09:切り開くために
ナタリアの話に、キャスリーンが俯く。
彼女の言うとおり、儀式を終えて以降は騎士として務めることは出来なくなる。お飾りの聖女と言えども――お飾りだから尚の事か――あまり場を離れてはいられないのだ。
キャスリーンが儀式を終えたとなればその力の恩恵に預かりたい思う者は更に増えるだろうし、今までは子供の我がままと受け入れていた重役達もいい加減にと咎めてくるに違いない。
騎士としての時間は過ごせなくなる。
キャスは第四部隊を抜けて田舎に帰り、家業を継ぐのだ。
だがそれはあくまで偽り、事実キャスという存在はどこにもいなくなる。騎士に憧れ、レイピアを手に戦った彼女は消えるのだ。
そういう約束だから……と、キャスリーンが呟くように説明する。その声は我ながら情けないと思えるほどに小さく、語尾は消えかかっている。
そんな弱々しいキャスリーンの声とは対極的に、声を荒らげたのはアルベルトだ。今までこのやりとりを静かに聞いていた彼だが、今の言葉は聞き流せないと言いたげに割って入ってきた。
「キャス、居なくなるってどういうことだ!?」
「それは……儀式を終えたら、騎士として居られなくなるから……」
「だから居なくなるのか? 俺に……俺達に何も説明せずに?」
アルベルトの問いかけに、キャスリーンが小さく肩を震わせた。
約束だの条件だのと言えば聞こえはいいが、実際には騙し続けた挙句の雲隠れだ。第四騎士隊の仲間達は今まで共に過ごしたキャスの正体を知ることもなく、ましてやすぐ近くの王宮に居る等と露程も思わずこれから先過ごしていく。
寂しいと思ってくれるかもしれない、また会いたいと思ってくれるかもしれない、だが彼等の記憶にいるキャスは全て偽りで、彼等は居もしない仲間を覚え続けるのだ。
それを考えればキャスリーンの胸に言いようのない感情が湧く。後悔と寂しさと罪悪感、それらが綯交ぜになったなんとも言えない感情。
そんなキャスリーンの胸中に疑問が湧いたのは、ナタリアがニヤリと笑みを零したからだ。キャスリーンとアルベルトの会話を聞いていたにしては随分と楽しそうである。
「お母様どうしたの? ……まだ何か企んでるの?」
「あら企むなんて失礼ね、キャスリーン。ただ大変なことになったと思っただけよ。アルベルトには正体がばれて、そのうえキャスとして同行しなければならない。おまけに双子付き。これは一筋縄じゃいかないわね」
「お母様がそうしたんじゃない。もう、どうすれば良いのか……」
「どうにかしなきゃいけないんだから、なんとかしなさいキャスリーン。もしかしたら何とかなるかもしれないんだから」
そう告げてくるナタリアの声は先程の楽しそうなものから一転して優しく、そのうえそっと手を伸ばすとキャスリーンの頬を撫でてきた。
擽るようなその感触にキャスリーンが瞳を細める。
「人生を切り開くための手助けはしてあげたから、ここからは貴女が頑張りなさい」
「手助け?」
「えぇ、切り開きやすくするためにちょっとだけ切れ目を入れてあげたのよ。その切れ目を修復するもそこから切り開くも貴女次第よ」
クスクスと悪戯っぽく笑い、最後にナタリアの手がキャスリーンの金の髪を撫でた。三つ編みを手に取り、まるで愛おしむように撫でる。
その手の動きに、そして告げられた言葉に、キャスリーンが考えを巡らせた。
(キャスとして同行なんて無理に決まってる。皆にバレたら大変だわ。そもそも正体をばらさないことも条件の一つだったのに。……でも、もしかしたら何か変えられるかもしれない)
何かとは何なのか、明確な答えは見いだせない。そもそも『代わるかもしれない』という可能性の話だ。確証もなく大分望みが薄い。
だが聖女として大人しく儀式に向かい、退屈な儀式を済ませ、お飾りの聖女として椅子に座り続ける未来よりは比べるまでもなくマシだろう。キャスだって、このまま大人しく田舎に帰るのは嫌だと訴えるはずだ。
