(本文)信也まっしぐらに野村選挙事務所に駆け込む。
❶
国会は先日から表面化している年金の流用失敗に対する審議が連日繰り返されていた。
「議長」
「野際議員発言を許します。」
「この度の出来事に関して、どなたが責任を取るかを今はっきりしなければならないと私は考えます。僅かなお金ではありません。三兆円近いお金が消えたのです。それも国民が支払った税金が原資なわけですから、その責任を誰かが負うのは当然であると考えるのは当たり前の事。
差し当たり詳しく内容を突き詰めて、更にその責任が誰にあるかを紐解く必要がある以上、徹頭徹尾追求させて頂きます。
厚生大臣、貴方は今回の損失に大きく係わっている事を認めますか?」
「厚生大臣」
「はい、確かに私がこの組織のトップでありますから、その様に解釈しております。」
「つまり貴方が責任を持って、対処すると言う事なのですね?」
「結果的にはそのように成るのですが、だからと言ってここに至ったのは、ベテランの年金管理運営機構職員が成した技、何分私が現立場に就くまでに既に起こっていた事であり、先生の言われるように、まるで何もかもを鵜呑みにする事など、出来かねると言うのが正直な心境であります。
確かに今責任を感ずるのは当然で、大切な国民の皆様のお金が消えてしまった事に対して、身を切る思いを痛感しています。一日も早くこの浮き彫りに成った損失を取り戻し、安定した状態に成る事を祈るばかりであります。」
「では貴方は損失を企てた部下に、これからも更に運営して、損失を取り戻すように指図されるのでしょうか?」
「・・・・・」
「お答え頂けない・・・では厚生大臣、貴方はどのような手段をお考えでしょうか?」
「・・・」
「倉木厚生大臣お答え下さい。」
「はい、議長お答え致します。わたくしの口から詳しくは述べられませんが、こんな時の為の秘策も考えているようで、今暫くお待ち下されば、また遠くない時期に回復して貰えるものと考えております。部下を信じております。」
「それはいつでしょうか?それに秘策とは?それを言って頂かないと」
「いえ、其れを口にすると、何分投資ですから混乱を招く事が考えられ、今はご勘弁下さい。」
「そんな便りない雲を掴むような話に私は納得できません。第一テレビをご覧の国民の皆さんも納得していないと思いますよ。
議長、倉木厚生大臣の発言は、あまりにも無責任であると私には思われます。
厚生大臣に全ての責任がある筈が、しっかりと責任の所在を把握されていなのではないでしょうか?傷を大きくしない為にも、厚生大臣を更迭され、更に全ての事を明白にされる事を忠告致します。」
「倉木厚生大臣」
「お答えします。正直申しまして私が大臣の職を仰せつかりましたのは、まだ本年の五月、六か月前の事であります。年金運用はもっと以前から行われていた事でありまして、第一それまでは上手く運用されていて、貢献していた事も把握致しております。 この度上手く捗らなかったからと言って、何もかもを押し付けられるのも如何なものかと考えます。今暫くお待ち下さい。必ずや回復する事を信じております。」
「信じている。貴方に全ての責任がないと、よくそれで大臣が務まりますね。貴方は女性だから許されるとでも思っておられるのですか?
貴方が今口にした事を国民に向かって言えますか?総理大臣が他国に対して今起こっている問題が過去の事で、起こった時に自分はその時は総理大臣ではなかったから責任は取れないと言えますか?言えないでしょう?どんな事があっても責任を取らなければならないでしょう?
倉木厚生大臣、はっきりお答え下さい。今浮上している損失は三兆円ですが、それで他になど全く無いのでしょうか?」
「倉木厚生大臣」
「そのように理解しております。」
「間違いないですね?」
「はい。その様に聞いています」
「くどく申し上げますが、貴方の言う秘策とやらを再度お聞き致します?」
「倉木厚生大臣」
「それはご勘弁下さい。」
「答られない・・・では、私の持ち時間が過ぎましたから、同僚の大木望議員に交代致します。」
連日に渡り倉木紀美厚生大臣が詰問攻めにあっていた。
所が野党第一党の新党凌駕が、倉木厚生大臣の首根っこを折るような厚生省の内部資料を、連日の追及によって聞き出していた。
隠ぺい工作が厚生省で行われていた事がわかり、大変な事実を新党凌駕が公表したのである。
「議長、倉木厚生大臣の発言から、虚偽に値する内容が見つかった事を申し上げます。
これは監督不生き届のような生ぬるい事ではないようです。はっきり申し上げます。この度の厚生省が手招いた運用失敗の損失は六兆円にも達している事が判りました。
国民のお金が六兆円消えてしまったと言う事なのです。それを三兆円であると虚偽の報告をしていた事もお聞きの通です。
これは厚生大臣が把握していたか否かなど問題ではなく、厚生省全体の言わば犯罪と言っても過言ではありません。
倉木厚生大臣が秘策があると発言されましたが秘策などなく、虚偽があったに過ぎないのではないでしょうか?倉木厚生大臣の更迭を強く望みます。そして事実を話される事を。
倉木厚生大臣は総理までされた父上がおり、立派な方であると思って参りましたが、今はそのような事は思えなく成りました。
先日の発言も何か他人事のような言い回しをされた事を思うと、この度の事実が判明した以上残念で仕方ありません。更に損失が増える事も考えられるわけで、予断を許されない状態であると思われます。」
野際誠一議員は連日に渡り倉木厚生大臣に迫った。
そして六兆円に膨らんだ莫大な損失は、更に一兆円増え七兆円まで膨らんでいる事も判る事と成った。
倉木紀美厚生大臣は二世議員である。そして倉木議員を追い詰めている新党凌駕の野際誠一議員も二世議員である。
むしろ野際誠一議員の蓄財は議員の中でも群を抜いていて、押しも押されもしない裕福な状態である。勿論総理大臣を経験している父を持つ倉木議員は、それ以上とも言える人の羨む環境で生きている女である。
倉木厚生大臣は父の恩恵を十二分に受けていて僅か二期目の途中で厚生大臣に抜擢された逸材であったと、誰もが錯覚をしていたのか、大臣に就任するや否や発覚した厚生省の不祥事は、打たれ弱い彼女の心の中をかき乱す毎日と成った。
国会では連日に渡り同じ質問が、野党から間髪を入れず倉木厚生大臣に降り注がれた。
とうとう一か月を迎えた時、倉木厚生大臣は口を閉ざして責任を取る事と成った。
其れも決して穏やかな辞意と言う形ではなく、議員宿舎から離れて実家に戻り、元総理大臣の父倉木紀一郎のお墓の前で服毒自殺をしたのであった。
まだ二歳にも満たない子供と旦那を残し。
その現実に一番驚いたのは、連日追求していた野党議員達で、その中でもそもそもこの話の口火を切った野際誠一新党凌駕の議員であった。
『何も死ななくっても。』と思わぬ結果に唖然とさせられる事と成った。
新大臣にこの状況下で成れる人物など居ないばかりか、総理の本田宗次はとりあえず自らが兼任する事で事を収めた。
連日テレビを見ていたある視聴者に相沢信也と言う男がいて、目を凝らしながら毎日にらめっこするように国会中継に釘づけになっていた。
相沢信也は今四十六歳の男で、根っから政治に興味を持っていたが、常に反体制の性格であったので世間受けは悪く、人間関係も儘ならぬ状態で生きることに不器用な男であった。
しかし事政治に関しては真剣と言うのか、興味が只ならないと言うのか常に前向きであった。
だからこの度の厚生省の不祥事に対しては、人並みならぬ憤りを感じている一人で、
「なんて事を」
倉木厚生大臣が自殺をして死んでしまった事に関しては、無責任極まりないと思え、
「アマちゃんなのか・・・」と思いながらも、今時追いつめられて返答に困って、自ら命を絶った事に対して、心の一部ではあっぱれであると思わされていたのであった。
それと同時に心に引っ掛かった事は、野党で今回倉木厚生大臣を自殺にまで追い込んだ、新党凌駕の野際誠一議員に対する複雑な思いであった。それは一口に言えば怒りでもあった。
其れと言うのも新党凌駕の野際誠一議員は、過去に二度の良からぬ出来事で、世間を騒がせた事のある議員である。
インサイダー取引で他人名義で莫大な利益を上げた事が噂されながら、結局司法の手が及ぶまでには至らず、またダム建設に於いても、業者から多額の賄賂を受け取った疑惑も取りだたされたが、こちらもまた司法の手が及ぶ事は無かった。
この事は週刊誌までもが追っていて、国民の誰もが知っている話で、誰もが当時は憤りを感じた話であった。
だからこの議員が国会で質問に立てば、その裏には反対意見をぶつけているパホォーマンスの演技と相打って、同じだけの企みがあったり裏金が動いているのではないかと疑う始末であった。
だから相沢信也はテレビを見つめながら、倉木厚生大臣がこんな男に責められて、死んで逝った事を可哀そうに思えた。
野党で新党凌駕の野際誠一議員もターゲットが自殺をした事で意気消沈したかと言えば、決してそうではなく、兼任を務めて急場を乗り切ろうとした総理に、今度は刃を向ける事と成った。
「総理、この後始末を今後どのようにされるかお聞かせ下さい。亡くなられた倉木議員はまだお若い身、慙愧の念に絶えない思いで命を絶たれたと思われますが、しかしながら政治家としては未熟で、大臣たる者の判断としては許しがたい決断であったと思われます。貴方の任命責任も問われて当然でしょう。
さて、国民からお預かりした貴重な税金を、無責任に失くしてしまったと言う事は、政権与党として大いに責任のある話である事は言うまでもありません。
総理この事実に対して、どのように受け止められ対処されるのか、国民の皆様にはっきりと申されますように」
総理の本田宗次は暫く俯いていたが、議長に促されて答弁を始めた。
「野際議員のおっしゃられた事は十分わかります多くの国民の方に多大成る不安を与えてしまった事も重々承知であります。
七兆円と言う莫大なお金が焦げ付いた事は紛れもない事実である事もわかっています。
しかしながら我政党は、今まで同じような境遇に晒された事も正直何度か御座いました。
ただ野党の皆様方には把握出来ていなかった事で、政権政党を持ち続ける我党は、野党の皆さんほども驚きも困りもしていないわけで、倉木厚生大臣が命を絶たれた事は、取り返す事の出来ない事実でありますが、もっと大きな気持ちで挑んで貰いたかったと悔やまれて仕方ありません。
お父さんが立派な総理を経験された方でしたから、まさかあのような判断に追い込まれる度量だとは思いもしませんでした。悔やまれます。
❷
しかしながら私は経験上、近い内に損失も取り戻せる事を、楽観視とまで言う訳ではありませんが、あたふたとしといる訳ではない事をはっきり申しておきます。」
「総理はそのような事を口にされても良いのでしょうか?軽々しく」
「それは貴方は野党で居られるから判らないと思いますが、もう一度申します。今回の事は今迄から起こっていた事で、つまり反対の事も幾らでも経験していますからご心配には及びません。同じように莫大な利益を生んだ事もありますから」
「流石総理や!」とテレビを観戦していた相沢信也は「ふんふん」と心を落ち着かせていたのは言うまでもなかった。
それでも相変わらず噛みつくように総理にその責任を追及する野際議員に、
「何だこいつ、自分の事を棚に上げて、いい気になって」と逆に怒りさえ感じていた。
結局この様な類の話は落とし処は、言わば有耶無耶で、誰もが気になり怒りを感じながらも、やがて誰もが聴き慣れして、自然に消滅すると言うのが常である。
つまり七兆円ものお金がどこかへ消え、それでも残っている百数十兆円と言う莫大なお金が物を言うのであるから、国家とは結局揺ぎ無い馬鹿でかい組織であると言う結論に達するわけである。
野際誠一議員もあれだけ追及していたと思いきや、時間が過ぎれば、まさにあれはパフォーマンスであったかのように鳴りを潜め静かなものである。
これが政治なのか、それともそんなトリックに惑わされながら国民たるは、流され続けているのだろうか?
相沢信也は一連の流れを総括して、「慣れと諦めの心境」に陥っていた事は言うまでもない。
実は相沢信也は口減らずの代議士野際誠一の事を決して嫌っていただけではなく、与党に鋭く突っ込む姿勢は、それなりに評価をしていた事も確かであった。
実は相沢信也と野際誠一は同じ奈良県の出身で選挙区こそ違え、まるで知らぬ間ではなかったわけである。
何度か過去に選挙で野際の生顔を拝んだ事が相沢にはあったわけで、まるで他人であるようには思えなかったのである。
野際の選挙区は奈良県の北地区で、相沢の選挙区は奈良県の南地区である。
相沢が感じた野際と言う人物は、奈良の南地区なら当選などしないだろうと思っていたが、それは父親が強固に固めた地盤が功を奏し、息子に至ってもその地盤が故に不動のものとしてきたのであったから、少々の妙な噂などどこ吹く風で、その父親譲りの評判から揺ぎ無いものとして君臨しているのである。
ダム工事に関して黒い噂が流れた時も、インサイダー取引で兜町を揺るがし、霞が関に激震を与えた時も、司法の手が及ぶ事もなく今日に至っているのである。
だから与党も野党も野際議員の事を、ある意味怖さを感じている事も確かで、黒い力が働いていると言う噂でさえ、まんざらでは無いと思われていた。
思わぬ責任を感じて返答に困り、その器でない事を知らされ、そして誰もが疑うような結論に至った倉木厚生大臣に比べれば、その度量たるや雲泥の差である。
相沢信也がこの野際誠一議員の事を気にするのは他にも理由がある。
実は相沢信也の息子と野際議員の息子が同じ高校へ通っている共通点があるからで、方や衆議員議員で、方やただの自営業の国民の一人に過ぎなかった事で、結構相沢は世間の狭い思いをしてきた過去があった。
そもそも相沢信也の子供が野際議員の子供と、同じ高校へ入れた事が不思議であったが、たまたま高校が近くであり、また相沢信也の子供龍志が勉強の少々出来る子であった事から、その偶然が生まれたわけである。
息子相沢龍志が特待生扱いであった事から、経済的にも難関を乗り越える事が出来たわけである。そんな事で相沢信也は息子の友達関係から、常に興味津々な政界に関心を寄せていた。
ところが世の中は狭いもので、一年後に迫った衆議院議員選挙において、奈良県の北地区では野際に反発をしている選挙民も多く、強力な新人が立つと言う噂が相沢信也の耳にも入ってきて、戦々恐々となってきている事を知る事と成った。
つまり野際誠一に対するネガテブキャンペーンが各地で執り行われ、野際誠一はその噂を打ち消す為に再三東京から奈良へと足を運んでいたのであった。
「罰が当たったのかな?悪い奴はそれなりの生き方を選ばされる事に成るだろうな・・・それでまた手を汚す・・・苦しめばいいのだあのような男は」
相沢信也は噂で聞こえてくる野際誠一の近況を思いそのように感じていた。
それから月日が流れ一年が過ぎ選挙を迎える事となり、野際誠一はまたしても当選し光るバッジを手にしていた。
それが選挙でありそれが人に心の内である。
卑しい奴には卑しい族が集まり、そして卑しい事を企むから、更に卑しくなり、狡猾になり、追い打ちをかける様に弁護士などに仕込まれ、狡知な頭脳も身についてくる。
其れが人の世である。ただし一部の人の世であると思われるが、政界にはそんな類の族が多いようである。
その頃お互いの一人息子は、高校を卒業の運びとなり、野際議員の方は一流大学へ難なく入る事が出来、相沢信也の息子は決して一流ではない大学へ
これは誰の責任でもなく、只々息子の実力の無さが招いた結果に過ぎないのであるが、共に勉学に励んで来た割には、思いのほか差が出始めた事を相沢の息子は感じさせられる事と成った。
野際誠一の息子は言わば一流を選ぶだけの勉学を積んで来たわけで、相沢信也の家庭環境は其れには及ばなかった事が、影響したのかも知れないと諦め顔で息子は親父に端的に感想を述べていた。
親父の信也は、
「こいつも俺と同じような生き方を選ぶのかも知れない」とその時にはっきり悟る事と成った。
それは決して真っ直ぐではない生き方で、世の中を斜めに見ている捻くれた生き方であった。
相沢信也は所詮そのようなものであると、自分の人生を改めて顧みて悟った。
野際の息子は高校を卒業すると同時に東京へ行き、相沢信也の息子は大阪へ行った。
行ったと言っても通いであったので、相沢家にはたいして変化などなかった。
❸
国政は選挙の結果、与党と野党は常に均衡していて、与党の国民党は二十数人ばかりの小さな若葉の党と連立を組んで、これまでは何とか過半数を守っていたが、それでも何時ひっくり返されるか判らず戦々恐々としていて、 この度も何とか過半数を確保したが、それでも与党も前回の選挙から今までの間に、厚生大臣の倉本美紀議員の自殺や、その他にも不祥事や不適切な問題発言が何度かあり、病気なども含め、身を引いた議員も何人か数えた。
野党の第一党の新党凌駕は更に数を伸ばし、その中でも野際誠一の名は押しも押されもしない、名実ともに力をつける結果に成った。
国会中継が始まると相変わらず野際誠一が画面に現れ、そのテレビ目線が実に卑しく思いながらも、間違いなく野際誠一の方角に意識が吸い込まれている事を、相沢信也には歯がゆかったが感じざるを得なかった。
その野際議員に当選後間もなく新たな疑惑が週刊誌で報じられる事と成ったのは、再選後三か月が過ぎた春の事であった。
《新党凌駕野際誠一議員にまたしてもとんでもない疑惑が》
そんな見出しを頭に数ページに渡って派手に書かれている内容であった。
《闇で集めた献金と言う名の賄賂。その額は驚くなかれ数千万円。三度噂が駆け巡り》
こんな活字が容赦なく全面を埋め尽くしていた。
「またやったのか・・・」
相沢信也は呆れて言葉を失くしていた。
当人は全く覚えがないと平然と口にしているが
それは過去にも同じ様な事をして、司法に問われる事が無かったから、今回も逃げ果せると踏んでいるのであろうと思えていた。
だから野際誠一は窮状に対しても自信があり、心乱す事もなく、微動だにしない構えであると思われた。
相沢信也にとって『とうとう悪も年期が入ってきたものだな。貫録さえ感じてくる。』と思う他なかったのである。
噂とは儚い命である。相当の悪事を重ねている筈の野際誠一議員であったが、それは噂に過ぎなくしてしまう風潮が常に蔓延っていて、この度においても然りである。
相沢信也にとって野際誠一議員は、息子の友達の父親と言う理由と、特に政治に関心を持つ彼自身の心の内で、同じ奈良県民として拘っている事である。
そんな父親に向かってある日息子が口にした言葉は聞き捨てならないものであった。
「父さん、俺聞いたんだけど、野際の奴大学に入る時相当親父さんが裏で動いたらしいよ。
あいつが一番仲が良かった奴が言っているから間違いないよ。最近出会ってそれでその話に弾んでさ。
そいつは弥冨健一って言うのだけど、彼も俺と同じように、言ってみればぼちぼちの大学に入ったから、でもね、俺高校時代に思っていたのだけど、弥冨も野際も俺もたいして力の差なんか無かったと思うよ。
野際がずば抜けていて、俺や弥富では歯が立たないならそれは仕方ないけど、でも変わらなかったと今でも思う。むしろ勝っていた分野もあったと思う。
でもこんな結果に成るんだね。弥冨も俺も大してバックがないから、父さんや弥富の両親に悪いけど、親によって俺達は生きる世界が狭められているかも知れないね。其れを愚痴っているんじゃないよ。 俺や弥富に実力があれば全く違う話だと思うよ。でも弥冨に野際の事を聞かされて、俺たちは生きている環境で殆どの者は道が決められていると言うか、言い換えれば野際のような奴は、周りに作られて行くんだろうね。権力とかで。
俺たちの様に階段を一歩一歩づつ登るのじゃなくて、いきなり踊り場に導かれるんだろうね。
