとか、後援会の事を考えてとか、子供たちはどうなるのとか言えないでしょう?」
「さぁー相沢達治とその家族は三年半後、新天地で土を弄って生きます。汗を一杯かいて」
「そうですか・・・お好きなように」
ところが野村二次内閣が五か月目に差し掛かり各党から収支報告書が提出され始めた時、新党凌駕代表今池幸一氏が代表の職を辞す意思を示した。それから火がついたように噂が赤絨毯の上を駆け巡った。
噂とは今池代表は総選挙の前、民政党と約束事を交わし、その見返りに現金十二億円を貰い、更に四人の大臣を新党凌駕から出す事を話し合い合意した。
野村総理はその事を隠す事無く公にして窮地を乗り切ったかに見えたが、今池氏がその十二億円を新党凌駕の収入とせず、一人占めしたと言う噂であった。
そしてその金は今池氏が親族の誰かに融通していると言う噂であった。
新党凌駕は元々より集まりの党で、今池氏の代表を嫌っていた人物も居り、どこから出た噂であったかは判らなかったが、大きなうねりが起こり始めた事だけは間違いなかった。
「総理これは一体どのような事なのですか?
噂では明日にでも今池氏が代表を退くと聞いています。
聞くところによると今池さんが慌てて十二億円をかき集めて新党凌駕に返すように努力されているようですが、民政党は収支報告をされているのに、新党凌駕は収入として十二億円の記帳をされていない様ですね。それは出来ない訳ですね。
そんな事実を聞いたことも無いから。
今池氏が十二億円もの金を表に出さなかったのは、民政党から裏金である事を打診されたからではないのですか?
だから今池氏はその気になって、言わば代表の地位を利用して、新党凌駕を売ったのではないのですか?早い話が今池氏は民政党に十二億の金と四人の閣僚を餌に吊り上げられたのでしょう?
貴方方は国会を何と思っておられる?けしからんな!議長こんな連中にこの国を任せて良いのですか?国民不在だけで収まらないようですね。国会議員全体を侮辱し食い物にしているではありませんか?
総理、総理、この際真相をはっきり申してください。」
「私は何も疚しい事はしていません。何かの手違いがあって新党凌駕さんは収支報告を間違われたのかと思われます。正すものなど御座いません。」
「良いですか総理、今池さんは明日にでも辞表を出されると言われています。新党凌駕の八十パーセントの方が党大会であの方を選びましたが、後の二十パーセントの方は反対したのですよ。
私は今いい加減な事を言っているのではありませんよ。確かな情報ですよ。いい加減な事を言われても、ごまかされても困ります。今池氏を証人喚問する事を申請致します。そうでもしないと貴方ははぶらかすでしょう。如何ですか?」
「それは貴方が決めて下さい。民政党には関係のない話で」
「ではもう一度総理にお聞きします。
総理は、あるいは民政党は新党凌駕代表今池氏に十二億円は党として受け取って下さいとはっきり言いましたか?そして収支報告書に載せて下さいと言いましたか?」
「はっきり覚えていません。」
「そうじゃないでしょう?言わなかった。違いますか?貴方の思いを飲んで貰いたい為に」
「ですからはっきり覚えていませんから答えようがありません。後日調べてお知らせ致します。」
「もういいです。今池氏を証人喚問して事実を話して頂きますから。政治生命を掛けて話してくれるでしょう。
ご存じのように、嘘偽りがあれば偽証罪になり、三か月以上十年以下の懲役になりますから、責任をもってお答えされるように望みます。
これで質問を終わります。」
「龍志さん、まさかと思うような事になってきたわね。」
「生々しいよ。今池さんに出ている噂って、あの人が民政党から貰った十二億円を懐に入れて、名義を貸している所に流れたとか、窮地に立たされた身内の会社を救ったとか、ややこしく成って来たね。
まさか発覚するなんて思わなかったのか、それともとりあえず手を打って、それから銀行か何所かから落ち着けば金を引き出すつもりであったのか、 だからあまり緊張感もなく事が進められたのだろうね。
それで今に成って慌ててお金を集めているって按排らしいね。凌駕さんの収支報告書に書かなければならなくなって。」
「でもそれは民政党と話し合ってお互い消しあえば済んだ話ではなかったの?」
「それはわかる。総理が今池さんに収支報告書に必ず記載して下さいと言えば、しかし今池氏は怠ったのかも知れないな。それとも邪な心が芽生えた・・・或はお互い裏金として扱う事を暗黙の内に決めていたが、所が月刊誌に載せられ、そうもいかなくなった。
それとも金策をしていたが間に合わなかった。あと一か月あれば間に合って何事も無かったかも知れないね。悪い事は出来ないって事だね」
「要するに慌てて親族を救うためにその金を使ってしまったって事ね。それで二次内閣が発足して三か月後、月刊誌に載り、追及され、泡食って金策に走ったが間に合わなかった。そう言う事ね。」
「そうだと思う。だってこの話みんな新党凌駕の連中から出ている話だから、身内って言っても怖い世界だね。」
「そうなの。龍志さんが嫌に成ってきた政界は、更に汚れて行くみたいだね。」
「まったく、もう潮時かも知れないな。」
そして七日が流れ今池幸一新党凌駕代表の証人喚問の日が来た。
「新党凌駕代表今池さん何もかもを正直にお答えください。」
「はい、其れで申しておきますが、今私は新党凌駕の代表の座を退いた事を始めに申し伝えておきます。」
「それはいつの事でしょうか?」
「昨日で御座います。」
「ではこれからは今池さんとそれだけを申します。では、貴方は月刊誌国政新報二月号に載っていた事実を認めますね。」
「はい」
「ではそれでお伺いします。当時民政党から貴方に選挙がどちらに傾くかも知れなくても、今の体制を維持したい旨を聞かされたのでしたね?」
「はい」
「其れで民政党から提示されたのは十二億円を渡すと言われ、更に四人の大臣枠を確保すると言われたのですね。」
「はい間違い御座いません」
「それでは更にもっと具体的にお答えして貰いますが、その十二億円や条件は何方から言われたのでしょうか?」
「総理からです。野村内閣総理大臣からです。」
「それは何時ですか?」
「内閣不信任案が可決してその翌々日に電話が掛かってきて」
「その時今おっしゃられた条件を示されたのですね?」
「いえ、その時はまだ内容は決まっていなかった様です。それから二日後に総理から電話を頂き、民政党がいつも利用されている料亭に行って貰いたいと、料亭にはこちらから手配しておくからと、其れで言われる様に行きました。たっぷり土産を用意するからと言われ・・・
大坂から来たお客さんであるとカモフラージュして」
「それはお店の方は判っていたのですか、貴方が来ると言う事を」
「いえ知らないと思います。極秘でしたから、あくまで大阪の客であると。女将は知っていたと思いますが」
「では新党凌駕の方には相談しましたか?」
「いえ何も言っていません。」
「それは総理からその様にするように言われたからでしょうか?」
「いえ、私の判断で。」
「誰にも言わないほど良いと思われたのですか?」
「いえ、まだそんな事思いませんでした、総理がどんな事を言われるかも判りませんでしたから」
「それで料亭に行かれ民政党の方と打ち合わされたのですね?」
「いえ、私たちは女将に案内され、閉め切った部屋で家族で食事をしていました。」
「家族で?」
「ええ、実はそれは見せかけの家族で、秘書の奥さんと子供たちに協力して貰ってそれで」
「それは何故でしょうか?」
「あくまでカモフラージュでした。
総理から貴方である事が絶対ばれない様にと、諄く言われていましたから、其れで秘書に頼んで大阪から来た家族と言うことで」
「それでその後どのように成ったのですか?」
「はい、隣の部屋から声が聞こえてきて、それは民政党さん達である事が直ぐに判りました。
幹事長の南田さんの声でした。始めは小声で話されていたのですが、南田さんが大きな声を出され、十二億と言われ、其れに四と言われ皆さんが手を叩き。
それからは皆さん大声を出されて食事会を和やかにされていた様でした。その夜十一時頃に総理から電話を頂き、民政党さんが出された条件をのませて頂きました。
総理がその時言っておられた事は、貴方方に大恥をかかされた私が、敢て貴方方に頭を下げさせて貰うのは、国政の為ですと、国会をこれ以上混乱させたり遅れさす事は出来ない事をわかって貰いたいと。
声を詰まらせておっしゃられ、また十二億と言う金を示され四人の大臣枠も確保され、私としては断る理由など何所にもありませんでした。
快くお受け致しました。そして総理が若かりし頃、我党の野際誠一議員を出仕にされ、暴言を吐かれたことも事実として残っていますから、その鬱憤も謀反を働き不信任案に賛成した事と、十二億と言う言わば和解金で憂さを晴らせたと思いました。更に四人の閣僚の枠を手に入れたことで、
以上です。」
「では貴方はその金をどの様に扱う積りだったのですか?収支報告書に記載されていないと言う事はご自分で一人占めする積りだったのですね。どうなんです?」
「実は私にはその時お金が必要でしたので、議員に成るまでは会社を経営していた事もあり、その会社は現在親族にお譲りしているのですが、其れで社長から急な入用で都合出来ないかと相談され、それで法律に触れないように弁護士に相談申し上げ、利用させて頂きました。
何分私が立ち上げた会社でしたから未練がございまして。
勿論落ち着けば返して貰える約束であります。収支報告書にもその時点で記帳する積りでありました。何ら問題はないと」
「いいですか、今池さん
貴方は今とんでもない事をおっしゃっていますが、正気でしょうか?どんな事があっても法には触れない方法でと、そんな話あるわけがありません。
貴方が私用で使ったお金は、公のお金ではありませんか?何を考えているのですか?民政党であろうが新党凌駕であろうが、すべて国民が払った税金なのですよ。」
「解かっています。しかしながら私がきちんと収支報告を期間内に済ませば、問題がないと思っていますが、其れでその積りで急いで作らせている所であります。」
「それでは期日までに間違いなく報告できると?」
「その積りです。」
「本当に間違いないのですね?」
「その積りです。」
「議員生命に掛けても?」
「その積りです。」
「では質問を変えます。貴方が言った一連の行為は新党凌駕の皆さんが知っていたのでしょうか?」
「いえ、先ほども言いました様に何方にも言っていませんでした。」
「それは総理から深夜十一時に電話があり、条件を呑む事を伝えた後も?」
「ええ、」
「何故ですか?とても大事な事だと思いますが?」
「夜も更けておりましたから」
「それで、でも大事な事だったのではなかったのですか?」
「ですから翌日と思いましたが、偶々親族の会社が金銭的に窮地に立っており相談を受けていた事も重なって」
「それで民政党さんから入ってくる金を利用する事を考えたから、後ろめたかったが新党凌駕には一言も言わなかった訳ですね?」
「ええ、言えなかったと言いますか・・・」
「その事を総理も知っていますか?親族の企業に流れた事を?」
「いえ全く、そんな事話しておりませんので」
「貴方はこの様な取引をして、政治家としてモラルに反するとお考えに成らなかったのですか?」
「でも同じような話がこれ迄でも幾つかあったように理解しております。
特に連立となると大臣枠が振り分けられる事もしばしばで、国民党さんも長年に渡り、連立の若葉の党から必ず二人大臣を入閣させて居られたのは恒例だったようで、今と全く同じ現象では無かったでしょうか?」
「それで十二億のお金の内貴方の親族の会社に幾ら行ったのでしょうか?」
「三億でした。ですから窮地を乗り切って貰いお金を返して貰えば、何事も無かったように振る舞えると思っていました。
まさか雑誌にあのような事が載るなんて夢にも思いませんでしたから。」
「其れでお金は幾らかでも返りましたか?」
「いえまだです。躍起になって催促しています。早急に返して貰う約束は取り付けています。」
「それで貴方は未だ言って頂いていませんが、そのお金を新党凌駕に最終的に報告する事は間違いなかったのでしょうか?