「そうね、私やるわ! お母様、私なんとかしてみせる!」
「えぇ、その意気よキャスリーン。……それで」
キャスリーンの意気込みに嬉しそうに聞き、次いでナタリアがチラリと視線を他所に向けた。
そこに居たのはアルベルト。彼はふとナタリアの視線が己に向いていることに気付くと、まるで「俺が何か?」と言いたげな表情を浮かべた。
「アルベルト、もちろん貴方も協力してくれるわよね?」
ナタリアがやんわりと微笑みながらアルベルトに尋ねる。
それに対し、アルベルトは迷う様子もなく頷いて返した。先程まで困惑の色を浮かべていたが、今は確固たる意志を見せている。
「もちろんです。聖女様のため、なによりキャスのため」
はっきりと告げるアルベルトに、キャスリーンが小さく彼の名を口にした。
いくら隊長といえども第四騎士隊の彼は聖女の儀式に同行する義務はなく、選抜されたからといっても断ることは出来る。キャスの正体についてだって、見なかったことにして知らぬ存ぜぬを貫くも、それどころかこの事実を周囲に言いふらすことだって出来るのだ。
だというのにアルベルトはキャスリーンに協力すると答えてくれた。キャスリーンのため、キャスのため、そのどちらも自分の事なのだと考えればキャスリーンの胸が高鳴る。
先程まで抱いていた不安も一瞬にして消え去るのだから、なんとも薄情なものではないか。
だけど一度胸の内に湧いた安堵は増すばかりで、消えたくないと訴えていたキャスリーンの中のキャスすらも安堵しているかのようだ。
『アルベルト隊長が一緒ならきっと大丈夫』
と。
そんな思いのままキャスリーンがアルベルトに感謝の言葉を口にしようとするも、それより先にナタリアが口を開いた。
「そうよね、それにアルベルトは謁見の間に飛び込んできたものね。協力してくれないなら不敬罪で訴えるところだったわ」
「……そ、それは、あまりの事に慌てておりまして」
「そうでなくとも、年頃の乙女が着替えている部屋に、ノックもなしに入ってくる。これは大問題よ」
ほほほ……と優雅に笑うナタリアの言葉に、追いつめられていくのを感じてかアルベルトの表情が青ざめている。
女性の部屋に飛び込むなど不名誉な話に反論したいところだが、焦っていたとは言え飛び込んできたのは事実である。否定もしきれないが黙って肯定も出来ない……と言ったところなのだろう。アルベルトの整った顔つきに困惑の色が浮かぶ。
それを見て、キャスリーンが慌てて彼の腕を擦って宥めた。
「アルベルト隊長、気にしないでください。お母様は遊んでるだけです」
「遊ぶ……? そうか、からかわれてるだけか」
「面白い反応をすると玩具認定されますよ。お母様、その楽しげな顔をやめて!」
キャスリーンが割って入ってアルベルトを庇えば、それがより面白かったのだろうナタリアの笑みが強まる。先代聖女としての威厳を感じさせる顔つきとも、母親としての包容力を見せる微笑みとも違う、玩具を前にした子供の表情だ。
この表情の母に今まで何度からかわれたことか。そうキャスリーンが記憶を振り返りつつキッと睨めば、ナタリアが満足そうに笑って「大人になったわねキャスリーン」と誉めてきた。
だがその表情は時折繕い切れぬと楽しそうな色を浮かべ、チラチラとアルベルトに視線をやっている。どうやら先程の狼狽する彼の態度が気に入ったようで、「隙あらばからかってやるわ……」と、そんな無言の訴えがキャスリーンの耳に届いた。
「アルベルト隊長、こんな事になってしまって申し訳ありません。ですがアルベルト隊長が協力してくれるなら、私きっと頑張れます……!」
「あ、あぁ、そうだな。聖女も騎士も関係ない、今まで通り俺を頼ってくれ」
「はい! でも、お母様からは私が守りますから!」
そこは任せてください! とキャスリーンが力強く訴えてアルベルトを庇うように彼の前に出れば、アルベルトが苦笑を浮かべつつ頭を撫でてきた。