だから努力も我慢も要らない生き方を、親がしてくれるんだろうね。弥冨に会ってショックだったなぁ」
「しかしお前は、そんな野際の息子さんのような生き方を決して望んでなんかいないだろう?」
「そうだね。父さんを見ていると、決して箱に嵌って生きる事など出来っこないと思うな」
「でもよく考えてみろよ、親が引いた線路を、脱線しないように猛スピードで走らされる訳だぞ。おそらくお膳立てされているから、失敗は許されない、親のメンツにも係わる。先祖も睨んでいる。
そんなプレーシャーの中で生きなければならないのだぞ。お前に向いているかな?出来るかな?」
「そうだね。思うだけで窮屈に成るね」
「だからお金があると言う事や、名誉やプライドを守ると言う事は、それなりに大変なんだから」
「だったら何故野際はあんな噂が立つのか。俺ははっきり知らないけど、親父さんは絶えず黒い噂がある人って話だろう。その親父が息子まで黒い噂の中に浸からせようとしているのじゃないの。
ある意味可哀想だね。」
「そんな事言っていても、その内お前も現実を知らされる事に成るから」
「どんな現実?」
「そうだな、その息子が大学を出て、それもアメリカの一流大学か何かを齧り、肩書を取って、それで親父の後を追うように三十に成れば参議院に。
其れは親父が掴んでいる票と同じ評だから間違いなく通るってわけ。
万が一親父が辞めれば、その地盤を引き継ぐ公算が成り立つ。単純な事だよ。その現実をお前が知れば清き選挙なんて思わなく成るから。
それでお前も段々と世の中の見方が変わって行くってわけだな。変わって行くと言うより、変わらされてしまうって言う程良いかも知れないな。」
「世の中ってそんなものなんだ?」
「そうだよ。だからいつの世も不満分子が生まれ、そいつらが馬鹿をやるじゃないか、意味の解らん殺しだったり虐めであったり、心の屈曲から悲惨な事が生まれる事が考えられるわけだ」
「じゃぁ俺もその屈曲が心のどこかで始まったと言う事だろうね。野際の噂に耳を立て、興味を感じて苛立っているのだから」
「そうだな。悔しいけど勝てば官軍ってやつかも知れないな。この世の中は」
「でも父さん、世の中がそんな図式で塗りつぶされていて、俺たちは従うばかりだなんて悔しいね。
こんな貧富の差が生まれ続ける世の中に成った今は、いやこれからは更にその差は大きく成って行くように経済の先生が言っていたから、野際のような奴は更に力をつけて行く事に成るんだね。」
「そう言う事だろうな」
「悔しいね」
「でも父さんもお前も野際のような親子の事など考えないようにする事かも知れないな。気にして苛立ってと言う生き方より、知らん顔して気にしないで自分の人生を生き続けるほど賢いだろうな。
それがベストな生き方だと思うよ。」
「父さんそんな結論でいいの?でも父さんは選挙がある時は真剣にテレビを見ているだろう?選挙だけじゃない国会中継があれば、俺が何かを話しかけても気が付かない位真剣に見ているじゃない?だから父さんが俺に気にしないで生きればって言ってもその言葉には無理があるね。裏腹だよ」
「そうだな・・・確かに・・・」
久しぶりに息子龍志と話が弾んでしばしの時を忘れていた。
政治家はどれだけの黒い噂が身の回りを駆け巡っても、簡単に引き下がる事などありえない。
むしろその噂を払拭するかの如く、憤慨だと心を表し反撃を繰り返す。
有権者はそんな噂のたつ候補者を疑いの目を心の隅に感じながらも、時間が解決してくれるのを待つ。 時にはその候補に甘い思いをさせて貰った事もあり、崩れかけた我が家の土手が今では立派な擁壁になり、税金で見事に修復されている事実に、目も口も瞑る。
家族の誰かが先生のおかげで道が開けたと忖度を味わい、大いに感謝の気持ちで選挙になれば、仕事の手を止めて、派手な色地の半被に身を包んで鉢巻をして、風を切ってここぞとばかり道をジグザグと歩く。
国会へ行こうが行くまいがそんな事は関係ない。家族が助けられた事が何よりでそれだけである。
だから選挙に成れば締め切り時間のすぐ後で、当選確実のテレップが流れる不思議な現象が起こる。
「これって一体?」
相沢信也は奈良北地区の選挙速報が、いつも同じ事が繰り返されている事に憤りを感じずにはいられなかった。それは野際誠一の選挙区である。
黒い噂は真実なのか、それとも対立候補のデマなのか、それとも事実を曲げている卑劣な人間なのか、はたして・・・
相沢信也はこの何年かに渡り、少なくとも息子龍志が高校へ入って野際の息子と友達に成った事を知った時から疑念の気持ちが生まれ、その父の疑念を払拭する事は一度もなかった。
野際誠一の住まいは、大和川沿いの広大な敷地に建つでかい構えの家であった。
勝手門でさえ普通の家の門を凌いでいた。
昔で言う所の庄屋だったのかも知れないと思える家であった。
それとも大百姓で、とてつもない財を手にしている事を想像さす構えであった。
相沢信也が暇を利用してその家を遠巻きに訪ねていたのは、やっかみからかそれとも正義感からか自分では判らなかったが、一度は拝みたくなっていた事はかねてからの思いであった。
昭和五十八年の初夏
満を持するように車を走らせていた。大和川沿いの河川敷で車を止め、川風が爽やかに吹き相沢の頬に常に優しく撫でていて、心地よく遠くから野際誠一の自宅を見つめ続けていた。
暫くそんな意味もない時間を過ごしていると、犬を連れて川辺を歩くおじさんを見つけ、車から降りてそのおじさんに近づいて行くと、軽く会釈をされて笑顔で見つめられたので、相沢も心なしか少々慌てて頭を下げた。
「こんにちは。いい季節になりましたね」
散歩をしているその方に気さくに声を掛けられた
「はい。気持ち良いです。こんな風に川風に当たりながらぼさっとしていると」
「ええ今日は特にいい風が通っていて」
「いつもこのようにしてわんちゃんを散歩に」
「ええ、」
「いいですね。ワンちゃんも幸せですね。こんな環境で育つって事は」
「ええ、そうかも知れませんね。どちらから起こしで?」
「橿原の方からです。なんとなくぶらぶらと」
「そうですか。なんとなくですか?実は以前ね、貴方が車を止められた場所に、いつも貴方の様に車が止まっていて気持ち悪かった事がありまして・・・
それで気に成るから思い切ってお聞きしましたら週刊誌の記者の方だって事がわかりまして一安心した事がありました。
貴方はご存じないかも知れませんが、実は国会議員の野際さんはこちらの出身で、実はあの立派な御宅なのですが、それでこれも貴方はご存じないかも知れませんが、野際さんがダム工事に関して疑惑が生まれまして、その記事を書いたのが、当時あの場所で見張っていた週刊誌の雑誌社だったわけです。」
「ええ、その言わば黒い噂はどなたでも知っていると思いますよ。
私などは選挙区が違いますが、テレビのニュースにも成りましたから、まして奈良県南で作られたダムですから関心は御座いました。」
「そうですか。それであの頃しつこく野際議員のお宅に出入りする連中を見張っていたと思いますよ。一度話した時にもその様な事をしつこく話されていた事を覚えていますから。でも私もこの地で長年暮らしていますから、迂闊な事を言えませんから言葉を濁させて頂きました。」
「それでは貴方は野際さんの鉄砲玉のようなものですね。野際さんにとって頼もしい有権者の御一人でしょうね。」
「いやぁそうではありません。関わり合いになりたくないって所でしょうね。
疑惑を否定している訳でもありませんし、だからと言ってあの方の疑惑を追及したいとか思いませんから。」
「地元に対して可也の功績もあるのでしょうね」
「そうだと思いますよ。しかしあの立派な邸宅はお父さんが建てられたもの。つまりお父さんは息子さんより更に狡猾って言うか狡知って言うのか、すばしこい方でしたからね。私なんかに言わせれば、むしろ息子さんよりお父さんが疑惑が多かったかも知れませんね。時代が違うから何もかもを力で打ち消して来られたわけで、現在に繋がっていると言う事だと思います。」
「そうでしたか?実は私の息子が野際誠一さんの息子さんと同い年で、たまたま同じ高校へ通っていましたから、決して全く知らない人だとも思えなくて、まして子供たちは友達であったので。
所が最近に成って野際さんの息子さんは、東京の立派な大学に入られ、内の息子は大阪の言わば二流に入り、それで息子から聞かされたのは、同じような知恵であっても、生きている環境によって変わるんだねって、耳が痛く成るような愚痴を零されました。
だから私はそんな事はない、実力が無い者がそんな事をえてして言うのだと言い返してやりましたが、どうも野際さんの息子さんが、懇意にしていた高校時代の友達に漏らした事は、親父さんが裏工作をして今の大学に入る事が出来たと言っていたようですよ」
「ありうる事でしょうね。あのお父さんやお爺ちゃんを見て来た私から見ると」
「そうですか。でもこの辺の方は野際さんが選挙に出ればこぞって野際と書くわけですね。」
「ええその様です」。
「貴方は?」
「私はそれは言えません」
「わっはっは そうですね。迂闊な事を言いまして」
「ではこれで失礼致します。」
「楽しいでした。思いがけないお話をお聞き出来て」
「また出会う事があったならお話ししましょう。私はこの辺を毎日散歩していますから。見かけなく成ったなら、多分私が亡く成ったか、このわんちゃんが亡く成ったかどちらかでしょう。」
「まさかご冗談を」
「そうですね。冗談で済ませる話が面白いですね。
あの立派な屋敷の先生は、いつも冗談では済まされない生き方をされていると思うと息が詰まりますね。そうは思われませんか?」
老人は笑顔を残して相沢の元から遠ざかって行った。その後姿にはまだまだ含んだものがあると相沢には思えた。
この川沿いから見えるでっかい屋敷は二代に渡り渾身の思いで、それが善であるか悪であるかは別にして、財に繋がる全てを培って来たのであろうと、じっと見つめ直しながら相沢は深く溜息をついていた。
❹
この河川敷で工事が始まれば、また野際の息の掛かった何処かのゼネコンが絡んで来て、黒い噂が流れ、それでも平然と野際は噂をねじ伏せ払拭するだろうと、同じ事が起こる構図に霹靂としたものを、想像するだけで感じなければならなかった。
それが政治で、その行為の裏側には雇用が生まれ、お金が動き、多くの関係者が潤いさえ感じる事に成る事も確かである。
だから許されるのか、だから揉み消されるのか、
野際誠一は法律が絶対及ばない場所でいつも陣取って居るのかも知れない。
つまり法律を変えない限り、捕まる事はあり得ない。おそらくその辺りの安全地帯で、何もかもを采配している事が考えられた。
だから幾ら黒い噂が生まれ巷を駆け巡ったとしても、絶対彼の牙城までには届く事はありえないのだろう。
週刊誌の記者が連日この場所で張り込んでいた過去があったようだが、決してそれが野際に致命傷を負わせるまでに至らなかったのは、野際とその取り巻きが如何に狡知であったかと言う事に他ならない。
弁護士が眉間に皺を寄せて考慮したのかも知れないし、もともと野際家に伝わる家訓の一行に『財は善悪に係わらず増やすべし』と成っているのかも知れない。更に深く探れば週刊誌の記者が買収され実は一番潤ったのかも知れない。
それから相沢信也が再度同じ河川敷を訪れたのは、真夏の西陽がまだ照り付ける時であった。
以前と同じように犬を連れたあの時のおじさんが又やってきて姿を見つけるなり
「やぁーお元気で、何方かが死ねば散歩はしないような事をこの前言っておられましたから、お姿を見て何だか嬉しくなりました。」
「あぁそうでしたね、また来られたのですか?」
「ええ、ここは風が気持ちいいですね。まだ確かに暑いですが、でも車の冷房を切って、滲んできた汗を拭きながら川風に当たっていると、とても気持ちいいです。ご主人もワンちゃんもお元気そうで」
「ええおかげさまで、みんな元気にしています。
構わなかったならあのベンチへ行って腰を下ろしませんか?この前は話足らずで気にしていたのですよ」
「そうでしたか?ここで暮らしていると、どうしても政治がらみの話題が多く成るでしょうね。
野際さんが同じ自治会とか隣組って事に成るのでしょうね。」
「ええ、場所柄おっしゃる通りで、政治の話やお国の事を話していると、実に興味津々で時間が過ぎますからね、土地柄仕方のない事で」
「それで変な噂話にも気を揉む事に成るのですね。」
「そう、野沢さんっちは先代から数えると、既に八期目ほどに成るわけですから、其れってたいしたと言うのか性懲りもなくと言うのか、私には一口では言い表せません。」
「つまりその間に色んな噂が飛び交っていたと言う事ですね?」
「そして気が付けばあの様な御殿が出来て、権力の中枢に躍り出て、野党でありながら権力を意のままに操って、黒い噂が立つものなら一蹴し、恐れ入ったと言う他に言い様等ありませんからね」
「ではやはり貴方は決して野際さんの兵隊ではないようにお見受け致しますが?」
「ええ、そんな風に思って頂いて結構です。むしろあの人にとって私は野党って所でしょうね。
だからあの人に湧き起こる疑惑にも人並みならぬ関心があるって事です。もし現実なら、それであの財を築き上げたものなら、それは私たち同じ地域の住民にとって大いに恥であるわけで、一日も早く退いて貰いたいと私は考えます。」
「でも現実はそうは問屋が卸さないって事なのですね。週刊誌が纏わりついて調べ上げても、当然警察も何らかの形で捜査されたと思われますが、言わば逃げ切られたわけですね。
私も息子が関わって居なかったら、然程思いませんが、息子にしてみれば同じ土俵で戦っていた筈の野際の息子さんが、どうもそうではなく、彼だけ徳俵が大きかったように感じたようで、それはこれから生き続ける彼にとって嫌な現象であったと思います。
だから私でさえ少々政治に興味はありますから息子の話とダブってこんな思いにさせられているのかも知れません。」
「誰もがあのような男の事を好いていて、更に尊敬しているなんて思いません。私の連れなどは殆どが野際さんを嫌っています。お宅があの構えですから、それにインサイダー取引疑惑、ダム工事に関しては賄賂疑惑、さらに今回の裏金疑惑、それと貴方が言われた議員のお子さんの進学に関する疑惑もあるとするなら、それは決して国会に送り出す我々にも、繰り返しますが大いに責任があると言う事だと思われます。
あの方を選んでいるのは私たちなのですから。そんな好き勝手をされると心外ですね」
「だからと言って、私は部外者でありますが、確固たる証拠を突きつけて…と考えても無理なのでしょうね。
何しろ同じような事を繰り返して牙城を築いてきた一族ですからね。私はあの方がテレビに出て発言をされている姿を再三お見受けしますが、その度に発言の裏に潜んでいる何かがあると勘ぐっています。」
「それは私も同じです。いやぁこの地区の人たちは大なり小なり同じ思いの方が沢山居られる筈で、しかし選挙になればその人たちも長い物には巻かれろと成り、大木に寄り掛かっていれば雨風も凌げると言う諺もあるように、人が変わるわけです。」
「詰まり色んな意見や不満はあっても、さしあたっては野際誠一と書くわけですね。」
「おっしゃる通りで、私でさえその方が良かれと思う時だってありますから、何しろ四年に一度の判断であるわけですから。
この河川敷も綺麗に整備されているのも、あの方の働きがあったからと聞いた事もあるわけで、他の地域に比べれば比較的行き届いているようですよここは」
「そんな事もあるのですね。だから誰もが認めたくなくても、結果的にそのような判断に成るわけですね。」
「もし貴方が野際議員の事で気にいらないなら、実は二度ばかり選挙で落選している同じ野党の猪瀬正さんがおりますが、あの方なら可也野際さんの事をご存じだと思いますよ。
前の選挙で野際さんの事を可也きわどい発言をされていた事を覚えていますから。
でもそれが事実であっても、どれだけ野際さんの事で証拠を掴んだとしても、選挙と成ると一筋縄って訳にはいかないのでしょうね。
水ものって言うか、その時は声を大にして頷き理解している筈が、蓋を取ってみれば雲泥の差なのですから。
猪瀬さんが言っている事が正しいのなら、野際さんは安閑として居られないと思いますよ。
しかし逆に猪瀬さんを侮辱罪で告訴しているような状態ですから、正直歯が立たないのかも知れません。でも貴方が野際さんの事に関心があるのなら一度訪ねてみては如何ですか?」
「猪瀬さんってまったく存じ上げませんが、その方は議員の経験はないのでしょうか?」
「いえ、こちらの市議選では二度ばかり当選されています。律儀な方で正直者で政治家にはうってつけなのですが現実は厳しいようです。
所詮野党ですから、所属政党が必ずしも世間受けをされていませんから、もったいない話ですね。」
「どちらに所属で?」
「野党のみどりの党です。」
「みどりの党ですか?それは一般受けしないのは全国的ですからね。よくわかります。でも彼らは常に正直者の集まりのような党ですから、野際さんの事を十二分に調べているでしょうね。」
「ですから彼が立候補してから、野際さんの票は少しは減りましたからね。でもまだまだひっくり返す所までは・・・」
「そうなのですか。でもその候補は、その方なりに野際さんに憤りを感じているのでしょうね。」
「ええ、実際同じ舞台に立ってみれば、私だって感じると思うのは、結果として票が違いすぎる事でしょうね。何故あんなに黒い噂が絶えない候補にこれだけ票を集めるのか、それが計り知れないと言うか、ある意味ショックなのでしょうね。
でも納得行かなくって再度挑戦するわけです。
だから私なんかから見ると、本当の政治家はこんな方がするべきであると思うわけです。心の中が清潔であると言うのでしょうね。野際さんに比べれば」
「でも勝てない。」
「ええ、それが選挙なのでしょうね。」
「そうですか、私が興味を持った所で、どれだけ意味があるかなどわかりませんが、野際さんは息子が関わった家族でもありますから、頭の隅に控えておいて、これからの彼の態度に気を付けるように致します。色々な事を思いながら国会中継を見るのも結構妙味がありますからね」
「よくテレビをご覧に成るのですね。」
「ええ、何しろ政治には興味がありますから。」
「面白い話が、テレビって四角いでしょう。私が思うに野際さんがもしテレビに映って何かを発言すれば、その言葉にどのような意味が潜んでいるか考えてみる訳です。
画面の上から、そして下から、更には左右からの四画面からあの人物を見つめ、そしてあの方の言わんとする事を推察するのです。
あの方の発言はそれだけの深みと言うか、企みが潜んでいると言う事だと思います。
そして結果的には金銭を授受し便宜を図らせ、より大きな利権を掴むと思われます。
利権って言うのはそれはやがて票に繋がり、莫大なお金に形を変えるでしょう。選挙区の者としては大変悔しい話ですが、でも正直な所はこのような構図に成っていると思われます。」
「貴方はその反旗を翻している猪瀬候補と面識が御座いますか?」
「特に無いです」
「そうですか」
「でも今度の選挙になれば、それよりあの方は年中政治活動をされているので、近づく事など簡単に出来ますが・・・」
「そうですか・・・今お聞きしていてその方に私興味を持ちまして、なんか息子が受けた仕打ちに対して反逆の気持ちが芽生えたのかも知れません。
大げさな言い方をすれば。いやぁこれは理屈に合っていませんかな。息子がもっと出来ればこんな思いなどしていないですからね。親バカですね。」
「でも野際さんの息子さんは、私たちもよく存じております。選挙になれば常に見かけます。
東京の大学へ行かれた事も十分知っております。それで貴方がおっしゃるように大学に入った時に何か外部から力が加わってと為ると、それは誰でも受験生を持つ親なら耳にした以上は気に成って来るものです。