民政党さんもばれてしまったから、後出しじゃんけんの逞を感じますから、お互い密約でお金の事を裏金で片づける積りだったのではありませんか?正直なところ?」
「違います。そんな命取りに成る様な事は致しません。」
「そうでしょうか?政治家は今貴方が言われたように命とりになるような事をついしてしまう族が多いのです。
それは貴方だって判っているではありませんか?これまでに国会議員の方で馬鹿な事をした事例を挙げてみましょうか?貴方の新党凌駕の野際誠一何て最たる例ではありませんか。
議長この件に関して更なる審議と事実解明をすることが必要かと思われます。今後も厳しく追及させて戴く事を言っておきます。再度の喚問をお願いしておきます。本日は持ち時間が来ましたから」
「判りました。協議いたします。」
「私の質問を終わります。」
「ねぇパパ国会で何が起こっているの?
疲れるでしょう?虐めっ子みたいじゃない。学校で見たのだけど政治家って悪い人が多いのね。それに意地悪な人も」
「瞳にもそんな事気になるのかな?」
「ええ、パパの仕事場だから、そりゃぁ気になるわ」
「パパね。今度の選挙は出ないから・・・誰にも言ってはいけないよ。毎日家で居てるから」
「そんなの嫌よ、うざいから」
「そんな事言うなよ。パパは楽しみにしているんだから。瞳もそんな風に思ってくれないと」
「兄貴は?」
「まだ言っていない」
「兄貴はもっと嫌がると思うよ」
「そんなものかよ。」
「でもパパ東京を離れるのじゃないでしょうね?」
「離れるよ。奈良へ帰るよ」
「いやよ、友達と別れなければならないの?」
「そうだな、でも向こうでも直ぐに友達なんかできるから・・・」
「いやだなぁ~そんなの」
「瞳、奈良にはねママのお爺ちゃんもお婆ちゃんも居てるし、パパのお爺ちゃんも居てるから、そうだろう。みんなお年寄りだから病気をしたら大変だから誰かが側に居ないと。」
「それもそうだね。ママのおばあちゃん、前に行ったの時は病気していたね。辛そうだったのおぼえているよ」
「そうだよ。みんな歳を取るとそんな風になってくるから。だから気にしているより奈良へ帰って側でいてあげるほどいいと思うから。瞳もよく考えてくれる。家族に困った人がいたらどうすればいいかって」
「そんな風に言われると瞳は逆らえないよ」
「そうだろ。偉い!流石パパの子だな。」
龍志のまだ小学校の娘までが国会で起こっている事に、関心を示すほどに醜いやり取りが繰り返されていた。
新党凌駕の元代表今池幸一は、証人喚問で終日重箱の隅に追い詰められるように成りながら凌いでいた。
ところが気苦労が積み重なり、高度の緊張感の中で終日を耐え、とうとうその夜、痛めていた心臓に負担が掛かり、絶対安静の診断のもとに入院し、二回目の証人喚問は未知数となった。
その時古参の国会議員の誰もが、十数年前自ら命を絶った厚生大臣倉木紀美の顔を浮かべて溜息をついていたのであった。
新党凌駕元代表今池幸一は、心臓病で緊急入院し、退院すれば証人喚問の重圧が待っていたが、入院したまま病気から解放される事なく、四か月の闘病生活の挙句、あえなく六十年の人生を奔流の如く閉じた。心労が命を縮めた事は言うまでもなかった。
「パパ、このおじさんみんなに虐められていた人でしょう?私学校で見た事あるから。震えながら質問に答えていたの見ていたから。虐められて虐められて其れで死んでしまったのね。可哀想に・・・」
「でもな、この人は悪い事をしていたから、それがみんなにわかると拙かったから嘘を言っていたんだ。それで嘘がばれてはいけないとまた嘘を言って、それで気を使って。嘘を言えなくなって・・・」
「パパも政治家だから嘘を言うの?」
「いやパパは言わない」
「絶対言わない?」
「絶対言いたくないから政治家を辞めるわけ」
「だったら政治家をしていたら嘘を言わなければいけないの?」
「そんな事もある。国民に心配掛けないように嘘を言う事もあるから」
「そうなの?」
「このおじさんはね、嘘なんかつきたくなかったの
に嘘を言ってしまった。親戚の誰かが困っていたから嘘を言ってその人を助けてあげた。だからこのおじさんはまんざら悪い人ではないんだよ。
困っている人を助けているんだから。瞳がね奈良のおばあちゃんが急に病気で困っていて、それで心配になって助けに行ってあげたけど、友達とその日は約束があって迷惑を掛けてしまった。
其れで友達が瞳を約束を破ったと怒ったとしたら瞳はつらいね。ばあちゃんの事を思うと仕方ない事だから・・・でも友達は瞳が病気になるまで攻めた・・・そんな事嫌だろう。辛いだろう。
でもな、このおじさんはそんな状態であったけど、皆から責められて虐められて、其れで死んでしまったんだよ。可哀想に・・・」
「親戚の人を助けようとしたんだこのおじさん」
「そう、だからパパはね。政治家ってそれでも人を攻めるから嫌になったんだ。それで人の為じゃなく自分の為に嘘を付く人も一杯居るから、自分が良かったら良いと思う人が、頭のいい人が多いのに、頭がいいからそうなるのかもしれないな。」
「だからわかりつつ平気で虐めるんだ」
「そうだね」
「パパそんな政治家なんて辞めれば」
「だから奈良へ帰ろう。瞳は前に奈良で住みたいなって言っていただろう。」
「そんな事言ったっけ。いいよ、パパがそうしたいなら」
「じゃあ決まりだな。あと三年が経てば瞳は高校生に成りその頃だな」
「いいわよ。」
新党凌駕元代表今池幸一氏が、病気患いの後急逝して追及の手を逃れ、野村総理も第二次野村内閣も九死に一生を得た。
国民党や若葉の党始め野党各党は、追及の大御所が倒れた事で、その手を緩めざるを得なかった。
自党の厚生大臣倉木紀美が、当時野党の新党凌駕の野際誠一に追い詰められ、自ら命を絶った重い禍根があり、責め切る事は出来なかった。
しかしそれゆえに十二億と言うお金が闇で動いた事は、覆す事の出来ない事実として残る事となった。当然四人の大臣を新党凌駕から選出された事も、国民を愚弄した事実として野村二次内閣に圧し掛かっていた。
「諄いですが・・・総理貴方はこんな事実があった事をどのように国民に説明されるのですか?
国会を何と考えるのですか?国会はゲームでも商取引でもないのですよ。神聖な議会を執り行う所なのですよ。
何か勘違いをされていないでしょうか?貴方は民政党の方でしょう?これまでの民政党は今されている事など一番嫌っていたでは在りませんか?
清廉潔白で私利私欲などない、表裏など全くない者の集まり、それが民政党の本来の姿ではないのですか?
貴方方はその様な言葉をこれまでどれだけ口にされて来たでしょうか?民政党がこれまで躍進して来たのは、その様な理念を言い続けて来たからではなかったのですか?あれは演技だったのですね?
我々は国会と言う神聖な場所で、貴方の様な狡猾な総理大臣や、その内閣と真面目に質疑が出来るでしょうか?
今こそ貴方方の内閣に不信任案を突きつけたい思いです。
それでですね、この十二億のお金は表ざたに成っていなかったら、国政新報に載っていなかったなら、はたして申告されていたのか、それさえも疑問ですね。何しろ裏取引であった事は言うまでもないのですから。総理その点を正直に答えて頂けますか?まさか機密費で処理なんてことは間違ってもないと思いますが?どうなのです?」
「野村内閣総理大臣」
「お答えします。あなたが言われるような事実はありません。わが党はきちんと収支報告をしていますからそれが何よりです。」
「それも国政新報の月刊誌に掲載されたから、慌てて出したのではないのですか?」
「いえ、そんな事はありません。初めから載せる積りでありました。」
「つまり新党凌駕の今池さんが勝手にやった事であると」
「そのように思っています。」
「本当にそれで良いのですか?また新党凌駕さんといざこざが起こるのではないのですか?」
「それはありません。何故ならこの選挙で私は前にも申しました様に、雨降って地固まると言う心境は何ら変わりが御座いません。
一日も早く遅れてしまった審議に取り掛かるべきだと考えます。」
「ならば貴方がこれまでしてきた事に対し、反省をする必要もないと、総理大臣はこれ仕切りの事に反省など必要がないと言われるのですね?」
「待ってください。何度も言っていますように、政府も民政党も何もかもを公にしています。偶々国政新報さんが記事にされこんな事になりましたが、あの記事が無かったなら誰にも分からない事。
今池さんが十二億のお金をどの様にされたのかは、我々の知る所ではなく、法に触れる事なく処理されればよい事で、貴方が言われるように大きな問題とは思っていません。
我々がした判断は、言わば政治をするための潤滑油であると考えています。どうかご理解くださいまして一日も早く本来の審議に入るようにお願い致します。」
龍志は平然と受け答えをする野村総理を見つめながら、心の中が次第に冷めて行く事を感じていた。 「これが政治なら俺はこの場で居座る事はない。これは一人の人間として無駄な時間を過ごす事に成りそうだな。
野村先生は俺の届かない所へ行ってしまった・・・何時の日か大学へ来られ、目を輝かせて話された事はまるで別人のセリフと成った。
民政党もそして新党凌駕も、国民党も若葉の党も緑の党もみんな同じである。
同じ穴の狢である。もしかしてこの人たちは五百人の劇団ではないのか?悪役が居り、正義の味方を思わす演技上手が居り、法の番人に見せかけたセリフを言う役者が居り、幕が下りれば誰もが肩を組み合い、お酒を飲み交わし、どんちゃん騒ぎが始まるのではないだろうか、
国民党が政権を担っていたころ厚生大臣の倉木紀美が自殺をしたのは、まだ大臣に成りきっていない若輩者で、しかも政界の水に馴染んで居なかったからで、言わばそれは俺と同じで、当時問題に成った年金流用問題をまともに受け止めたからであった。
それは今起こっている問題に比べれば小さな出来事であった筈が、倉木紀美は重く受け止めてしまったわけで、それで自ら命を絶ったわけである。
この事は何枚も上の役者であった新党凌駕の野際誠一に、思うように利用され生贄にされるように曝されたからであった。
この事実はこの俺でも考えられ、行く末何か役を頂く事になり、俺に万が一掛かって来たなら、同じ事が起こる事も考えられる。俺には力がないだから俺は政界を去るべきであると思う事は、間違っていない筈・・・
辞めよう。こんな世界なんて・・・俺が尊敬し慕ってきた野村健三先生はもうどこにも居ない・・・」
龍志は野村総理と国民党の元代表本田壮一のやり取りを聞きながら、椅子に深く腰を掛け、ずしんと重い体と心を感じ、目を瞑りながら行く末を考えていた。
それから僅かの間に父信也の住む実家の奈良へ向かっていた。
「久しぶりだね。」
「お帰り」
「俺の部屋は昔のままだね。」
「そうだな、龍志が大学の時に出て行ってからその儘にしてあるな」
「この家では俺は昔の儘だね。あれから二十数年が過ぎているのに、まるで何も変わっていないね。」
「どうした龍志?」
「いやぁちょっと疲れたね。」
「それはこの前言っていた政界の事や野村さんの事で?」
「まぁそうだね。政治って言うか、何もかもが」
「お前さんはそんなに初心うぶな男だったのか?もっと大人に成らないと。この前電話で言っていた事を今でも引きずっているんだな?」
「そうだね。」
「でも前にも言ったように、そんなものだって事を認識しないと持たないぞ」
「でもこの儘政治家を続ければ、俺は何か大きなものを見失った儘で生き続ける事に成りはしないかと思うようになって」
「それは何をかな?」
「それはわからないけど、でも間違いなく何かを忘れたままで生きて行く事になるように思うんだ。
俺の長い人生で失われた時を過ごす事に成るような、そんな気がして」
「龍志は大学の時から政治に興味を持って今日に至っているのだけど、本当に政治に興味があったのか今に成って疑っているのじゃないのか?
訳も分からない儘に政治に邁進していたのかも知れないなぁ。」
「あの時はそれが一番だと思ったよ。躊躇する事なく」
「それが今に成ってどうしてって事だな?」
「だから醜いものを見てしまったって言うか、其れで何よりも抵抗を感じるのは、これからも同じ事を繰り返さなければならないって事だと思うんだ。
其れって流されるって事だと思うよ。国政新報の編集長が言っていたように、政治家は流されればいいって、それが組織であり政治家であるって・・・でもそんなの嫌だから」
「しかし父さんは今までいろんな選挙を見てきたけど、選挙の度に買収とか常に囁かれた候補も随分いたからな。
それは奈良県だけじゃなく全国的に。つまり通れば官軍で負ければ賊軍ってやつだな。
そんな人が政治を司っていて、其れでも有権者は噂の絶えない人を選ぶのだから、いい加減なものだよ」
「でも父さんはそんな現実をどのように思う?」
「そりゃぁ嫌だよ。不公平だし悪さの出来る奴が勝つような感じで、
しかしそんな事を繰り返して居たからなぁ。それでもいつの間にかそんな際どい事をして来た者でも二期になり三期に成れば立派な先生だから、
いつの間にかそんな過去があるとは誰もが思わなく成るって構図だよ。
それが政治家って奴だなぁ」
「でも俺はそんな風に成れないよ。元々きわどい事なんかして来てはいないけど。」
「それでどうするんだ。これからの事を」
「亜紀にも相談したら好きなようにすればって」
「そうか・・・そんな風に言ったのか?代わりに出ようかとは?」
「それは出来ないって」
「そうだな有権者を馬鹿にするようなものだな」
「そうだよ。そんなに甘くもないし」
「それでこれから何をしたいと思うんだ龍志は?」
「地産地消を考えているんだけど」
「それって百姓って事かな?」
「そう、民政党は、特に俺は農林水産省絡みで、その分野を任されていたので関わり合いになる事が多くて、それでつい野菜つくりに特化していたからそれもいいかなと常日頃から思っていて」
「父さんは全く知らないから、龍志がまさかそんな事に興味があるとは驚きだなぁ。其れで野菜を作ったり果物を作ったりとか?」
「そうだね。これからの人生はそんな事をしたいと思っている。」
「政治には全く興味がなくなったと?」
「そんな事はないけど、今の体制は俺には会わないと思うし、正直許せないと思う。凛としたものなど何所にもない状態だから、其れなら汗を流してでも本音で真面目に生きたいと俺は思う。」
「龍志が今まで生きてきて見つけた結論ならそれもまたいいのかも知れないが、これまで関わってきてお世話に成った人たちには、間違っても恩を仇で返すような事が無い様にな。」
「そうだね。任期中は責任を全うするよ。」
「それで亜紀さんには話したようだけど野村総理には言ったのか?」
「いやまだ」
「きちんと言うんだぞ」
「解っている。これからの残された時間で言えばいいのだから問題ない。」
「そうか、決意は固いのだな。」
「あぁ硬い。こうして帰ったのも決意したから」
「そうか・・・」
それから龍志は人気期間中の間は議員として滞りなく職務を全うした。
そして政治家を卒業して家族諸共奈良県斑鳩に戻った。長男は東京の大学へ行く事が決まり、妹の瞳は父が通った奈良の高校へ通う事になった。
帰るや否や、政界で四期にも渡り議員を務めてきた龍志を誰もが放っておかなかった。
龍志の心の内を知った農業関係者が提案したのは、近い将来国道筋で大々的に農産物の即売をしたい旨を聞かされたのである。
全くの素人の龍志であったが、数人で力を合わせて野菜や果物作りをやってくれないかと言う事であっった。
更にその中には農作物を作るベテランもおり、技術面では問題無い事も聞かされた龍志は、その話に飛びついたのである。
それは政治家として得た経験から、多くの事が役に立った事も事実で、二年余りの歳月が流れ気が付けば大きな畑で、仲間たちと野菜を作り果実を栽培している龍志があった。
龍志が四十五歳になり、父信也は七十を迎えていた。長男亮は大学三年になり、父龍志が家を飛び出し野村健三の元へ居候して、政治の世界に闇雲に飛び込んで行った年齢になっていた。
妹の瞳は高校三年になりすっかり女の色気を醸し出していた。妻亜紀はこれまで政治に関わっていた女性とは思えないほどに、汗と土に塗まみれていて、それが妙に龍志より似合っていた事は、もともとボランティアに勤しんでいたから頷けた。
龍志は政界で農林水産省の関係に係わっていた時期が長かった事もあり、何かと彼がすれば誰よりもスムーズに事が運ぶ事が多く、次第に百姓としてはまだまだであったが、それなりに頼られ力を付けていたのである。
農産物即売センターがいよいよ出来上がり、龍志たちの品物は【斑鳩菜園】と名をつけ、係わっている八人の家族共々の写真入りでテーブルの上に品物が並べられた。
即売センターがいよいよオープンとなる前日、祭り事の様に関係者が集まり、理事長の挨拶が始まり和気藹々で時が流れていた。
夢と希望が叶えられた事で、これ以上ない笑顔をみんなが表わしていて、それは不景気な時代を打ち消す勢いであると誰もが感じていた。
龍志はこれまでの経緯を思い出しながら、感無量で紙コップのビールを飲み干しながら周りを見渡していた。
多くの方が近づいて来て次々と龍志に声を掛けるのは、やはり四期もの間議員を務めたからで、それを惜しんでの声であった。
しかし今こうして野菜を作って汗をかいている事の喜びを伝えると、誰もが否定などしなかったし、それが逆に親しみを感じてくれる事が嬉しかったのである。有権者と候補者と言う様な関係より、仲間であると言う立場が、それまでには無かった喜びである事が嬉しくなって来て、ほくそ笑んで居たのであった。
まだ夏の日差しがきつい時であった。
大きな葡萄を提げて老人が「これはうまい」と甲高い声。その声を聴いた龍志の仲間が、「貰ってきましょうか?今日は無料で貰えますから」と勢いよく葡萄が置かれた場所へ行き、何房も抱えて帰ってきたので「怒られませんか?」と何方かが心配そうに口にする。
みんなが葡萄を食べてその粒の大きさに満足顔が更に目を大きくさせて「これはうまい!」「これはうまい!」とだれもが感嘆する。
「どこで作っているの?」
「野際果樹園って書いてあるね」
「野際?」
龍志はその名に少しであったが気になった。
「でもこれは本当にうまいな。」また誰かの声
その時五十前位の男が近づいてきて、
「皆さん試食して戴けましたか?有難うございます。生産者の野際と申します。」
「いやぁ実においしいです。こんな大きな粒も見た事がないくらいで」
「こんな立派な葡萄、土産にあげれば誰だって喜ぶと思いますよ。これは売れますね間違いなく」
「はい、ありがとうございます。」
その時龍志は信じられなかったが、高校生の時同じクラスであった野際聡であるように思えた。
しかしそれは口に出来なかった。
両親が殺されたその息子である事など、大勢が居る中で口にする事など御法度であった。それでも龍志は気になって仕方なかった。
野際と言う姓で葡萄を作っている事は、まして顔立ちは高校の時の顔に相当似ていて、とうとう苦しくなるほど気に成って来た。
それは葡萄を口に入れながらその味は全く分からなくなる程の戸惑い様であった。何も話せなかった。目も逸らした。
みんな葡萄を口にしながら野際果樹園の生産者が去って行ってからも、誰も野際とは誰であるのかと口にする者は居なかった。
それは知ってか知らずか龍志にはわからなかったが、おそらく七人の仲間の中には何もかもを知っている人が居る事は考えられた。
両親が二人とも銃殺された痛ましい事件であった事で、逆にその事には触れる事さえ許されなかったのかも知れないと龍志は思えた。
翌日農産物即売センターはグランドオープンし、大盛況となり、それから毎日途切れる事無くお客がやってきて、野際果樹園の葡萄も最盛期を迎えて、その数もうなぎ上りに陳列に並ぶようになった。
オープンして五日が過ぎた時、龍志は軽四輪で野菜をてんこ盛り積んで、即売センターで荷物を卸していると、そこへあの葡萄の生産者の野際果樹園の店主が来て
「やっぱり相沢君だ!相沢君だ」
そう言って笑顔で龍志に近づいてきた。
「えっ、まさかやっぱり野際君?」
「そうだよ。落ちこぼれの野際ですよ。司法試験に何度も落ちて今や葡萄つくり、その野際ですよ」
「そうだったのやっはり」
「やっぱりって相沢君はわかっていたの?私の事を?」
「初めて見た時、あの葡萄を試食させて貰った時に」
「そうだったの?でも声を掛けてくれなかったから、
声を掛けてほしかったな。私はついさっき初めて気が付いたよ。まさかと思いながら、でも君は選挙に出ないことを聞いていたから、少し気になっていて。
でもまさかこんな形で会えるなんて奇遇だね。其れで野菜を作っている訳だ。議員より楽しいわけ?」
「そうだと思う。でもその話は・・・」
「相沢君気にしてくれなくってもいいから。私は心の中では整理がついているから。それにこうして田舎へ帰って荒らされていた畑を綺麗にしたから、だから気を使ってくれなくってもいいから」
「そうだったの。其れでいつ東京から?」
「何時って言われても。もう何年にも成るな。勿論両親が亡くなってからである事は間違いないけど司法試験に七回ほど落ちて、それでこちらでは色んな事があり、それからだからもう随分に成るね。でも今は立派な葡萄も出来、イチジクも春になれば出来るから、来年の春は楽しみにしているよ。
枝豆とかも作る予定だから競争だね。」
「そうなんだ。野際君も今は楽しく生きているんだね。良かった。」
「相沢君、君も僕もこれ迄いろんな事を経験して、今同じ道を目指すなら話が合うかも知れないと思うよ。今度我が家へ来てくれないかなぁ。将来の話をしようよ。」
「いいですよ。近い内に。俺百姓の事たいして何もわかっていないから」
「でも仲間にベテランが居てるのなら問題ないだろう。」
「ええ、それは」
「ではまた来てね。楽しみにしているから」
「ええ喜んで」
龍志は農園に戻り仲間たちに野際果樹園の親方と話し合っていた事を口のすると、年配の村越が、待ってましたと言うようにこの様に口にした。
「龍志さん、野際さんって貴方もよく知っていると思うけど、あの人の両親が昔二人とも殺された事を。」と口にすると、それに驚いたのは龍志以外のまだ若い仲間達で、目の色を変えて村越の顔を見たのである。
「殺されたってそれはいつの事です村越さん?」
「そうだなぁ十七、八年前になるかなぁ。もっとかな?はっきりは覚えてないけど」
「その息子さんとなると大変だったでしょうね。お母さんもでしょう?お気の毒に・・・」
「でも今は立ち直ってあんなに美味しい立派な葡萄を作っておられるのですから立派なものですね。」
「僕親父からそんな事聞いた事あります。うっすら思い出して来ました。まだ小学生にも成っていなかった頃と思います。」
矢継ぎ早に誰もが口にした。
それほどショックな事件であった事は言うまでもない。
龍志はみんながしゃべりだしたから暫く黙っていたが、村越の顔を見ながら、