勿論政治家はその反対の事をする事も確かです。選挙区の誰かを助けて道をつける事もします。忖度です。そしてそれは清き一票に繋がる事も確かです。有権者はそんな政治家を自分の都合で判断して投票する訳ですね。それは清き一票であるか、それとも不純した一票であるか、各人まちまちなのですね。」
「そのようですね。そこに落ち着くから日本中どこへ行っても同じような構図の選挙が繰り返されるのでしょうね。
また選挙の頃には此方へお邪魔致します。貴方から面白いお話をお聞き出来そうですから。」
「面白いって言うより、おそらく不満に満ちた話だと思いますよ。勿論猪瀬候補がひっくり返してくれれば話は別ですが・・・」
「なるほど…ではこれで失礼致します。夏だと言うのにこの爽やかさ、本当にここは良い環境ですね。川風が実に快い。」
「ではこれで」
「あぁ私は橿原市の相沢信也と申します。またお会い出来る事を楽しみにしています。」
「はい、私は斑鳩の田岡でございます。」
「田岡さんですか・・・では」
相沢信也は心に詰まったものが取れたようにスカッとして、真夏の西陽を受けながら橿原市へと帰路についていた。
そして田岡さんが口にした言葉を思い出していた。
野際誠一がテレビに出て発言をすれば、テレビの画面と同じように四方から彼の発言を聞く事であると言った言葉が気に成りおもしろかった。
それは単成る例えである事は承知であったが、まさにそれほどの深さがある事は想像できた。
野際誠一のルーツは三代前に遡れば大百姓である事がわかった。
代官でもなければ庄屋でもなかった。広い畑に野菜やイチジクとかを作って生計を立てている百姓一家であった。
それがどうした事か、野際誠一の親父の作之助が政界に出たのは、その祖父がその頃農地委員をしている権力者であった事で、其れなりの地盤があり、政治家に成る切っ掛けとなった
政治家としての座右の銘が「刻苦勉励」である。
つまりそれは一如に働く意味である。
そんな父を持つ誠一は、親父の後を躊躇なく継ぎ政治家として邁進する姿は親譲りであった。
パソコンで野際誠一の事を紐解いていた相沢信也は、野際誠一が善からぬ道にさえ一如に邁進している姿が見え隠れして来て、更に善と悪の境目で立ち振る舞っているように思えて仕方なかった。
決して落ちない、決して捕まる事はないと、笑顔で豪語している姿さえ見えて来たような気がして来た。
選挙は時が来れば間違いなくやってくる。
四年間勝つが為に誰もが努力を重ねる。その努力の方法は様々でそれはシークレットである。
奈良北地区では定員が三人で、与党国民党が二つの候補を確実に当選させて来て、残りの一枠は野党の野際誠一が先代から引き続いて確保してきた。
これで三人、奈良北地区はこの構図で何年も繰り返されている。
猪瀬正候補がどれだけ頑張っても、この構図を打ち砕く事など出来ないのかも知れない。
有権者の誰もが同じ思いに成っている事は致し方ないのか、結果はまるで示し合わせたような同じ事を繰り返す。相沢信也はまるで関係ない奈良北地区について調べ上げていた。
それは彼の心の中で野際誠一に対する不信感が充満していたからであった。輪をかけるように近年日本中で同じような疑惑が、示し合わせた様に表面化してきて、相沢信也の心を乱す結果に成った。
政務調査費を流用したり、懐に入れたり、政治家に付き物のモラルが欠けていたり、同じような事が全国的に起こっている現実をマスコミ各社は流し続けた。
『何て事だ!』と相沢信也は情けない思いで現実を目にし心を苛立たせていた。
そして何人もの先生と言われる人たちが、マスコミに追及され逃げまわる姿に、悲しささえ覚える情けなさであった。
『何故こんな奴が政治を目指す。どこに正義があり、どこに奉仕の精神がある。何所が公僕か!」
相沢信也はこの奈良県北地区を紐解きながら、全国の多数の政治に係わる黒い噂が立つ人物に対して、心の中に複雑に絡む怒りや虚しさ情けなさなどが入り交っている事を感じていた。
やがて選挙がまた近づいて来て、また同じ事が繰り返されるのかと嘆いていた時、息子の龍志が思わぬ事を口にした。
「父さん、俺大学で最近付き合い甲斐のある人と知り合いに成ったんだけど、それで俺家から大学に通っているけど、出来れば大学の近くで寝泊まりしたいんだ。ダメかな?」
「どうして?あと一年余りだからここから通えば良いじゃないか?」
「でもね父さん、これからの一年って俺にとって可也重要な一年に成るように思うんだ。
俺の将来の羅針盤に成るような人と出会ったから」
「羅針盤に成るって?」
「そう、だから俺その人とこれからの人生を共に助け合ってと思っているのだけど」
「それは商売でもしようと思っているのかな?」
「いや違うよ、政治だよ。国政を考えている人だよその人は」
「国政?」
「そう、民政党って言う政党なんだけど」
「あぁそれってまだほんの僅かの議員の党じゃないか七人か八人の」
「そうだよ。でも俺が思うに、どの党より優れた人が集まっている党だと感じているんだ。
だからこの人たちと付き合って行きたいって、この人たちの為に仲間になって働きたいって。
それで大阪の候補の野村健三さんの私設秘書になりたいと思って。
だからここから通っていては、選挙の時も国会に先生が行っても、何かと用事があるから、身近で俺役に立ちたいんだけど。」
「それで大学は?これからの事が何よりも大事だから先ずは卒業だろう?
お前を雇って下さるその先生も、卒業をしなくて良いとは絶対言わない筈。する事はキチンとしてからでないとな」
「そんな事わかっているよ。でも俺先生の鞄持ちに成りたいと思っている。其れで政治のイロハを身に着けたいと思っている。」
「その先生の事は父さんも知っているよ、古くから議員やっていると思う。」
「ええ、今度で四期目かな」
「じゃあベテランだな。」
「そう、政党が小さいから力はないけど、でも言っている事や考え方を聞かせて貰っていて、この人なら俺どんな事があっても付いて行けると思えたんだ。
だから俺大阪で、先生の事務所の近くで寝泊まりしたくって。勿論勉強はきちんとするから。きちんと卒業もするから。だから父さん俺の思うようにさせて貰えない?」
「どうしてもその様にしたいのなら、思うようにすればいいが、でも道を外すような事はないようにな。」
「解ってくれるんだね。ありがとう。」
唐突にそんな話をされて少々寂しさが湧いてくる事を感じながら、やがて息子龍志は脱皮するように子供ではなく成ってきて、社会人の一人に成り特別な関係の者ではなく成る事が、父信也にとって辛かった。
龍志は父の許しが出た事でさっそく荷物を纏めて大阪へと向かった。
❺
それから一年
息子龍志は大学を卒業するものと思い込んでいた父信也は、驚くばかりのひと時を迎える事に成った。
「父さんごめん。俺先生の事務所に通い詰めていて大学の方が幾ばくか疎かになってしまって、だから単位が不足して・・・でも僅かだから来年には何とか成るから心配しないで」
「だから言っただろう。政治も良いが、やる事はきっちりしないといけないって」
「わかっているよ。わかりつつだから俺なりに計画もしてあるし、覚悟も出来ているから頑張るよ。」
「ならいいけど」
「それで父さん今年は選挙があるね。内の先生は間違いなく通りそうだけど、問題は次の選挙では我党からもう一人候補を出すんだって。
大阪はこれまで一人で確実にやって来たけど次回は二人の候補を用意するらしいよ。それでしっかり頑張って勉強をして、あんたも何れは奈良県から立つ位に思っていればって言われているんだよ。」
「龍志、そんな甘い言葉に乗って、その気に成ったりなんかしたらとんだ目に遭うよ。そんな容易いものじゃないから。其れよりまず地に足がついた考えを持たないと。とりあえずまずは卒業だろう?」
「そうだね。でも父さん、俺政治の勉強をしたいから大阪へ行きたいって言ってから一年が過ぎたけど、随分勉強をした積りだよ。
今なら父さんと政治の事についても台頭で話が出来るかも知れないな。面白いね。其れに我政党は決して狡猾な事を発想しないから、その点随分楽だから。高校時代の友達だった野際の親父さんのような、黒い噂が出る事などありえない政党だから」
「それはわかる。お前の党はみんな真面目そうで堅物で間違った事など絶対しないって感じだから」
「そうだよ、だから今はまだ小さな政党だけど、必ずやいつの日か、我党の様な考えが主流に成ると思うよ。これだけ乱れてくると、 新党凌駕の奈良選挙区の野際さんなんか、こちらでも有名だから色々聞かされるよ。
俺が野際議員の息子と同級生って言った途端に、野村さんやみんなから色んな事を聞かされたよ、あの人を良いと言う人はまるで居なかったな。
野際の親父さん嫌われて嫌われて、国会ではみんなから敬遠されているのかも知れないよ。」
「それはなぁ、あの人が怖い人だからかも知れないよ。
選挙が何であるか十分承知で、有権者はその上で悪を選ぶんだから、しかも絶対本人は悪には行きつかない男だから、つまり絶対捕まらない様に立ち振る舞うって事だな。
だからそんな事は誰も出来ないから、長年の積み重ねで次第に野際色にされてしまうのだろうな。」
「まるであの人が居る所は伏魔殿ってわけだね
違う父さん?」
「まさにその通りかも知れないな」
「これは俺の言葉じゃなくて内の野村先生が言っている言葉だけど、父さんもそんな風に思うんだね。」
「まさしく」
「俺この一年間は、決して大学で学べない事を学んで来てたように今なら思えるよ。
それで肝心な事は普通に大学へ通っているより、遥かに意味があったと感じているよ。父さん俺大学は間違いなく卒業するから今は何も言わないでくれる。」
「それで龍志は、例えば国会とか行った事あるのかな?」
「勿論あるよ。生の総理大臣を見た事もあるよ。
だから父さんでも政治に興味があるのだから、きっと興奮すると思うよあの赤絨毯は。」
「そうなんだ。面白そうだな。」
「あぁ我民政党はまだまだ小さいけど、でもいつの日か大きくなり主流に成ると思うな。
だって間違っていないんだから」
「それは父さんでも解る。テレビに出る機会は少ないけど、時たま聞こえてくる声は、しっかりしていて筋が通っているからそれは解るよ。」
「俺野村先生の話を初めてお聞きした時から《この人に就いて行きたい》と思ったね。《この人には未来がある》とも思った。
それで一年が流れて今はどの様な心境かと言うと、全く同じで、あの頃に抱いていた気持ちより遥かにしっかりした気持ちが育っているよ。
俺もあの方のお蔭で一年分成長したと思うよ。」
「そうか、龍志の言葉を信じないといけないな。そんなに只管で一直線に成っているのだから。」
「あぁ」
「でも今の人数では何も出来ないのじゃないのかな現実問題」
「そうかも知れない。せめて現状の三倍にならないとね。」
「三倍なら野党第二党に成るね。そうなれば力も付いてくると思うな。発言の機会やそれに持ち時間も長く成って、党の理念が広く伝わると思うよ。今の状態では話にならないからな。国会中継なんか見ていると最後の最後で、ひと事ってありさまだからな」
「父さん本当によく見ているんだね。全くその通りだから。でも何時か必ず」
「そうか、お前の様な若い党員が増えれば、また違う日が来るかも知れないね。」
「そう、だから大阪は今度の選挙では二人候補を立て何れ奈良県も・・・」
「その時が来たらお前が頑張るって事かな?」
「それは判らないけど、でも一歩前に進んで居る事は確かだから。父さん、こんな男も居ても面白いと思ってくれないかな?」
「面白いよ。所詮政治ってそんなとこあるからな。大いに責任があるにも関わらず、所詮勢いだけって事も言えるからな。」
卒業を逃した息子龍志であったが、彼らの努力が功を奏し、大阪で二人の候補を立てた民政党は次の選挙で二人とも当選させた。それは全国でも同じ思いの有権者が居る結果となり、民政党は政党結成以来初めて二ケタの議員が誕生したのであった。 議員数十二人と成り、野党第三番目に名を連ねる事と成った。
相沢信也は政治に人一倍興味がある男であった為、その息子龍志が大躍進した民政党に係わっていると言う事だけでも、気に成って気に成って、居ても立っても居られない思いで、この選挙を迎えていた事は確かであった。
そして思いもしなかった結果に、父信也はこの結果は息子の人力の賜物であるかのように、親ばかな事まで考える始末であった。
そしていつの日か息子が、橿原市の国道で選挙カーに颯爽と乗り込み、白い手袋に必勝の日の丸の鉢巻き姿で、拡声器から溌剌と大きな声を発する姿が目に浮かんで来て、心を躍らせていたのであった。
親ばかである、単純であると思いながらも、具体的に数字で示した今回の選挙は、民政党の関係者にとって夢の世界と成った。
「父さん俺の言う通りに成って来ただろう。」
「そうだな。お前も縁の下の力持ちで頑張ったんだな。頑張っている姿が見えてくるよ。所で大学は?」
「正直に言うと留年かも知れないよ。でも俺大学で可也票を集めたから、簡単には出ていけないって事なんだ。来年も再来年も」
「まぁ目を瞑る事にするか・・・結果を出しているのだから尊重するよ。」
「ありがとう父さん。父さん俺大学をきちんと卒業する事より、大学は俺自身の為のものじゃない。でも今している事は言うなればお国の為じゃない。民政党も野村先生も常にお国の為に働いている方だから、私利私欲とか利権とか一切興味のない人たちだから、野際さんのように変な噂など絶対立たない人たちだから、だから何時かは必ず勝つから」
「そうだな。今回の選挙で随分自信が出てきたような気がするな。父さんも応援するから。奈良県では昔から民政党の候補などいないけど、でも何か起こりそうな気がしてきたな。龍志に感化されたのかな」
「そうでしょう。そうだろう。」
「あぁ」
龍志がなんとか大学の卒業証書を手にしたのはそれから更に一年が過ぎていた。
あれだけ殺気立つように駆けずり回った選挙であったが、ひと段落した龍志は、野村健三議員からも言われていた大学へしっかり通い続けていた。
そして野村議員に勧められた国会に常勤するようになり、一人前の秘書と言う肩書を貰う所までに成っていた。
国会は龍志にとって戦場であったが、そのめまぐるしさが、やる気も根気も情熱も身近に感じる毎日と成っていた。
東京へ行った事でそれまで然程思わなかった同級の野際の事が気になり、時たま意識する事が多く成った。
それは野際の親父が新党凌駕の議員であるからで、然程高校時代は二人で何かをしたと言う事はなく、教室で雑談を交わした事は幾らでもあったが、その程度の間柄であった。
だから会いたくてしょうがないとか、東京へ行ってからどうしているのか等全く気にならなかったが、野際と仲が良かった同級の弥冨健一から色々聞かされた事があったから、それで何となく気に成っていた事は確かであった。
それは弥冨によれば決して良い噂では無かった。大学へ入る時に親父の野際誠一が裏で何かをしていたと言う噂であった。
つまりそれは裏口入学と言う意味である。
だからその事があったから、龍志は彼の親父が政界で君臨している現状である以上、少し気になっていただけの事であった。
野際誠一の息子の名前は野際聡と言った。
現在東京で大学院に通い法律家を目指していた。
龍志は野際聡の事に興味も無かったし、探そうとも思わなかったが、それでも国会で父野際誠一議員にある時声を掛けられて、息子聡と高校時代に同級であった事から、親しく挨拶された事があり、急に何故か接近している事を肌で感じる事と成った。
「野村先生から貴方の事をお聞きしていますよ。随分頑張られて大阪選挙区から二人の議員を」
「おかげさまで。」
「いやぁ立派だ!」
「はい。有りがとう御座います」
「息子にも言ってあるから、貴方のご活躍を」
「聡さん元気にされているのでしょうか?」
「ええ、中々厳しいと言っていますよ。またお茶でも付き合ってあげて下さい。あいつ喜びますよ。」
「はい、ありがとう御座います。機会が御座いましたら」
「せっかく東京へ来られて居るのに、時には息を抜いて下さいな。」
「はい」
龍志にとってよもや野際誠一から声が掛かるなんて事は思いもしなかったが、民政党の野村健三議員から、龍志が野際誠一の息子と同級生である事を聞かされていて、それであの運びに成った事が直ぐに納得出来た。
奈良と大阪ともに古参議員であるから、それは当然の流れである事も頷けた。幾ら双方を批判していたとしても所詮同じ穴の狢、同じ境遇に晒されなければならない事には変わりない、当選しなければ只の人に成る。
それ故に例えそれが表面だけのものであっても、共通する試練や悩みや難題を共に抱えている事は確かである。
龍志が尊敬する先生野村健三に対して、今回の出来事で少々心に触ったが、二人の立場に成ってみて、初めて納得出来たのであった。政治家には表の顔と裏の顔があると言うことだろうと思えた。
四年と言う歳月はそんなに長くはない。民政党にとって新たに候補を模索し、拡大しなければならない。今回の選挙で大阪から二人の議員を当選させた勢いは、国会の小さな会館も狭く成るような有様であり活気に満ちていた。
「次の選挙結果ではいよいよこの会館では小さ過ぎるね」と、笑いながらその目は輝いていた野村健三議員は力強く拳を作っていた。
「大阪で二人それで滋賀で一人、それ以外は京都も奈良も和歌山も兵庫も近畿では居ない。
全国で十二人だから仕方がない。近畿は三人に成っただけでも大躍進である。
「しかし今回の選挙では、我民政党の清潔であり真面目であり、そして私利私欲など論外であると言うキャッチフレーズが、全国に広がって行きそうな予感のする選挙であった事は言うまでもない。
その波が全国に広がり、政治とは何ぞやと、国民、有権者が首をかしげるように成れば、世の中が動く事に成る。だからみんなも頑張って頂きたい。」
龍志は野村議員の力強い言葉に目を輝かせていた。
「みなさん、ここ五年ほどの間に起こった不祥事や悪い噂、あるいは刑事事件に成りそうな出来事、失言や問題発言、当然賄賂や金銭流用など、数々の出来事を調べ上げました。
これは国会議員全てであります。当然新聞沙汰に成り、今でもくすぶっている件も御座います。
我小さな政党はこの様な事につけ込んで、票を伸ばす姿勢は決してフェアではない事はわかっていますが、わが党の趣旨に適っている事も事実で、このような問題議員は政治の世界から払拭する事もある意味目的であると考えます。
ですからこの度書き出しました人物に対して、全面的に攻撃を掛けるべきだと考えております。
誹謗中傷ではなく、真実と有権者の考えを正して貰う事が何よりではないかと考えます。
政治とは利権でもなく我田引水でもなく、あくまで平等で清潔で私利私欲の全くない公人であらなければなりません。
よって皆様方は権利や裏で働く力に屈する事なく、国民の平等と平和の為に立ち向かって頂きたく思われます。
そして次回の選挙が終わった時、溢れんばかりのの同志が結集する事を願っています。今日から新しい選挙が始まったことを常に意識しましょう。」
民政党代表の言葉は力強いものであった。
龍志は少し前まで籍を置いていた大学に赴き、共に活動をしてくれていた後輩などに、民政党の現状と意向を伝え、全国大学民政党連絡協議会を立ち上げる運びとなった。
そして他の大学にもその話を電光石火の如く伝えて貰う事にした。
政治に対する考え方が様変わりし、正論が浮上していて、大学生の間では両論が入り乱れていて、紛糾している最中であった。
だから大学生は同じ思いの者が多く存在し、龍志の思いは事のほか早く彼らに浸透して行ったのであった。
【いま大きな法案が通過しようとしています。私たちの将来について、平和である事を忘れてはいけません。貴方も立ち上がりませんか?
他にも問題があります、例えば、はたして高額の報酬を取る議員が五百人も居ますが、それは本当に必要なのでしょうか?地方議員を入れるなら数万人にもなる現実を考え直そうではありませんか?彼らは一体何をしている? それがどれだけ国民の生活に潤いを齎しているか?
不正や不純な議員は全国で幾らでも毎日のように生まれる事実は、どの様に改善し何時に成れば無くなるのか?何故そのような人を選ぶ体質があるのか?
今一度考え直そう、見直そう、貴方が選んだ人の事を。選挙に行かなかった訳を。】
そのチラシが至る所に配られる事と成った。
当然奈良県北地区の野際誠一新党凌駕議員の地盤にも及んだ。
当然有権者は心で長年くすぶっていた感情の一つであったから、じっとそのチラシに目をやる人が相当数増える事と成った。
何度もの黒い噂。その本丸の野際誠一であったが、それでもまるで他人事のように我関せずと息巻いていた。其れと言うのも奈良県には民政党の足型すらなく 、民政党など皆無に等しい存在であったので無理もなかったのである。
野際誠一にしてみれば、見えない敵に刃を向けるようなバカな事はする積りはなかったので、全国的に押し寄せている波も、彼の地盤に於いては全く関係なかったのである。
そして次の選挙まで二年を切り、どの陣営も窮屈な思いが心を埋め尽くしだした時、民政党は奈良北地区で、初めて候補を立てる準備を模索していた。
其れが相沢龍志と言う訳には行かなかったが、奈良でも市民運動を繰り広げている小さな団体の代票に、白羽の矢が立つ事と成った。
沢谷亜紀がその人で、真面目で明るく海外からの観光客が増えてきた現状に対して、仕事の合間を見てはボランティアで通訳をしたり、海外からの観光客の手助けをしている健気で闊達な女性であった。
それは東京選出で民政党の副代表田所郁也によって発掘された経緯のある女性で、田所郁也が奈良へ観光に来て、当時外人と一緒だった事から沢谷亜紀が近づいて来て、奈良の街を案内された事が切っ掛けに成ったのである。
その後も田所は沢谷亜紀に電話を入れ、沢谷亜紀が結構政治に興味を持っている事も知り、また民政党の事も興味を示していて、更にはボランテイア精神が人一倍旺盛であり、また民政党の律儀な所に興味を示していた事も、何もかもがプラスに働き、それで沢谷亜紀が次期選挙で躊躇なく民政党の候補者として、激戦区奈良北地区にのろしを上げる段取りに成ったのである。
沢谷亜紀は二十六歳で独身であった事も彼女を選挙に走らせる大きな後押しに成った事も事実であった。
奈良は民政党の知名度など全く無いが、ほんの僅かがあるとすれば、先ほどの選挙で民政党が躍進したニュースが何度も流され、多くの奈良北地区の有権者の耳をくすぐった事は間違いなかった。
しかし奈良北地区はかなり以前から、その割り振りは決まっていて、与党で二議席と野党が一議席であった。その野党は野際誠一で、三人で全体票のおよそ八割五分に及んでいた。
詰まりどうあがいても新人には届かない数字で反旗を翻している猪瀬候補に於いても、その数をひっくり返すには到底無理な数字であった。
当選ラインまでに及んでいない十五パーセントを埋めなければならないわけで、当選ラインと補欠では十パーセントの差があったのである。
そこへ割り込むように民政党は沢谷亜紀候補を立てるわけだから、数字上では負け戦に思えるばかりであった。
それでも龍志は他でもない奈良にいよいよ波が押し寄せてくれる奇跡を思うと、心が揺れ動くばかりであった。
沢谷亜紀候補が奈良の街で動き始めたのは、選挙まで少なくとも一年半に成っていて、解散風は吹いていなかったが、総理はその事も時には口にする環境であった。
法律の改正を兼ねてから与党が口にしていて、野党の猛反対で長らくの懸案事項になっていたから、強硬に成立させれば一気に解散となり、国民に真意を問う事に繋がるのである。その可能性は十分考えられ一刻の猶予も全ての国会議員には無かったのである。
民政党の僅か十二人の小さな政党が、世の中を変えるがごとく突っ走っている姿は、奈良の住民にも伝わる事と成った。 それと言うのも沢谷亜紀候補の知名度は抜群で、しかも若く可愛さも手伝って、これまでやって来たボランティアも好感を得る事であったので、二つ返事で硬い握手に繋がる有権者が日増しに増えて行ったのであった。
それでも選挙である事には変わりない。アイドルの選挙ではない。
握手をする人にはその手を握る為の握手であるかも知れない。民政党本部から野村健三議員や奈良出身の相沢龍志が駆けつけ応援に回る日々が続いていた。
そして一か月が過ぎ、二か月が過ぎ、とうとう一年半を数え告示日に突入する事と成った。
たった一票であったが龍志の父相沢信也は大和川に赴き、犬を散歩させている斑鳩の田岡と言った人を待っていた。それは息子が応援している民政党の沢谷亜紀をお願いする為の親ばかな心使いであった。
「あぁお久しぶりで」
「そうでしたね。あれから何年経つか?四年か五年に成るでしょうね。」
「お変わりなくワンちゃんを散歩させているようですね」
「はい、変わりなく貴方もお変わりございませんか?」
「ええ、変わったと言えば、私も五十の歳を超える様に成りました。」
「五十ですか?お若い!私なんか七十二ですから、
五十何て然程意味等御座いませんから、単成る長い人生の通過点に過ぎませんから」
「そうでしょうか。なんか大台に乗ったと少々悲観していましたが」
「なんの、まったく意味のない事で。これからですよ人生は。私なんか既に七十二歳ですから、貴方と同じようには行きませんが、歳を気にするには私位に成ってからでしょうね。
具体的に体に異変が起こって来て気にするわけではなくっても、体のどこかから赤信号が点灯するように成るわけです。
だからお歳を気にするように成るのはそれからなのですよ。えーと何さんだったっけ?」
「相沢です」
「そうですか?それすらも記憶にないですからね。歳をとるって事はこんなものでしょう。貴方は私の名前を憶えて下さっていますかな?」
「はい田岡さんです。」
「いやぁうれしいね。なんかありがたく思います。感謝申し上げたい気に成ります。刹那の間のお出会いでそれで四年も五年も経っているのに、名前を憶えて下さって誠に恐縮です。」
「とんでもない貴方とここで、あのベンチで話し合った事が、今でも懐かしく思うからですよ。」
「では構いませんなら、またあそこでお話し致しましょう。選挙も近づいて来ましたから話に弾むでしょう。」
「そうですね。」
「今回は私も面白く成ってきたと思っていて楽しみにしているのですよ。あの民政党って中々やりそうな気がしていますから。」
「そうでしょう。田岡さんは民政党に興味を持っておられるのですかな?」
「ええ、今まで猪瀬候補を押していたのですが、二回も埒が開かなかったと言うか、あまりにも差があり過ぎて、猪瀬さんも憂さ晴らしで選挙に出ているわけではないと思いますが、少々飽きて来ました。
でも民政党は今回は全く勝ち目が無いかも知れませんが、中々これからの党だと私は思っているのです。」
「そうでしたか。実は私口を挟んで『有難う御座います』と言いたくてもじもじしていました。」
「それはどうしてですか?」
「実は私には一人息子がおりまして、それが大学でどんな拍子にか判りませんが、大阪で民政党で頑張っておられる野村健三さんって方がおられますが、その方と知り合って、それでその方に息子が惚れ込んで、奈良の家から通っていたのを大阪で住むと言い出して、どうも日夜野村健三議員の元で応援していたようです。
❻
その息子たちが頑張って、先の選挙では大阪から二人の議員を出す事が出来、更に全国では八人だった議員数が十二人になり、飛ぶ鳥を落とす勢いとまで言えませんが、少なくとも水を得た魚の様に、今回の選挙に臨んでいるようです。
だから奈良県北地区も今回民政党の候補が出て新しい風を吹かす積りの様です。」
「そうでしたか。息子さんが力に成っているのですね」
「ええ、正式には大阪の野村健三議員の秘書と言う事で、国会に行って日頃は頑張っているようです。 私は結構政治の事は好きですか、まさか子供がそんな風に成るとは思ってもみませんでした。
まぁ律儀で正直者の集まりの様な党で、私利私欲など関係ない党ですから案心しております。だから田岡さんが民政党の事を良くおっしゃって頂き大変嬉しいでした」
「そんな事があったのですか?解りました。貴方が最後まで言わないかも知れませんが、私は今回民政党の沢谷候補に一票を入れさせて頂きます。当然家内にも薦めてみます。」
「ありがとうございます。選挙カーの隅で若い男が乗っている筈ですから、また機会があれば声を掛けてあげて下さい。勿論こちらは場所が場所ですから、田岡さんが心証を悪くなさらないように」
「いやぁ時代を変えるのは我々有権者ですよ。
摩擦は付き物 今より爽やかで裏表なく、正直者が楽しく暮らせる時代は、我々有権者が作っていくべきですよ。
黒い噂が流れる候補を計算して入れるなんて一番情けない事ですよ。
相沢さん息子さんに私言ってあげます。貴方たちのような若い人がうんと頑張って良い時代を作って下さいって、お父さんも頑張って下さい。」
「ありがとうございます。今日選挙の話が出て、実はこの話の落ち着く所は、まさに今貴方が言われた事を思っていましたが、でもそれは不躾な話であるとも思っていました。
下手な事を言って貴方に嫌われてはいけないと思っていました。貴方が置かれている状態をろくに顧みず、息子の事ばかりを考える親馬鹿に成ってはいけないと、だから気を揉んでいました。
でも貴方のお口からスカッとするような言葉をお聞きして、目頭に熱いものを感じています。
そして今息子が選んだ道に狂いが無かった事も知りました。
私は奈良県の南地区の者ですから、やがて息子たちが力を合わせてより良い日本、より良い奈良県を築いてくれるものと思っています。今は全く影もない話ですが、可能性を感じています。」
「民政党は立派な党ですよ」
「ありがとうございます。」
思わぬ運びに相沢信也は嬉しくなってきた。
そして息子龍志の顔を浮かべていた。
田岡さんと別れて家路についた信也は、走り行く車の遠吠えに似た選挙カーの鶯嬢の声を耳にしながら、息子龍志が橿原の家から野村先生のもとへ出て行きたい事を打ち明けられたその日の事を思い出していた。
そして新党凌駕の野際誠一を同時に思い出し
『あんたの時代は終わったよ。』と心で叫んでいた。
選挙運動は瞬く間に二週間が過ぎ、ついにその日を迎える事と成った。
民政党の躍進をマスコミは大きく伝えながらも、決して弱体化はしていない与党も、野党第一党の新党凌駕も必至である事を伝えた。
そして選挙日当日、
出口調査では与党の国民党が過半数割れが間違いなかったが、若葉の党との連立で何とか過半数を確保する勢いである事を伝えていた。
そして新党凌駕は勢力において、その数には大幅な減少傾向にあると伝えられた。
まだ蓋を開けたわけではなかったが、新党凌駕はこの四年間で起こっていたマスコミを騒がせた出来事で、全てマエナスに転じた事が考えらると伝えた。 奈良北地区の野際誠一候補に立てられた噂は、ボディーブローのようになって、全国的に票を失くしていたのかも知れないと言う解説者が多数であった。
投票は締め切られ、速報が分刻みに流れ始め、相沢信也がテレビを見ながら、奈良県北地区の事を自分の南地区の事より気にして、状況を睨めつけていた。民政党の躍進を信じて、
しかし票が開けられて行く度に絶望に似た数字が、彼の心の中に詰まっていたものを打ち消す事と成った。
結果は以前と全く同じ割り振りになり、何一つ変わらない奈良の新しい四年がスタートする事と成った。民政党新人候補沢谷亜紀は次点まで票を伸ばしたがそれまでの数字であった。
これが選挙
これが現実
「惜しかったな。父さんも応援していたけど、運動したのが二年何て早いからね。時間が足りなかったと言う事だろうな。」
「それなら良いけど、でも当選した三人は今回は七十二パーセントだから少しは脈があったと思うよ。それに民政党は全体では三人増えたから、総勢十五人に成ったよ。」
「立派なもんだよ。単独野党第三党にあと少しで慣れるじゃない。立派立派」
「でも父さん、変な事起こっているね、ショックだよ。
野際候補が最高の票を取っているからね。あんなにネガティブな噂が流れて、それでこの結果だから参ったよ。新党凌駕は数を減らしているのに」
「そうだな。悔しいな。」
「俺はね、今回の選挙は大幅に野際さんが票を減らすと読んでいたんだけど、全くその逆で票を伸ばしただろう。むしろ国民党の二人の候補が票を減らしているから判らないもんだね」
「それが選挙って事だと思うよ。」
「じゃぁこれからもこんな時代が続く事に成るかも知れないね。つまり変な噂が幾らでも出る。そしてその噂を力でもみ消してしまう。今回の選挙でその事が証明された様な気がするな俺。
ある意味ショックだよ。 甘いかも知れないけど、正義は勝つと思っていた部分も確かにあったから。」
「でも諦めるなよ。今までと同じ気持ちで続ける事だよ。民政党の理念を信じて」
「あぁ、ありがとう父さん。」
「奈良の沢谷さんだって次回には何とか成るって、今からスタートする訳だから、本人がめげないように力に成ってあげないと。結婚も考える歳だから複雑だけど・・・」
「そうだね。でも彼女はしっかりしているよ。だからまた野村先生にお願いして奈良へ来て貰うから、また頑張ってくれると思うよ。」
「そうだね。このまま引き下がるのなら、初めから出なきゃ良かったって事に成るからね。突き進まないとな」
「あぁ」
「龍志、父さんは変な事を言うかも知れないけど、まぁ聞いてくれる」
「なに?」
「爆弾がさく裂するようになれば間違いなく勝てると思うよ。」
「爆弾?」
「そう」
「それって何?」
「つまりだな、疑惑の議員の化けの皮が剥がれればって事」
「其れって野際議員の事?」
「そう」
「無理でしょう?そんなの、だって今までの誰も打ち砕く事出来なかったのでしょう?」
「だから誰かが打ち砕いてくれれば、野際議員の本性を掴んでくれれば、当然相手がある事だから、その相手を見つけ出し白状させるって事に成るね。
それでも彼ら国会議員は、特別扱いだから、法律で優遇されている事もあり、確実な証拠や証言が必要だけどね。無理な話かなぁそんな事」
「なんだよ父さん、名案のように言っていて最後は尻窄みかよ」
「まぁそんな夢の様な話では埒が明かないなぁ。」
「焦らずみんなで話し合って、四年後の事を夢見て頑張るから。」
「そうだね。民政党の将来は、かもすれば奈良北地区の今後に比例するかも知れないね。」
「どうして?」
「だから今国会で一番疑惑のある議員は、新党凌駕の野際議員だと思うな。その議員にコテンパンにやられていては、民政党とは一体何者かって事に成るじゃないか、 民政党が国民の事を真剣に考え、それで律義で正直で裏表など全くなく、私利私欲に関心もなく、それで国民から理解を貰えなかったなら、それはおかしな話で、この国は不思議な国って事に成るじゃないか、それでいて今回のように野際誠一のような人物が、誰よりも票を取っていると言う事は、これは奈良県民に何か狂いが起こっていると言う事だろう。
父さんは今回の選挙で票こそ伸ばせなかったけど、民政党は必ずいつの日か天下を取るものだと信じるよ。其れは今回の選挙で、新党凌駕野際誠一に入れた人たちが、間違っていたと気が付く時だと思うんだ。
龍志頑張れよ。必ず夢が叶う日が来るから」
「ありがとう父さん」
そうは言ったが、既に大学時代から野村議員と寝起きを共にして、縁の下の力持ちに成っている龍志の、心の内を思うと可哀想であった。
それが自分で選んだ道で、まったく躊躇も悔いも無い何年間も過ぎていると思いながら、成せなかった今回の選挙結果は、少々親ばかであったが辛かった。
また新たな四年が始まる事に成るわけであるが、龍志でさえやがて三十の歳を数える現実を思うと、父親として何か力に成れなかったかと思うばかりであった。
龍志は惜しくも今回の選挙で次点に甘んじた、奈良北地区の民政党公認候補沢谷亜紀を引き連れて、野村健三議員の居る国会の民政党会館を訪ねた。
「沢谷さんこの赤絨毯を歩きませんか今度こそ」
「はあ・・・」
「沢谷さん貴方なら言っている意味が解っていただける筈。この絨毯はね、黒い心の人は歩いてはいけないのですよ。少なくとも私たちの党はその様に思っています。
真っ白な心の人が歩く通路なのですよ。解って貰えますね。貴方はそれを許されている方なのです。今に見てみなさい、歩けなく成る人が必ず出てきますから。言っている意味解るでしょう。
今日は態々東京までお越しに成ったのですから、何も考えなくていいですから、この絨毯は私たちが歩く通路であると、しっかり心に覚えさせて下さい。そして今度は、四年後は必ずこの絨毯を踏み締めるんだと」
「野村先生、ありがとうございます。お心遣い、それにお励ましのお言葉感謝申し上げます。わたくし今一度必至で頑張ります。」
「そうですか。貴方ならやれると確信しております。田所先生が東京から奈良へ行き、通訳をして頂き、その時に見初められた人ですから間違いなどありません。貴方は必ずやものに成る方です。自信と信念を持ってください。
それに相沢君も準備をする時期が来たからその積りで」
「えっわたしがですか?」
「そうだよ。いつの日か言っていた事を覚えてくれているかな?」
「はぁそんな事があったかもし知れません。いえ思い出しました。先生から今のように言われて、父に言うと笑われた事を思い出しました。」
「でも今はお父さんは龍志君の事を絶対笑わないと思うよ。公認候補に成る事は間違いないから準備しなさい。奈良県南地区だね君は、沢谷さんは北地区で」
沢谷候補に野村議員は、まるで洗脳するように力強い言葉を掛けていたが、その余波のようにして龍志にも声が掛かる事と成った。
四年経てば龍志も三十三に成る。決して幼い事などく、これからの政治は年齢的には申し分ない。
沢谷亜紀がこの度の選挙で有権者から
「貴方は英語が得意ですね。でも日本人は英語なんか判らなくても良いのですよ。ただ知っておかなければならない英語は、『イエス』か『ノー』だけでいいのですよ。それだけはしっかり覚えておかなければなりませんが』などと、捻くられた事があったと笑いながら言っていた。
確かにその意味が解る。優柔不断である事は政治家にとって一番いけない状態である。
重々承知で・・・とか、しかるに・・・とか考慮する・・・とか玉虫色の言葉が多すぎる世界である。
だからその有権者に沢谷さんは
『アメリカ人ははっきりしていますよ』と言い返したと言ったようだ。
思いがけない重圧が龍志の心を満たし始めた。
時期民政党候補に奈良県南地区から出馬する事になれば・・・そんな事を思うだけで息が詰まりそうに成ってきた。
「父さん俺今日ね、野村先生から次回は奈良県南地区から出馬するように言われたよ。」
「でも秘書だから無理だろう?」
「でもその秘書をしている先生から言われたのだから、何もかも計算づくだと思うよ。俺はそう捉えているのだけど、そうでしょう?違う?」
「まぁそうだと思うけど。でもこの時期にタイミングが悪いな、奈良県の南地区は何しろ全く更地だからね。有権者に関心があるかなど、全く判らないからな。」