「実は俺野際とは同級生で、先日センターのオープン前に出会った時は驚きました。高校の時だから二十数年ぶりだったから。
それであいつの両親が殺された事は百も承知で、だからあの時気が付いたけど顔を見るのが辛くって、それで黙っていたのだけど、今日こうして出会って話をして、それでこれからも仲良く付き合っていく事を約束したわけ。頑張ろうって。あいつ弁護士を目指していて、東京で頑張っていたのだけど、旨く行かなかったようで、でもこうして立派な葡萄を作って凄いと思うな。」
「でも龍志さんが同級生だなんて驚きだな。流石国政を目指す先生はどこかが違うね。
私たち国会議員さんと仕事をしていると思うと嬉しいね。」
「村越さんそれは買い被りですよ。俺国会ではあまり役に立たなかったから、買い被らないで下さいよ。一兵卒ですよ。」
「其れでその事件はどうなったのですか?犯人は逮捕されたのですか?」
「あれはね、事件があってから十年ほど経ってから二人の犯人が見つかったんだっけ。龍志さんはよく知っているね?」
「ええ、大阪で二人犯人が捕まって、一人は癌で間もなく亡くなり、一人は懲役九年の刑で刑務所で服役しているか、刑を終えたのならどこかで暮らしていると思うな。」
「えっ?二人も殺してそれでたったの九年の刑なのですか?」
「九年の刑の犯人は手を下さなかったから、実行犯はもっと長い筈であったけど、警察病院で亡くなったから、被疑者死亡で裁判になるまでに死んでしまったわけ。」
「ではなぜ殺されなければならなかったのですか?奥さんまでも・・・」
「それはあの人のお父さんは政治家で、俺も国会に行っていた時はお父さんから励まされた事もあったよ。まだ議員に成って居ないころ
でもお父さんは新党凌駕に籍を置く政治家で、辣腕と言うのか兎に角やり手で、でも欠点はお金に目が眩むって言うか、利権とか好きな人で、
生前中はとにかく噂の絶えない人だったな。それも黒い噂が・・・インサイダ~取引とか賄賂とか、そんな事の繰り返しだったと思うよ。
其れで何回も新聞に載り週刊誌を賑わせ、奈良県庁の土木部が絡んだ汚職事件で、とうとう警察に捕まって身柄を拘束されたけど、その後直ぐに拘置所から仮釈放されて自宅へ帰った所を、どこかの誰かに殺されたわけ。全く野際さんとは面識のない二人に。」
「それで奥さんも殺されたのでしょう?」
「そう、犯人は奥さんにも罪があると言って殺したようだよ。同罪だと。拳銃で後ろから頭をぶち抜いたと書かれていたね。その後犯人の自供では、旦那つまりあの方のお父さんの口に拳銃を突きつけて、銃口を咥えさせ、それで引き金を引かせて殺したと言う話だよ。」
「へぇ~そんな惨い事をされたのですか?」
「そうだね。当時はそりゃ悲惨な事件だったから、大和川沿いは警察の車両で数珠繋ぎに成っていたね。」
「怖くなって来ました俺。」
「だから、野際の息子さんは聡さんって言うのだけど、立派なものだと思うよ。中々帰り辛いからね。幾ら大きな家だったとしても。それに荒れていた農園を立派に立て直して」
「では善し悪しはともかく、お父さんはやり手だったのでしょうね。息子さんも立派なようだから。
それで龍志さんは、野際さんと同じ国会議員として肩を並べた事もあるのでしょう?」
「いや、俺が議員になった時は野際さんはもう居なかった。だから俺の嫁が議員に成れたと思うよ。野際さんは北地区では断然強かったから。」
「でも殺された・・・国会議員になっても辛い事も色々あるんですね。まるで群雄割拠の趣ですね。」
「そう嫌な事も見なければいけないし、間違っていると思っても、正しいと言わなければならない時もあるからね。
でも俺そんな法則がある事が許せなくなって、それで議員を辞めたわけだから」
「つまり善と悪があるけど、それが悪と思っていても、賛成に回らなければ成らないって事ですか?」
「そうだね。」
「では龍志さん、こうして野菜を作っているほど楽しいでしょう?」
「まさに、変な気を使わなくってもいいから。だから辞めたんだよ」
「その様ですね。」
「みんな龍志さんはね。総理に三下り半を突きつけて政界から去ったんだよ。知っているかい?」
「三下り半を突きつけて?総理大臣に?」
「そうだよ」
「村越さんそれは大袈裟ですよ。」
「でも龍志さんは、総理が心の奥で考えている事が卑怯に思え許せなかったから、嫌気がさして、心の中で総理に貴方には就いていけませんて言ったんだろう。初めて龍志さんと出会ったその日に言っていたじゃない?」
「まぁそうですが・・・」
「なぁみんな、龍志さんは総理大臣に文句を言う男だから、その龍志さんが私達と野菜を作ってくれているから感謝しないとなぁ」
「止めて下さいよ村越さん。俺土をいじくって汗を流す事に憧れただけですよ。それにまだまだ新米ですから皆さんこれからもよろしくね」
和やかに話は弾んだ。
「でも龍志さん何故野際さんのお父さんは殺されなければいけなかったのですか?どこの誰かもわからない人に?」
「それは犯人は野際さんが一億円の保釈金を瞬時に積んで仮釈放された事が、気に入らなかったんだろうね。そんなお金誰でも持っていないのが当たり前だから、黒い噂が何度も起こっていた野際さんに、言わば鉄槌を下したかったのだろうね。
其れに金庫にもまだお金が相当あると判断したと思うよ。仮釈放に成り、犯人達は野際さんの自宅を見張っていて、其れで犯行に及んだ。取り調べではそのように供述していたと思うよ。
俺が思うに野際さん夫妻の殺害は、マスコミで取り上げられて、その内容が事実であれマスコミの早合点であれ、誰もが目にし耳にするだろう。
そこで腹の虫の居所が悪かったなら、或は生きていても何ら面白くなかったなら、当然お金が目的だったら、あんな事も突発的に起こりうる出来事だとあの時は思ったな。マスコミって怖いなと」
「だから龍志さんは政治は無責任でも、私利私欲があってもいけないものだとこの前も言っていたね。」
「ええ、そうだと思いました。辣腕でも悪い事も出来ると成ると、それは公人として許せない事だと」
「だからそんな族が忘れたころに生まれる政界が嫌になったんだったね。その代表が野村総理大臣って事だね。」
「その通りです。村越さんの言われた事が全てです。でもどんな悪さをする親が居ても息子さんには関係ない話。まして聡さんは立派に葡萄園を建て直し、あんな大きくて美味しい葡萄を作っているのだから、彼の心の内を思うと尊敬に値すると思うな」
「そうですね。誰もが経験しない事を経験されたのですからね。辛かったでしょうね」
「でも今日会った彼からは、そんな影など微塵とも感じなかったよ。むしろ幸せそうに思えたな。また一度来てくれって言っていたから、いつか行かせて貰おうと思っているんだ。色々話は尽きないと思うよ。」
「政界の話ですね?」
「そうではなく人間としてどうあるべきか、俺も政界に見切りをつけてこうして土をいじっている事を思うと、それに悪評が流布する実家に帰ってきた彼の勇気を思うと、積もる話もあると思うよ。
だから言い方が悪いけど楽しいと思うよ。」
「なるほど・・・」
休憩時間は野際果樹園の話で全てであった。
秋も深まり葡萄の季節も終わり野際果樹園の即売コーナーは栗や柿が並べられ、葡萄の評判が良かった事で常に盛況であった。
龍志たちの作る野菜も評判がよく黒山の人盛りであった。
そこには活気と笑顔が絶える事なく飛び交い、大盛況の内に三か月近くが流れようとしていた。
年が明け何とか落ち着いて来た時、勿論季節が真冬であるから幾ら忙しいと言っても、ハウス栽培だけであったから、それに燃料代も高くつく事もあり、大々的にはまだまだ出来なかったので、全く何もない野際果樹園と迄も成らなかったが、龍志の通う斑鳩菜園の出店も品数が徐々に少なくなり、とうとう閑古鳥が鳴き出した。
龍志は仕方なく暇を利用して、いつの日か野際聡と約束した事を実行したのであった。
「暇で時間を持て余し、前に約束したように来させて貰いました。」
「やぁよく来てくれたね。私も暇で暇で。それで今閑散期の事を考えている最中です。どうですかハウスの方は?」
「おかげさまでイチゴなどは順調ですが、何分燃料代が高くてはたして採算が合うのかそれが心配で。
センターは価格の安い事で売っているから、ハウスの様な物は生産コストをつり上げるので、まだ一年も経っていないから皆訳わからずやっていますよ。」
「私も収支のことを考え、何かと思っているけど、でもよく考えないとね。墓穴を掘るような事は出来ないですしね」
「聡さんなら間違える事ないと思うよ。だってあの葡萄は誰でも出来ない味、内の菜園でもみんな、以前に試食させて貰った時の事を、今でも美味しかったと言っているから。あれからも買わせて頂いていますよ。」
「そうですか、有難うございます。でも龍志君はよく思い切ったんだね。政界で居れば楽だったのに」
「いやぁ土ですよ。土には真実があるって事ですよ」
「成るほどね。言っている意味が解るような気がするな。私も今年でこちらへ帰って九年目か十年目だから、何とかその意味解ります。」
「いやぁすみません。俺のような素人が生意気な事言って、でもずっと思っていたなぁこんな生き方をしたいと。政治の世界に入ったものの心のどこかで土が生きていたと思うね。土をいじり汗が流したかった。」
「そうだったの。じゃぁ望みが叶って今は幸せなんだ。」
「そうだね。それにしても立派なお家だね。高校生の頃聡さんから誘われた事あったの覚えているけど、その頃からこの家があったのかな?」
「ああ、この家は爺ちゃんが建てた家。だからもう随分なるね。それに・・・それにこの家はいろんな事があったからなぁ・・・」
「そうだね。辛かっただろう?」
「そりゃぁ人並みには。でもしょうがないよ親父はあんな人だったから。」
「でもね。聡さん俺まだ若いころ国会へ毎月のように行っていて、それは今は総理大臣の野村議員の鞄持ちをしていた頃、国会でお父さんに『頑張れよ』って励まされ、その時聡さんの事も言っていた事覚えているよ。
東京に来ている事も知っていたから、機会があればと言った事も覚えているよ。
お父さんはね、そりゃ後光が差してって言うか、溌剌としていて、そりゃぁ風格があって握手をされて俺汗が滲んでいたのを今でも覚えているよ。
今でこそ野田総理は大きく成ったけど、あの頃は君のお父さんの方がどれだけ大きな人物であったか」
「そうなの。親父の事をよく言ってくれる人など政界には居ないと思っていたけど、龍志君がその様に言ってくれるだけでお世辞でも嬉しいよ。」
「聡さん、今頃言って失礼かも知れないけど、お父さん、それにお母さんに線香をあげさせて貰えないかな?」
「ええ、そうしてあげて下さい。父も喜ぶから」
「いやぁ、この事は黙っていようと思ったのですが、でも本当はそうしたかった。俺にとって野際誠一さんは名もない青二才の俺に握手をして下さって、元気づけて下さった人以外の何物でもないのですから。有難うございます。では」
仏壇に案内され、手を合わすその向こうに、野際誠一の姿が浮かんできて、心が熱く成ったその頃の事を思い出していた。