「だから今の内に耕耘機になって隅から隅まで耕せって事じゃないの?四年間かけて」
「龍志に出来るかな?沢谷さんも落選したから気が重たくないのかな?」
「それは大丈夫。先日沢谷さんと連れ立って国会へ行ってきて、野村先生が赤絨毯を案内して下さって、そこでこの絨毯は疚しい心を持った人は歩いてはいけないですよって皮肉な言い方で、案に野際さんの事を言って、そんな人に負けていてはいけないって、貴方は四年後にこの絨毯を歩く人だって、随分大げさに励ましていたから、沢谷さんはあれでたっぷり充電出来たと俺には見えたけど」
「そんな事があったんだね。それはそれは励みに成っただろうな。落選して意気消沈していた筈だから」
「ええ、だから沢谷さんは今以上に頑張ってくれると思うよ。そこで俺にも声が掛かったってわけ。
あんな時『無理です。』なんて言えないし、俺も四年後には三十三を超すから考えないとね。
公認にして貰えるようだから、お金の心配もたいしてしなくっても・・・見当は付かないけど俺にでも出来る金額なら、先生が上手く取り計らってくれると思うよ。先生から言い出した事だから」
「それは甘いな!」
「でも俺自身は今はまだだと思っている。出馬と言われても」
「龍志逃げ道を考えていては駄目だからな。大きな決心をする時は退路を断つって言うじゃないか」
「わかっているよ。俺も世間を見てきているからよく考えるよ」
この度の選挙は少なくとも奈良県に於いては
北地区も南地区も何ら変わるものなどなかった。
奈良と言う地の特徴は、保守的であり、順風満帆を好む性格の者が大半を占めるようであると、誰もが感じている事も確かである。
だから新しい風を吹き込むには、相当の苦労や時間やエネルギーなどが必要なのかも知れない。
それは言い換えればこの地は、平和であり豊かであると思われていた。
しかし全国的にはそのような事で良いのかと成ると決してそうではない。
沖縄は騒音に悩まされ、耐える事を余儀なく求められている。同じような話は日本中に形を変えて存在する。そんな場所には誰もが住みたくない環境である。またそこには必ず跋扈の心を持った連中が形を変えて存在する。
順風な奈良でも然りであった。
❼
それは近年台風で大きな被害が出た国道復旧工事に於いて、特定の業者に便宜を図ったと言う罪で役人が逮捕された。
工事の入札額の垂れ流しをした罪であった。
そしてまたそこに係っていた国会議員が存在したわけである。それはまたしてもあの野際誠一新党凌駕の議員であった。
選挙ではトップ当選を果たし少々天狗になっていたのか、まんまとその罠に嵌ってしまったか、或は自ら臭いを嗅ぎ付け近づいて行ったのか、
「先生から圧力が掛かりまして、それで仕方なく」とお縄になった役人が仄めかし始めたので、大事に成る事に成った。勿論先生とは野際誠一新党凌駕議員である。
それは突然であった。
やがて役人の県土木課職員木下逸郎課長は次第に何もかもを口にする事と成った。
そもそも工事は大型台風で起こった被害に対する国道緊急復旧工事であったので、県土木部としてはこれまでと同じように、決して随意ではなかったが、殆どその様な経緯の元に様相を呈していて契約を結んでいたのであった。
しかしそこへ臭いを嗅ぎ付けるように新党凌駕の野際誠一が乗り込んできて、不公平を解き追及をしたのである。
そして別の業者を連れて来て入札に参加させたのである。
所がやや畑違いのその野際が連れて来た業者が落札して、物議を交わす事と成ったが、入札で落としたわけであるから誰も何も言えなかった。
ただ野際議員が連れて来た業者は、以前ダム工事で賄賂があったのではと、噂が出た業者そのものであったから、誰もが首をかしげる事と成った。
そしてその入札には裏があると目くじらを立てた他の業者が、長い間調べ上げ、ついに県職員木下逸郎土木課長と、新党凌駕野際誠一議員が絡んだ談合であると言う事を突き詰めたのである。
罰として懲役五年(賄賂罪)を言い渡される事に成るのか、それとも三年(あっせん利得処罰法)に成るのか、木下逸郎は連日取り調べを受け罪の重さを知る事と成った。何もかもを失うのである。
これはそもそも緊急復旧工事において、落札に至らなかった株式会社近畿土木が、半年を掛けて調べ上げた信念と怨念が入り混じった結果であった。
一方新党凌駕の野際誠一議員は、この場に及んでも『全く知らない』と強く繰り返していたが、木下逸郎土木課長が拘置延長され、連日取り調べを受け遂に起訴された事で、野際も状況的には観念せざるを得なくなっていた。
それでも国会期間中であり、記者たちが周りを囲んでもへの字に口をして逃れ続けた。
「父さん大変な事に成ったね。父さんいつか言っていたように、とうとう化けの皮が剥がれそうだね。」
「これは事件だな。底知れずこの問題は続く事に成るな。一気に何もかもが浮き彫りになってくる事も考えられるな」
「父さん、野村先生が言っているけど、野際さんはこれで終ったって」
「当然だろうね。遅い位かも知れないよ。それにしてもよく近畿土木って会社は見つけたもんだね。たいしたもんだよ。警察も突き止められなかったからな。」
「もしかして野際さんは、先の選挙でトップ当選して天狗に成ったのかも知れないね。脇が甘くなったって言うか・・・
一度もお爺さんの時代からトップには成っていなかったのが、先の選挙で一番に成って舞い上がったのかも知れないよ。正直内の先生も大阪で二人を当選させた時は、自分の力だと豪語していた時があったから・・・俺には野村先生も多分、心にスキが出来て調子に乗ったと思うな。」
「勝って兜の緒を締めろってやつだな。いい歳をしてそれはないと思うが、でも言われればそんなものかも知れないな。選挙何て勢いだからな」
「おそらく、野際さんはおじいさんの時代から数えると九期目か十期目だから、それで初めてトップ当選に成ったのだから、南地区の議員さんと比べてもトップだからね。」
「それで一体あの人に何が起こったのかな?」
「俺が聞いている範囲では、県の土木課長に圧力を掛けたとなっているけど、でも土木課長はその報酬に三百万円も貰っているから、まだまだ裏があるかも知れないね。
あの逮捕された土木課長ってこれまで何も無かったなら、言わば脅迫に屈する事なかったかも知れないだろう。つまりこれまでも緊急を要する工事だから歪な事あったかも知れないしね。」
「いびつって」
「あぁ随意契約とか実際行われていたようだし、緊急を要するからありうる話だからね。」
「だから大目に見て来たって事か・・・それでほとぼりが冷めれば、事後収賄とかと言う奴だな」
「そう、先生はよくそんな事を言っているよ。悪い奴が一杯居るから、俺達にも気をつけなさいって」
「では野際さんは入札に入り込ませて、落札させた業者から相当ぶんだくっているのだね。勿論表に出ない金を」
「おそらく」
「野際誠一は国会が終わればたちまち収監されるのかな?」
「それは俺には判らないけど、でも何も無いって事は無いと思う。県職員が全く嘘を言うなんて事ありえないから、それに近畿土木の関係者も検察か警察に呼び出されていると思うから」
「じゃぁ逃げ隠れは出来ないだろうな。大変な事に成ったね」
「俺、先生に言われそうだな。次の選挙の準備を早くしなさいと」
「父さんも忙しくなりそうだな。」
「野際さん早く観念して貰いたいね。南地区も新党凌駕の候補がいるから、野際さんが引いても北地区の有権者が南に動くかも知れないし、簡単ではないと思うな。何しろ俺なんか新人だから知名度なんかゼロに等しいから」
「父さんは無理には言わないけど、でも民政党や野村先生が押して下さるなら命を預ければ・・・」
「あぁ、そうする」
「龍志これで全国の有権者も大いに心を入れ替えると思うよ。やっぱり悪ではいけないって事を身をもって知ったから」
「だからテレビ中継して、野際議員を会期が終了すれば、派手に逮捕して貰いたいね。日本中の誰もがわかるように」
「そうだね。年貢の納め時って事だな」
「父さんは野際さんの家って知っている?」
「あぁ何度か近くまで行った事がある」
「大きい家だろう」
「あぁ大きい」
「高校時代に野際さんの息子と話した事があったな。遊びに来いって言われて、その時家が可也でかいって言ったいたから、その時は行かなかったけど
でもこの流れだと近い内にその家に、何十人もの刑事が段ボールを提げて押し掛けるようにして家宅捜査するんだろうね。」
「そうだな、見ものって言うか、支持者や周りの人には大変な事だと思うよ。長い間付き合ってきた頼りに成った先生だから。」
「そうかも知れないね。でもそんな候補を選んでいた事を反省して貰いたいね。何回も何回も変な噂が出て、その度に票を伸ばしてきた男って何なのかと思うな?
第一何故そんな人に票を入れるのかって思うな。そうでしょう父さん?」
「だから今度の選挙で様変わりすると思うよ。民政党にとってこれ以上のない追い風に成ると思うな。野際さんのような人物を嫌っていた真逆の党だから、清廉潔白をポリシーにしている党だから」
「俺頑張って立候補してみるよ。おそらく落ちると思うけど、でもそれで終わりじゃないから、その次はって気持ちでやるよ。始まりだから」
「そうだな。気楽な気持ちで臨むのが得策って事だな。幾ら秘書をしてたとしても」
「以前に国会で野際さんに挨拶された事があったけど、真逆に成る日が来るかも知れないね。」
「そんな事あったのか?」
「あぁ何しろ同級生だから野際とは。それで・・・」
「これからの四年はお前にとって長い四年に成るのか、それとも短い四年に成るのか、気持ちの持ちようだな。しっかりな。密に生きないとな。」
「あぁ頑張るよ。」
野際誠一が連れてきて入札に絡み落札した業者は、大阪を基盤とする大手の昭和土木工業と言う会社であった。十年以上前に奈良県でダムを建設するにあたって、野際誠一と親密な関係に成り、黒い噂が立った間柄であった。
当時は賄賂が動いたと言う噂が巷を駆け巡り、奈良県警も相当動いていたが、結局噂話に尽きてしまったのであった。
野際の手口は意図も簡単で、反対派の住民に近づきそのトップに立っている者を手玉に取り、言わば窓口に成るわけである。
住民からは頼られ信頼され、建設業者からは反対を口に出しながらバランスよく纏めるのである。
そのテクニックに長けていたので、どちらからも役立った様に解釈され、そして野際誠一は多額の報酬を受け取り、纏め役として重要な役目を果たす事に成るわけである。
あくまで計画の肯定派の与党ではなく、血の気の多い反対派のリーダーをターゲットにするのだから、簡単な事であったのだろう。
それが今あの時の業者が浮き彫りになってきた事で、過去の疑惑が蒸し返すかも知れないと、相沢信也は過ぎた遠い時期に起こった、ダム工事賄賂疑惑事件を思い出していた。
それはまだ昭和の時代の真っ最中で日本中がバブルで湧いていた時代であった。
相沢信也は、当時噂が立った野際誠一が相当なお金を掴んだように推測していたが、結局野際誠一は司法の手に関わる事なく、噂は時間と共に衰退して行った。
インサイダー取引の事件でも、野際誠一は週刊誌を数ぺージに渡り賑わせたが罪に問われることはなかった。
今回の贈収賄は三百万円のお金が土木課長の手に渡ったが、それは建設業者の手から渡ったわけで絶対野際誠一が関与していないような逞そうであった。
だからその後検察に収監された野際誠一であったが、頑固として関与を否定し続けた。
ところがその態度は検察に心証を悪くする事になり、検察は昭和土木工業に対して洗いざらい調べ上げ、奈良県庁土木部課長 木下逸郎との関係を追及し続けた。
そして昭和土木工業の営業部長小笠原大輔から、とんでもない事実を引き出させたのである。
「新党凌駕が野際誠一先生に便宜を図って貰ったお礼に、多額の金銭を譲渡させて貰った。その金額は五千万円であった」と口にした。
それはあの方から要求されたからで、それと県の土木課長木下逸郎に三百万円を渡したのも、野際誠一先生から指図されたからと零した。
それは翌日の新聞一面に大きく掲載され、拘置所に拘留されている野際誠一の手元にもその記事が渡される事と成った。
野際誠一はそれでも拘置所において、何もかもを否定し、国会議員である立場において、全てに対し否定を繰り返した。
更に即日保釈申請の手続きを弁護士が急いで進め、国会議員と言う立場上、検察もその要求に応じていたのは、自供した大阪土木工業小笠原大輔の供述の裏を取るだけの時間がまだ無かったからであった。
野際誠一の保釈金は一億円で、すぐに野際は用意して拘置所を後にした。
このニュースはトップで伝えられ、その重大さが有権者を釘付けにする事と成った。
野際誠一は東京の事務所に戻り、秘書たちに暫くの間雲隠れする事を伝え、急遽奈良の実家に戻る事を決意していた。
それは野際誠一には一つの思いがあった。
拘置所では口にしなかった証拠の隠ぺいであったが、それは時間が迫られている事も確かで、検察が大阪土木工業の小笠原大輔の供述の裏を取れば、瞬時に再度家宅捜査が入る事は間違いなかった。
野際誠一は弁護士に相談する事もなく、知られていない事実もあり、一人で心の中で幾つかのことを目論んでいた。
父親が作り守り続けた地盤を引き継ぎ、二人で連続三十数年間十期に渡り、死守し続けた牙城を基盤としてきたが、今それが壊れようとしていて野際家にとって困却の至りである。
それは父に対する忠誠であり、我身に対する献身であった。
実家に帰った野際誠一は、そっと仏に手を合わせて、後ろで座る妻静江に背中で声を掛けていた。
「無理かも知れんな。」
それだけであった。
❽
所がその野際家を何日も見張っていた男が二人居た。あの河川敷でじっと見つめていたのではなく草むらに隠れてじっと・・・
そしてその日の夜になり、
野際誠一が保釈になり、東京の会館から雲隠れした日から三日目の事、その男たちは野際誠一の自宅のベルを鳴らした。
「すみません、夜分に」
奥方がインターホンを持ち
「どなたでしょうか?」
「はい警察です。」
「警察?主人はいませんが」
「いえ奥様に緊急にお聞きしたい事がありまして」
「わかりました。どちらの署の方なのでしょうか?」
「県警本部です。県警本部の篠崎と申します。」
「承知いたしました。」
背広姿の刑事と名乗る男二人が応接間に案内された。
「どのような事を私に?」
「奥さん率直に申し上げます。私どもは一昨日からこちらの屋敷を見張っていました。それでご主人がこちらへ密かに雲隠れするように帰られていたのも確認しています。
其れから不審な動きもなく、ご主人はご在宅である事はわかっております。良いですか奥さん、
奥さんは先程ご主人は居ないと言われましたね、奥さんは警察にまで虚偽をされるのですか?」
「すみません。主人は大変疲れている筈で、それでついその様に言ってしまいました。ごめんなさい。」
「それで旦那さんは?野際誠一さんは?」
「待って下さい。暫く待って下さい・・・」
奥さんはそう言って部屋から出て行った。少し時間が経ち気に成り出した時、二人の足音が聞こえやがて姿を見せた。
「やはり居られましたか、ではお座り下さい。」
二人はソファーに腰を下ろし、神妙に刑事の言葉を待っていたが、一向に口を切らなかったので誠一が、
「それでこんな時間に何を?話の内容によっては弁護士を呼びますから具体的におっしゃって下さい。何分既に十時を回っていますから、新幹線も止まる時間に成っていますから」
「わかりました。他に何方かこちらには居られないのでしょうか?」
「はい。」
「奥さん本当にそうでしょうか?先ほどのように虚偽は駄目ですよ」
「はい間違い御座いません。お手伝いは八時に帰って貰っていますから」
「それでは率直に申します。」
「では」
黙っていた一人の男が鞄から拳銃を行き成り出し銃口を二人の方に向けた
「野際さんもうお解りですね。私たちは刑事でも善人でも無いのです。強盗です。其れも凶悪な。
貴方がこれまで擦り抜けて来たのと同じで、我々も全ての法律から擦り抜けて現在に至っているのです。
貴方は今回は大きな裏金を掴んだようですが、失敗したと思います。だから近日の内に警察が乗り込んできて、新聞に載っている様に、あの大阪土木工業の小笠原大輔って男が言っている事が証明されるでしょう。
それは貴方の口から何もかもを証言させられるからです。
更に過去に在った貴方の疑惑もおいおい吐かなければならないでしょう。我々とて同じでこうして押し入っている事を発覚され、追い詰められれば貴方と同じ運命に成るのです。
我々は明日の朝までここでいます。この間に電話などあれば、必ず極自然に受け答えして下さい。
もし何か不都合な事が発生すれば、この拳銃が全てにピリオドを打ちます。
ですから十分気をつけて下さい。何か言いたい事がありませんか?」
「一体何が目的なんだ?」
「はい、お金です。と言いたいのですが違います。貴方のような人物を許せない者たちです。世の中から排除したいと思う者同志です。それは貴方の心に聞いて下さい。そしてそのような旦那を許し行動を共にして来た奥さんも許せないのです。
それでこれからお聞きしますが、嘘を言えば拳銃が黙っていないでしょう。いいですか、質問しますよ。拳銃の銃口を見ながら答えて下さい。
彼があの指を動かせば、僅か九十度動かせば、貴方のどちらかが居なくなるのですからその積りで」
「・・・・・」
「この新聞に載っている大阪土木工業営業部長小笠原大輔の供述は嘘ですか?それとも事実ですか?お答え下さい。」
「・・・・・」
「お答え下さい。」
「・・・・・」
「貴方は過去に厚生大臣倉木紀美氏を追い詰めて自殺させた事があったのですよ。あの大臣はまだ二歳の幼い子が居てる女性でした。僅か半年前にたまたま『大臣に成れ』と言われて、志も無い時に成った事位は、ベテランの貴方なら十分判っていた筈、それを承知であのように追い詰めて」
「・・・・・」
「さぁ早く答えなさい。野際誠一新党凌駕議員」
「・・・・・」
「さぁ早く!銃口を見なさい、奥さんの方を向いている事を、さぁ早く答えなさい。」
「わかりました」
「貴方!」
奥さんは野際誠一の顔を覗き込んでそれ以上何も口にしなかった
「事実です。」
「何が事実なのですか?」
「だから小笠原さんが言っている事が」
「それで貴方は大阪土木工業から五千万円を貰ったのですね?」
「・・・・・はい」
「それだけですか?」
「・・・」
「だから以前にも同じ事があったのでは?ダム工事の時の事ですよ」
「・・・」
「今までの疑惑は全く覚えがないと言われますか?事実無根だと?」
「・・・・・」
「言いたくないのですか?では今度は貴方のお顔に銃口を向けて下さい。もっと近づけて」
そう言って黙って突っ立っている仲間に口にした。
「いいですか、貴方は奈良県の建設課長に三百万円を渡すように大阪土木の小笠原に言った。
それで奈良県の土木課長はそれを受け取った。
しかし僅かそんな金で何千万年もある退職金や何もかもを振ってしまうのでしょうか?それって以前に在ったダム工事と同じで、実はもっと大きなお金が動いているのではないのですか?」
「・・・・・」
「答えて下さい。それにインサイダー取引で貴方は実際幾らお金を手にしたのですか?
これは只の疑惑で全く覚えが無いって事ですか?
我々は朝まで居ます。その間に何もかもを話して頂きます。
良いですか野際さん、 もう逃げ隠れは出来ません。小笠原大輔から五千万円を受け取った事だけで、貴方は全てが終わったわけですから。
そうでしょう?
長い間自信を持って生きて来た積りであったと思われますが、間違っている事に今気が付いたでしょう?
こうして拳銃を突きつけられて、もしかすると貴方はあと一分の命かも知れないのですよ。
貴方方は、生殺与奪と言う言葉があるように、それは私と彼の判断で決まるのですよ。貴方にとって私たちは暴漢に見えますか?それともテロに見えますか?凶悪な鬼畜のような強盗に見えますか?では貴方がたは何でしょうね?
この立派な邸宅だって、玄関でさえ二百年を優に超すようなヒノキで作られていて、檜皮ぶきの屋根、そして大理石が頻繁に使われた内装、
これって貴方方が苦労して築き上げた、言わば城ですね。でも本当に苦労して渾身の思いで、真面目に不公平なく今日に至ったのでしょうか?
貴方方のお父さんも貴方に劣らないほどの黒い噂が絶えなかった人。土産物の箱の下に万札を忍ばせて配りまくった事など誰もが知っている事。利権に絡んだ黒い疑惑の絶えない人であった事は、子供の貴方でも十分知っている筈。
つまり貴方はそんな父親の後を善も悪も知りながら、すべて合法だと考え受け継いだわけですね。
浅ましい事だ実に。
野際さん今と成ってはどうにも成らない事。黙って貝に成って舌でも切りますか?それが嫌ならさぁ話して下さい。」
野際誠一は項垂れて観念したような力のない姿で
「もう言わんでくれ」と一言口にした。
「いえ時間はたっぷりあります。」
「でも主人が・・・主人は疲れています」
「なぁあんたら、堪えてくれ、お金ならある」
「・・・・・」
「お金で済むなら金庫にある。株券もある。」
「・・・・・」
「あんたたちはお金で済ます事は出来ませんか?出来るでしょう?頼む、頼みます。」
「なら金庫を開けて下さい。奥さんはここでいて野際さんだけで金庫を、私も拳銃を持っていますから、余計な事を絶対考えないように。では金庫を開けて下さい。」
「わかった」
暫くして金庫から現金を出してきてテーブルの上にそれを二段に積み上げた。
「ざっと五千万円あるからこれで何とか」
「・・・・・」
「私は豚箱に入れられる事は誰でも判る。貴方方だってそんな事わかる筈、だから決してこれからは今までのような生き方など出来ない。
良いですか聞いて下さい。
私は貴方方が思うほど決して悪ではなかった筈、町の人たちの為に奈良県北地区の有権者の為に、随分骨を折ってきた筈、親父だって同じで、だからこそ何期にも渡り落選する事なく今日に至っている筈
そんなことだからトップ当選さえさせて頂いたと思っている。だからお願いだ。警察にもどこにも言わないから、この儘帰って貰えませんか?お願いします。この通りお願いします。これ全部持って帰ってください。お願いします。」
野際誠一は次第に頭を床に擦り付けるようにして、二人の仁王立ちした男たちに懇願した。
「野際さん貴方は懲りない人ですね」
「どうして?」
「貴方は今私たちを五千万のお金で釣り上げようとしている。つまり拘置所から即座に出るのに使った保釈金と同じような思いで、でも貴方は近いうちに収監され起訴となり実刑を受ける。
だけど貴方はすくに控訴して更に『覚えがない』と口にする。判決がおり、また上告して更に逃れようとする。
これが貴方が選ぶ道だと推測出来ます。そこには我身を素直に見つめ懺悔する気持ちも後悔も反省さえも、どこにも見当たらないですね。違うでしょうか?
今私は貴方に、ダム疑惑は在ったがそれは本当であったのか、間違っていたのか、或はインサイダー取引で噂に成った事は間違いであったのか、それとも事実であったのか、貴方はその点を絶対嘘の無い言い方をして下さいとお聞きしているのです。
嘘があれば命に係わる事を忠告しておきます。さぁ正直に言って下さい。」
「・・・・・」
「さぁ」
「いやもういいから・・・貴方の好きな様にすれば、殺したかったら殺せば・・・
なぁ母さん、それでいいだろう?この人たちは絶対私たちを許さない。こんなにして拳銃を突きつけられて最後は殺されるなら殺せばいい
これから貴方たちは殺人犯に成って、一生逃げ隠れしながら、ビクビク神経を尖らせて生きて行かなければならないから、
私がこれまで何もかもを、先祖の為に、家族の為に、有権者のために、さらには奈良県民のために尽くしてきたのだから、其れで気に入らないなら。貴方方はどのような趣旨か未だに判らないが、思うようにすればいい」
「随分開き直りましたね。驚きです。つまりこれから朝まで頑張っても貴方は言う積りは無いのですね。」
「無いねぇ」
「今さら何を言っても全て終わってしまった事を、今解ったのですね。過去には戻れない事を」
「・・・・」
「では考えを変えます。
金庫のお金はこれだけなら、タンス預金を今度は出して下さい。我々の事を単成る強盗とお考え下さってもいいですから、凶悪な強盗と思って下さっても、さぁ他にお金があるでしょう奥さんも正直に」
「さぁ全部出してください。」
無口な男は奥さんの後をついて部屋中を回り、どれ位経っていたのか相当の宝石などを袋に詰めて、野際誠一らの待つ部屋に戻ってきて、三センチほどの厚みに成る株券と共にテーブルの上に置いた。
「政治家って未曾有の如くお金が増えるのですね。
それともインサイダーで、それともダム工事で、それとも随意契約の賜物で・・・
これってざっと計算してみると、数億は下らないでしょう?こんな紙切れが」
「・・・・・」
「野際さんこの現金は未だに金庫に入っていたと言う事は、警察が家宅捜査に来た時は隠していて、保釈金一億を用意した残りですね?
株券は隠していた所を見ると、隠し通す積りであった。つまり奥さんは外にもどこかに隠している事を仄めかしていますね。違いますか?
更に銀行の金庫にも眠っている。更に第三者名義にしたお金や株券もどこかに存在する。 違いますか?
貴方方は奥さんも含め、今の状況を必ず乗り越え、また同じように狡猾に頭を使い、これまで以上に財を築き君臨するのでしょうね。
大理石の玄関で檜皮葺きの立派な総ヒノキの門の中に包まれたお城のようなこの家で」
「・・・」
「我々はこのテーブルの上にある全てを持って帰ります。でもその前にするべき事をします」
「・・・」
そして野際誠一夫妻が思いもしなかった事が起こる事と成った。
無口な男と何もかもを采配した男が目を合わせ無口な男がそっと奥さんの後ろに回り、その後頭部に拳銃を突きつけ、一メートルほど後ろに控えて、その銃口を奥さんの頭の真後ろに向けた
そして有無も言わず、「バーン」と激しい音と共に火が噴いて、奥さんは崩れるようにその場に朽ち果てた。
身動きさえしない奥さんを見つめながら、野際誠一は小刻みに震えて、無口な男の顔を信じられないと言わんばかりに鬼のような形相で睨んだ。
「何をしやがる、気でも狂ったか、馬鹿者、畜生!」
やみくもにその様な言葉を掛けながら、制止を振り切って奥さんの元へ近づいて行った。
「野際さんこれも政治の一つの在り方ですよ
貴方が死に追いやった厚生大臣倉本紀美も同じ結果に成ったのですよ。
其れを他人事のように貴方は自殺した事を、ある意味彼女に勝ったように思われたのでないのでしょうか?彼女のことを一度たりとも面倒臭く思ったり笑いものにしたことは無かったでしょうか?
それに貴方が先の選挙で、トップ当選された事を誇りに思ったのではないのでしょうか。もう誰も敵は居ないと買い被り、心の中におごりが生まれ、だから貴方にスキが出来、貴方に付け込む族が生まれ、今日を迎えたのではないでしょうか?違いますか?」
「もういい、私も殺してくれ!殺してくれ!早く殺しれくれ!早く引き金を引いてくれ!もういいから・・・もういいから・・・」
「では野際さん私はもう一丁の銃で貴方の頭を狙いますから、彼が持って居る銃で自分で死んで下さい。余計な事を考えれば直ぐに私が貴方を撃ちますから。
この付近は貴方の邸宅がある一軒家だから、少々の音がしても判らない事も調べてあります。弁護士も今はここへは近づかないでしょう。
貴方に無理難題を言われ変に指南したりすると教唆とか言う罪になり、犯罪に繋がる事が考えられ、だからそんな窮地の貴方に誰も近づかないでしょう。誰でも御身大切ですからね。弁護士なんて特にその類の人間が多いですから。
朝まで我々が居ますと言ったのは、誰一人来ないだろうと予想しているからです。
さぁ、あの拳銃を自分で持ち、それを貴方の口の中に入れて下さい。余計な事を考えないで、武士が潔く腹を切る姿を思い出して下さい。解りますね。良いですか?」
「解った。」
「弾を抜いて練習します。しっかり右手で握って」
「・・・・・」
「それでいいです。では弾を込めます。絶対逆らわないように、武士のように潔く、息子さんの将来にチャンスをやって下さい。
私は貴方からお聞きした五千万円の裏金も、五千万円を今略奪する事も口にはしませんし録画も消します。
それは言いかえれば今日の事が警察に判れば、一変して貴方のように成るからです。
だから今日起こった事は全て消えるのです。
被疑者死亡で、当然全く自供する事なく。
そして窮地に陥った貴方は、妻を道連れに無理心中し同情を買い、貴方方の何もかもが終わるのです。解りましたね。この方法なら息子さんはまた立ち上がれるでしょう。わかりましたね。」
「わかった」
野際誠一は無口な男に誘導されるようにして、大きく開いた口に銃口を入れた。涙が迸って頬を伝い床に落ちていた。
震えながら引き金を握った。そしてその手を潔く縮めた。
ボコンと籠ったような音が部屋中に響き、野際誠一は、口から溢れる血を流しながら俯いて倒れた。二人の男が顔を見合わせながら、表情を変える事もなく、粛々と何もかもを持って部屋から出て行った。
靴は袋で覆われていて、指紋も一切残さず、ただ彼らが持ってきた拳銃が一丁、野際誠一の利き手の右手に収まっていただけであった。
その無惨な出来事は、翌日やって来たお手伝いによって発見され巷を駆け巡った。
「父さん大変な事に成ったね。 野際さんが無理心中だなんて・・・やっぱりあの人は相当悪だったんだね。それでいよいよ逃げられなくなって、でも聞く所によると金庫の中は何も無かったらしいよ。」
「そうだなぁ、だからこちらの新聞は物取りの犯罪ではないかとも書いてあるなぁ。
強盗が犯行に入り、居ないと思っていた筈が旦那も居り、それであんな事に成った可能性がある様にも書いてあるな」
「でもそれも野際さんが生前にどこかへ隠した事も考えれるからね。何しろ警察が乗り込んで来ても不思議ではなかった筈で、兎にも角にも玉虫色の人だったから、更にこれから銀行とかも調べて色々判る事に成ると思うよ」
「そうだな。ただはっきりしている事は奈良北地区に新党凌駕の野際誠一が居なくなったて事だな」
「でも父さん東京で居る息子は、話によると未だに弁護士の試験に合格していないようだから、一層諦めて奈良へ帰って来る事も考えられるね。」
「でもそれじゃ外の候補に馬鹿にされはしないかな?第一本人はそれでは納得いかないだろう。ただこんな時だからこそ弔い合戦で、案外票を集めると思うな。懲り懲りと思い逃げる有権者も居るだろうが、でも選挙ってそんなものだよ。
親父以上に票を集めるかも知れないよ。両親の黒縁の写真を提げて涙、涙で訴えれば」
「そんな選挙嫌だね。俺は絶対そんな事思わないから。日本の為ならそんな発想考えられないよ。」
「でもな理屈じゃない。有権者は心が動くから一票を投じるんだから、それなりにはっきりした理由があると言う事は、それは武器に成るって事だよ。」
「政策より?」
「同じ位に思うな父さんは」
「そうかな?・・・」
「どっちにしろ倉木厚生大臣を死に追いやった野際誠一が今命を絶った。なんか運命じみたものを父さんは感じるなぁ。
もしかしたら倉木の関係者が敵を討ったかも知れないな。」
「俺はね。最近の新聞に野際さんが良く載っていただろう。それって誰でも読むじゃない。つまりどれだけ貧乏をして食うに困った人も、根っからの悪党も、更に言えば殺人のような犯罪を起こしても未だに捕まらず平然と暮らしている奴、
そんな誰もがあの新聞に目を通すわけだろう。
野際さんが一億円で保釈された事なんか読んでいると、一連の捜査状況を思うと間違いなくあの人は黒だけど、とりあえず保釈だろう。
それも一億円のお金が難なく用意出来るわけだから、あの人に何ら疚しいものが過去に無かったなら、誰もが疑心も持たないけど。
でもその逆なら、誰かが、例えばインターネットで誘いあえば、意気投合して、憂さ晴らしにでも野際さんの屋敷に忍び込む事も考えられる訳だろう。
この出来事は今迄長きに渡って怠って来た司法の全ての者に、警鐘を与えているのかも知れない事件かも知れないね。
単なる恨みつらみではなく、もっと深い何かが潜んでいるかも知れないね。」
「それはどう言う意味かな?」
「だから政治家が優遇され、いつの間にかうやむやになる話って今迄にも色々あっただろう。
国民が『それは変だ。それは不公平だ。身勝手すぎる』と思うような事実が一杯あるだろう。
問題に成ってから初めて公表して改革している事が、それって勝手な話で、言わば卑怯で政治家って肩書は有名大学を卒業したような事ばかりを並べているけど、俺に言わせれば、何故そんな立派な学歴を持っているのに、こんな不公平な事をして気が付かなかったのですか? それを見て見ぬ振りをしている法の番人はどうしたのですか?その様に思わされる事を繰り返して来たと言う事だと思うな」
「龍志、お前さんはけっこう勉強しているな。それも筋の通ったまともな勉強を」
「そうだろう、父さんなら直ぐに解ってくれるだろう。民政党ってそんな党だから」
それから何日かが流れたが、野際夫婦に起こった出来事がニュースに成ったのは、当日鍵が掛かっていなかった事と、相変わらず無理心中説と強盗殺人説が交互に伝えられた事であった。
家政婦の証言では、もともと野際家は百姓屋の出であるから、どれだけ大きな構えに成った今でも、鍵を掛けて寝るなんて事はほとんどなく、また大和川沿いの閑静な場所で、家が密集している所でなかったので、然程警戒心などなく、事件があって玄関の鍵は掛けられていなかった事に対して、警察の鑑識は特に関心を持たなかったのである。
事件は進展する事もなく、また水面下で後援会長が息子に急遽次回の選挙に立候補するようにと打診したが、中途半端な現状であったことから息子はそれを断っていた。 幾度も弁護士試験に挑戦して失敗していたからであった。
血に染まったでっかい屋敷は、それから誰も住む事がなく、次第に朽ち果てて行くように周りの者には映る事と成った。
それからちょうど二年近くが流れたが、相変わらず二人が死んでいた原因究明に進展は無かった。
警察は野際誠一が握りしめていた拳銃の出どころを躍起に成って捜していたが、二年経った今に至っても判明する事はなかった。
拳銃を野際誠一が所持していたか否かは、いつまで経ってもはっきりしなかったのは、持っていても決して不思議ではない生き方をして来た事が考えられたからで、黒い噂の絶えない人であった事が、多くの可能性を残す結果と成った。
とうとう次期選挙まで一年あまりに成ったが、奈良北地区は新党凌駕は候補を出す気配すら見せなかった。これは民政党で前回次点で涙を呑んだ沢谷亜紀候補にとって、どれだけ追い風が吹くかと言う案配となり、そしてこれまでと同じように同じ姿勢で、小さな講演を重ねる毎日を繰り返していた。当然昔摂った杵柄で、観光ガイドの仕事も無報酬で熟していた。
新党凌駕に起こった悲惨な出来事は、沢谷亜紀候補には全く関係のない話で、有権者も野際誠一と沢谷亜紀が、同じ土俵で居た事が不思議に感じる事と成った。
公園のどこかでお金に無関心な女性が笑顔で無報酬で働いている。
そしていつ誰が声を掛けても笑顔で答えてくれ、しかもまだ三十半ばで笑顔の綺麗な女性。積極的で明るく、しかもしっかり世の中を見つめている考えを持ち合わせている。
次第に有権者の間では沢谷亜紀候補が、これからの政治家の姿ではないかと気が付き、自らの選挙に対する姿勢を覚醒し始めていたのであった。
まさに清き一票を投じる姿を。
そして相沢龍志も奈良南地区から出馬を考えていたが、恩師で議員の野村健三の考えが、奈良北地区候補の沢谷亜紀候補の応援に回ってあげて貰いたいと、望まれる言葉に従って頭を切り替えていた。龍志にはそれに対して何の蟠りもなく素直に受け止めていた。
それは北地区であまりにも想像を絶する事が起こった事が、影響している事は間違いなかった。
そして兎にも角にも奈良で一人の当選者をまず出す事が、直近の課題であると誰もが読んでいた事が何よりであった。
沢谷亜紀候補は先の選挙で次点であった事から
一番近い可能性を持っていた事は間違いなく、民政党にとって奈良で一角を崩す事は大いに意味があった。
奈良南地区は四人の候補が入り乱れていて、その中で一人が惜敗すると言う構図が出来ていて、九十二パーセントほどの票を四人で分けていたからで、まさに四等分していた。だからいつも一人が僅差で涙を呑んでいて、それはまさしく党の戦いであった。
一年があっと言う間に過ぎ、そして告示日まで一か月を迎えて、沢谷亜紀候補は順調に札を増やして、集会には常に立ち見の人が何人も数えるまでに成っていた。
それは戦術なのか、沢谷候補は然程選挙の話をせずに、よもやま話をふんだんに取り入れ、ガイドの話が楽しい事とか、そして外人には色んな人が居り、ユーモラスな人が居り、それで楽しくやらせて貰っていると口にして、最後に少しだけ政策の話と自分のモットーや、党の理念の話を付け加えていた。