龍志は江戸時代から続いていると言う変な形の位牌の説明を受けながら、しばし仏様の前で座り話し込んでいた。
奥様がお茶を持ってきて龍志を愛想よく迎えたので、その未だ若さのある奥さんに、
「お若いですね奥さんは?」とつい口にしてしまって、そして二人の顔を代わる代わる見た。
「何とかお嫁さんを貰えました。これからも嫁共々よろしく」
「はいこちらこそ、聡さんは結婚されたのはいつ?」
「まだ数年前で。妻はまだ三十前で」
「そうなの。それはよかった。お若い方と・・・おめでとうございます。」
「何とか人並みに所帯を持てました。妻はまだ若いのに割りと今の仕事を気に入ってくれて、ちょうど龍志君が言っている様に汗をかいて土を触って、そんな事が好きみたいで」
「そうですか奥さん、実は私も同じ事を思っていて今頑張っているのです。」
「そうですか。お二人の話し声が聞こえてきて随分仲が宜しい様で、まるで幼馴染のように思えてきました。」
「そうだよ。龍志君とは高校の時のクラスメートだから」
「やっぱり。この人はあまりそんな事話がらない人で、大変失礼いたしました。」
「こちらはね。同級生で相沢達治さん。斑鳩菜園をされるまでは国会議員だったんだから」
「国会議員?やはりあのポスターの方ですか・・・でも何故?」
「だからお前さんと同じで土が好きで汗を流すことも好きで」
「そうでしたか~奇遇な人も居てるのですね。」
「そうですよ。聡さんにもそう言われました。まぁ奥さんこれからも宜しくお願い致します。何かとお世話になると思います。何しろ聡さんはベテランですから」
「いえこちらこそ議員先生」
「いやぁそれは言わないで下さい。新米の百姓家ですから。」
「まぁこれからはお互い知恵を出し合ってセンターが繁盛するように頑張りましょう。」
「ええ、」
「せっかく来られたので久しぶりにお寿司でもとって、凌ちゃん出前を」
「はい。」
「お構いなく・・・いいですね。聡さんは凌ちゃんってまるで高校生の頃を思い出すなぁ」
「何しろ歳が離れているからつい甘えたような言い方をして」
「そうか・・・奥さんを店で見た時、娘さんかアルバイトの子だと思ったんだろうね。もしかしたら今始めてではないですね。」
「ええ、嫁も何度も店に顔を出しているから」
「そうでしたか。まさか奥さんだとは気が付きませんでした。そうでしたか・・・」
それから仏様の側から離れようとしながら、似つかない大きな箱が座布団の横に置かれていて、可也の手紙らしきものが入っている事に気が付き、その中からNPOと書かれた文字を見つけた龍志は、
「これは何なのです?みんなNPOって書かれてあり、変な消印が押されていて、何かしているのですか果樹園をしながら」
「いやぁそれは親父の」
「お父さんが何かを?」
「まぁそれは家族だけの事で、だから言わないほど良いかと」
「そうですか、余計なものを見てしまって・・・でも気に成るなぁ、でもここへ置いてあると言う事は、言わば奉ってあるわけでしょう?それってNPOって言うと、何か奉仕をしたとか、世の中の役に立っているとか、その様な事ではないのですか?」
「まぁそんなもので・・・」
「お父さんが?」
「ええ」
「でも?其れって奉仕とか?」
「まぁそんなもので」
「お父さんが?でも常に変な噂の絶えなかったお父さんが?一体何を?」
「仕方ないなぁ、龍志君、君だけに言っておくよ。誰に言うより龍志君なら、父さんの事も若い時から知ってくれていたから」
「うん聞かせて」
「その箱はね。世界中からNPOに来た手紙なんだ。
親父はね、生前世界中の国の病院に寄付をしていて、それもNPOを通じてしていたらしく、常に匿名だったようで、爺ちゃんの時代から続いていたらしいけど、絶対誰にも言わなかったと。
それが皮肉な事で、父があんな形で亡くなり、寄付を送れなくなり、事情を世界中の国に話すと、その時悔みの手紙が来て、勿論匿名で続けていたからNPO留りだったらしいけど、NPOの関係者がこれを保管していて下さり、それで何もかもが判ったんだよ。」
「じゃぁ聡さんもそれまで知らなかったんだね」
「そう。親父が普通に生きていて往生していれば、何時の日か生きている時に知らされていたかも知れないけど、それでこれからも私に出来るだけ続けて貰いたいって言われていたと思うな」
「待って、本当にお父さんの話だよね?野際誠一さんってそんな人だったって事?疑って悪いけど」
「そうみたい。信じられないだろう?」
「あぁ悪いけど・・・まさか・・・これ見せて貰ってもいいかな?」
「ええ、見て」
「みんな英語かな。読めない字もあるね。アフリカとかインドネシアとかフィリピンとかマレーシアとか
これは・・・あぁ読めない。スリランカそれにジンバブエ、これは・・・読めない・・・これはブラジルかな?」
「びっくりするだろう。みんなお礼の言葉と悔みの言葉それに偲んで下さっている言葉なんかが書かれているようだよ。
親父はね、匿名で寄付を送り、世界中の病院で薬が足りない所へは薬代送り、病院自体が無い所へはまずその設備を作る資金を送り、どれだけ役に立ったのか知らないけど、こうして世界中から手紙が来ていると言う事は貢献していたと思うな。」
「さっきお爺さんの時代からって言っていたね。」
「そう、おじいちゃんが政界に立ってからだから、何十年にも成るかな?随分長い間匿名で寄付をしていたようだね」
「何があったのか、聡さんには何も判らないんだ?」
「判らない。ただ仏壇に一番小さな位牌があるだろう。それって親父の兄が居て、それで直ぐに亡くなったと聞いているね。」
「でもお父さんは誠一って名前だったじゃない?」
「そう、でもいつか聞いた事があったけど、本当は親父が次男で長男が居たって聞いた事あるなぁ、だから親父は生まれ変わりだったって。」
「それで誠一って名にされたのかな?」
「はっきりは知らないけど、直ぐに亡くなったお兄さんて人は、おじいちゃんが何か責められるような事をして、それが原因で罰が当たり亡くなったとか聞いているよ。何かは聞いていないけど」
「それでおじいさんが後悔するようなことがあって、自責の念に駆られてとかで、寄付を始めたと言う話かな?」
「そのように思うな、とにかく懺悔したい気持ちだったんだろう。取り返しの付かない事をしたのかも知れないし・・・」
「だから誰にも言わず最後まで匿名で続けたんだね。更に息子にも同じようにするように遺言を残して」
「ええ、そうだと思うな。でも息子である親父も急に死んでしまって、それでNPOが関係者に、これからは今まで通り寄付が出来なくなったと伝えると、こんなに手紙が来て。
長年の間の出来事だったから、箱の下の方には昭和の半ばからの手紙も入っているよ。みんなお礼の言葉らしいね。字は読めないけど。それにNPOの方も律儀に全部保管してくれていたから、野際家の一番の宝かも知れないね。いや、違うな!これを宝なんて思ったらいけないな、親父が怒るかも知れないな」
「でも宝ですよ。聡さん、凄いお父さんだね。凄い!本当に凄い!野際誠一さんって本当に凄い。」
「嬉しいです。龍志君にその様に言って貰えて」
「でもどうして?」
「何が?」
「だからお父さんは決して良い噂など無かった人。
起死回生のこんな事実があるのに、誰もが知るべきだよ。みんな間違った事を思っているから、其れも善からぬ事を思っているから・・・
これを日本中の誰もに見てもらうべきだよ。」
「でも親父はそんな事望んでいないと思うから、嫌われてもどんな風に言われても、気にしていなかったから、そりゃぁ私は子供の時から嫌な事を言われたし、辛い事もあったけど、でもお爺ちゃんのころからだから慣れてしまって」
「そんなものかなぁ?変だな?そんなのおかしいよ間違っているよ。」
「ありがとう龍志君。でもいいから・・・」
「あなたご飯の用意ができましたから」
聡の妻の声であった。
仏様を再度睨むように見つめながら合点がいかなくなって龍志の心は苛立っていた。
「父さん俺今日ね野際さんの家に行ってきた。其れで昼ご飯をごちそうになって色々話したよ。野際さん結婚して若い奥さん貰ってまるで新婚さんだった。」
「そうか、同い年の息子さんだな。」
「そう高校の時のクラスメート」
「じゃぁ最近になって結婚したんだな?」
「ええ、そうみたい」
「息子さんも果樹園していて頑張っていると言っていたけど、良かったね、何とか幸せになれたのなら」
「そうみたい。」
「それでもお父さんの事を思い出すだろうが、耐え忍んでいるんだろうね。」
「父さん、父さんも俺もおそらく亜紀も、世間の人たちもみんな大きな誤解をしていたと思うよ。」
「藪からなんだね?」
「実はね。俺野際さんへ行って、とんでもないものを見せられたんだ。それはNPOに世界中から来ている、実際は野際誠一さん宛ての手紙なんだ。」
「NPOに手紙?」
「そう、世界中からNPOに手紙が来ていて、それは全部野際さんに出されていたもので、丁度ミカン箱ほどの箱に入れられていて、仏壇の前に置かれてあったんだ。お供えするようにして。
それで俺、それって何なのって聞いたら、野際さんがNPOを通じて親父に来た悔みの手紙とかお礼の手紙とか、そんな内容の手紙って言うので、差出人を見てみると、世界の国々から、アフリカとかスリランカとかインドとかマレーシアとか、いや数えきれないほど来ていた。」
「それって一体何なのかな?」
「だから野際さんは生前に、NPOを通じて匿名で寄付をしていたようだよ。世界の病気の子供たちを救う為に。
それも野際誠一さんだけじゃなく、お爺ちゃんの時代から続いていて、何十年も寄付を続けていたようだよ。
野際君も実はその事は全く知らなかったらしく、親父さんがあんな死に方をされ、世間では悪党のように報道され、おそらくNPOの方が堪らなくなって、お父さんに言われていた絶対匿名にと言う約束を破って、聡さんに手紙の事を話されたようだよ。
だから聡さんもそれまでそんな事実がある事など全く知らなかったから、彼は彼なりに聞き捨てならない嫌な噂を耳にして、世間狭い思いをさせられ、更に東京で司法試験に何度も受からなかった事もあり、帰る家の無い複雑な思いで苦しんでいた様だよ。でも真実ってとんでもない所にあるんだね。」
「まさか野際さんが・・・あんなに叩かれながら生き続け、最期は殺されてしまって・・・なんて事・・・
一体それは何?・・・龍志本当だな?間違いないな」
「ええ」
「じゃぁ父さんは人を見る目がないな。大きな間違いをしていたな」
「みんなだよ。其れで野際の奥さんもその手紙を見て相当泣いていたって、聡さんら二人で泣き続けた日があったって。
野際君は親父さんの事をずっと胡散臭いと思い嫌っていたんだと言っていたよ。
お父さんが亡くなってから間もなく、東京でくすぶるように暮らしていた聡さんの元に NPOから手紙が来て、とにかくお渡ししたいものがあると言う事で、それがその手紙だったってわけ。