それは集まって来る有権者の心を穏やかに掴みほっとした温かいものだけが、余韻として残る演説を繰り返していた。
そしていよいよ選挙となり、沢谷亜紀候補は新党凌駕の票を食ってトップ当選をしたのであった。
それは見事なものであった事は言うなれば、新しい時代が始まった事を知らしめる選挙と成ったからである。
選挙とはお金ではない。権力でもない。
しっかりした政策と誰もが理解する理念と、その中身は熱意とやさしさと、真面目さと平等な心とボランティア精神が籠っている。
これで総てである
民政党は全国でまた大躍進をして倍増し二十九人と成り、それは与野党含めて第三党の地位を確保し、一方新党凌駕は大きく票を減らし、消え去った議員の数も半端な数ではなかった。
野際誠一が副代表で君臨していた事が、心証を悪くした事は間違いなかった。
それが自殺であっても、無理心中であっても、暴漢に襲われた悲惨な出来事であっても、誰もがそれまでの彼の生きざまに、善からぬ感情を抱いていたから薄情なものであった。
それは猜疑心に似たもので、特定の人物を応援すると言う事は恋愛と同じで、嫌なもの(悪)も認めなければならないのが常である。
おそらく新党凌駕の野際誠一を慕っていた人とは、そんな感情も持ち合わせていたのだろう。
それは先代から続いていて、大きな城のような家の中に蠢いていた事は誰もが認めていた様である。
新党凌駕は奈良北地区では見る影もなく分散しそんな党があったのかと思うような遠い過去のものと成った。
久しぶりに相沢信也は大和川へフラッと行き、ワンちゃんを散歩させている斑鳩の田岡さんをいつもの場所で待った。
❾
それは大いに話が弾む事は言う迄もなかったが、しかし気に成ったのは田岡さんが押している猪瀬正候補が、今回も落選で、しかも彼の得票は全く伸びていない事であった。
しかし田岡さんが選挙前に出会った時に、猪瀬候補から民政党に乗り換えしてくれるように、聞いていた事を思い出し一安心であった。
田岡さんは今までと同じように夕刻に姿を見せ、その顔は笑顔に包まれてい居て、
「おめでとう御座います。素晴らしい選挙で私も貴方さんと知り合えた事が誇りに思います。」
「ありがとう御座います。お蔭様で、息子に伝えます。きっと喜ぶでしょう。 」
「まさかねぇこんな事になるとは、民政党の事ではないですよ。あの家の主の事ですよ。私は毎日あの家を見て来ました。週刊誌が見張っていたのも見て来ました。数々の疑惑が常にあり、それを乗り切ってきて最後になってあんな事になって、一口では言い表せませんね。」
「ええ、まったく、まるで息子が拘わっている政治とは同じに思いませんね」
「時代は変わるでしょうね。無理心中なんて悲しすぎますね。この辺りではお世話に成った人もかなり居られますから、本当に気の毒な事で」
「無理心中って決まったのでしたっけ?」
「いえいえ私が思っているだけで、私はそれが一番相応しい結論だと考えています。
起訴された訳ではありませんか、正しく被疑者のままで消滅する話ですから、大阪の土木会社のあの営業部長って男も、弁護士に耳打ちされ、今後は余計な事をしゃべらないと思われますよ。
検察もあんな事に成ったので、少々手を抜くと思いますが」
「そうでしょうか?しかし二人が自殺ではなく、殺されたとなると全くそうではなく、徹底的に責められるでしょうね。 関係者に犯人が居る事も考えられるわけですから。
大阪土木工業は野際誠一と共に、大きな物件を横取りしたのですから。裏があった事が何もかも判り、黙っていない下請けも居るでしょうし、これだけ不景気が続けば何かと起こるでしょうね。何しろ生活が係っている人も多いと思いますから」
「成程ね。私も其れらしい事を考えましたが、あまりにも生臭い話ですからね。」
「おっしゃる通りですね。嫌ですね。政治に始まり命を落として解決に至るなんて」
「新党凌駕も奈良北地区では当分立て直せないかも知れませんね。」
「良いじゃありませんか。ご子息の立場を考えれば
こんな時代に成った事は喜ばしい事ですよ。
第一沢谷さんは裏表もなく、爽やかで美人でもあるから、私あの先生のこれからはファンに成れると思うだけで嬉しいですね。
集会にも何度か行って話お聞きしましたが、しっかりされている事も判っています。これからはあのような人が政治に頑張れば、世の中は明るくて胡散臭い話など出て来ないと思いますよ。」
「でも与党も新党凌駕も大政党です。毎年問題を起こす議員さんも居る事も確かで、沢谷さんや民政党のような考えが浸透している党は一部で、まだまだこれからだと思いますね」
「そうですね。権力で物事が動くと思っている議員や有権者も沢山居りますからね。まるで武器のように思っている人が」
「ええ」
「あのお宅もこれからどの様に成るのやら見物です。多分毎日散歩に来て観てしまうでしょうね。其れってどこかでほんの一部でも「ざまあみろ」ってそんなはしたない心もあると正直思います。
いやぁ これはいけない、変な事言ってしまった。」
「いや当然ですよ。私だって今日貴方にお会いしてあの屋敷の住人の事を先ず第一に話そうと思っていましたから。みんな血の通った邪推な心を持った人間なのでしょう。」
「それを聞いて安心です。間違っていたら言って下さいね。何分この歳になると頭の回転が遅くなり
良からぬ事を口にしたり、言わなければならない事を忘れたり、いい加減なものです。」
「所でもし無理心中なら、拳銃を持っていたと言う事になり、それは国会議員を務めながらだから、これもまた大変な事件ですね。」
「私が思うに野際さんはちょうどバブルが盛りだった頃、建設業とか土木の方とか、深く付き合っていましたからね。その頃に何か突飛ならない事に成って、付き合っていた関係者の社長とかに、コレクションとして義理で買わされたのかも知れませんね。」
「それなら警察に届けられているのではないでしょうか?」
「それはどうかな?バブルの時代はとにかくお金が動きましたから、それにマカオや韓国とかに、カジノをしに行っていた日本人は山ほど居りましたからね。だからもし拳銃をほしいなら簡単に手に入ったかも知れないです。勿論コレクションとしてと思いますが」
「それが事実なら、その拳銃が役に立ったと言うわけですね。」
「ええ、そんな際どい話は過去にはありませんでしたが、でもあの方なら何があってもおかしくない生き方をされていたと思いますよ。」
「それにしても野際さんは、そっと奥さんの後ろへ回って銃口を頭の後ろへ向け、狙いを定め一発で仕留め、そして今度は自分の口に咥えるようにして引き金を引いた。
幾ら想像しても残酷過ぎますね。」
「もうこの話は止めましょうか?世間話にしては心証がお互い悪く成りそうで」
「そうですね。成仏される事を祈ってもうこれで止めましょう。」
「民政党の沢谷亜紀でございます。
今度の選挙で奈良北地区において、当選させて頂く事に成りました事を、ここに謹んでご報告申し上げます。
民生党はかねてより正直者である事を訴え、また真面目である事も訴え、真剣で只管であり、裏表など全くなく、そして利権など一切関係ない。
そんな政党でございます。
思えば四期前は、まだ八人ほどの政党でありましたが、次の選挙では十二人に更に次の選挙では十五人になり、そして前回の選挙でついに三十人近くになりました。
これはひとえに有権者の方々の温かい励ましやご理解のたまものです。奈良南地区におきましては、これまで一度たりとも候補を出す事はありませんでしたが、大阪で長年活躍している、我党の野村健三副代表の元で、十余年に渡り秘書をしていた、橿原市出身の相沢竜志さんをご紹介致します。
相沢さんは大学時代から政治に興味を持たれ、たまたま大学にやって来た、我党の大先輩野村健三の理念に惚れ込んで、それからと言うものは、橿原から離れ野村健三の事務所で寝食を共にし、そんな彼の活躍があって、大阪からそれまでは一人であったわが党の議員は二人となり、そんな事が切っ掛けに成って、大躍進をさせて頂く事になりました。
わたくしが北地区で当選させて頂きましたのも、彼のご尽力の賜物であると感謝しております。
今度の選挙において長年培ってきた政治家たるやと、その思いは計り知れない深いものをこの方に教えて頂きました。縁の下で頑張ってきた相沢龍志さんをご紹介します。
奈良南地区におきまして、時期民政党候補としてご挨拶して頂きます。」
「どうも皆様本日はお忙しい中ご苦労様です。
我民政党が奈良南地区において、こんなにご理解頂けている事が本当に嬉しいです。
党員名簿にもノートが真っ黒に成るほどに、ご署名下さり、言葉に出来ない位心が騒いでいる事を感じます。
ちょうど十五年程前、私は大学へやってきた民政党の野村健三先生に始めてお会いしました。勿論一学生として、
特に印象などなかったのですが、お話をお聞きしていて心がざわつきだし、話が終わる頃には目頭が涙で滲んでいました。
それは民政党がどうだとか、日本がどうだとかそんな話は全くなく、野村先生が何故政治に携わっているかを、過去の出来事から知る事に成りました。
それは思い出したくない程の過酷な日々であった事を知りました。そして政治を目指した意味も知る事と成りました。民政党が平等で裏表がなく、利権と言う言葉には興味もなく、私利私欲などもっての他で、真面目で真剣で真っ直ぐで・・・それは野村先生が常日ごろから心に誓った事でもありました。
こんな人に付いていけるものなら、自分は絶対このチャンスを逃したくないと思い、父親を口説き大学三年の時でしたが、自宅の橿原から通っていたのを止め、大阪の野村先生の事務所の隅に布団をひかせて頂きました。
それから十余年民政党は三十人近くの先生方を迎え、第三党に躍進させて頂きました。
私は他の党がどうだとか、そんな事は言う力などありません。
ただ民政党の目指す道は、これからの政治家に一番必要な心の持ち方であると考えます。またそれは有権者の皆様方においても、同じ事を言えるのではないでしょうか。
次期選挙において、初めて出馬させて頂く覚悟でありますが、何分初めての事でとても不安です。
でも今日お集まりの多くの方に、選挙が終われば必ずや笑顔に成って頂ける様に頑張る覚悟で御座います。
そして奈良県が奈良県南地区が、更には日本が今以上に良く成る様に、皆様と共に頑張って行きたく思います。 どうか次期選挙では私相沢龍志に清き一票を切にお願い致します。」
橿原市に小さな事務所を構えて相沢龍志後援会が動き始めた。
父信也の姉のガレージが其れであった。
龍志には余計なお金などない。また用意する気もない。告示日には本部から何とかして貰えるから、あまり気にしていない。心配など全くない。
それが政治で、立候補する者の心構えであると思っている。 焦らず慌てず規則に従い、満面の笑みで後援会員を増やす。
そして入会した意味を納得して貰い、頑強な後援会員を作る。
そこには私利私欲など全くない人が集まり、明るくて真面目で真剣な人が集まり、それまでに無かった清々しい政治を目指す。
こんな生易しい事を何度も繰り返し、その内わかってくれる後援会員を日々増やし続ける。
龍志にとって選挙は決して難しいばかりのものではないように思えていた。
それは決して当選する事が結論ではなかったが、日ごとに後援会名簿に記入して頂いた人が、増えて行っている事は確かであった。
龍志を囲む輪は選挙告示前になると、可也のものに成ってきて、初陣の重みが圧し掛かり、浮き足立ってきて眠れぬ夜を過ごす事となり、決して気が大きくも強くもない龍志は、そんな情けない自分に出会う事と成った。
そしてとうとう選挙になり、龍志は思いのほか票が伸びず悔しさを味わう事と成った。
師匠の野村健三は敗戦の理由として、必死さに欠けていた事を口にし、更に龍志は国会議員になる器ではなく、むしろ裏で頑張るタイプであると、選挙をして今更のように気が付いたと口にした。
そこには龍志のやさしさが見え隠れし、そのやさしさは、貪欲さや一途な思いを打ち消す事に繋がったと分析した。
それは残念な事であったが、「龍志はこれから裏方さんになって、多くの候補者を送り出して貰いたい」と野村が口にし、雨降って地固まるって諺のように、新たな決意で幕を閉じる事と成った。
龍志には落選した事がそんなに痛手には思う事なく、選挙結果は次点であり、ほんの僅かの差であったので、次回に成れば大きく様変わりする事も十分考えられたが、龍志にはその気は無かった。
むしろ龍志が集めた票を、その後大和高田市議会の市議で、民政党の岡田健介にバトンタッチされる事に成った。
「龍志それでいいのか?」
「あぁ問題ないから、それにそれほど俺は活躍出来るから。俺がもし今度当選出来ても一人が増えるだけ
でも裏方に回って頑張れば、その数よりは多くなると思う。だから全く問題ないし、後悔もないから」
「そうか、それでいいのだな。父さんが余り力に成れなかった事が敗因かと思う節があったから、気に成っていたんだが」
「いいよ。そんな事ないから。俺心の底から議員に成りたかったのかと言えば、そうではなかったのかも知れない。
妙に重たかったから。其れって裏方で頑張っていた時には、まるで無かった感情だから、やはり国会議員になる器で無かったかも知れないな。でもそれは仕方ないよ。やってみて初めて判った感情だから、俺は弱いって事だろうね。野村先生が言ったように」
「でもこれからも民政党の為に、それに野村先生の為に働くんだろう。」
「父さん、俺ちょっと集中出来ない原因が他にあった事がわかっているんだ。」
「他に原因が?落選した?」
「そう、俺ね、沢谷亜紀さんと将来の事・・・」
「奈良北地区の?」
「そう、二人で話し合っているから」
「そうだったのかぁ。それもまた良い事だから、こちらは間違いなく当選かな?」、
「そうだね」
「そうか~それじゃぁ裏方に成って頑張ってあげたら、それに子供だって歳を考えたらいい時期に成っているのじゃないのか?」
「そうだね。結婚するなら急ぐほど良いかも知れないと思っている。だから父さんまぁ安心して」
「そうか。そうだったのか、だから気が入らなかったのか・・・取り敢えずおめでとうだな」
「ありがとう」
龍志四十一歳の秋、それから半年が過ぎ四十五歳を迎えた沢谷亜紀と結納が交わされた。
亜紀は思いの外若く見え、お似合いのカップルと誰もが思った。共に献身的な考えで、それは民政党の精神に相応しい道を生きる二人であり、結婚によって亜紀は今まで以上に、庶民らしさを醸し出し人気者に成っていた。
それは女としての生き方に誰もが絶賛する姿に見え、多くの有権者をはじめ、その子でさえ亜紀の生き方に賛同した。
そして隠す事なく間もなく亜紀は高齢であったが妊娠して、龍志の子を宿し、僅かの間であったが国会を離れ、亜紀はその年の夏男の子を生んだ。
そして幼子を抱えて国会に復帰したのは、秋のまだ暑さの残る日で、その姿は頑張り生きようとする、一国会議員の只管な姿が映像に映る事と成った。
その時もまた民政党が目指している趣旨に、全く狂いの無い態度であったので、誰一人と不評を口にする者など居なかった。
奈良県の北地区は、新党凌駕の思いもしない出来事があった事で意気消沈して、トップ当選した野際誠一を最後に、何もかもが奈良から消え失せようとしていた。
野際誠一議員はそれからも時たまテレビに取り上げられ気を引く事もあったが、所詮風化していく事には変わりがなかった。
同じような話が茶飯事の如く起こる毎日では仕方のない事で、我日本も今やそんな残酷さも備えた国に成って来ていた。
九州沖縄から北海道まで悲惨で残酷なニュースが、ほぼ毎日繰り返され、人々は耳も目も慣れてしまった悲しい現実が存在する事を、承知しなければならなく成っていた。
相変わらず野際夫妻の変死事件は、その両極端の原因を警察は探し求めていたが、結論に至る事は未だ無かった。
だから奈良北地区は新党凌駕に代わって、民生党沢谷亜紀が不動の地位を確保し、順風満帆な時が流れていた。
所が沢谷亜紀が復帰して第一子が誕生日近くに成った時、第二子を身籠った。
流石有権者もその事実には思案する事となり、国会議員とはと疑問を感じ始める事となり、そこに犠牲の精神が全く無い事を気にしだした。
『わからん事はないが、しかし国政を司る立場、果たしてこれで・・・』と声が出て、少々煩く成ってきたので、沢谷議員は第二子の出産前に政界を引退する決意をする事と成った。
所がそんな沢谷議員の心の内を見計らって総理大臣本田宗次が、
「女性はどんどん安心して子供を産んで下さい。
そんな日本に成れるように、早急に検討し整備します。そして多くの女性が今持っておられる不安を解消致します。
臨時国会で民政党野村健三議員からの質問に、総理はその様にはっきりと答え、それは気を使って引退を決意した沢谷議員の心に、突き刺さるように勇気を与えたのであった。
それでも沢谷議員は自分の役目が終わった事を感じ、次の選挙では子育てに従事し、これまで培ってきた全てを夫龍志に託す事を決意した。
後援会員の殆どは龍志の事を誰もが知っているほどの知名度で、長年沢谷亜紀の裏方であった事が功を奏した。
とうとう次期選挙で龍志は妻沢谷亜紀に代わってバッジを目指す事と成った。
龍志は三十四歳を越していた。
決しておごる事なく真面目に民政党員として活動を重ねてきた、真面目であったが故に、そして真剣であったがゆえに誰からも好かれ、少々大人しい龍志であったが追い風の中で選挙戦に臨めた。
「父さんとうとう俺ここまで来たんだね。苦節十五年。長かったと思わないけど、でも色々あったな
いつか冗談で言っていたけど、野際さんと入れ替わるかも知れないと言った言葉が、当たるかも知れないよ。
わが党も野党第二党になって、今や五十人を数え、国政に影響する迄に成ったね。
俺は思うのだけど、わが党が目指している最終的なスローガンは、絶対どこの党にも負けない気がするよ。
与党の国民党は今年も不適切な発言をして、追求されている議員が三人も居てただろう。つまり有権者は我党が目指すような事は、考えて居ない場合があるから、つまり利権とか私欲とか、個人の都合とか、忖度とか、それで動いているから、解りつつあんな馬鹿な事を繰り返すのだろうね。全く馬鹿な事を」
「龍志、誰でも大臣に成った途端に馬鹿な政治家は舞い上がるから、それも仕方ないんだよ。
何しろ実力なんか無いんだから。世襲ばかりで政治家を目指す心得など、民政党とは懸け離れていると思うよ。
父さんの時代はそれで良かった。それが当たり前だと思っていた。選挙に成れば小遣い稼ぎが出来るものであると、目の色を変えた有権者も幾らでも居った。
だからその慣行から何もかも抜け出すのは、あと二十年ぽど掛かると思うな。
❿
つまり父さんたちが居なくなってからって事だと思うよ。その頃には龍志の党は第一党に成っているかも知れないな。むしろ野党ではなく国政を司る政権与党に」
「そんな風に思ってくれるの父さんは?」
「それは親ばかではなく、日本人の心だと思うよ。日本人は人を騙す野蛮な人種では決してない筈、こんな島国だから嘘は命取りと思っている筈、幾ら外国人が入って来ても、彼らもまたこの国では悪い事は絶対してはいけないと思うようになる筈だから、龍志たちが目指す思いは何よりも大事で、またそう成って行くと思う。
お父さんもお隣さんも奈良の人も、日本中の有権者はみんな同じ思いだと思う。
今与党の中に良からぬ考えを持っている議員は、やがて次の選挙で姿を消すと思う。
それは龍志たちが大きな声をあげて、政治家とはと説き続けているから、全体に浸透して行っていると思う。だから龍志の民政党の理念は、どの党よりも優れていると思うよ。」
「でも今の人数では・・・もっと増やして過半数に成ったら凄いだろうね。」
「もし可能なら龍志も大臣だな・・・」
「政治って面白いね。真面目であれば真面目であるほど」
「それは人生も同じで恋愛も同じだよ」
「そうだね。俺父さんの目が黒い内に選挙に通って与党になるように頑張るよ。」
「でも龍志はそんな野心はないと思うから、マイペースで頑張りなさい。亜紀さんを見守りながら」
「あぁ、ありがとう」
龍志は順調に妻が築いてきた党員を守り、次の選挙で目出度く議員となり、この選挙で政界は大きく姿を変えていた。
議員総数は五百人であったが、与党第一党で政権政党の国民党は 二百二十五人で連立与党の若葉の党は三十六人、つまり与党は二百六十一名で、野党第一党の新党凌駕はその数を減らし、今や百二十議席迄に成り様変わりをしていた。
当然躍進を続けてきたのが民政党で、その数は三桁にまで膨れ上がり、堂々とした勢いのある第二の野党と成った。
あと少しで何かが与党に起これば政権がひっくり返る事も、政界関係者だけでなく国民の誰もが思う事と成った。
更に先の国会で決定した消費税の見直しは、与党にとって転覆のボーダーラインを更に下回る可能性のある懸念材料であったが、先の国会で決定した事であったので、それを棚に上げる事は出来なかった。
二年前まで景気が上向いていた時に生まれた法案であったので、与野党の誰もが納得して決めた法案であった事が、抜き差しならぬ事態に成っていた。
今選挙に成れば間違いなく世論は、消費税のアップを反対する事は確かで、与党国民党にとってこの法案の実施は命取りになる危機感さえ漲っていた。
新しい消費税率の実施は、次の選挙までにやってくるので、長年与党で政局に君臨してきた国民党は、固唾を飲む毎日が続く事になり、それは野党第一党を死守して来た新党凌駕に於いても内容こそ違え同じであった。
新党凌駕はもともと三つの政党の集まりである。
改革凌駕に他の二つの政党がくっついて出来た党であった。そしてその名を新党凌駕と改めた。
その頃まだ民政党は、言わば相手にもされない八人ばかりの党であったので、干されていたようなものであった。
それと言うのも民政党は、真面目で堅物過ぎた事も手伝って、政治とはと説く連中には窮屈に見えた一面もあり、また同じような他の党の緑の党もあったことで、橋にも棒にも掛からない党とも言われていた。
つまり政治とは本音があり建前があり、落とし処がありと、言わば暗黙の内に事を運ぶと考えていたからである。
各党にそれぞれの事情があり、置かれている立場があり、いよいよ次回の選挙では大きく流れが変わる可能性を誰もが感じることとなった。
龍志は沢谷亜紀から受け継いだ地盤を、しっかり守り二期目を順調に迎えようとしていた。
二人の子供も幼稚園へ通い元気にはしゃぐ毎日に成っていた。
妻の亜紀は子育てに必至でありながら、夫を支え順風満帆なおしどり夫婦で、民政党そのものであった。
次の選挙において奈良南地区は、二度に渡り惜敗であった事から力を入れる事となり、龍志は自分で開発していた有権者をくまなく訪問して、確約を取っていた。
立候補予定者は前回と同じ、元大和高田市議岡田健介である。今度は落とせないと民政党は龍志を中心に応援の毎日を繰り返していた。
そして年月は目まぐるしく流れ、選挙になり、爆弾のような消費税アップと言う獣を抱えた与党国民党がとうとう大敗を期して野に下った。
国民党議席二百十人、連立の若葉の党の三十人と合計で二百四十人。 僅か十人であったが、その数は過半数を割る事なった。
野党合計が二百六十議席 そして民政党は百二十二議席を確保して、野党第一党に大躍進したのである。
新党凌駕は更に数を減らし、百十議席に止まり、残りの議席は緑の党他小さな野党で分け合った。
当然与党の国民党は少数野党に打診を連夜繰り返して、与党へ編入を口にしたが、どの党もそれに乗る党はなかった。
民政党はどこよりも真面目で、裏表のない党であると、有権者は誰もが認めていたので、国民党としては大臣を入閣させる事を条件に、しぶとく編入を望んだが、しかし民政党は国民党が今までして来た、目に余る数々の不祥事や問題発言を見逃す事は出来なかった。
そして何故我が国がこんな風に変化して行くのかと逆に説いて返答としていた。
いよいよ民政党の時代が来たと、日本中が色めきだったが、それでも十数年前までは、たった八人で税金の無駄遣いとまで言われた党であったので、 その現実は我が国の政界において、未来永劫まで伝えられる大波乱である事は言うまでもない。
まさか民政党が政権政党に・・・
新党凌駕は僅かであったが、民政党にその数を抜かれ、更に与党国民党を野に下らせたにも拘わらず意気消沈の毎日であった。
この日を待っていた新党凌駕であった筈が、第二党に数を減らし昔三党が結党した時の勢いは見る影も無くなっていた。 結党当時は破竹の勢いで、奥さん共々命を絶った野際誠一議員らが中心に成って築いた党である。
総勢二百人を数える党と成った新党凌駕は、とてつもない大きな野党として一世を風靡した瞬間であった。
それから時代と共に試練と激動の時代を迎える事となる。
不始末を働く議員が続き、言葉で誤る議員が生まれ、野際議員のように未だ解決に至っていない黒幕の議員も生まれ、とうとうその数を半分までに減らしてしまったのである。
それは大局的に議員を増やし続けた、民政党の歴史と正反対である事は言うまでもない。
そしてその違いは明さまで誰もが想像出来たのである。
そして代表選挙が間もなく行われる事となった。
野党第一党の民政党からその候補が生まれようとしていたが、決して新党凌駕の票をあてには出来ない事は確かであったので、一気に野党共闘と生易しい構図には成らなかったのである。
約一か月に及ぶ空白が出来、新党凌駕がこれ以上民政党にそっぽを向けている事は、それは言い換えれば致命傷になりはしないかと、若手議員から声が生れ始め、この際は民政党に協力する事に落ち着く事と成った。
それは国民党に「NO」と言う言葉を突きつける意味も備えていた。如何に国民党の切り崩しが激しかったと言う事である。
そして民政党は龍志が先生と評する野村健三議員を、首相に指名し壇上に持ち上げた。
この頃の野村健三議員は、既に八期目に達する貫録を感じさす第一人者と成っていて、代表で迎えた今回の選挙で、新党凌駕に勝つ事が出来たなら、更に野党議員数で与党国民党を上回ったなら首相に指名する事は決まっていた。
そして野村健三議員は、見事その地位を満場一致の元に討ち留める事に成ったのである。
そして革新の新総理が誕生した。
この事実は民政党他、新党凌駕を初めとする野党共闘の揺ぎ無い驚愕の快挙であり、これからの日本が変わって行くスタートでもあると、野村健三は所信表明演説で力強く口にしたのであった。
民政党を中心にした新政権が誕生し、日本中が活気に溢れ、希望に満ちた新たな時代を感じている人が殆どであった。
それは民政党の理念であったから、誰もが疑う事がなかった。そしてこれまで国民党一辺倒であった有権者や、新党凌駕贔屓であった有権者も、とりあえず立ち止まり考え直す瞬間を迎えていた。
やがて民政党を中心とする政権が誕生して一年が過ぎ、景気も心なしか回復傾向に感じ始めて、落ち着いてきた時に思わぬ事が起こった。
【ニュースです。 丁度十一年前の事、新党凌駕の議員であった野際誠一さんが、奥様と共に不審死された事件がありました。
所が当時所有していた株券が相当あった事を証券会社が証言しており、その不明に成っていた株券が最近市場に出回っている事が判明致しました。
当時野際誠一さんは奥さま名義で、可也株券を所有していた事実があり、警察が追跡していた経緯もあり、それが今に成って一部が市場に出回っている事が判明致しました。
当時野際さんの奥さまが配当を貰う為に、亡くなられる間際に、名義を書き換えた事が判ったのです。
名義を書き換えその配当を受け取った事は間違いないですが、その株券が第三者に渡っていて、その何枚かが発見されたのです。
株券は配当を受け取る為に自分の名義に書き換え、必ず名前を記入しますので、それで不思議な現象が起こっていて発見された訳です。
奈良県警はその株券を誰が売りに出したのか、現在証券会社に協力を求め詳細を調べているようです。間違いなく事件の関係者であることが考えられます。
当時新党凌駕の野際誠一さんは、奈良県庁土木部(木下逸郎土木課長(収賄で起訴)と、更に大阪土木工業営業部部長小笠原大輔(贈賄で起訴)を巻き込んだ、贈収賄疑惑で検察に身柄を拘束されましたが、仮釈放で一旦自宅に帰った後で、奥さま諸共亡くなっていたのです。
当時警察は、野際さんが拳銃を口に咥えていて、奥さんは後ろから撃たれていた事から、野際さんが奥さんを道連れにした無理心中であると見識を述べ、一方凶悪強盗に襲われ金銭や株券を、強奪されたのでないかとも発表していました。
あれから十一年、未だ犯人は捕まっておらず、また無理心中した痕跡も判明しておらず、長い月日が経ちましたが、事件の究明には未だ及んでいなかったのです。
株券は名義変更する事なく、買われた日に売ってしまう方も居られ、無記名のまま転売を繰り返す事も考えられ、この発見された株券から、犯人に繋がる事は非常に困難であると専門家は言われていますが、事件の解決のためにも一日も早く株券を売りに出した人物が見つかる事を祈ります。
では次のニュースです。】
「父さん変な事になったね」
「一部の株券が発見されたって書いてあるけど。やっぱり誰かが侵入して、野際さんらは殺されたんだろうか?」
「もし強奪した株券は、あれから十一年経ってほとぼりが冷めたと犯人は思い、其れでお金にしたんだろうね。」
「そうかも知れないな。でも奪った時株券は野際さんの奥さんの名は書かれていなかったと言う事だから、殺される少し前に名義を書き換えたと言う事だな。それで配当を受け取る積りであった。」
「俺株の事なんか解らないけど、新聞にはそのように書かれているね。」
「野際さんは名義変更すると拙い筈であったが、配当がある事を知っていたので、それも記念配当とかだと可也あるからな。だから目が眩んで欲に走ったのかな?それと犯人は野際さんの名前が書かれていなかったから迂闊だったのかも知れないな。」
「迂闊って?」
「だから野際って裏書されていたなら、犯人は絶対そんなもの市場に出さない筈だって、そこから足が付く事なんか目に見えているから、だから犯人は何も考えずに、むしろその株券は大丈夫と思ったと言う事だな」
「つまり他の株券は兎も角、その株券だけは安全であったと早合点したって事だね」
「そうだなぁ」
「所がそれが紛失届が出されていて、登録されマークされていて、証券会社か警察かどこかは知らないけど見つけたわけだね」
「そうだな。善意の第三者が名義を書き換えたから判ったのかも知れないね。」
「父さんも俺も株は全く興味がないからわからないけど、でもわが党はこんなに勢いがついて政権まで取った事を思うと、なんか複雑な心境になるね。 野際さんなんて誰でも日本中の有権者は知っていたと思うよ。しょっちゅうテレビに出て誰よりも顔は売れていたからね。それに話題にも尽きない人であったから」
「そうだな。話題って言っても善い事じゃなかったからな。誰もが憤りを感じるような内容だったから結構印象に残るからな。」
「それでもし株券を誰かが持ち出して、それを換金したとしたら突き詰めれば判るの?」
「いやぁ父さんにはそんな事わからない。 専門家なら判るかも知れないけど。
偽名で取引をしたとか、誰かが代理になってとか考えてみれば色々なケースがあると思うよ。
もし犯人が居るのなら絶対捕まりたくないからなぁ、誰しも思う事は同じで。
でももっと調べないと真相は判らないだろうな。 テレビのニュースや新聞では、十一年前野際さんの奥さんが、配当を受け取る為に名義書き換えを証券会社に依頼した。しかしその後奥さんは誰かに殺された。
それで証券会社は、奥さんが亡くなり、名義書き換えを依頼されているにも拘わらず、奥さんから預かる筈の肝心の株券も失くなっている事が判明して警察に報告した。
だからこの十一年間警察はその失くなっている株券を監視していたのかも知れないな。 誰かが次の配当を受け取りに来るかも知れないとか、或はその株券を売りに出す者が居たとか、何食わぬ顔で証券会社にやってきても紛失届が出されているから、警察に連絡すればすぐに捕まるからね。」
「でも実際その株券には奥さんの名前が書かれて居なかったと思うから誰も気づかず、それで犯人から何処かの証券会社に渡って、それから再度何人もの手を潜った事が考えるね。でもそれってどこの証券会社でいつ扱ったかなんて判るの?」
「いや父さんはそんな事知らない」
「警察なら?」
「それも判らないな。どんなシステムかなんて知らないから。株券を買った事など一度もないから」
「じゃぁ警察にお任せだね。この話をしても埒が明かないから止めよう。
でも俺民政党に入ってもう十五年を超すだろう。この間に新党凌駕を嫌と言うほど見てきたけど、彼らって何時までも同じ事を繰り返しているから、実に情けなく思うよ。
だって弁護士とか医者とか優秀な人物が居るのに、時代に合っていないと言うか、我田引水って言うか、まるで世間を解っていないような感じだね。
亡くなった野際さんも、俺なんかがまだ青臭い時から、あの人は凄かったけど、でも時代は変わって今生きて居ても同じ事を繰り返していると思うよだって他の人たちは全く変わりないから。
今回連立で共闘と成ったけど、足並みは良くないよ。あれでは更に仲間を減らすでしょうね。
若い連中はそうでもないけど、彼らはね、築く事より相手を追及し倒す事に長年邁進して来たのだろうね。だから暗いよ、それにピントがズレているよ。」
「偉くなったもんだな龍志は」
「俺も二期目だからしっかりしないとね。歳から言っても」
「そうだな」
「また何かが判れば電話するよ。いや、教えて」
電話は切れたが、相沢信也は息子龍志と久しぶりに話しながら、その成長ぶりにちょっとだけ嬉しかった。
そしてやはり振り湧いて来る疑問と問答する事と成った。
野際誠一夫妻は十一年が過ぎた今屍になって何かを語ろうとしている。
警察や証券会社がはたして突き止める事が出来るのか?信也はあくまでも素人だから株の事など判らなかったが、それなりに眉間に皺を寄せて考え込んだ。
野際の奥さんの名が株券に登録されたのは 殺される前後である。もし登録ではなく記名されていたなら犯人は警戒してそれを動かさない。
殺されて持ち出されて、それから何年かが過ぎて見つかった。何年も経っていたから判らないとその株券を換金した事もありうる。何しろ十一年が経っているから・・・
それは当然犯人が誰かに依頼してとか、急いで処分した事も考えられる。 いやそんな事はない。間違いなく犯人は奥さんの名前が記名されていない状態で手に入れている。
証券会社は奥さんに名義書き換えを頼まれていたので実行仕様としたが、奥さんがその後亡くなり、その株券を書き換える事もなく消えてしまい時間が流れた。
そして警察に事情を話しておいて、それから今日に至って、その株券が市場に出回っている事を先日になり発見された。警察は株券がどのような経路を辿って今に至ったのか判るだろうか?
相沢信也は雲を掴むような話に、全く無知でどうする事も出来なく只々疲れてしまった。
頭の中で蠢く波のようなものを感じながら。
次話へ続きます。
第二部分に続きます。