野際君それから奈良へ帰る決心をした様だよ。九年近く前に、それから荒れ果てていた畑を耕し今に至っているようだよ。お父さんの事を話したのは俺が初めてだって、そうそう奥さんには言ったが、実家にも黙っていてほしいって言ってあるようだよ。」
「その聡さんて友達も立派な男だな。誰にも言わずに今になって初めてお前に言ったのだろう?」
「そうかも知れないね。我慢強いって言うか」
「申し訳ない事をしたなぁ私とした事が」
「どうしたの?」
「いやぁ父さんなぁ・・・父さん野際さんの近くまで行って、態々野際さんの悪口を言った事何回かあったな。新党凌駕の事も。民政党が同じ地区から出るようになって、それで親馬鹿だったけど、それでも何回か悪口を言ったな。とんでもない事をしたな・・・」
「父さん。それは父さんだけじゃないよ。日本中で同じ事を言っている人は一杯居てると思うよ。
それに野際さん表向きは決して良くない人であった事も間違いないんだから。まさか世界中の恵まれない病気の子供たちに、寄付を続けているなんて事誰も判らないんだから。」
「龍志・・・」
「どうしたの?父さん、父さんまで泣くなんて」
「ねぇどうしたの?」
「野際さん申し訳ない。私はあんたの事、殺されて心のどこかでほっとした事を覚えている。天罰だと笑った事も覚えている。なんて事を・・・」
「父さん」
「いやぁ私はバカだった、実に親ばかだった。龍志もし許されるなら謝りたいな。父さん野際さんのお墓にお参りしたいな、許されるなら・・・あやまりたいな」
「うん、いつか言ってみるよ」
「でもどうして野際さんそのような事を?」
「おじいちゃんの時代から寄付活動をしていたらしから、なんかお爺ちゃんが何か取り返しがつかない事をして、聡さんのお父さんのお兄さんを死なせたからって、それも生まれて間もなくだから、彼のお父さんは誠一って言うから長男で、死んだ子の生まれ変わりであるって言っていたよ。多分同じ名前だったんだろうね。
その事があってお爺ちゃんは病気の子供たちに、懺悔の気持ちで寄付活動を始めたようだよ。だから何十年も続いていたって。」
「そうか・・・」
「それで面白い話があるんだけど、聡さんね、まだ二十代の奥さんを貰ったんだけど、奥さんがまだ学生の時、その手紙を読みながらしきりに涙ぐんでいて、それでプロポーズの言葉はいらなかったらしいよ
『こんな素晴らしいお父さんの息子さんを嫌う理由が無い』って。偶々奥さんが英語が得意で、それで訳して貰っていて恋が芽生えたようだよ。」
「成るほどね。良い話だな。龍志、父さん勝手に思っていると思い聞いてくれるかな。
野際さんのその話は、息子さんが仏様の前に供えているだけでいいのかなと思うんだ。
野際さん夫妻が殺されたあの出来事は、日本中があの話は善くても悲話で、滅多と美化される話ではなかった筈。政治家が奥さん諸共一夜にして殺され、その背景には県庁職員とゼネコン業者、そして野際誠一議員が、ドロドロとした関係で繰り返した、悪行と言う話で終始したと思う。
でも本当にそうであったのか、その裏に何があったのか等誰も知る由もないな。
野際誠一は黒い噂の絶えない、悪徳で狡猾な国会議員だから、その親父でさえ同じ噂の絶えない人物であった。
政治家野際誠一に関してこれまでも死んでからも同じ類の噂が巷を駆け巡り、誰も心底に隠されていた事実など知る事はなかった。しかし事実は違った。まるで真逆であった。
これは誰もが知るべきだろうと思うのは父さんだけだろうか?
龍志が国会議員を何故辞めたと考えるだけでもその答えが隠されているようにも思うな。
父さんだけではなく、多くの有権者が果たして本当の人間として立派な国会議員を選んでいるのか、それさえも野際さんが教えてくれているように思うな。
龍志は何故国会議員を辞めたのか、そしてその事と、野際さんがこれ迄やってきた事を、並べて考えてみてはどうだろうか?何かがありはしないかな?
総理は?龍志が長年尊敬し慕っていて、それで今はその反対であると言うが、それは何故なのか?野際さんならはっきり言ってくれると思うな。亜紀さんにもこの話早く教えてあげて、亜紀さんはどのように思うかだな。」
「そうだね。誰でも心に突き刺さるだろうね。たとえ亜紀でも。でも、でもそれって息子の野際聡さんが望んでいる事かな?」
龍志は思いがけない父信也の熱い言葉に戸惑ったが、それは龍志にとってもこの話を知った時は、同じ様に動揺していた事は確かで、おそらく日本中の誰もが関心をひと時でも持つ事は想像できた。
そしてその日の内に龍志は妻亜紀に同じ事を口にしていた。
何もかもを聞いた亜紀は、
「それでも野際さんが望まないなら、そっとしてあげるほどいいと思うよ。 お父さんの汚名は野際さんの中では解決していて、それは見事な葡萄が示しているのじゃないの。荒れ果てた農地を開墾し、九年の歳月を掛けて見事に甦らせたのだから、他人には解からない強く思うものがあると思うわ。
でも聡さんがどんな思いで荒れ果てた果樹園を立て直したのでしょうね。人様の人生だけど知りたいわ。たとえ僅かでも政治家として国会の赤絨毯を踏んで来た者として、
それに野際さんのお父さんが、皆に残したものは一体何であったのか知りたいわ。」
「なぁ亜紀、俺菜園の皆にこの事を隠しておけるか自信ないなぁ。親父に言ったのも亜紀に言ったのも隠して於けないから言ったと思うと、逆に隠しておく事は体に悪いのではないかと思うな。
其れよりむしろ過ぎる位公にして、そして誰もがこの事実をそれぞれの思いで捉えて貰いたいと思うな。
俺や父さんの様に涙を流して、自分が思っていた事を反省したり、後悔したりそれも大事ではないかと思うな。この事実を知らずに、これからももし野際さんの事が話題になって、あの人を愚弄するような事を口にする自分があったなら、どれだけの恥であるか、そのように思うと誰もが事実を知るべきだと思うな。勿論許せないと言う考えの人もいるだろうけど」
「龍志さん、野際さんに心の内を話されたらどうなのです?貴方が今言った事は野際さんだって解ってくれる筈。正直に話してそれで解って頂いたならそれから手段を考えれば良いのではないのですか?例えば国政新報の編集長にお話を持ってゆくとか・・・」
「そうだ!それがいい!あの編集長なら飛びつく話だと思う。あの雑誌にうってつけの話だと思う。亜紀の言う通りだ!そうだ!そうしよう!」
「勝手に決めないで、野際さんにお聞きして」
「ああ、そうだね。決まったね。それでいい!」
それから間もなく龍志は野際家を訪ねていた。
「聡さん、これ仏様に供えて下さい。
お父さんが昔コラムで書かれていた事を覚えていましたので、これ柿の葉寿司です。お父さんが吉野に行かれた時に買われて、随分気に入られた事を書かれていたのを思い出しました。
もう三十年近く前の事かも知れませんが」
「ええ好きでしたよ。親父は。ありがとう。」
「それで聡さん、先日は大層な事をして貰い恐縮でした。ご馳走様でした。高校生の時はそんなに話さなかったのに、先日はあんなに話し合って、顎が怠くなるほどしゃべって、帰ったのは夕ご飯前になっていて、随分長居させて貰いました。でも楽しかったです。
「ええ、私も。龍志君がきっぱり政治から手を引いた事を聞かせて貰って、心が落ち着きなんだか楽に成りました。これからもこの人と仲良くやって行こうと思いました。」
「それは俺も同じです。こんな奥の深い人が居るって事未だに信じられないです。
実は聡さんのお父さんの事を親父にも嫁にも話しました。
親父は涙を流しながら聞いてくれました。それで許されるならお墓参りをさせて頂きたいと言っていました。嫁も同じでこの話はみんなが知るべきだと言っています。
新聞に書かれていた様に、野際誠一は決して悪徳な人間では無かったと、日本中に知らすべきだと俺は思います。
お父さんは面白おかしく新聞にも雑誌にも書かれました。親父に聞いた話では、大和川の土手で車を止めて、週刊誌の記者が毎日貴方のこの家を見張っていた事も聞いています。
それでその雑誌はお父さんをネタに、部数を増やした事もあったでしょう。表彰を受けて特別手当を貰った記者も居たかも知れません。
聡さん、余計な事だろうけど、この件俺に任せて貰えませんか?俺お父さんの名誉をどんな事があっても回復したいと思います。
それに俺政治家を辞めた意味も、同時に多くの有権者に伝えたく思うのです。
聡さん、俺国政新報と言う雑誌の編集長も知っています。
この話に乗ってくれると思います。
前の選挙で、野村総理と新党凌駕が裏取引をして、野村第二次内閣を守るが為に、十二億の金を握らせ、更に四人の大臣を餌に新党凌駕代表を釣り上げた話、まだ湯気の立つ僅か前の出来事ですが、聡さんもこの話はご存知だと思います。」
「ええ、知っています。国民不在でとか騒がれた事を」
「でしょう。この記事をスクープしたのが今言っている国政新報の編集長なのです。
ですから貴方のお父さんの話は間違いなく、大々的に日本中に伝えられると思います。
どうですか?俺が頑張りますから・・・頑張らせて下さい。お父さんの名誉の為にも。それと有権者はしっかり人を見て投票しましょうと一言付け加えて貰います。当たり障りのない様に、上手く計らって貰います。
聡さん、是非お願いします。現状では悔いを一杯溜めた新党凌駕の奈良支部の会員が山ほど居る事に成るのですよ。間違ったままで・・・
事実を知ったなら、どれだけ心から悲しむか、どれだけ悔やむか、どれだけ誇れるか、親父さんの有りの儘の姿を有権者に伝えるのも、子として貴方の役目ではないかと俺は思います。違うかな?」
「まぁ熱くならないで・・・私はこの儘でも良かったのですが・・・そうですね。父の後援会の方のことを考えたら肩身の狭い思いをしてもらったでしょうね。そうですか・・・龍志さん解ったから。」
「では言っている様にしますよ。」
「ええ、任せます。そんなに親父の事を熱く大層に言ってくれて私嬉しく成って来たから。
私でさえ親父を嫌っていた毎日だったから、だからお願いします。後援会の方も未だに時折お墓参りに来て下さる方が居られ、喜んでくれると思います。
解りました。龍志さんに何もかもお任せします。
出来るなら綺麗に書き綴ってあげて貰って下さい。
其れで出来れば、出版するまでに原稿を見せて貰えれば在り難いです。もし何か付け加えれば良い事があればそうしたいから、反対に大げさに書かれても困るから」
「解りました。良いのですね。聡さんよく決心してくれました。これで心の中が落ち着いて行くように思えて来ています。
民政党は新党凌駕を嫌っていて、特に野村さんはお父さんをネタにしていました。
それを聞いていた俺らは、面白おかしくその話を捉えていて、貴方のお父さんの立場など一度も考えなかった。
つまり貴方のお父さんを利用して、民政党は数を増やし、僅かあの頃は議員数が八人だったのが、今や政権を担うまでになった。
お父さんは民政党や他の党にも、悪の枢軸と位置付けられ、どれだけ叩かれたか、かもすると自らの新党凌駕でさえも、お父さんを嫌っていたのかも知れない。
だから是が非でもお父さんの有りの儘の姿を曝け出すべきだと思うのです。
そうでしょう聡さん、間違っていないでしょう?
雑誌に載り誰もが驚き、誰もが疑い、そして誰もが信じ、そして事実と受け止め、感心し感動し、誰もが反省し、誰もが詫びの言葉を探す。そうでしょう」
「ええ、息子の私でさえもそうでしたから、父に詫びましたから。ありがとう。」
「やりましょう。」
「お願いします。龍志君」
それから間もなく龍志は東京に向かっていた。
言うまでもなく国政新報舎へ行くためであった。
龍志の心は騒いでいた。
それは今まで生きた来た経験のない人物に出会った事に、関心が募るばかりであったからである。
二代に渡り匿名で寄付を続ける親子がいる事が信じられなかったからである。
それも言わば黒い噂を流布され、それでも屈する事なく只管寄付を続けた、ありえない生き方をした親子が信じられなかったのである。
新幹線で東京へ向かいながらガラスに映る自分の姿に、同じ事を何度も走馬灯のように自問していた。
そして月刊誌国政新報舎に着いた時は、少々渦巻く心に疲れ気味に成っていた。
「編集長、お電話差し上げました相沢達治で御座います。民政党で四期ほど立たせて頂き、引退させて頂いた相沢です。
前に一度お伺いした事があり、それで貴方様のお顔が浮かんで来て、お忙しい中この様に時間を割いて頂きました事大変恐縮に思います。
深く感謝申し上げます。」
「相沢さん。よく覚えていますよ。貴方は噂では総理に三下り半を突きつけて国会を去ったとか・・・」
「そうですか。まさかそんな噂まで」
「そうですよ。大したものだね。」
「いえ、私なんか・・・総理は然程気にされていないと思いますよ。一口に言ってそれだけの男だったと言う事です。」
「でも貴方は学生の時から総理の鞄持ちをされ、総理は少なくともショックであったと思いますよ。思う処があって引かれたのは解りますが・・・」
「実は今日は私の事ではなく、全く違う話でご相談に来させて貰ったのですが」
「はい、どのような御用で?」
「編集長は新党凌駕の副代表を務めた事のある、野際誠一さんの事をよくご存知ですね?」
「ええ、そりゃあんな亡くなり方をされ、しかも当時は被疑者でしたから、絶対忘れる事はありませんが」
「そうですね。随分生前も、亡くなられてからも各紙にさまざまに書かれていましたからね。」
「ええ、自殺をされた政治家は何人かは居りますが、あの様な最期を遂げられた方は浅沼さん以外に居りませんからね。」
「それで編集長はあの人を今思い出して、どの様に思われるでしょうか?」
「どの様に?まさに死人に口なしで、なんとも思いません。お気の毒にって思う以外に。ただあんな死に方をしなければならなかったのは、はっきり言って自暴自得であったとも思います。
ですから貴方がどのような目的で来られたのかは判りませんが、それが正直な気持ちです。」
「解りました。でもあの頃国政新報舎は、つまり貴方が書かれたと思いますが、少なくとも印刷前に最後は原稿に目を通されたと思いますが、野際さんの事を結構きつい書き方をされた記事を見た事を覚えています。」
「そうですよ、私たちは諄いほど取材を重ね、活字に成る迄には相当苦労な訳で、だから書く時はしっかり責任をもって書かせて貰っています。当然突っ込まれる様な事がない様に、事実を積み重ねて。常に首が掛かっていますからね。
ですから野際誠一の記事も、事実の積み重ねであったわけで、その事は記事を読んで頂いていたならお判りだと思います。」
「解りました。それでは本題に入らせて頂きます。実は今話している野際誠一さんの事で、新事実が判ったのです。それもこうして私が奈良からわざわざ来させて頂いたと言う事は、それだけ大きな出来事であると判断したからです。
この話を聞かされた瞬間に貴方の顔が浮かんで来て、つまりそれは言い換えれば、貴方の力で助けて貰うべきだと勝手に判断したのです。
説明します。野際誠一さんの息子さんは聡さんと言うのですが、実は奈良の斑鳩で果樹園をされています。同じく私も菜園で働き野菜を作っています。私と野際聡さんは高校時代の同級生で、其れでお互い思う所があって、今は果樹園と菜園で生計を立てています。
でも実はそんな出会いがあったのは近年地産地消が謳うたわれる様になり、近くに農産物即売センターが出来、その関係者に協力を要請されたからお互い参加したのです。
それで野際君が葡萄やカキやイチジクを販売し、私たちは野菜を売り、お互い同じセンターに出す事で気が合って、それで彼の家に遊びがてらに二十数年ぶりにお邪魔したわけです。
そして野際誠一さんと奥さんの位牌に手を合わさせて頂き、その時仏壇の前に供えられていた段ボール箱に目が行き、そこで世界中からNPOに
届けられた手紙を見つけたのです。
それは亡き野際誠一さんに送られて来たお礼や悔みなどの内容の手紙でした。
野際さんは生前、いや実はお爺さんの時代から世界中の病気の子供たちに援助をしていたのです。
NPOを通じて寄付と言う形で、匿名で」
「えぇ?、野際さんが?」
「そうです。信じられないでしょう。お爺さんの時代から、何十年もの間世界中の病院やそれにまつわる関係者に寄付を送り続けていた様です。」
「まさか、そんな事初耳ですね・・・」
「ええ、この事は息子の聡さんも知らなかった事で、野際さんがあのような亡くなり方をされたので、NPOは仕方なく諸外国に野際さんが亡くなったことを伝えると、各国から野際さんを悔やみ偲ぶ電話や手紙でひっきりなしに来たようです。
それでもNPOの方は野際さんが殺された後、雑誌も新聞も毎日の様に、決して良くない表現で載せられている事がお気の毒に思い、匿名を約束していたにも拘わらず、東京で暮らしていた聡さんに内情を伝え、手紙を渡し、それで聡さんは実家へ戻る決心をされたようです。
私はこの話をお聞きして、野際さんに対して大変申し訳ない事をしたと心を痛めました。
父にも話すと涙を浮かべて、野際さんを攻めた自分があった事を後悔していました。妻も同じで我が家の誰もが同じ思いになりました。
其れで聡さんにこの儘では息子として良くない様に思うと、私たちの考えを伝えました。
思い起こせば野際誠一さんは、奈良北地区においてトップ当選された人物。
それだけ票を集める力を持った人物。私は息子さんに、元後援会の方の為にも事実を公表されるべきだと思うと助言しました。
それは今に成っても、元後援会の方が時折お墓に参って下さる事をお聞きして尚更と思いました。
それで私は聡さんと話しながら、この内容を取り上げて頂くのは、どこでもなく国政新報であると瞬時に思った訳です。
その時貴方様のお顔が浮かんで来て・・・これで概要はお解り頂けたでしょうか?」
「そうですか。野際さんにその様な過去が・・・それもお爺さんの時代から続いていたと言われるのですか・・・?。
待って下さい。その話を信じれと?これまでも同じような話は幾らも御座いました。しかし二代に渡り更に匿名で、そして子供さんにも秘密で・・・それが事実なら相沢さん、貴方の言われた事は、我が雑誌に載せれば間違いなく大きな反響はあると思います。
誰もが忘れかけていた人物であり、誰もが禍根として心で生きている人物である事は言うまでもありません。
あらゆる悪い噂が飛び交い続けた人物であった事も事実です。私はこの方を何度も活字にさせて頂きました。読まれた方は驚き、怒り、あん畜生と思い、嘆き苛立ったと思います。
其れと言うのも活字にした私が、私の苛立った思いを活字にし伝えたからです。
解りました。貴方の言われる様に、野際誠一さんの真実を徹頭徹尾とことん取材を重ね、特集を組ませて頂きます。
それ迄は何方にも話さないで下さい。中途半端に伝わると、事実が事実で無くなるからです。
それだけはご理解下さい。必ず身を張って書かせて頂きます。そうする事は、貴方の言う様にこの私も然りで、野際誠一さんに対するペンを持つ者としてお詫びだと考えます。」
「そうですか。ご理解頂きましてありがとう御座います。これで聡さんに良い返事が出来ます。
何しろ聡さんには全部俺に任せてほしいって強く興奮しながら言いましたから」
「解りました。ええ、頑張りますよ。
其れで野際さんの聡さんとおっしゃるご子息や家族と、綿密に打ち合わせをさせて頂き、また本人様の口で、更に詳しくお聞きさせて頂こうと思います。お墓参りもさせて頂かなければならないと思います。その手紙も証拠として見せて頂きたいですし」
「解りました。それでは農繁期に成る迄にお越し頂ければ、彼も都合が良いと思います。遠慮深い性格の人ですから、時には強引に押して下さい。」
「そうですか。春に成れば忙しくなるのでしょうね?」
「ええ、暖かくなるとね」
「解りました。出来るだけ早くお邪魔致します。」
それから月日が流れ、吉野の桜は葉桜に成り、
長谷のボタンが真っ盛りに成った時、それは龍志が東京の国政新報舎へ編集長を訪ねて行ってから、三か月が過ぎていた頃であった。月刊誌国政新報六月号が本屋さんの店頭に並んだ。
【初夏の風が爽やかに吹く季節に成りました。奈良斑鳩の里は春より秋の方が好いと誰かが歌っていますが、そんな事はなく春や初夏もまた風情のある街であります。
所で斑鳩に行くなら、昨年の夏国道筋に大きな農産物即売センターが出来た事をお伝えして置きたます。地産地消がモットーで、近隣で作られた野菜や果実を売っていて、価格も安く、一年近くなる今に至っても大盛況であります。
その中でもオープン当初から人気のある店があり、それは見事な葡萄を出店されている野際果樹園の葡萄で、その葡萄は陳列すれば直ぐに完売に成る代物で、口コミで噂が界隈を駆け巡り、昨年は連日まさに即売が続いたようでです。
これは今年も夏から秋にかけて、また同じ様な現象が起こるような気がすると、生産者は話されています。
何故政界専門のわが社が、奈良の斑鳩に出来た農産物即売センターの評判を、事細かに書き表すのかと言いますと、そこには大いな意味があるのです。
ここで紹介させて貰っている葡萄の野際果樹園について、もう少しお話ししなければ成りません。
皆様も政界の歴史を思い出してください。新党凌駕が今に至った長い歴史の中に、二百人を超していた党議員が、今や百人までにその数を半減させ、その当時一桁だった民政党が今や天下を取り、新党凌駕はその傘下に連立と言う形で成り下がっているのです。
そしてこの連立は多くの問題を醸し出している事は誰もが承知の事実。当時話題になったのは、十二億のお金で、新党凌駕は民政党に名誉やプライドを売ったとも言われ、またその時大臣が新党凌駕から四人立っている事も、その時民政党と交わされた裏取り引きの産物であったとも言われています。
そもそも新党凌駕が、その数を減らす原因になったその中で、大きく影響を与えた事を浮かべれば、第一に副代表であった故野際誠一議員(奈良北地区)の名が浮かんで来るのは誰しもでしょう。
何度も新聞や雑誌を賑わせた事は、何方の記憶にも残っている事で、インサイダー取引の疑惑があり、賄賂の疑惑があり、利権に絡む話が絶えなかった人で、その度に新党凌駕は心証を悪くし、その数を減らし、今に至っていると言っても過言ではないでしょう。
その事は新党凌駕の若手議員でさえも、批判の声が出ていた事も確かであり、 その野際議員が性懲りもなく致命傷になったのは、奈良県県庁を舞台にした、台風災害に対する緊急工事に関わる県土木課や、工事に突如無理やり入札に加わり落札した大阪の業者、更にその様に運ぶように圧力をかけ、便宜を図り、落札業者から五千万円もの賄賂を要求し、それを手に入れた疑惑で、奈良地検から追及され終にこの人物に法の手が及んだのです。
野際誠一議員は検察庁に身柄を拘束されましたが、終始その事実を認める事はなく、仮釈放の手続きを即座に取り、一億円の保釈金で拘置所を後にし、自宅へ帰って僅かの内に奥様の久恵氏と供に深夜暴漢によって殺されたのでした。
当時暴漢は野際氏の暗殺を試みようと、大和川の河川敷の草が生い茂った場所で、野際邸の様子を見張っていたようでした。
この事件は犯人が野際氏宅から持ち出した株券が、十一年の歳月を重ねてから、市場に出回っている事が証券会社によって発見され、一気に事件の解決に繋がったのです。
当時も今も野際誠一氏は、黒い噂の絶えない人であったと誰もが思い出すでしょうが、それは息子さんも然りで、父が良くない様に色々言われ続けた事は、聞き捨てならなかった事であったでしょう。
だから果樹園を開墾するに当たっても、心の中で大いに葛藤した事は言うまでもなかったでしょう。
先祖が残してくれた大きな畑も、祖父に始まり父誠一もその大地を雑草と雑木の荒れ地に変えてしまった訳で、その地を蘇らせる事など息子聡さんには、全く考えもしなかった事であった筈が、
それから既に時が流れ、何年も掛かって、野際誠一氏の息子聡さんは、荒れ果てた自宅の果樹園を開墾し、雑草と雑木で覆われた土地に新しい命を吹き込んだのです。
そして見事に葡萄の木が蘇り、昨年その葡萄は農産物即売センターで大好評となって話題に成ったのです。
しかしこの話はこれだけではなく、これからが本題かも知れないのは、 実は十数年前に、奥様と同時に命を奪われた聡さんの父野際誠一氏について述べさせて頂こうと思います。
同氏は過去四回に渡り黒い噂が飛び交った人物で、その度に警察及び検察が動いた様で在りますが、結局起訴される事はなかったのです。
最後に起こした奈良県庁絡みの事件は、おおよそ起訴に持ち込める事案でありましたが、仮釈放の間に殺されると言う事件と成り、被疑者死亡審議打ち切りと言う処分と成りました。
本人はあくまでその罪を認める事はなく、つまり生涯起訴される事もなく、政治家として人生を閉じたのです。
ところが普通に考えると、息子の聡氏はなぜ朽ち果てた様な家に戻り、悪い噂の絶えなかった父のお墓を守ったか、その息子の聡さんの心の内を思うと、それはそれは誰にも出来ない事のように思えて来るのが当たり前です。
悪評が流布する真っ只中で、汗水を垂らしながら何を思ってと言いたくなるのです。
新党凌駕の若い議員でさえ野際誠一の事など、誰よりも早く心から消したがっていたのが現実で、
それが何故?
その頃息子の聡氏は東京で弁護士事務所に勤めていて、七度もの司法試験に躓きながらも腐る事なく仕事に徹していました。
実家へ帰れば・・・良からぬ噂の数々の空気が漂う斑鳩へなど正直帰る気はありませんでした。
居場所が無かったからです。
弁護士には成れていなかったですが、知識は長年の努力で相当あり、その儘の人生でも良かったからです。
ところが父誠一氏が殺されてから数か月が過ぎた頃に、日本NPO医療法人から一通の手紙が来て、
『至急お会いしとうございます。』
そう言った内容でした。
息子の聡さんは全く何事か判らず、言われるが儘に会う事にしました。場所も東京であった事から、それに『お父様の事で』と書かれていたので、何か生前に迷惑を掛けていたらと思うだけで身が引き締まる思いであった様です。
聡さんがNPOの事務所へ赴き、神妙に事を伺った所、思いもしなかった言葉が返って来たのです。「これをご覧下さい。これはお父さまが世界中の子供たちに寄付をされいていたその礼状と、其れとお父様が亡くなられた事に対して、世界中からお悔みの言葉を送って下さっています。」
NPOの方からその様に唐突に言われ、それは手紙などで、ミカン箱ほどの大きさの段ボールに入れられていて、幾重にも重なっている状態で、只々驚いて聡さんが、
「親父が寄付ですって?どうして親父が?」
そのように聞くと、
「実はお父さまは元よりお爺さまの時代から、野際家の方は多額の寄付をして下さっていて、でもそれは全て誰にも言っていけない極秘と言う形で、つまり匿名でして下さっていました。世界の子供たちを病気から救う為に多額の寄付を」
その様に言われ、息子の聡さんは自分も全く知らなかった事であったので、
「私は息子ですが全く知らない事でした。どうして親父はそのような事を?」と聞き返す始末であったと言っています。
「実はお爺さまの時代から寄付を始めて頂いたようですが、記録では第一に、あくまで匿名で扱って貰いたいと言う事と、お爺さまは当時お子さんを亡くし、とてもお辛い思いをされたようですね。つまり貴方のお父さまのご兄弟になる方を」
直ぐさま聡さんは、
「ええ、実は父は誠一と言う名ですが、実際は次男で兄が居てたようです。ただ生まれて僅かの内に亡くなった事も聞いています。其れであまりにも辛かったから、生まれ変わりにと父の名を誠一と名付けた事も聞いています。」
その様に答えるとNPOの方が、
「そうでしたか、成るほど・・・そんな事があってお爺さまは、急逝されたお子様を偲び、生まれて来たお子に感謝の気持ちが芽生え、其れで私たちの組織にご寄付をされるように成られたのでしょうね。」
「それが二代に渡り父が亡くなる迄続いていたと?」
「そうです。何十年にも渡り続けられ、この様に世界中からNPOにお礼の手紙が届いています。
お父さまはあの様な亡くなり方をして、世間では様々な言い方をされていた毎日でありました。早く収まってくれる事を祈りました。決してお父さまはそんな人ではないと声を大にして言いたかったです。職員の誰もが新聞社にも週刊誌にも抗議したい思いでした。事実は全く違うと、
でもお父さまもお爺さまも、絶対匿名でと頑なに言われていた事がネックになって、決断するのに今まで時間が掛かりました。
ですから何度も私たちは話し合い、お父様には大事な御子息が居られる事を、以前からお聞きしていましたから、職員の誰もが反対する事なく、貴方様に何はさておき、お聞き願う事を決心致しました。
それは野際家のこれからの為にも、誤解を解き名誉を挽回する為にも、余計な事かも知れませんが職員全員の気持ちです。
其れともしかすると、もっと私たちが気を引かされる事に成ったのは、手紙の中に一枚のCDが入っていて、それはこれなのですが、これを聞いた時はみんな涙に包まれていて堪らなくなったのです。
お持ち帰ってお聞きに成れば、私たちが感じた事をお解り頂けると思います。
悔しくて悔しくて・・・お父さまが毎日活字に成って曝される事が、まるで死刑台に乗せられている様に感じました。
お父さまは議員として貰っている報酬に近い程のご寄付を時々されていて、それは何十年にも渡る事でしたから、とてつもない額に成っているわけです。どこにそんな律義で我身を忘れ、人に尽くされる方が居られるでしょうか?
あんな殺され方をして・・・私は只々悔しくて、悔しくて・・・」
そう言って涙ぐんだようです。
NPOの事務所を後にしてマンションへ帰り、引き取った段ボールの中には、世界中から来た手紙が入っていて、NPOの方の話では、底の方にはお爺さんに出された手紙もあり、何百通にも及んでいたようです。
聡さんは何通か英語で書かれた手紙を辞書を片手に読んでいる内に、いつか心に浮かんだものは、子供の頃、確か夏休みに東京から帰ってきた父に連れられて、荒れはてたブドウ畑の丘に行って、大和川を二人で眺めていた時の事だったようです。
第四部に続く・・・ https://ncode.syousetu.com/n3422ei/
次話 4(完結)に続きます。